3章 第5話N 国王ばーさす魔王なのじゃ
翌朝、オーウェンに連れられて全員で王城らしき建物近くの館へと向かう。その館は一見少数の警備がついているだけに見えるが、簡単に見えない場所には多数の護衛が配置されていた。屋敷は何らかの魔術結界で覆われており、確認するとどうやら結界内の魔素の動きを大きく制限するものだった。
「嬢ちゃんどうした? こっちだぜ?」
「んむ……少し待っておれ」
結界丸ごと壊すのが一番手っ取り早いのだが、ひとまず友好的に話を進めたいのでキューの力を借りて解析し、自分の周囲の結界の効力を中和する。このまま進んでいたら義体を動かすことすら、無駄に労力が必要になるところだった。
屋敷内に入るとテラスへと通され、そこには二つ椅子が用意された丸テーブルに座る初老男性が一人と、その両隣に三十歳手前くらいの、温和そうな男と気障っぽい感じの男が立っていた。
「よく来たな、レイアス。依頼を達成してくれたこと、礼を言うぞ。それと……魔王ナナ、だったかな? ティニオン国国王のイゼルバード・ティニオンだ。非公式ゆえ『ゼル』と呼んでくれ」
椅子に座ったまま挨拶をするゼルに笑顔を向け、対面の椅子に座る。
「ナナじゃ。異界で魔王と呼ばれておる。初めましてなのじゃ」
後ろでオーウェンが小声で「嬢ちゃんいきなり座ってんじゃねえ」と言ってるが無視する。するとゼルの左隣に立つ気障な男が、突然笑い声を上げた。
「お嬢さん、子供とはいえ最低限の礼儀は教わってくるべきだったんじゃあないかな? いくら非公式とはいえ王の御前だよ?」
「ふん。非公式とはいえ、わしは個人ではなく『魔王』としてここに来ておる。礼儀と言うのならゼルが手本を示したではないか、この国では対等な相手との挨拶は、椅子に座ったままするのが礼儀なのじゃろ? それと……誰かは知らぬが、貴様に子ども扱いされる筋合いは無いぞ」
言い終わると同時に気障男に対して怒気をぶつけると、即座に周囲に潜んでいた護衛と思われる者達が飛び掛ってくる。しかしテーブルとゼル達三人ごと障壁で覆うと、護衛達は次々と見えない壁にぶつかり、誰一人突破できないまま呆然とした顔で取り囲むだけだった。
「オーウェンは友人じゃから、嬢ちゃん呼ばわりを許しておるだけじゃ。気障男よ、貴様はわしが何者か知った上での発言じゃろうな?」
控えてはいるが直接怒気を当てられている気障男は、青い顔をしながら腰の剣に手を伸ばそうとするものの、呼び出したぶぞーにその手を押さえられ、驚愕に目を見開いている。障壁の外では護衛が騒ぎながら障壁を壊そうと攻撃を続けていた。
「ナナ、それくらいにしてくれないかなー、と……」
「少し黙っておれ」
「はい……」
後ろでは頭を抱えるオーウェンと、その一歩後ろではヒデオと三人娘が顔を引きつらせ、成り行きを見守っている。そのまま椅子にふんぞり返り足を組み、作り笑顔でゼルの目を正面から見据える。ゼルは動じる事無く堂々とした姿を崩さないでいたが、やがて観念したのか深く息を吐き、椅子から立ち上がった。
「無礼を許してもらえぬか、魔王ナナよ。改めて自己紹介と、この者らの紹介をしよう。儂はイゼルバード・ティニオン。そして息子、長男のエルベルト・ティニオンと、次男のラウレンス・ティニオンだ。貴殿を歓迎する」
こちらも椅子から立ち上がって、偽装魔術を解除して紅い瞳を露出する。
「うむ。こちらこそすまぬのじゃ、舐めた真似をされては今後の関係に影響するでのう。改めて、ナナじゃ。そこのはわしのゴーレムでぶぞーという。ぶぞー、もうよいぞ下がれ」
「はっ」
ラウレンスと紹介された気障男から離れたぶぞーを空間庫にしまい、ゼルへと普通に笑顔を向ける。
「それとわしは異界の出じゃ。この国の礼儀作法などに疎いのは事実じゃからのう、大目に見てもらえると助かるのじゃ」
「儂も異界の礼儀を知らぬ、ここからはお互い様ということで良いだろうか。さあ、座ってくれ」
「うむ、では遠慮なく。ところでオーウェン、昨日のうちにちゃんと説明をしたのではなかったのかのう?」
座ると同時に周囲に張った障壁を解除する。そして視線をゼルから離さず、頭だけを動かして後方のオーウェンへと話しかけると、オーウェンは片手で頭を抱えたまま、ゆっくりとテーブルに近付き斜め後ろに立った。
「昨日も話したとおり、嬢ちゃ――ナナは手加減した上でも、単独でこの王都を消し去れるだけの戦闘力を持っているのは事実だ。ラウレンス兄さん、これで少しは信じてもらえただろうか。アーティオンを壊滅させ、小都市国家群を滅ぼし、世界樹に迫ったヴァンという男を、それが率いる魔物ごと単体で討ち滅ぼしたのが、このナナであると。ナナは地上に出て最初にアーティオンを、次いでセトンのアンデットを単独で討伐した。そして――」
オーウェンは普段聞かないような口調で、昨日も話したらしい内容を、もう一度話し始めたようだ。確かに現物を見てその脅威に触れないと、理解できない話だろうと他人事のように聞きながら、オーウェンの説明が終わるのを――
「長いのじゃ」
待たなかった。熱弁を中断させられて悲しそうな顔を向けるオーウェンを一瞥し、ゼルへと向き直る。
「正直わしの方からはたいした話は無いのじゃ。わしはこのあと異界へ帰るが、今後地上を訪れるやもしれぬでのう、その際はできれば仲良くしたいと思っておる。そのために挨拶に来たに過ぎぬ。それと通信魔道具を渡しておくのじゃ、使い方はオーウェンから聞くとよい。注意点も含めてのう」
ゼルとの間にある丸テーブルに九個の通信魔道具を取り出して並べると、ゼルの後ろに立つエルベルトとラウレンスが物欲しそうにそわそわし始めた。しかしゼルは渋い表情である。
「昨日馬鹿息子からも聞いたが、そのような高価な魔道具を、国家として安易に受け取るわけにはいかんのだよ。それに魔人族に対する国民感情もあるゆえな」
「それはおぬしらが、魔人族に関して何も知らんからじゃろうが。自分達の無知を棚に上げるのは筋違いじゃろう?」
そう言って首を傾げると、ゼルは苦笑いを浮かべる。そのゼルに、魔人族と闇の瘴気の関係や、光人族・アラクネ族と友好関係を結び平和に暮らす、現在の異界の様子を話すと目を見開いて驚いていた。
「魔人族と、光人族が、手を取り合って平和に暮らしているだと!?」
「なんじゃオーウェン、伝えておらんかったのか。わしの側近の一人が光人族じゃと言ったじゃろ」
「そういえば聞いた覚えがあるけどよ、他の話のインパクトが強すぎて忘れてたぜ」
「この、馬鹿息子め……」
あっけらかんとするオーウェンと、頭を抱えるゼル。大事なことを忘れるなんて許さない、もっと叱られるがいい。そう思って見ていたら、ゼルの右側に立つエルベルトが必死に宥めていた。
「オーウェン、報告は正確にと日頃から言っているだろう?」
「すまねえエルベルト兄さん、ヴァンより強い奴が何人もナナの配下にいるって聞いて、完全にぶっ飛んでたぜ」
「まあ、それも全てここ数年の話しじゃがのう。それに魔人族への悪感情とはヴァンのことも原因じゃろうが、あれは厳密に言えば魔人族ではないぞ。魔人族と光人族とのハーフじゃ」
「何……? どういうことだろうか?」
ゼルが身を乗り出して聞いてくる。オーウェンが目を見開き口を大きく開けてこちらを見ている。忘れていたのだ許せ。
「千年前の光魔大戦で異界へと切り捨てられた者は魔人族だけではなく、光人族や亜人族も多数おったそうじゃ。その時異界へ閉じ込められた者の一部は地上人への恨みを抱き、その恨み言を聞いて育った光人族の女が何百年だか前に魔人族の男に孕まされ、生まれたのがヴァンじゃ。ヴァンもまた恨み辛みを聞いて育ち、異界人も地上人も殺そうと行動を起こしたのじゃ。これがヴァンの動機じゃ」
言葉を失っている一同を見て、更に畳み掛けるように言葉を続ける。
「おおそうじゃ、魔人族も平和に暮らせる同じ人であると言うことと、ヴァンが偽魔王であるということを広めてもらうお礼として、通信魔道具を渡すという条件ならどうじゃろうか」
「……それでもまだ、この魔道具の価値を考えると釣り合わぬな」
「欠陥を考えると十分すぎると思うのじゃがのう?」
何のことだと訝しげにこちらを見るゼル。オーウェンはゆっくりと明後日の方向へ顔を向ける。それを見て、話していないということを理解した。
「わしが作った魔道具じゃ、わしは聞こうと思えば全ての通信内容を聞き取ることができる。じゃから機密情報をやり取りする際は気をつけるのじゃな」
「くくくっ、たいした欠陥よのう。いいだろう、それではナナ殿を信用して利用させてもらおう」
「かっかっか、それは良かったのじゃ。ところでこの国でも握手は挨拶として一般的かのう?」
そう言って後ろで所在なさげにしているヒデオを振り返る。
「あ、ああ。ナナが知ってる握手と使い道も一緒だ」
突然の問いに狼狽しつつ答えたヒデオに礼を言い、ゼルへと向き直って右手を伸ばす。
「ではわしはこの辺で一足先に戻るのじゃ。今度地上へ来るのはいつになるかわからぬが、そのときはよろしく頼むのじゃ」
「ずいぶんと慌ただしいな、まだまだ聞きたいことも多いのだが……儂としては国内で暴れることが無ければそれで良い。それと……世界樹の防衛、心より感謝する」
ゼルと硬い握手を交わし、どろどろした政治家タイプの為政者ではなさそうだと安堵して席を立つ。ヒデオ達に宿で待っていることを告げ、さっさと退出して瞳の色を偽装し、ひとまず宿へ直行する。
「ゼルよ、一つ言い忘れたことがあるのじゃ」
感覚転移でヒデオ達とゼルとの会話を盗み見、終わったヒデオ達四人が重い足取りで館を出た頃を見計らって、仮面をつけてゼルの目の前に転移した。予想通りヒデオとゼルとの会話で気になることがあったため、釘を刺しにきたのだ。
「な、ナナ殿か? ……転移魔術だな。ここは術が使えぬよう結界を張ってあるのだがな、最初の障壁と言い今の転移と言い、ナナ殿には無意味か」
「当然じゃ、この程度わしの側近でも意に介さぬじゃろう。そこで本題なのじゃがの。ヒデオはもちろん、エリー・サラ・シンディはわしの親友じゃ。その意味をよく考えて行動するのじゃな」
聞いていた話には、ヒデオに公爵家令嬢との婚姻に関する話があった。そうなるとエリー達が引き離されてしまうのは明白である。ヒデオをこのティニオン王国に縛り付けるには、上位貴族との婚姻が最良の手であると思っているのだろうが、エリー達三人を泣かせるのは悪手であると釘を刺さなければいけない。
「わしにとっては見ず知らずの数万の命より、身内の一滴の涙の方がずっと重いのじゃ。覚えておくが良い」
そう言って四人の王族を除く全周囲に殺気を振りまく。護衛達は一歩も動けないまま、殺気に当てられ気を失っていた。エルベルトとラウレンスは余波だけで大量の汗をかきながら震えていたが、ゼルは表情を変えずにナナを睨みつけている。しかしその額には球のような汗が浮き、今にも震えだしそうな身体を気力で抑え付けている様子であった。もう一人には余波程度では全く効果が無いようで、片手で顔を覆って「うわあ……」と呟いていた。深く深呼吸し、殺気を消し去る。
「ヒデオを国に留めておきたい気持ちもわからないではないが、その国が無くなっては本末転倒じゃろう? わしも飲み友達と道を違えるのは本意ではないからのう、よく言って聞かせるのじゃぞ、オーウェン」
オーウェンはヒデオの婚姻話に必死に反対していたし、そもそも自分の言葉もただの脅しであり、いくらなんでもそんな何万人も殺す気は無い。説得を期待し仮面を外してオーウェンに笑顔を向けるが、ものすごく嫌そうな顔をされた。許せん。
「オーウェン、わしは今夜もう一泊して、明日帰るでのう。今夜は極上の酒を期待しておるぞ? 買い物に付き合うという約束を反故にした分、せいぜい奮発するんじゃな。それと今の話はヒデオやエリー達に言うでないぞ」
そう言ってゼルを一瞥し、転移で宿に帰る。ヒデオ達はまだ帰ってきていないが、あの足取りではまだ時間がかかるだろう。だがこれでヒデオの結婚話は消えたはずだ、オーウェンを信じて任せようと思う。
しばらくして宿に戻った四人の表情は暗く、話を聞くとヒデオが公爵家令嬢との婚姻を勧められたとの事だった。知っているがそうとは言えず、目に涙をにじませたエリー達三人娘からだまって話を聞く。
「うむ、滅ぼすか」
「物騒だよナナ! それに絶対断るから、大丈夫だって!」
「エリー達を泣かせるような真似をしたら、わしも敵に回るからの。ヒデオもよく考えて行動せい」
青い顔をして何度も頷くヒデオを一瞥し、エリー達の話をうんうんと相槌を打ちながら聞いていると、ようやくオーウェンが宿へと戻ってきた。そして開口一番、ヒデオの結婚話が流れたことを打ち明ける。
オーウェンによると、ヒデオを貴族に婿入させるのではなく、ヒデオ自身に高位の貴族位を与え、尚且つ自由に冒険者を続けてもらった方が国益につながると判断されたそうだ。オーウェンがちらちらとこちらを見ているが、まあ及第点だろうと笑顔を向けておく。
「良かったではないか、エリー、サラ、シンディ。これで一安心じゃ」
少し胸が苦しい気がするが、安堵して笑顔を浮かべる三人を見ていると、これで良かったのだと思える。しかし、なぜ胸が苦しいのか。女として生きることにしたが、恋愛対象まで男に変わったわけではない。そんな考えを頭から追い払うように、オーウェンへと向き直る。
「オーウェンもご苦労じゃったのう。それで、買い物をすっぽかしたお詫びの酒は持ってきておるのじゃろうな?」
ゲンナリした表情のオーウェンから酒を受け取って、ちびちびと飲みながらヒデオを見る。安心した顔をしているが、自分がいない間本当に大丈夫なのかと不安になる。
次いで諦め顔で酒を煽っているオーウェンを見る。この男がヒデオの側にいる限り、最悪の事態は避けられるだろうと思えるくらいには、信頼している。
そして三人娘。先程までの不安げな顔より、今こうしてきゃっきゃとはしゃいでいる方が可愛い。この娘達にならヒデオを任せても、と思ったところで違和感に気づく。逆だ、ヒデオにならこの娘達を任せても、ではないのか? と考えかけたところで、急に不安が頭を占める。
(ヒデオは抜けておるのかしっかりしておるのか、時々わからなくなるからのう)
誰にも見られないよう苦笑を浮かべ、そのうち『酔う』手段も探したいなと思いつつ、しっかりとぶどうの風味を感じる美味しい酒を、ちびちびと飲み続けた。




