3章 第13話N 魔王(であること)からは逃げられないのじゃ
魔王都市へ戻ったその日はさっさと休み、リューンとイライザには翌朝説明することとして解散する。とはいえ実際は眠らなくても良い体であるため、夜のうちに通信機を作ることにして部屋にこもる。
「姉御! 一緒に寝よう!!」
「ナナちゃ~ん、わたしもぜひ~」
予想通りではあったため魔道具作成の邪魔をしないよう厳命し、リオとセレスと一緒に義体を寝かせて、自身は外に出したスライム体を使って魔道具作りをすることとなった。
ヒルダに元人間であると明かした直後もこうして抱き枕になりながら、離れた部屋に本体を出して作業していたことを思い出し、懐かしさに笑みが溢れる。
途中二人に義体の胸やお尻を触られたことによって作業を中断することもあったが、朝までには都市とわっしーに設置する水晶型を三つ、声だけを転送可能にした携帯電話型を六つ作り終える。
早朝、まだ起きてこない二人を尻目にさっさと着替える。今日は黒のワイシャツに真紅のプリーツスカートと、襟には髪留めと同じ紅いリボンを巻いてみた。
マリエルとヨーゼフを館の使用人たちに紹介して一緒に食事の支度をさせ、イライザを迎えに魔導都市へ転移する。イライザは素顔であることとや服装に驚いていたが問答無用で転移させ、朝食の支度が整うまでリューンと打ち合わせでもしていろと言って放置する。
車庫のわっしーに水晶型通信機を設置して訓練場へ行くと、既にダグが体を動かしていた。ちょうど良いとそのダグを誘って、ヴァルキリーに換装するとボクシングルールでのスパーリングを行う。そして一ラウンドとなる三分が経過した後、ダグの拳は一発も当たらないまま、ナナの一方的な勝利となった。
「ちくしょう! 改めて近い身長でやりあうと、技量の違いがよくわかるぜ……」
「かっかっか、そりゃそうじゃろう。ボクシングとは拳だけで相手を倒すために、何千年もの研鑽を重ねて発展したものじゃ。むしろ喧嘩と独学だけでここまでの高みにおる、ダグのほうこそが異常じゃと思うがのう」
「くそっ、もう一回だ!」
二ラウンド目の途中でリオも訓練場に姿を現し、三ラウンド目からはダグ・リオVSヴァルキリーとなった。ルールを通常の組手に戻し、全力で身体強化術を使いつつ繰り出される二人の攻撃を、ボクシングと空手の防御技を見せ付けるように駆使して全て逸らし、止め、回避する。
五ラウンド目になると二人とも防御の技術を覚えつつあり、なかなか様になってきていた。いつの間にかアルト・セレスだけではなくリューンとイライザ、そしてアラクネのジュリアも訓練場に集まっており、リューン・イライザ・ジュリアの三人はヴァルキリーの姿とその強さに驚き、ぽかーんと口を開けて見ていた。
「みんなおはようなのじゃー」
五ラウンド目を終えるとノーマルタイプに換装し、肩にスライムを乗せて見学者達に挨拶をする。
「え、あ、あれ? 魔王サマ? 子供に戻って、さっきの大人の、えええ!?」
「ジュリアではないか、どうしたのじゃ朝からこんなところで。というかリューンとイライザも混乱しておるようじゃのう。さっきの翼のある美女もわしじゃ、詳しくは朝食のあとで話すのじゃ」
「自分で美女とか言ってんじゃねぇよ。そもそも今仮面つけてっから三人共顔わかってねぇし、ジュリアは仮面無しは今の姿でも初じゃねぇか」
目をパチクリさせて混乱するジュリアと、口を開けたまま呆然とするリューンとイライザに、そうじゃったと笑って改めて挨拶する。
ジュリアはというと、アルトによっていつの間にか側近に加えられていたらしく、いろいろと忙しくしているらしい。
「それにしてもジュリア……久々じゃが、ずいぶん綺麗になったのう? それにその服も似合っておるのう!」
「ああっ! 魔王サマ、その話はあとでアルト様からお聞き下さい!」
白のTシャツらしきものの上から青いベストを羽織り、下半身の蜘蛛との接続部が隠れるような桃色のスカートを履いているジュリアは、両手と蜘蛛の前足を拒絶するようにぶんぶんと横に振って、訓練場から逃げるようにわさわさと足を動かして出ていった。アルトを見ると、片手で顔を覆って首を横に振っている。
何か隠しているようだが、あとで話してくれるのだろうと思い、この場で追求するのは止めておく。
朝食にはマリエルが、ふわふわのパンに野菜・肉・スライスしたチーズを挟んだハンバーガーもどきを用意していた。
トマトケチャップを作っていなかったことが悔やまれたが、パンの歯ごたえが物足りないというダグ以外の全員に、概ね好評であった。
問題としては上座というかお誕生日席というか、細長いテーブルの最奥に座らされた事だろうか。右手側にアルト・ダグ・リューン・イライザが座り、左手側にはリオ・セレス・ジュリアが座っている。
全員の顔が見れるのは嬉しいが、全員の視線も集中するのでちょっと気恥ずかしい。
食後は地上界の紅茶にハチミツを少量垂らしたものを、ヨーゼフが用意してくれた。ついでに空間庫からハチミツメレンゲクッキーとハチミツクッキーも出して、全員に振る舞う。というか自分が食べたいから出した。
「甘いものを食べると幸せを感じるのじゃー……」
「凄いよう姉御ぉ……」
「食べ過ぎそうで怖いわ~……」
「魔王サマ、あたいにまでこんな美味しいものを……」
「今ほど側近に加わって良かったと思ったことは無いわ……」
顔が緩みまくる女性陣を眺めて、幸せを分かち合う喜びで満たされるような感覚を得る。男性陣に目をやると、若干頬を緩ませて黙々と食べていた。
「ところでナナさん、ハチミツで思い出したのですが、以前蜜蜂と会話したとか言ってませんでしたっけ?」
「言ったのう、このハチミツも蜜蜂を助けて分けてもらったのじゃ。以前はスズメバチ退治、今回は大蜘蛛退治の報酬なのじゃ、ふふん」
「何をどうすりゃハチと会話できんだよ」
「キューちゃんが通訳してくれたのじゃ。やろうと思えば他の生き物とも会話できるかもしれんのう」
呆れた様子のダグに、ふふん、とドヤ顔で答え、頭上のスライム体もぴょんぴょんと跳ねさせる。隣りに座るアルトの顔は表情を失っているが、達観しそういうものだと受け入れているようでもあった。
「ハチミツの件の続きはあとで話すのじゃ、ちょっと相談したい事もあるでのう。まずはリューン、イライザ、ジュリア。わしは地上界にてヴァンを討滅、目的を果たし異界へ戻ったのじゃ。おぬしらの協力のおかげじゃ、ありがとう、なのじゃ」
三人が口々に滅相もない、とかおかえり、など口にし、帰還を喜んでくれた。
「さて、今後のことを話す前に、おぬしら三人にもわしの正体を明かそうと思うのじゃ。その上で、おぬしら自身の今後のことを考えて欲しい」
そう言って頭上のスライムを隣に下ろして体積を増やし、いつもの1メートルサイズの人型を取らせると、スライム本体の方から声を出す。
「わしは『元』人間じゃが、今はヒルダによって作られたスライムなのじゃ。人の肉体は、わしがヒルダとノーラの遺体を喰って作った義体、ゴーレムのようなものじゃ。こんなわしでも良かったら、これからも一緒にいて欲しいのじゃ」
「ええ、問題ありません。私もイライザも、ナナ様がどんな存在であれついて行くと決めております」
「こちらこそ、これからもよろしくお願いしますわ、ナナ様」
即答するリューンとイライザの言葉に、嬉しさで胸が熱くなるような感覚を覚える。しかしジュリアは少々戸惑っているようで、目をパチクリさせている。とはいえこれが普通の反応だと思うし、むしろあの程度の説明で即答するリューンとイライザの方が異常だと思いつつ、ジュリアを見つめる。
「え? 魔王サマがスライム? ……ああ! そういえばこないだまでスライムに乗って移動してた!!」
「かっかっか、そうじゃ。あれはわし自身の体の一部を外に出して、操っておったのじゃ。あの時は義体を操作することができなかったゆえのう」
「えーと、よくわかんないけど、魔王サマは悪いこと考えて騙してたわけじゃないですよね? それにあたいら、魔王サマが魔人族だから付いていくわけじゃないですし、何も変わらないです。これからもよろしくお願いしたいのは、あたいらの方です」
そう言って頭を下げるジュリアは、頭をあげると満面の笑みを向けてくれた。不安が解消されて、こちらも自然と笑みが溢れる。
「改めて、よろしく頼むのじゃ、リューン、イライザ、ジュリア」
「こちらこそ、改めてよろしくお願いいたします。私の名前はブリューネル、通称リューンと申します」
「よろしくお願いします、ナナ様。私の名はエリザベート、通称イライザです。本名をお伝えするのが遅くなり、リューンともども謝罪いたします」
「あたいらアラクネは本名を名乗る習慣とか無いけど、改めてジュリアです! よろしくお願いします!!」
スライム体で歩いて近寄り、三人と握手を交わす。冷たくて気持ちいいと笑顔を浮かべられ、最後のジュリアと握手が終わると、リオとセレスに捕まらないように、という目的もあってスキップで義体の元へ戻る。伸ばした手が空振りして悔しそうにするリオとセレスを尻目に、スライム体を手乗りサイズに戻して肩に乗せる。
そして昨日アルト達に話したように、自分の生まれや能力、ペットを経て復讐の旅に出たことなどを話して聞かせると、イライザとジュリアは目に涙をためて話を聞いてくれた。
「しかしまあ、これで魔王をやめて隠居する道は完全に無くなったと思うべきかのう」
「まだ諦めてなかったのかよ。いいじゃねぇか、どうせ統治関係の面倒ごとはアルト主導でリューンとイライザがやる、ナナはこれまでどおり象徴みてえなもんだ」
「まあのう……しかしダグはもう少し働くべきだと思うのじゃ。それと、とりあえず通信魔道具を渡しておくのじゃ」
二つの水晶球型と六つの携帯電話型通信魔道具を取り出し、使い方を説明しながら水晶球型はリューンとイライザに、携帯電話型は他の五人にそれぞれ渡す。呆然としていたイライザに、アルトが「慣れなければ身が持たない」と不思議なアドバイスをしていた。
「水晶球型はもう一つ作ったのじゃが、わっしーに設置しておるぞ。とりあえずこの九個があれば良いじゃろう」
「ありがとうございます、ナナさん。今度はこちらから異界二都市の現状について、報告させていただいてもよろしいでしょうか」
「頼むのじゃー」
退屈な話が続いたら逃げようか等と思いつつ、アルトへと向き直る。
「まずはジュリア君の服装についてですが、以前ジュリア君にTシャツ・下着・コート等を作ったことを覚えていますか?」
「うむ、覚えておるぞ。その時アラクネはバービーを除いて裸族じゃったからのう」
「そのバービーさんが、ナナさんが作った衣類を見てプライドを刺激されたとかで、同じ考えのアラクネ族を纏め上げて大量の衣類を作っています。ジュリア君」
ジュリアが元気な返事を返し、アイテムバッグから大量の衣類を出してテーブルに並べ始めた。
「おお! 可愛いではないか、それに色使いも良いの! ほとんどの住民がチュニックにダボダボのパンツばかりじゃったから、これらが広まると一気に華やかになるのう!!」
そこには以前自分が身につけていたホットパンツとニーソックスや、Tシャツにスカート、ベストやジャケットなど、カラフルな衣類が所狭しと並んでいた。
「しかも素材は……スパイダーシルクがふんだんに使われておるのう、やるではないか!」
「喜んで頂けて何よりです、ヴァン討伐前に知られないように隠してきた甲斐がありました」
「そうじゃったか、気を使わせてしまったのう。しかしこれは良いサプライズなのじゃ、ありがとうアルト!」
だらしなくニヤけた顔になったアルトによると、アラクネは自身の出す糸を使って、美しい布や衣類を作るので有名な種族なのだそうだ。そういうことであれば対抗意識を燃やされるのも理解できるし、こちらの思惑としては大歓迎であった。
それにヴァン討伐前にこんな可愛いものを見ていたら、恐らく関われない自分を悲しく思うか、もしかしたら八つ当たりのような怒りを他所へ向けていたかもしれない。アルトはそういったところを危惧してくれたのだろう。空回りも多いが、その気遣いがとても嬉しく思う。
「それと衣類の流通に食料との物々交換では間に合わず、魔石との交換が主流となっております。魔石の重量を基準としていますが、それを容易にするため単純な計算を住民に学習させています。本来は文献で読んだ『貨幣制度』というものを復活させたいのですが、それこそナナさんと相談したいと思い、保留にしていました」
「そういえば地上で使いきれなかった金貨など、大量に持って帰っておったわ。作るならサイズや金や銀の含有率を参考にするとよいのじゃ」
自分は関わらないぞという意思を込め、貨幣の入ったポーチ丸ごとアルトに引き渡してにっこりと笑う。その意図を読み取ったらしいアルトは、半ば諦め顔でポーチを受け取った。
ふざけた態度を取ることが多いアルトだが、先を考える能力が高い事に改めて感心する。通貨制度なんてゼロから始めようと思ったら、一体何年かかるのか想像もできない。
「それとアラクネ族の協力で獣の生け捕りが容易になったため、肉が美味しくて成長が早く、且つ気性のおとなしい動物を中心に畜産の試験も行っています。農業も様々な作物を試験的に生産しています」
どうやら元から飼育されているヤギやヒツジの他、巨大なニワトリに似た鳥を飼い始めたらしい。しかしニワトリもどきは年に数度しか卵を生まないため、あくまでも食肉用とのことである。作物も旧アラクネ集落と魔王都市、魔導都市で育ちに違いがあるため調査中との事だった。
「仕事を増やすようで申し訳ないのじゃがのう、地上から大量の種子や苗などの作物を買ってきたのじゃ。こっちでも作れるものがあれば良いと思ってのう、これも全部アルトに預けるのじゃ。それと畜産関係の試験をしておるところに、あとで連れて行ってほしいのじゃ」
ヒデオの体のため、ちょっと実験しておきたいこともある。それに牧場近くにヒルダ邸を移設して住むのも良さそうだ。臭いは気にならないし、いつでも生きたもふもふに抱きつきに行けるのだから、間違いなく天国である。
なんて思っていた時期もありました。
「姉御ヒツジに抱きつきたいの? 毛に埋まっちゃうよ? オレだって埋まっちゃうんだから、へへへっ」
昼食後に牧場を訪れた一行。そこでナナは体高3メートルを超える巨大ヒツジの一団を見ながら、途方にくれるのであった。




