3章 第6話N しばしのお別れなのじゃ
「そういえば異界って光人族も一緒に暮らしてるんだな、驚いたよ」
ちびちびと口当たりの良いりんご酒を飲んでいると、ヒデオが興味深そうに聞いてきた。
「光魔大戦で敵対しておったから意外、というところかのう?」
「そうそう。まあ人類の敵って言われてた魔人族が、ナナの話だと俺達とそんなに変わらない人達だっていうし、光人族もそうなのかな?」
「うむ、見た目や魔術適正に違いはあれど、内面はどちらもわしらと変わらん『人』じゃ。それより人類の敵とはどういうことじゃ?」
そうしてヒデオから聞いた話は、よくある話と言ってしまえばそれまでのことだが、善悪の立場が改変された話であった。
「ヒデオよ、戦勝国と敗戦国とで違う歴史が語られるのは、地球でもよくある話じゃったろう」
異界に切り捨てられた光人族の手による文献について話し始めると、気がつけばヒデオだけなく、全員がこちらの話に耳を傾けていた。大きな違いは一つ。地上では『人類を隷属させようとする魔人族』が戦争の発端であったとされるが、文献では『生命魔術適正を持つ魔人族を妬んだ光人族』が戦争の発端であるとされていたのだ。
魔人族を利用するのではなく、妬んだ挙句滅ぼそうとした過去の光人族の思考は理解できないが、どうやら地上界に残った光人族はなかなかのタヌキらしいと考える。
「なんつーか……途端に光天教が怪しく思えてきたんだけど」
「奇遇だなヒデオ。オレも同じ意見だぜ」
「アンバーを匿っておった宗教じゃな。そういえばこの世界には宗教は多いのかのう?」
「小さい土着信仰は数多くあるが、国家間規模となると光天教だけだ。光天教は北東のプロセニア王国に本部を置き、隣のイルム大陸にまで根付いているぜ」
オーウェンはそう言って酒を一口流し込む。ヒデオは考え事をしているようで、片手で口元を覆い、テーブルの一点を見つめていた。
「とはいえこの国じゃ光天教の影響は強くねえがな。魔物被害も滅多に無い上、戦争とも長年無縁で発展して来られた。南のジース王国も同じだな。小都市国家群やプロセニアみたいに小競り合いが絶えない場所のほうが、宗教は広まりやすいようだな」
「プロセニアは何で小競り合いが多いのじゃ?」
「ああ、あの国は野人族以外の種族を差別する糞国家だ。亜人種や森人族、地人族なんかを見つけては奴隷に落としてこき使ってやがる。その糞どもが野人族以外の小さな集落を襲って奴隷狩りをしたり、他種族が野人族の集落を報復のため襲ったりしてんだよ」
「うむ、糞じゃな。胸糞悪い話じゃわい」
気分が悪くなったので、酒を流し込んで忘れることにする。
「当然うちとも仲が悪く、正式な国交はねえ。運が良い事にプロセニアとの間には山脈と大河があるから、戦争にはなってねえけどな。橋は狭く行き来は制限されているし、川は魔物も多く簡単には渡れねえ」
「ん……川を超えるの、大変だった。母は私を父に託して、流れていった」
その時ぼそっとつぶやいたサラの声に、驚いて振り返る。
「下流で木の枝に引っかかっていた母は、もう私の頭を撫でてくれなかった」
いつにも増して無表情のサラをシンディが抱きしめ、その二人をエリーが抱きしめる。
「シンディのご両親も、プロセニアからの移住だったわね……」
そこに手を伸ばしてサラの綺麗な黒髪と、シンディの鮮やかな緑髪を優しく撫でてやる。
「辛いことを思い出させてすまんかったのじゃ……。そうか、プロセニアの出身じゃったか……」
「ん。だからもう、好きな人と離れるのは嫌。一緒がいい」
サラがいつも『一緒』にこだわる理由が垣間見えた気がした。オーウェンもしんみりしながらサラに謝罪の言葉を告げていた。ヒデオはというと、自分とエリー・シンディに囲まれるサラに手を伸ばす隙間がなく、所在なさげにしていた。仕方がないので場所を替わってやることにする。
「ごめんナナ、明日でお別れなのに」
「なあに、どうせそう遠くないうちにまた会えるじゃろう。それにザイゼンを通して会話はできるのじゃ。何かあったらいつでも連絡してよいのじゃぞ」
「本当にあたし達、世話になりっぱなしね。下着の替えまでこんなに貰っちゃったし」
ヒデオとオーウェンが退室し女だけになった部屋のベッドには、いくつもの下着が並べられている。次に会うのは数年先になるだろうと予測し、少し大きめの下着も含めて三人に大量に作っておいたのだ。
「この半透明の飾り、綺麗ね……」
「このヒラヒラ可愛いかも!」
「半透明の飾りはレース、ヒラヒラはフリルというのじゃ」
「着てみたい」
そのサラの一言で、下着のファッションショーが始まった。風呂で裸は見慣れているが、やはり可愛い下着で隠されている方が好みである。目の保養だと眺めていると、サラがこちらに近付いてきた。
「ナナも着替えて。見たい」
結局交じることになって、四人で下着の品評会が始まった。調子に乗ってしまい、その場で赤や黒の総レースやTバックだけでなく、アトリオンで買った綿のような素材をほぐして、様々な色の縞パンや、デフォルメしたぱんたろーのバックプリントっぽいパンツなど、いろいろ作ってしまった。
ちなみに総レースのショーツはサラが、Tバックはシンディが、バックプリントはエリーがそれぞれ気に入って、さらに複数枚の下着を作ることになった。それぞれの選択に疑問を持ちながら、一番似合うと褒められた縞パン一枚のまま、完成した下着をスライムから取り出し配っていく。
ここで良い機会であると思い、空間庫に丁寧にしまっていたものを取り出す。それは紅いリボンと白のワンピースであった。
「あら? ナナ、それはなあに?」
「これはのう、ノーラがわしのために用意してくれた服なのじゃ。とはいえわしが作った、ノーラのお下がりなんじゃがの、かっかっか。この身体も、この服も、見つけたのはノーラが亡くなった後じゃから、一緒に着て歩くことはできんかったがのう」
一枚の羊皮紙を空間庫から取り出し、エリー達に見せる。それはノーラが描いたと思われる絵で、紅い瞳に紅い髪のドレスを着たヒルダ、紅い瞳に桃色の髪でワンピースを着たノーラ、そして紅い瞳に白髪で、ノーラとお揃いのワンピースを着た少女の姿が描かれたものであった。
羊皮紙を手に言葉を失う三人を尻目にワンピースをまとい、首の後ろあたりで一つにした白髪を、大きな蝶結びにした紅いリボンでまとめる。
「ヴァンの始末をつけるまでと、大事にしまっておったのじゃ。いい機会じゃし、おぬしらに見てもらいたいと思ってのう。……どうじゃろう、似合っておるかのう?」
恥ずかしさも感じるが、三人の前でくるっと回ってみせる。スカートがひるがえり、後ろでまとめた紅い蝶のついた髪が、少し遅れてついて来る。
「ええ……とっても可愛いわ、ナナ」
「似合ってる」
「世界一かも」
そう言って近付いてきた三人に抱きしめられる。とても、とても暖かい気持ちに包まれる。ヒルダとノーラに良い友達だろうと自慢し、三人にお礼を言う。
その時サラの視線が蝶結びにしたリボンに向けられていることに気付き、同じリボンをその場で作る。エリーのツインテール、シンディのポニーテールを結う分も作って、その場でスライム体でくしを作り、同時に三人の髪をとかしながら紅いリボンで結いつける。
「ナナと一緒」
そう言って抱きついてきたサラの髪は、後頭部を飾り付けるように、蝶結びでまとめてある。
「エリーもシンディも一緒」
「そうね、四人一緒だわ」
「みんな可愛いかも!」
昔と同じように即席で鏡を作ると、三人とも自分の姿を見てはしゃいでいた。自分も鏡を覗き込むと、そこにいるのはノーラにも負けない美少女だった。自画自賛である。
遮音結界を張っていなかったら、間違いなく宿から苦情が来ただろう。それくらいはしゃいだせいか、その夜は三人共ぐっすりだった。ベッドを並べて広くし、四人で並んで眠りについていたのだが、サラがこれでもかというくらい密着してきたため、嬉しいやら恥ずかしいやら申し訳ないやらと、複雑な気分ではあった。ただし日本にいた頃のように、身体の一部に血が集まり暴走しそうになる感覚は全く無く、高揚感はあるものの女になってよかったと改めて感じていた。
その時廊下に気配を感じ、というか魔力視で存在を感知し、サラを起こさないように優しく引き剥がすと、ワンピースとリボンを装着して部屋を出る。廊下にいた存在は階段を下り、無人の酒場スペースで椅子に座っているようだ。
「こんな時間に一人で何をしておる、ヒデオ」
「うわっ! びっくりしたあ……って、ナナこそどうしたんだよ」
「わしの魔力視は壁すら越えて存在を見渡せるのじゃ。おぬしが夜這いをかけに来たことに気付いてのう、逆に脅かしてやろうと思ったんじゃ」
夜這いじゃねえ、という反論の言葉を待つが、あるのは沈黙だけであった。何事かとヒデオを見ると、ワンピース姿の自分に見蕩れているようだ。
「目が、いやらしいのじゃ……こんな子供相手に向ける目ではないのじゃこの変態め」
「あ、いや……ごめん、すげえ可愛いって思ったら、つい」
「ふふ、褒め言葉は素直に受け取っておくのじゃ。ありがとう、ヒデオ」
とても嬉しい。ヒデオが見ているのは、ヒルダとノーラにそっくりな外見の義体ではあるが、嬉しいものは嬉しいのだ。頬が緩み、自然と笑顔がこぼれてしまう。
「今日はのう、エリー達三人と下着のファッションショーをしたのじゃ。みんなに可愛い下着を作ってやったのじゃが、ヒデオより先に見てやったのじゃ、かっかっか。三人とも綺麗で、可愛かったのじゃ」
「その話、詳しく」
「レースやらTバックやらバックプリントに、綿パンツやら縞パンツやら、調子に乗っていろいろ作ってしまったのじゃ。やはり女性は下着姿が一番そそるのじゃ」
「くっ……」
想像したのか、若干頬を赤くするヒデオ。これくらいの意地悪は……許されるよね、うん。
「そのうち見せてもらえるじゃろ。……エリー達を泣かせるでないぞ」
「ああ、もちろんだ。でも、ナナ……いっそ帰らずに「駄目じゃ」」
引き止めたいという様子が顔に出ているヒデオの言葉にかぶせ、最後まで言わせない。聞いてはいけない。
「よいか、エリーもサラもシンディも、わしにとっては大事な友人じゃ。もちろんヒデオも、オーウェンもじゃがな。じゃからこそ、わしは皆の幸せな笑顔が好きじゃ。エリーの勝ち気な振る舞いとギャップのある、照れたときの顔が好きじゃ。サラの無表情ながら、時々落とす爆弾発言が好きじゃ。シンディの目立たない気配り、気遣いが好きじゃ」
ヒデオに引き止めてほしくない。それだけは聞いてはいけない気がした。聞いてしまったら、頷いてしまいそうな自分を自覚している。だからこそエリー達が自分にとってどれだけ大事なのかを聞かせ、ヒデオの言葉を封じる。
「わしは女の子が好きなのじゃ。可愛い女の子に抱きついたり、柔らかな胸に顔をうずめたりするのが好きなのじゃ。エリー達三人とも、大好きなのじゃ。じゃから……もう一度言うが、泣かせるでないぞ?」
そう言ってヒデオに近付き、握りこぶしで胸をどん、と叩く。そのまますぐに手を離すつもりだったが、なぜかヒデオに触れた部分に感じる温度が、とても離れがたいものに感じる。そのまま至近距離から、ヒデオの顔を見てしまう。それは紛れもなくレイアスの顔、身体である。自分と同じ、魔石に魂が込められた、偽りの身体。しかしその目の奥に、確かにヒデオという存在を感じる。
「ナナ……」
ヒデオの胸に触れる手に、ヒデオがゆっくりと手を伸ばしてくる。しかしそれをぎりぎりのところで何とか避け、くるん、と回れ右をする。捕まっていたらどうなっていただろうか、想像すると胸に苦しさを覚える。
「わしは、明日、異界に帰るのじゃ」
ゆっくりと、一語一語切るように、そして自分に言い聞かせるように話す。
「おぬしらは、友人じゃ。また地上に遊びに来るでのう、そのときは相手して欲しいのじゃ。では、明日に備えてわしは休むのじゃ。おやすみ、ヒデオ」
逃げるように階段を上がり、部屋に向かう。いつの間にか頬を伝っていた涙を、スライム体で吸収して痕跡を完全に消して、部屋に入ってベッドにもぐりこむ。そのベッドですやすやと眠るエリー・サラ・シンディの、安らぎに満ちた顔を目に焼きつけ、彼女達の幸せを願うのだった。
「わしはアーティオンを経由して戻るのじゃ。ファビアンに伝言か何かあるかのう?」
「近いうち一度戻ると伝言頼んで良いか?」
「うむ、居なかったらその辺の兵士にでも頼んでおくわい」
アイオンから出て二時間ほどで周囲に人気がなくなったので、そこでいつもの真っ白なコートとホットパンツ姿でぱんたろーに抱きつきながら、ヒデオから伝言を預かる。ただしその顔には仮面は無く、頭は紅いリボンで飾られていた。
そのぱんたろーにはサラとシンディがまたがり、エリーは自分と同様にぱんたろーに抱きついて頬ずりしていた。訓練で戦っていた時から、実はこうして抱きついてみたかったというエリー達三人の要望を、出発前に叶えているのだ。
虎とは思えない毛並みだと褒める三人の声を聞き、我慢できなくなったヒデオとオーウェンも、ぱんたろーを撫で回す側に回っていた。
アイオンから昼を告げる鐘の音が響く頃、名残惜しいが帰ることにして、ぱんたろーを空間庫に戻す。
「ではのう、ここでわしは跳んで帰るのじゃ。また会うときまで元気にしておれよ? 何かあったら連絡するんじゃぞ? 頼んだぞザイゼン?」
「ナナも元気でね? ナナこそ何かあったら連絡するのよ、絶対駆けつけるから!」
「ん。また会えるから我慢する。約束」
「ナナちゃん、ほんとに行っちゃうんだねー……今度会うときは、一緒に美味しいもの食べに行きたいかも!」
紅いリボンで髪を結っているエリー達三人と、抱き合いながら別れを惜しむ。ひとしきり三人のやわらかい感触を堪能した頃、エリーが耳元に顔を近づけてきた。
「本当に、いいの?」
「……何の話かわからぬが、わしはそう、決めたのじゃ」
エリーの小さな声にささやき返し、再度三人をぎゅっと抱きしめる。何の、いや誰の事を言っているのか予想はできるが、それを確定させることも認めることもせずに曖昧にはぐらかし、三人から離れてオーウェンへと向き直る。
「オーウェン、頼んだぞ? 『いろいろと』な。おぬしが居るからこそ、わしは安心して帰れるのじゃ」
「頼られてることを素直に喜べねえんだがよ……ん? いいのか?」
オーウェンは戸惑いながら、伸ばした右手を握り返して握手をする。そういえばオーウェンには『不用意に触れたらぶっ飛ばす』と言ってから、触れてもいないし触れられてもいない気がした。ほぼ毎晩一緒に飲んでいたのに不思議なものである。
そして最後に、ヒデオへと向き直る。
「おぬしがみなのリーダーなのじゃ。もっとしゃきっとせんか、『同士』よ!」
そう言ってヒデオの胸を少し強めに叩き、すぐに手を離す。今度は、引っ張られない。これでいいのだ。そう、決めたのだから。ヒデオは一瞬咳き込み、苦笑いを浮かべた。
「ああ、そうだな……『同士』だ。次に会うときには、もっと強くなってるからな。それじゃあ『またな』ナナ」
「うむ。期待しておるぞ? ……それじゃあ『またな』ヒデオ」
最後に笑顔を全員に向けて、転移術を発動した。最後に見えたヒデオの顔は、決意を秘めた男の顔であったことが、とても嬉しくもあり、同時に寂しくもあった。




