2章 第32話N 見てもいいのじゃ
ヒデオに促されて浴室へ向かうと、まだお湯が張っておらず湯船は空であったが、地面を掘って作られた五~六人が入っても十分余裕がありそうな浴槽に、ナナは感動を覚えていた。
「広いのう、銭湯くらいはあるのう」
「この屋敷を買った決め手なんだ、一般庶民には風呂に入る習慣なんてないからな」
「削りだした岩で作っておるのか、凄いのう、それでどうやって湯を張るのじゃ?」
ヒデオはナナを浴室の外へと連れ出すと、隣の小部屋へと入っていく。そこには井戸と、手押しポンプが置かれていた。ポンプの先は隣の浴室に繋がっている様子である。
「このポンプが魔道具で、汲んだ水がお湯になるんだ。ポンプの横に付いてる箱に1センチ魔石を二個入れると使える。浴槽いっぱいにお湯が張られるくらいで魔石が使えなくなるから、相当魔石を溜め込んでいないといけないけどな」
「魔石を電池のように使っておるのか。面倒じゃのう……」
ナナはため息を吐くとヒデオを置き去りに浴室へ戻り、浴槽の前で水と火の魔素を集める。追いついたヒデオの目の前で空中に大量のお湯を作り出し、浴槽へと注ぎ込むと湯加減を確かめるため右手をお湯に漬ける。
「少し熱いが、まあいいじゃろ。ヒデオ、遠慮なく風呂に浸からせてもらうでの、礼を言うのじゃ」
そう言いながら仮面を外し、ヒデオに笑顔を見せる。直前までナナの所業に呆然としていたヒデオだが、ほんのりと頬を染めるとどういたしまして、と言いながら目を逸らした。
「で、いつまでここにおる気じゃ? まさかこのような幼い少女の入浴を間近で見ようなどと……」
「見ねえよ! ってすまん、ゆっくりしてくれ、じゃあな!」
ヒデオは大声で否定し、焦ったように踵を返すと更衣室を抜け、姿を消す。ナナはその後姿を見ながら、全力で否定したヒデオにちょっとだけ寂しさを感じる。しかし今の自分の身体は女の子なのだから、一緒に入るわけにはいかないと自分に言い聞かせ、その場で全裸になり、衣類を全て空間庫に入れる。
「ふわあああ、極楽なのじゃあああ……」
ナナは浴槽内に大の字で手足を伸ばし、顔だけを水面から出す。そもそも体表のスライムで常に汚れなどを除去しており、ナナの体は洗浄の必要は無いのだが、日本での習慣とも言うべき『風呂』を楽しむのはまた別の話である。
「……なんぞ、ここに来てからというもの、緩みっぱなしじゃな、わし……」
どの時点からおかしかったかと冷静に考えると、恐らくヒルダの作ったゴーレムを見つけた瞬間からだろう。あれから感情の起伏が激しくなっていた気がする。考えなしにゴーレムを破壊し、ハンバーグを見てヒルダとノーラを思い出して大泣きし、その後ヒデオに正体を明かした際には、泣きながらヒデオの胸に抱かれこれまでの道程を話したりもした。この時顔が熱くなるの感じ、湯に浸かった頭を横に振り、意識からヒデオを飛ばす。
「……馬鹿馬鹿しい、わしは……女性が好きなのじゃ。オーウェンとはいい酒が飲めそうじゃのう……」
改めて自己分析を続ける。酒を飲み、マリエルに教えるため料理をし、今もまた風呂に入っている。本来なら全てヴァンを殺してからやろうと思っていたことだ。ヴァンはケジメとして殺すことに変わりは無いが、それまでの全てをヒルダとノーラに見せず、また自分も何一つ楽しいことをしないというのは、もうやめることにしていた。
全てを解禁するわけではないが、二人を理由にして自分のやりたい事をやらないのは、きっと間違いであると思い始めていた。食事だけはまだ摂る気になれないが、今後も酒は飲むし風呂も入る。服も作るしゴーレムも作る。それらもヒルダとノーラに見せても問題ないだろう、殺戮など見せたくない事をするときだけ仮面をつければ良い。ナナはそう思い始めていた。
「風呂といえば、あのポンプ……あとで改良してやるかのう……」
その時更衣室に人の気配を感じ、ナナは身を起こして視線を向ける。直後、ガラッ! と音を立てて浴室の引き戸が勢い良く開けられた。
「ナナ! 一人で抜け駆けなんてずるいわ!!」
「ん。一緒に入る」
「一緒に入らないと魔石が勿体無いかも!」
素っ裸で一切前を隠そうとしないエリーシア・サラ・シンディの三人の堂々とした立ち姿を、ナナははっきりと見てしまった。
「あら……ナナが仮面を外してるわ!!」
「一大事」
「素顔が見れるかも!?」
早足でナナに近付く三人の大事な部分がはっきりと見えてしまう前に、ナナは目を閉じ魔力視のみの視界へと切り替えると、心の中で不可抗力だとヒデオに謝る。
「風呂場で走ると危ないのじゃ、わ、わしはもう出るからゆっくりするといいのじゃ」
そう言ってナナは立ち上がろうとするが、三人がかりでがっしりと肩を掴まれ、浴槽へと戻された。
「ナナ、可愛い顔してるわね……まつ毛も長いし……って何で目を閉じてるの?」
「……仲間」
「この感触……ワタシより筋肉質かも!?」
「シンディ、この身体の見た目は人じゃが筋肉は魔獣のものじゃ。サラ、おぬし今わしの胸を見ているじゃろ。エリー、それはおぬしがわしの顔の前で足を開いてしゃがんでおるからじゃ。わかったから足を閉じて手を離さんか、もう逃げぬのじゃ」
「あら、女の子同士じゃない、別に見られても問題ないわ!」
そう言って胸を張るエリーシア。セレスには程遠いが、大き目の胸がぷるん、と揺れた。
「オーウェンから聞いておらぬのか、わしは女性の方が好みなのじゃ」
ナナはエリーシアに背を向け、肩まで風呂に浸かる。掛け湯を浴びて浴槽に入ったサラとシンディが顔を見合わせると、両側からナナにそーっと手を伸ばす。
「「えい」」
サラとシンディはナナの頭を掴むと、二人の胸で挟み込む。
「ま、待たんかおぬしら一体何をするんじゃ!?」
魔力視でもサラのわずかな膨らみの頂にある突起の輪郭は見えるし、シンディの小振りだが形のいい膨らみとその頂ははっきりとわかる。至近距離なら尚更である。頬に感じる弾力と柔らかさを感じ、慌てて二人を振りほどくと、掛け湯を浴び終えたエリーシアも浴槽へ浸かりナナへと近付く。
「あら、ヒデオと同じ反応ね」
「お、おぬしらヒデオにも同じことをしておるのか……」
「流石に顔には押し付けないわよ? でも振りほどかれるところまで一緒ね。それに義体だっけ? ナナはそれで今後男になったりするわけじゃないんでしょ? それならただの女の子が好きな女の子ってだけじゃない、別にそんなの珍しくも無いわよ」
ナナはその言葉に衝撃を受けた。男になる、ナナはその考えをこれまで全く考えていなかったことに気付かされたのだ。正確に言えば男に戻る、なのだろうが、これからの生をヒルダとノーラから貰った義体で生きる事を当然とし、戻りたいとも思っていなかった。
そもそも自分は、いつから『過去の人生で男だった事実』を考えていなかったのか思い出す。性別のないスライムなら、好き勝手にできると思った時が最後ではなかろうか。
「ナナ、固まってる」
「どーしたのかな? ナナちゃーん?」
男らしくとか、女子力の高い野獣とか、全て過去なのだ。名前も捨てた。なら性別も捨ててしまえ、今の自分は『ナナ』というただのスライムだ。ナナはそう思った途端、不意に笑いがこみ上げる。
「く、くくく……ふはは、ふはははははは……ああ、そうじゃな、わしは男にはならん。これからもこの身体じゃ、かっかっか。礼を言うのじゃ、エリー。何か胸のつかえが取れた気がするのじゃ」
そう言ってナナは目を開けるとエリーに笑顔を向ける。
「と、突然笑い出すからびっくりしたじゃない! 何のことかわからないけど、力になれたのならよかったわ!」
「ナナ、瞳が綺麗。笑うと可愛い。昔のエリーにちょっと似てる」
「ほう、やはりそうじゃったか。実はわし、まだこの義体の顔を見ておらんのじゃ。しかしヒルダとノーラという母娘がおってな、恐らくその二人がモデルになったのじゃろう……二人はエリーに面影が似ておるのじゃ。髪の色も近いしのう」
「その人の話、聞きたいかもー!」
シンディが目を輝かせているが、ナナは小さく首を横に振る。
「今は駄目じゃな。……長くなるからのう、のぼせてしまうわい」
「じゃあ風呂上がりに」
「わかったのじゃ。代わりにおぬしらのこれまでも聞かせてくれんかのう?」
「いいわ! でもヒデオとの出会いはあたし五歳だったから、あんまり覚えていないけどね」
「私は六歳だった。ヒデオに初めて会った時髪を褒めてくれたこと、忘れない」
お湯で先端がぎりぎり隠れている平らな胸を張り、サラはドヤ顔をしている。
「確かに綺麗な黒髪じゃのう。わしとヒデオが住んでおった日本という国は、皆黒髪じゃった。それでもサラほど綺麗な黒髪はそうそう見ないのじゃ」
「へえ……ねえ、ナナ。あなたはその日本という国で、ヒデオとは知り合いじゃなかったのよね?」
「そうじゃな、赤の他人じゃ。魔力過多症という同じ病を持ち、亡くなった日が近い事くらいしか、向こうでの共通点は無いのう」
するとエリーシアはナナの方へと向き直り、その目をしっかりと見つめる。
「ナナは、ヒデオのことが好きなのかしら?」
「好きじゃよ。友人としての。オーウェンも同じくらい好きになれそうじゃ、好みが似ておるからのう、かっかっか」
ナナの想定通りの質問だったため、用意していた回答をそのまま口にする。エリーシアはナナの言葉に肩の力を抜き、大きく息を吐く。
「そっかぁ……あたしは、ヒデオのこと、一人の男性として好きよ。本当は誰にも渡したくない。でもサラもヒデオの事を好き……あたしはサラのことも好きだから、独り占めはできないわ。そうしているうちにシンディまで増えちゃったわ。だからもしナナがそうだとしても、ナナがヒデオを独り占めするんじゃなければ、受け入れようと思っていたのよ?」
「なんともまあ、懐の広いおなごじゃのう」
「そうかしら? 有力貴族や豪商ともなると第二夫人第三夫人なんて当たり前にいるわよ? それに第一夫人の座は、譲らないんだからね!」
「安心せい、わしが好きなのは女性じゃよ。流石にヒデオを好いておるおぬしらに手を出す気は無いがのう、かっかっか。さて、これ以上は本当にのぼせてしまうのじゃ、わしはそろそろ上がるのじゃ」
エリーシア達ももう上がると言うので一緒に脱衣所へ向かい、ナナは全身をスライム体で薄く覆い、余分な水気を切る。そして火と風の魔素を集めて簡易ドライヤー術を作ると、魔狼の毛でできた頭髪を乾かす。
「そんなことまでできるのー!? それも魔力視が上達したらできるようになるのかな?」
目を剥くシンディに可能だと告げると、三人のモチベーションが上がったようだ。普段は風邪をひく恐れがあるため、髪は天気のいい日中に洗うのだとか。
その後ナナが下着を身に着けると、三人の視線はその下着に注がれ、これも想定していたナナは触られる前に三人分のキャミソールとパンツを渡す。それぞれが下着を身に着け感動する様子を見て、ナナは異界にいるリオとセレスを思い出していた。
「下着一つでここまで喜ぶのじゃから、やはり女の方が良いのう……」
「ん? ナナ、何か言ったかしら?」
「何でもないのじゃー。それよりいつまで下着姿ではしゃいでおるのじゃ、はよう服を着んと風邪をひくのじゃ」
「「「はーい」」」
上機嫌のナナは風呂上がりに、三人娘によく冷えたはちみつ水を渡す。するとその美味しさに軽い騒ぎとなり、結局ヒデオとオーウェンにも振る舞った。その際素顔を晒していたことにヒデオは驚くが、同時に安堵するような優しい表情を浮かべていた。
なお、砂糖はもちろん蜂蜜も高額で手に入りにくいらしく、肉を柔らかくするため昼のステーキにドバドバと振り掛けたことを話すと、五人ともが両手両膝を床につき項垂れていた。




