2章 第35話H 絶対にナナはやりすぎだと思う
ヴァンを倒すため転移して行ったナナを見送り、ヒデオらは正面からくる存在に意識を向ける。アンデットの一団が到着するまでにはまだまだ時間があるのだが、どうやらヴァンはアンバーへと憑依し、金髪の剣士と共に一足早く露払いに訪れたようであった。ヒデオとオーウェンは周囲の兵士に下がるよう声をかけると、悠々と正面から歩いてくるアンバーと金髪剣士に目を向ける。
「なあ、ヒデオ……あいつら……」
「オーウェンもわかる? アンバーは確かに強いけど、前ほどの脅威は感じない。金髪も……一ヶ月前はあれに勝てなかったんだよなあ……」
ヒデオはこの一ヶ月の訓練を思い出し、気付いてしまった。目の前の二人と殺し合いをするよりも、ナナの特訓の方が地獄であったことに。不意に笑いが溢れ、緊張が解ける。
「じゃあ手はず通り、金髪は任せるよオーウェン」
「ああ、さっさとアンバー――ヴァンを壊して加勢に来いよ?」
「倒してしまっても構わないんだぜ?」
「無茶言うんじゃねぇ、見た感じ良いとこ互角だ。……さて、嬢ちゃんの依頼でも果たすか」
「そうだな、あれにはまだヴァンが憑依してるからちょうどいい」
ヒデオは魔力視でアンバーへと繋がる魔力線を確認すると、オーウェンと二人で前へ出る。
「ゾンビ程度しか操れない無能な偽魔王さんよぉ! 生きてる部下はそこの金髪一人しかいねえのか!? 随分と人望がねえんだな!!」
「偽魔王ヴァン! 異界から地上界に逃げて来たんだって!? 地上界なら通用するとでも思ったのか? お前程度じゃどこ行っても同じだよ!!」
悠々と歩いていたアンバー――ヴァンと金髪剣士は、オーウェンとヒデオの叫びを聞いて足を止めた。ヴァンが顔を青ざめている金髪に何か話すと、金髪は光の魔術をヒデオに向けて放った。同時にヴァンは腰の剣を抜き、オーウェンへと駆け寄っていく。ヒデオはナナの作ったカイトシールドを掲げて光の魔術を打ち消し、腰の剣を抜く。その剣は芯に魔鉄という金属を通し、銀猿という魔物の骨で覆った物であり、白い刀身に魔力を通すと淡く光を放った。オーウェンも同じ剣を抜き、駆け寄るヴァンを迎撃する構えを取る。
「オーウェン! 裏切られ、絶望する貴方の顔が見られず残念です!」
「人の顔見る前に腐りきったてめえの面でも眺めやがれ!!」
ヴァンの体重の乗った一撃を盾で受け流し、剣を振り上げるオーウェン。その剣はヴァンの兜を大きく切り裂く。
「ストーン・バレット」
「フレア・ランス!」
「ぴっとふぉーーる」
「何!?」
盾を構え一歩下がるオーウェンに合わせ、エリーシア達の魔術が降り注ぐ。それを避けようとしたヴァンは足元に突然開いた穴に片足を取られて、炎の槍といくつもの岩球をその身に受ける。
頭部に受けた岩球によって兜が完全に割れ、素顔がむき出しになったヴァンに追撃しようと駆け寄るオーウェンだが、横薙ぎに振るわれたヴァンの剣を盾で受け止め、弾き飛ばされる。
「随分と、舐めた真似をしてくれましたね……」
素顔を晒したゴーレムの頭部は、あちこちがミイラのように干からび、頭髪もほとんどが抜け落ち、見るに堪えない有様であった。
「随分と良い顔じゃねえか、偽魔王ヴァン! まさか本物も同じ顔だったりしねえよな!?」
オーウェンはわざとらしく、遠巻きにする兵士にも聞こえるように大声で話していた。その時ヴァンの顔の輪郭が薄れたかと思うと、整った顔立ちの初老男性の顔へと変化し、頭髪も青の長髪へと変化する。その瞳は紅く、魔人族の特徴を示していた。
直後ヴァンの身体から複数の光の筋が走る。それはオーウェンに殺到しただけではなく、後方のエリーシア・サラ・シンディにまで及んでいた。にやりと笑ったヴァンだが、直後にその笑みは凍りついた。
「何、だと……!?」
しかしその光線をオーウェンは盾で全てを受け止め、エリーシア達は銀猿の毛皮でできたマントで難を逃れていた。
「残念ね、全部弾いちゃったわ」
エリーシアもヴァンを挑発するように、片手でマントをひらひらさせていた。
「……後ろに控える魔物達を使えば、貴方達を殺すのは造作も無いことですが……どうしてもこの手で殺したくなってきましたねえ!」
オーウェンは一瞬で間合いを詰めてきたヴァンの、流れるような動きで振るわれる剣をかろうじて受けていた。身体強化術を以てしても捌ききれぬその速度に焦りを覚えるが、致命傷を受ける前にタイミングよく飛来するエリーシア達の魔術で、かろうじて耐えられた。
十数度目の攻防の末、オーウェン達はヴァンの手足や胸部に幾つものダメージを与えていたが、オーウェンの息は上がりつつあった。
「まずは貴方を殺し、後ろの女性たちも送ってあげましょう」
余裕の表情を浮かべるヴァンに対し、荒い呼吸を整えるオーウェンは、口の端を上げてニヤリと笑う。
「遅かったじゃねえか」
金髪剣士が何度も光線を放ちつつ、ヒデオ目掛けて駆け寄ってくる。ヒデオはその光線を盾で打ち消しながら、冷静にタイミングを見計らう。
「ピット・フォール」
「ぬおっ、べげらがあっ!」
突然できた穴に足を取られ、疾走する勢いそのままに顔面から地面に叩きつけられる金髪剣士。即座に顔を上げヒデオを睨みつけるが、その顔は茹で上がったタコよりも赤くこめかみにははっきりと血管が浮いていた。
「クソガキい……どこまでも俺様を馬鹿にしやがって……ぶっ殺す!!」
金髪剣士は立ち上がり、腰の剣を抜きゆっくりと近づいてくる。
「ファイア・アロー。ボム・バレット」
「な、なんだとおおおおお!」
ヒデオは八本の火の矢と六個の小さな火の玉を頭上に浮かべ、次々と金髪剣士へと降り注がせる。必死の形相で剣で弾く金髪剣士だが、ボム・バレットの火の玉を切った際の小爆発に体勢を崩す。
「ちょ、ま、あばばばばばばばっ」
火の矢と爆発する火の玉の大半をその身に受け、金髪剣士はおかしな声を上げながら地面を転がり体についた火を消していた。
「て、てめえ……殺す!!」
起き上がった金髪剣士はヒデオへと間合いを詰めて剣を横薙ぎに振るうが、ヒデオはあっさりと盾で受け止める。その後も金髪剣士は何度も剣を振るうが、ヒデオはその全てを盾で難なく受け止めていた。
「悪いな金髪、自分でもまさかここまで強くなってると思わなかったんだ。降参して背後関係全て話せ、そうしたら……殺さないでおいてやる」
殺さずに済ませたいと思ったヒデオだが、それを悟らせないよう言葉を選ぶ。
「俺様はキンバリーだ! 名前で呼べよクソガキぃいいいい!!」
キンバリーと名乗った金髪剣士は、これまでで一番鋭い突きをヒデオに向けて放つが、ヒデオはその突きを払い落とす。キィン、という音とともに折れた刀身が、さくっと音を立てて地面に落ちて突き刺さる。それを呆然と見送るキンバリーに、ヒデオは全力で盾を叩きつけ、その意識を奪うのであった。
キンバリーとの戦いに勝利したヒデオは、仲間の様子を確認する。ほぼ互角に戦いを進めているようだが、オーウェンの息が上がっているようだった。
仲間の元へと駆け寄ると、オーウェンがニヤリと笑って盾を構え直した。
「遅かったじゃねえか」
オーウェンは大きな怪我も無く、呼吸が荒い以外は問題無さそうだった。そのオーウェンの息が整うまで、少しばかり時間稼ぎをするつもりで、ヴァンに話しかける。
「ヴァン、お前の狙いは世界樹らしいけど、そんな事をしたらいずれ自分も死ぬってわかっているのか?」
「ふんっ。私は世界を元に戻そうとしているだけですよ? 異界を消し去り地上と融合させる。これこそがありのままの姿! ただ、異界の者達は多くが死に絶え、貴方達地上人もたくさん死ぬことになりますがねえ。私も死ぬ? それが何か?? いずれと言わず、私の命一つでこの世界の人が全て死に絶えるなら、今すぐにでも死んでやろうじゃあないか!」
「なっ!?」
「私の母を異界に閉じ込めた地上人を、私は許さない。私の母を辱めた魔人族も、蔑ろにした光人族も、皆殺しにしてやる。私は全ての人族を殺す! さあ、足掻くが良い!! ここで私を止めたところで何万もの魔物は止められまい! 死にゆくまでの時間が多少伸びるだけに過ぎんのだ!! はあーっはっはっはっはっはあ!!」
ヴァンの告白に、遠巻きに様子を窺っていた兵士達も動揺を露わに騒ぎ出す。ヒデオは異界と地上の融合による被害について驚いたが、ナナがヴァンを倒しにきた理由について、これで納得がいった。
最初のうちこそ復讐だ憎しみだと言っていたナナだが、異界にいる仲間の事を本当に大事にしているのはわかる。そのナナが、異界に大きな被害を出そうとするヴァンの行動を、許すはずが無い。
「お前の思い通りにはならない! なんせお前は、絶対に敵に回してはいけない人を敵に回したのだからな!!」
ヒデオの叫びは兵士達の耳にも届き、動揺が徐々に収まっていく。
「ふ……ははははっ、ちげえねえ! 偽魔王ヴァン!! お前はもう詰んでるんだよ!!」
「何を言っている? 貴方達は……」
何か言いかけたヴァンが突如動きを止め、顔が元のミイラの姿に戻った。それと同時に遙か北方に高く土煙が上がり、気付いた周囲の兵士達が騒ぎ出したその時である。
『ドガガガガガガガガッ!!』
遅れて響いてきた破壊音が、空気を激しく振動させた。
「……なあ、ヒデオ」
「……ああ、間違いない」
「ねえ……あれって魔術なの?」
「理解不能」
「ありえないかもー……」
五人が五人とも、顔を引き攣らせ遠くの空を見ていた。
「とりあえず……これもうヴァンじゃないから、片付けよう」
魔力視でゴーレムの魔力線が消えていることを確認したヒデオは、全員でゴーレムに飛びかかり押さえつけると鎧を切り裂き、腹部のメンテナンスハッチから魔石を抜き出した。それをナナから貰ったアイテムバッグに詰めて一息つくと、顔を見合わせて笑い出す。
「何か、あっさり終わっちゃったわね」
「自分でもありえないって思ってるかも!」
「私達強すぎ」
ケラケラと笑うエリーシアとシンディ、サラはいつもどおりドヤ顔である。
「同感だがまだ気を抜くんじゃねえぞ。このあと四万のアンデットが待ってるんだからよ」
「そうだな、そろそろ見えても良い頃……しまった!」
振り返ったヒデオの目に映ったのは、目を覚まし腰のポーチに手を伸ばすキンバリーの姿だった。
「クソガキぃぃぃ……死ねやあああ!」
キンバリーはポーチから水晶球のような物を取り出し、地面へと叩きつける。そして爆発するように割れた水晶から巨大な何かが姿を見せ、ヒデオ達に向けて大きく口を開けた。
「ド……ドラゴンだと!?」
そこには体長10メートルはあろうかという、巨大なドラゴンの姿があった。しかしその口には本来あるはずの牙がところどころ抜け落ち、身体も大きく傷つき腐敗している箇所も見て取れた。またその目には光がなく、まるで死体のようであった。
口を開けたまま息を吸い込んだドラゴンは、その息を炎へと変え、ヒデオ達に向け大きく吐き出す。しかしその炎のブレスはヒデオ達の前で見えない壁にぶつかり、進路を変えて何も無い上空へと噴き上がった。
「い、今のは……ザイゼンか!?」
「緊急時と認め、支援行動を取りました。どうぞ戦闘をお続け下さい」
エリーシアに背負われたザイゼンが、身動き一つせずに言い放つ。
「な、ちょ、マジかよ! ブレスを、弾いただと……く、くそったれがあああ! 覚えていろレイアス!!」
いち早く立ち直っていたキンバリーは、捨て台詞を残すとポーチから羊皮紙を一枚取り出し、その場から姿を消してしまう。ヒデオ達は転移魔術を使われたことに気がつくが、眼前のドラゴンゾンビと思われる魔物を前に反応できずにいた。
「グ、グググ……ギャアアア!」
「くそっ、オーウェン行くぞ、俺達は正面だ! エリー・サラは攻撃、シンディは支援頼む!!」
ヒデオの号令で一斉に動き出す『紅の探索者』一同。ヒデオは身体強化術を全力で使って剣を振るい、魔力の乏しいオーウェンはサポートに回り牽制を行う。エリーシアの火の矢や槍が、サラの岩の球や槍がドラゴンゾンビの身体をえぐり、シンディの矢が目を穿ち、落とし穴に前足を嵌める。
ブレスを吐こうと息を吸ったドラゴンの顎を、ヒデオの盾が全力でかち上げブレスを防ぎ、攻撃を続ける。ヒデオとオーウェンの剣はドラゴンの鱗を切り裂き、エリーシアとサラの魔術は鱗を貫き、有効打を次々と与えていく。しかし落とし穴から這い出したドラゴンゾンビの前足の一撃や、首を鞭のように振るう一撃で、ヒデオもオーウェンも何度も吹き飛ばされ、決して軽くは無い負傷を負っていた。だが、エリーシアが新たに覚えた生命魔術とシンディの水魔術による治療で、大事には至っていなかった。
しかしどれだけ攻撃を加えても、倒れる気配のないドラゴンゾンビの様子に、一行は徐々に焦りを覚え始める。数十本もの炎の槍や岩の槍を降らせたエリーシアとサラだけでなく、ヒデオまでも魔力が尽きかけ、身体強化術も限界に近付いていた。
悔しさに、剣を持つ手に力が入る。しかし決着のときは唐突に訪れた。訓練時と同様に全身に大量の魔力が流される感覚があり、驚きつつもその理由に思い当たり、笑みが溢れる。それはヒデオだけではなく、エリーやサラ、シンディにオーウェンも同じらしく、全員口元が緩んでいた。
ヒデオはナナとの繋がりに心が昂ぶり、全力で身体強化を行い、剣へと魔力を込める。
「うおぉらああ!」
口火を切ったのはオーウェンであった。魔力が戻った身体に身体強化を施し、ドラゴンの左前足を切り落とす。バランスを崩し残った三本の足に力を入れたドラゴンゾンビは、その足元に空いた穴にすっぽりとハマり、完全に身動きが取れなくなってしまう。その頭と翼に炎の槍と岩の槍が降り注ぎ、ドラゴンゾンビを地面へと縫い付ける。
「はああああああ!!」
上段からヒデオが振り下ろした剣がドラゴンゾンビの首を断ち切ると、首のない体が少しの間もがいていたが、やがて完全に動きを止め、辺りは静寂に包まれた。
『わあああああああ!!』
直後巻き起こる、遠巻きに見ていた兵士達の大歓声が、『紅の探索者』の勝利を告げるのであった。
まだ完全に終わってねえというヒデオとオーウェンの言葉に気を引き締めた兵士達だが、その士気は異様なほど高く、籠城を決めた司令官も倒されたドラゴンゾンビの姿を見ると、防壁前の平原での決戦を決断する。やがて大量のアンデットが姿を見せるが、『紅の探索者』一行とエリーシアに隠れたザイゼンの攻撃魔術によってその数を大きく減らし、軍の魔術士隊も負けじと火の矢を降らせ、最後に兵士隊の突撃によってアンデットの軍団も完全に沈黙する。
勝利に歓声を上げる兵士の鬨の声。それはアトリオン防衛戦の完全な集結を意味するものであった。




