3章 第12話N 汚物は消毒なのじゃ
「これがお風呂ですか~、確かに気持ちいいですね~」
「姉御のスライム浴の方が、オレは好きだなー」
「リオちゃんあれと比べるなんてずるいですわ~。ナナちゃんに包まれるのは至高ですから~」
広い湯船に浸かるリオとセレスの二人の間には、両側から抱きつかれているナナの姿があった。
「せっかく広い湯船だというのに、くっつきすぎではないかのう、二人とも」
右腕にはリオの小振りながらしっかりとした弾力のある膨らみを、左腕にはセレスの豊かで包み込まれるような柔らさの双球を感じながら、ノーマル義体のまま肩まで湯に沈める。そして手乗りスライムで頭上からその様子を視界に収め、眼福眼福と幸福感に浸る。
「えへへー、だって姉御約束してくれたもん!」
「ナナちゃんが地上に行く前、『全て聞いても受け入れられるというのなら、その時は好きにしていい』って言いましたからね~」
「確かにそうじゃの……まあ、わしが復讐に生きておった頃の名残と、おぬしらの勢いに負けてついつい逃げておったが、おぬしらにくっつかれるのは嫌いではない。しかし程々で頼むのじゃ」
それどころか嬉しいのではあるが、それを言うと二人とも日常的にくっついて来そうなのでやめておく。
そして二人にくっつかれたまま、自分が居ない間異界でどんな事があったのか、みんなは何をして過ごしていたのか、改めて話を聞く。中でもリューンとイライザが遠距離恋愛中というのは、早めに何とかしてやりたいところである。
「それでナナちゃん、ヒデオさんというのはどんな方ですの~?」
「……弟みたいなもんじゃな、放っておけない、身内じゃ」
「姉御はそのヒデオのところに行かなくていいの? オレ達と一緒でいいの?」
「ナナちゃんが地上のことを話したとき、ヒデオさんのことばかりでしたから~……帰ってきてくれて、本当に良かったですぅ」
そんなにヒデオのことを話したかなと思いつつ、少しばかり寂しさを思い出して苦笑すると、二人に捕まっている両腕をほどき、逆にリオとセレスの腰に手を回して抱き寄せる。
「ヒデオにはエリーが、サラが、シンディがおる。そしてわしの居場所は、こっちじゃ。わしにはリオとセレスがおる」
自分は女の子が好きなのだ。ヒデオへの気持ちは気の迷いであると自分に言い聞かせるが、僅かに胸に苦しさを覚える。
耳元から聞こえるリオとセレスの息遣いに意識を向け、胸の苦しさを追い払い二人を見ると、リオは少し照れたような、はにかんだ笑顔を見せている。しかしセレスはどうしてか白目を剥いており、意味がわからず首を傾げる。
「セレス? セレスどうしたのじゃ!?」
焦ってセレスの体をゆする。湯あたりだろうかと思ったその時、セレスが我に返る。
「……はっ!? 私は一体?」
「湯に長く入り過ぎたせいかもしれんのう、いったん出た方が良いのじゃ」
「そうなんですか~、わかりましたぁ。でも勿体無かったわ~、ナナちゃんに抱きしめられる夢を見てたのよ~」
「事実じゃぞ、ほれ」
あくまでも自然体で、セレスの顔を掴んで平らな胸に抱き寄せる。すると、ぼふん、と音でも聞こえてきそうな勢いで、セレスの顔が赤く染まった。
「ナ、ナ、ナ、ナナちゃん!?」
「地上ではエリー・サラ・シンディと一緒に毎晩風呂に入っておったし、抱きついたり抱きつかれたりもしとったのじゃ。いやらしいこと抜きなら、このくらい造作も無いのじゃ。じゃがこのまま頬ずりしたり、わしの後ろに回した手で尻を揉んだりしたら引っぺがすのじゃ」
セレスはびくっと体を震わせると水面下で伸ばしていた手を止め、肩の力を抜いたようだ。そのままなんともだらしの無い顔で、身を委ねている。もしかしたらセレスは攻めるのは好きでも、攻められるのは苦手なのかもしれない。そう思ってセレスを見ていると、悲しげな瞳でこちらを見つめるもう一つの視線に気付く。
「姉御ぉ……」
「ふふ、そんな顔をするでないわ。どれセレス、リオと交代じゃ」
今度はリオを両手で抱きしめる。まるで犬のように全力で振られる尻尾が見えそうで、笑ってしまいそうになる。
そのあとはお風呂用の藍色スライムを使って体の洗いっこをして、また風呂に浸かり、十分に温まった頃に風呂を出た。
「あら~、これが新しい下着かしら~?」
「わあ! これも可愛いな!!」
リオとセレスはシースルーのショーツやTバックを広げながら、新作の数々に喜びの声を上げていた。セレスは抱きつき抱きつかれたことでガス抜きになったらしく、風呂に入る前までの、獲物を狙う飢えた獣のような行動は鳴りを潜めていた。
「好きなのを選ぶといいのじゃ、それとスポーツブラも渡しておくのじゃ。まだたくさんあるでのう、残りはあとで渡すのじゃ」
「あれ、なんだか前のと艶が違う気がするよ?」
「最近ゾルアスパイダーとかいうやつの成体を喰ったせいじゃろうな。わし幼体しか喰ったことがない上、死にかける前じゃったからのう。恐らくキューちゃんのおかげで再現できていたのじゃろうが、こんなに質が違うものかと驚いたわい」
ショーツやブラを手にとって、手触りや伸縮性を確かめる二人。それぞれ気に入ったものを身につけると、大喜びで抱きついてくる。もう拒否する理由はないので、されるがままである。
ただ、スライム浴もしたいとせがまれたので、それは後日と約束して今回は諦めさせる。
「おいナナすげえなこのパンツ、しっかりフィットしてチン『ゴスッ!』ぶがっ!?」
満面の笑みで食堂に入ってきた赤いブーメランパンツ一枚の赤頭に、魔素で作った石球を投擲し叩きつける。そして顔面に直撃してひっくり返ったところに、闇の魔素を操作して変態の下半身を隠す。
「いてて……何だよナナ、お前の作ったパンツじゃねぇか。それにどうせ見慣れてるだろうが」
「今のわしは女じゃ。さらに正真正銘女であるリオとセレスもおるのに、よくもまあパンイチで飛び込めたもんじゃ。さっさと行かぬと闇の魔素を炎に変えて消毒してやるのじゃ」
そう言いながらダグの下半身を隠す闇のカーテンを、炎のようにゆらゆらと動かす。するとダグは必死に謝りながら廊下へと飛び出し、浴室へと戻っていった。リオとセレスはというと、特に照れることも無く普段通りだったため、過剰反応だったかもしれない。だが今度同じ事をしたら焼こう、と決意する。
少しして服を着たダグとアルトが食堂へと入ってくると、アルトが風呂についていかに素晴らしかったのか、疲れが取れる・血行が良くなる・清潔になり病気が減る等々一通り熱弁を始め、ぜひ一般的に広めたいと言い出した。
そんなにあれこれ考えながら入っていたら休まらないだろうにと苦笑していると、今度は下着についても熱弁を始めそうになったため、ハチを構えることで中断させる。なおその後普通に礼と替えが欲しいと言い出したので、謝罪したダグの分も合わせて十セット作って渡しておく。
「それとヒルダさんの日誌、ありがとうございました。生きているうちにお会いしたかったですね、研究についていろいろ楽しく話ができそうな方だと思いましたよ」
「かっかっか、そうじゃのう。よく研究に没頭しすぎてノーラに叱れれておったわ」
「あとで時間があるときで構いませんので、僕にも生命魔術について教えて貰えませんか? 日誌を読んで興味がわきました」
「ふふ、構わんのじゃ。わしとしては、わしにしかできぬ事は極力減らしたいからのう。アルトだけに限らず、皆の技術が上がるのは歓迎なのじゃ」
そう言って頭上のスライムをぴょんぴょんと跳ねさせる。
「ではナナさんは、ヒデオさんのところへ行くつもりですか?」
『びちゃ』と音を立てて、着地に失敗したスライムが転げ落ち床に叩きつけられた。
「な、な、何で突然そうなるのじゃ!?」
「ナナさんにしかできないことを減らしたいというのは、異界を出るつもりかと思ったのですが」
「確かに遠くないうちに旅行はするつもりじゃが、ちゃんと戻ってくるのじゃ……それにできるなら、おぬしら四人と一緒に旅行したいと思っておる」
落ちたスライムに義体をよじ登らせ、頭上に戻しながらアルトと向き合う。
「ではヒデオさんの元に行く気は無いと?」
「……友達じゃから会いには行くぞ?」
「友達、ですか……ナナさん、僕はナナさんが他の男に心を奪われていたとしても、野人族の寿命程度待てますから、どうぞご心配なく」
そう言って笑顔を向けてくるアルトに何故かイラッとして、スライムの体積を増やして人型を作り、アルトの元へ跳躍し蹴りを見舞っておく。
「ところでナナはこれからどーする予定なんだ? 楽しいことをやりてえってのはわかるが、長期的な話だ」
「うーむ、いろいろと考えておるのじゃが、おぬしらと相談したいこともあったからのう、ちいと決め兼ねておる部分もあるのじゃ」
「げふっ、げふっ……その辺り、お聞きしてもいいですか?」
スライムで腹を蹴ったせいで悶絶していたアルトが、なぜか微妙に嬉しそうな表情で復活し、椅子に座り直しながらこっちへと向き直った。アルトを蹴った身長50センチの人型スライムを抱きしめていたリオとセレスも、スライム体を解放して椅子へと座る。
「第一案は、このまま魔王を辞任してここに隠居しつつ、好き勝手に異界と地上界の観光旅行」
四人全員に難しげな表情で視線を向けられ、当然だろうなと第一案は棄却する。
「第二案は、魔王は続けるが、わしだけ、もしくはおぬしらだけ連れて、異界と地上界の観光旅行」
リオとセレスは僅かに嬉しそうな顔をしているが、ダグとアルトの表情は変わらない。
「第三案は、異界の住人全員を率いて地上への移住じゃ」
その時四人全員が驚愕の表情へと変わり、目を見開いて動きを止めた。それほど驚くようなことかと逆に驚いていると、真っ先に立ち直ったアルトがおずおずと口を開く。
「地上への、移住……そんな事が、可能なのでしょうか……? いくら集団転移術が使えるようになったとはいえ、二万人を超える住人を転移させることなど……」
「それについては試したいことがあるでのう、しばらく時間がほしいのじゃ。それで第三案を選ぶなら、地上ではティニオン王国の国民として移住する方向で考えておる」
「それではナナさんを頂点としてまとまる民が、納得しないと思います。僕達もナナさん以外の下に付くことなど考えられません」
アルトの言葉に一斉に頷くダグ・リオ・セレスの三人。それを見て人型のスライム体でうろうろと歩き回り、考えをまとめる。
「ではわしらで地上での移住先を探す旅に出る、というのはどうかのう。第四案じゃ。どのみちわしは世界を見て回りたいと思っておるが、同時に皆が地上界へ移住という選択肢は確保しておきたいとも思っておる。太陽も月もなく過酷なこの異界より、地上界のほうが住みやすいじゃろうからのう」
「それについては賛成です。僕も地上に憧れがありますから……その太陽も月も、この目で見たいと何度思ったことか……」
「くっ、くくくっ。いいぜナナ、やっぱおめえに付いて行くのは喧嘩より面白え! 第四案で行こうじゃねえか!!」
高笑いするダグ、頷くアルトとリオとセレス。本当なら第三案が本命で、これなら移住後すべての責任を放棄しても問題は無いだろうと思っていたのだが、ままならないものである。
「ところで日も暮れてきたし、夕食を摂ったら魔王都市に帰るとするかのう? 時差が三時間ほどあるでのう、今戻っても向こうでは既に夕食後の時間じゃ」
「時差って何かしら~?」
「おお、そうじゃな。では簡単に説明するのじゃ」
スライム体を球状に変形させてテーブルに乗り、少し離れた位置に光魔術で光源を作る。そして自分たちが立っているのがスライムである『惑星』で、自転により光源からの光を受けるタイミングのズレを『時差』として、スライム体でくるくる回転しながら説明する。
公転や季節変化、衛星の事は今話しても混乱するだろうからと省略する。アルトだけはおよそ理解しもっと聞きたそうにしていたが、あとで個別に話してやると言ったら喜んで身を引いた。
夕食にはりんご酵母を使って発酵させた生地を使い、地上で買ってきた野菜とハーブ、そしてチーズたっぷりのピザにした。熱々のピザをほおばる四人の幸せそうな顔を見ながら、負けじとピザを食べ進めた。
「地上界にはこんなに美味しいものがたくさんあるのね~……」
「調理は別じゃが、食材は圧倒的に地上のほうが多いのではないかのう? とはいえわし、異界の都市部で何が食べられておるのか知らぬがの」
「主食は麦と野菜で、肉と川魚は高級品です。塩は岩塩が両都市近郊で掘られています」
アルトによるとこれまで農作物は、土魔術で農地を耕し、生命魔術で土に活力を与え、木魔術で成長を促進させるのが一般的だったそうだ。しかし光人族が移住したことで作物に強い光を当てることができるようになり、より多くの作物が採れるようになったらしい。
またアラクネ族が頻繁に狩りを行っているため、魔王都市の方では以前よりは肉が得やすくなっているとの事だ。そして異界は海に生き物の姿が無く、魚に関してはは改善しようが無いそうだ。
「農業は良しとして、畜産もどうにかしたいの。今なら動物の凶暴化を抑え飼育できるのではないかの?」
「そのあたりの話は進行中の案件もありますので、魔王都市に戻ってからリューンとイライザを交えて話しましょう」
「そうだ姉御! 魔導都市と魔王都市をつなぐ通信機が欲しいんだけど、お願いして良いかな?」
「あれでは声が送れませんからね~。手紙をやり取りするより早いけどぉ、あの二人も書字板だけではなく声も聞きたいでしょうからね~」
「それならすぐに作れるのじゃ、向こうに着いたら早速渡すつもりじゃよ」
以前二人は中間にある集落で落ち合って何度も打ち合わせをしていたらしいが、二人の仲を知らずに遠視の水晶を渡してしまったため、以来一度も直接会っていないと、風呂でリオとセレスに聞いていた。通信機もそうだが、なるべく早くどうにかしてやりたいとは思っていたのだ。
「では早速戻るとするかのう。その前に……キューちゃん、この屋敷丸ごと空間庫に入れたいのじゃ。そして別の場所に移設したいのじゃが、可能かのう?」
―――可
「問題ないようじゃ、ではみんないったん外に出るのじゃー」
「屋敷丸ごと空間庫だと? とんでもねえ事考えるな」
「この屋敷より大きなわしのスライム体が空間庫に入っておるのじゃ、問題は出し入れのみなのじゃ」
四人を外に出し、キューの手を借りてヒルダ邸を空間庫にしまう。基礎や地下室ごと入れたため、目の前にはぽっかりと開いた地面の大穴が残されるだけであった。次いでわっしーと、周辺警備に出ていた全てのゴーレムを回収すると、四人を連れてさっさと転移する。
あっという間の転移に呆然とする四人を尻目に、現在は魔王邸と呼ばれる都市内で一番大きな建物へ目を向ける。屋敷の前にはかがり火が焚かれ、近くに立つ兵士らしき者たちがこちらに気付いて驚いていた。
「もしかして魔王様、ですか!?」
「うむ、ご苦労様なのじゃ。リューンにわしらが戻ったことを伝えてくれんかの」
「は、はいっ! あ、おかえりなさいませ、魔王様!!」
元気に頭を下げる兵士に笑顔を向けると、顔を赤く染めて屋敷へ飛び込んでいった。間もなく屋敷内から慌てた様子のリューンが飛び出してくる。
「かっかっか、遅くなってすまぬのう。ただいま、なのじゃ!」




