2章 第30話N 飲んじゃった
「オーウェン、酒は置いておらんのか?」
ナナは薄暗い食堂に明かりを灯し、ざっと見渡すとオーウェンに顔を向け、首を傾げる。
「おいおい嬢ちゃん、酒飲んでいい歳じゃ……いや、いいのか? でもここで酒飲むのは俺しかいなくてな、悪いが秘蔵の高い酒しかねえんだよ」
「持ってくるのじゃ」
「え、いやだから高い酒しか……」
「持ってくるのじゃ」
「じょ、嬢ちゃん?」
「持ってくるのじゃ」
結局オーウェンは根負けし、泣く泣く秘蔵の酒が入った小樽を部屋から持ち出すことになった。オーウェンは手にした二つの木製の酒坏に半分ほど注ぐと、ふんぞり返るナナの前に諦め顔で置く。
「ほう、蒸留酒じゃな。原料は……りんごかのう?」
酒杯を手に持ち、仮面を着けたままの顔の近くまで掲げて香りを嗅ぐ。
「ああ、わかるのか。この小樽一つで金貨二十枚するんだからよ、大事に飲みやがれちくしょう」
「オーウェン。大事な話じゃからよく聞くのじゃ……地上界の金銭価値などわしが知っておると思うか、馬鹿め」
「なっ! て、てめえ……」
ナナは何事もなかったかのように、こめかみに血管の浮くオーウェンの前に酒杯を置くと、オーウェンの酒杯と替えるようにジェスチャーする。
「何がしてえんだてめえ、我儘にも程が……お?」
ナナが置いた酒杯を手に取ったオーウェンは、その感触に驚きの声を上げると恐る恐る口へと近付け、酒杯を傾ける。
「……冷てえ……なんだこれ、何したんだ?」
「魔術で冷やしただけじゃ、ふふん」
そう言ってふんぞり返ると仮面を上にずらし、口元を露わにする。オーウェンと交換した酒杯を手に取り中身を冷やすと、仮面越しに酒盃を覗き込む。酒を飲むのは入院前が最後なのでおよそ十六年ぶり、そもそも食事自体スライム体での吸収を除けば料理の味見くらいしかしておらず、この身体になってからも口に何かを入れたことは一度も無い。
それも全てヴァンを倒すまではと意固地になり、楽しいことを後回しにした結果、必要ではないが当たり前の行為まで避けていた為と冷静に分析する。しかしなぜ今無性に飲みたくなったのかまでは自分でもわからず、ナナは考えることを一旦やめ、酒盃を傾けて少量を口に含む。
ほのかな甘さと鼻に抜けるりんごの香り、そして舌を焼くようなアルコールを感じ、ナナはひと時の休息と割り切り寛ぐことにする。
「ふむ……アルコールが強いのう、もう数年熟成させたほうが良いのじゃ」
「……嬢ちゃん、飲みなれてるのか?」
ナナの仮面からわずかに覗く素顔に何の反応も無いオーウェンに、残念に思う気持ちも無いわけではないが、それ以上に気安さを感じてもう一口酒を口にする。
「こっちに生まれ変わる前はそれなりにの。といっても飲むのは果実酒ばかりじゃったがのう、かっかっか。……オーウェン。大事な話じゃからよく聞くのじゃ……嫌そうな顔をするでない、今度は本当に大事な話じゃ」
ナナはオーウェンに座るよう促し、ちびちびと酒杯を傾ける。
「ヴァンは悪趣味でのう、配下に襲わせた集落を助けて信を得たのち、裏切って皆殺しにするという真似を何度かしておる。ヒルダとノーラ……わしの家族も、裏切られて殺されたのじゃ。奴は恐らくアンバーというゴーレムを使っておぬしらに取り入り、裏切って殺すつもりだったのじゃろう。そこで一つ疑問があるのじゃ。あやつはおぬしに取り入ろうとしておったようじゃが、おぬしは何者じゃ?」
ナナは仮面越しにオーウェンへと視線を投げかける。しかしオーウェンは軽く首をすくめると、酒杯を軽く傾ける。
「オレはこの国の第三王子だ。そこそこの人にはバレてるから別に隠してるわけじゃねえ。ただの権限もねえ一冒険者としてここにいるだけだ」
「ほう、道理でティニオンの発展やら国家のためやらと口にするわけじゃ。それにしてもやたら自由な王族じゃのう、何だってヒデオのパーティーで冒険者をしておるのじゃ? しかも言動を見るにパーティーリーダーはおぬしではなくヒデオじゃろ?」
「ああ、ヒデオと一緒にいると魔力が上がるって報告があってな、確かめるためパーティー入りしたのさ」
オーウェンはヒデオとともにいる経緯と、自分のせいで戦争に巻き込んでしまったことをナナに話す。ナナは一通り聞くと納得し深く頷く。
「それがおぬしのケジメというやつかのう?」
「ああ、そうだ。例えオレの盾が砕かれたって、ヒデオは絶対に殺させねえ」
オーウェンから視線を外し、再度酒杯をちびちびと舐めるように傾ける。
「漢の顔じゃのう、かっかっか。……まさか男色ではあるまいの? わしの素顔にも興味無さそうじゃし」
「てめえヒデオと同じこと言いやがって……オレの好みは長身で出るところは出て引っ込むところは引っ込む、そんな大人の女だ。てめえやエリー達みてえな子供じゃねえんだよ」
「ほう! わしと同じ好みじゃな、よい趣味じゃのう。かっかっか」
「同性愛者はてめえの方じゃねぇか……」
力なく呆れた眼差しをナナに向けるオーウェンだが、ナナに笑って流される。
「しかし王族ならちょうどいいのじゃ、今後わしが再度この国を訪れる際には世話を掛けるかもしれんからのう。わしはヴァンを殺し終えて異界に戻ったら、しばらくしたらまた地上に来るつもりじゃ。できるなら仲間と一緒に来たいのじゃが、そうなると絶対トラブルに巻き込まれるじゃろうからのう、かっかっか」
「笑い事じゃねえよ、一体どんな仲間を連れてくる気だてめえ。まさかドラゴンとかじゃねえだろうな」
オーウェンは呆れ顔をナナに向け、大きくため息を吐いていた。
「具体的に言うとじゃな……アンバーの五倍ほど強い魔人族が二人と、アンバーより少しだけ強い魔人族と光人族の計四人じゃ」
「頼むからやめてくれ! 嬢ちゃんはこの国を滅ぼす気か!! それとも侵略か!?」
「何を慌てておるか、言っておくがアンバーの同行者を取り押さえたゴーレムじゃが、あれ一体でさっき話した四人を軽くあしらうレベルじゃぞ。それとこちらからわざわざ敵対行動をとるつもりもないのじゃ、安心せい」
目を大きく見開き愕然とするオーウェンは、軽く頭を横に振ると酒杯を呷る。
「嬢ちゃんは敵対するつもりはなくても、仲間はどうなんだ? 魔人族は戦いを好むって聞いてるが……」
「ああ、それは酔っ払いが暴れるようなもんじゃ。魔人族は闇の瘴気を浴びると好戦的になるらしいのじゃ。じゃから瘴気の無いところでは平和に暮らしておるぞ。それに敵対行為はわしが許さん。わし、異界で『魔王』と呼ばれておってのう、こう見えて一番偉いのじゃ。ふふん。仲間というのも、側近としてわしの側にいてくれる者達じゃ」
絶句し完全に固まったオーウェンを尻目に、ナナは拳を固く握って言葉を続ける。
「それでのう……わし、ヴァンが魔王と呼ばれているのが許せんのじゃ。ヴァンを『偽魔王』として噂を広げられんかのう? 王族なら噂を広げることも容易かろう? 『魔人族を従えられないぼっち』とか『ゾンビ程度しか操れない無能』とか『異界から逃げ出した軟弱者』とかいろいろあるじゃろ?」
「おま……オレに拒否権は……」
「わしが悲しむと、配下が何をするかわからんのう……しくしく」
わざとらしく口元を押さえるナナを見て、オーウェンは頭を抱えて考え込んでいた。
「……親父に……国王に、ナナという本物の『魔王』がいることを報告してもいいか? そうすりゃ……多分なんとかなる。だが、ヴァンって野郎と魔物の軍勢を排除した後で、の話になるが……それで文句ねぇな?」
「うむ、十分じゃ。わしの外見をおおっぴらに広げなければ構わんのじゃ。ヴァンごときが最初の魔王として名前を残すなど、このわしが許さんのじゃ」
そう言って笑うナナを、オーウェンは心底嫌そうな顔で見るだけであった。
「あ、それともう一つあるのじゃ」
「まだ何かあんのかよ……」
「人を殺すことについてどう思うかの? おぬしの考えと、一般的な考え方を教えてほしいのじゃ」
「はっ? 突然何だよ。……好んで殺そうとは思わねえが、敵や犯罪者の類ならなんとも思わねえ。むしろ犯罪者なら進んで殺すぜ。だいたい皆同じような考えだと思うが、それがどうかしたのか?」
「おそらくそこが、おぬしらとヒデオとの間にある、一番の価値観の違いじゃ。わしもヒデオも平和で争いのない世界で生まれ育ち、人殺しなんてもっての外という教育を受けておる。とはいえわしはもう何人も殺しておるし、これからも必要とあらば躊躇なく殺す。しかしヒデオは……まだ人を殺しておらんじゃろ?」
「ああ……多分な。少なくとも俺と出会ってからは、そんな機会はねえ」
オーウェンはナナの言いたい事を理解したのか、苦虫を噛み潰したような顔で酒杯に残る酒を一気に呷る。
「ヒデオは真面目すぎるのじゃ。レイアスのこともずっと一人で背負ってきたのじゃろう、仲間にだけは話しておってもよかったじゃろうに……自責の念も強かったようじゃな。あれは人を手にかける時が来たら、きっと苦しむのじゃ。じゃからオーウェン……フォローは任せたのじゃ」
そう言うとナナもまた、酒杯に残る酒を一気に呷る。
「言われなくても、そうするぜ。でも何でオレに頼むんだ? エリーもサラもシンディもいるじゃねぇか」
「のう、オーウェン。浮気相手という疑いを持たれたわしが、そんなことを言ったら……想像つくじゃろ?」
「わりい、それもそうだ。それにしても、やけにヒデオを気にかけてるな。そんなに心配なら一緒にいりゃいいじゃねえか」
ナナはオーウェンの言葉に数刻動きを止めると首を大きく横に振り、無言で仮面をかぶり直すと席を立つ。
「それは……無いのじゃ。ではの、頼んだのじゃオーウェン」
ナナはそう言ってオーウェンを置き去りにし自分にあてがわれた部屋に戻るのであった。
ナナは部屋のソファーに身を預けると、今日一日の出来事を思い出す。アンバーと呼ばれるゴーレムを発見し破壊してから、ハンバーグを見て涙し解けた緊張感、日本人ヒデオとの会話とレイアスの存在確認、そしてこの部屋でのヒデオへ自身の正体を告白し拒絶されなかったこと、ヒデオを慕う三人娘と彼女らを大切に思うヒデオ。
「……馬鹿馬鹿しい、わしは何を考えておる……身体が女になったからと言って、心まで女になったわけではなかろう……」
別に酒が好きなわけでもないのに無性に飲みたい気持ちになり、オーウェンを脅してまで酒を飲んだのはなぜだろうか。そもそもこの身体でいくら酒を飲んでも酔わない事はわかりきっていた。なんせ食道の先には胃ではなくスライムが詰まっているだけだし、アルコールが回る脳も無い。
ナナの脳裏には、ヒデオとエリーシアの姿が浮かぶ。ヒデオ、自分と同じ元日本人。自分の孤独感を忘れさせた男。ナナの正体を知ってなお、存在も行為も否定せず、味方であると言ってくれた初めての男。エリーシア、ヒルダやノーラに近い雰囲気を持つ少女。ノーラと同じツインテールにした勝気な少女。
「きっとわしは、またヒルダとノーラを奪われるとでも思ったのじゃろうな……エリーシアももう数年もすれば、ヒルダのような美人になるじゃろうしのう……」
ナナは月明かりが照らすベッドの上でそう決め付けると、明日の朝からどのような訓練メニューにするか考えを纏めることにした。




