2章 第27話N 夜這いされちゃった
エリーシア達にとって『ヒデオ』と名乗った、これまで『レイアス』として接してきた仲間の言葉は理解の及ばないものばかりであったようだ。ナナのフォローによってある程度は理解できたようだが、四人にとって問題となるのは一点だけのようであった。
「じゃあ途中から入れ替わったとかじゃなく、あたしと出会った時はもうヒデオだったのね?」
四人を代表するように、ヒデオの隣りに座っていたエリーシアが口火を切る。
「ああ、エリーと出会う直前、五歳の時にレイアスは意識を失ったんだ。それからはずっと俺が『レイアス』として生きてきた」
「……レイがいつも、一人でレイと話してたのは……」
「あー……よく考えれば不気味だよな、すまん。ナナからレイアスの存在をはっきり言ってもらって気付いたんだけど、俺自身がレイアスの存在に自身持てなくなってたっぽい。もしかしたいないんじゃないか、って考えを消そうとしてるうち、話しかけるようになってたみたいだ」
「じゃーさっきナナちゃんの胸に抱きついて号泣してたのは、それでなのかな?」
「ぐっ……ああ、そうだよ。安心したら、つい……な」
バツが悪そうに、シンディから顔を背け指先で頬を掻くヒデオの顔は、少し赤く染まっていた。
「んで、今の口調が本来の『ヒデオ』か。オレ達はお前を今まで通りレイって呼んで良いのか? それともヒデオって呼べば良いのか?」
「あー……わるい、『ヒデオ』で頼む。やっぱ『レイアス』は俺じゃない。レイアスの名前で呼ばれる度、レイアスとしてふさわしい言動とかやっぱ考えちゃうんだよ。それにレイアスが目覚めたあと、ナナが俺の新しい体について何か考えがあるみたいだし。……ナナ、それについて聞いても良いか?」
ヒデオは正面に座るナナに向き直り、話を促す。
「いや、まだ話は終わっておらんじゃろ、わしらが異世界からの生まれ変わりである点とか誰も突っ込まんがよいのか?」
所在なさげにきょろきょろとするように顔を振るナナだが、ヒデオ以外の四人はあっけらかんとした顔でナナを見ていた。
「本音を言えばこのティニオンの発展のため、文明の進んだ異世界の知識や技術は知りてえ。でもそうなると国家としてレイ……ヒデオを拘束することになる可能性があるが、そうしたらナナが敵に回るだろ?」
「当然じゃ、そんな事をしたら王都ごと地図から消してやるのじゃ」
「ナナ!? 物騒すぎるからやめろよマジで!」
ふふん、と薄い胸を張るナナを慌てて静止するヒデオ、その馴れ馴れしい掛け合いを悲しそうに見ているエリーシアとサラの視線にはシンディだけしか気付いていなかった。
「んなことしねえよ。だからヒデオのことは、ここだけの話だ。呼び名にしても問題ねえ、どうせ戦争が終わったら功績でヒデオには爵位が与えられる。クロード家はもう既に騎士爵で一番上の兄貴が継ぐんだろ? 授爵時にヒデオ家で登録して『レイアス・ヒデオ』になれば解決だ」
その時ナナの仮面の下から「ぶほっ!」という吹き出す音が響く。そして肩をぷるぷる震わせ、ナナはヒデオから顔を背けた。
「笑いすぎだろナナ……仕方ないだろ、『ヒデオ』なんてこっちじゃ名前にも性にも使われてねーんだから、どっちにしたって俺達以外には違和感しかねえよ……」
「あたしは……変わらないし、どっちにせよレイ……ヒデオの味方よ」
エリーシアはヒデオの右手の傷を見つめてはっきりと言い切る。ヒデオを挟んで反対側に座るサラもうんうんと頷いていた。
「アタシは異世界の植物とか知りたいかも!? 美味しい果物とか、可愛い動物とか~」
「……問題、無さそうじゃな……ヒデオ、おぬし良い仲間に恵まれたのう」
「ああ、俺もそう思うよ。ありがとう、みんな」
ヒデオはそう言うと、仲間一人一人に視線を送り、笑顔で頷く。
「ヒデオの新しい体については、任せるがいい。じゃがその件は少々デリケートでの、話すにはわしの正体も明かさねばならん。じゃがわしにも異界に残してきた者達がおってのう、わしはわしの正体をそやつらに話す前に、ここでおぬしらに明かす気はないのじゃ、許せ」
「そういうことなら、俺の方こそ急かして悪い。まだレイアスが目覚めるまで十年もあるんだ、大丈夫だよ。それにナナにも一番に伝えたいと思える人達がいるんだな、安心したよ」
そう言ってナナにも視線を送り、笑顔を向けるヒデオ。
「とまあそういうことだから、俺の目的はナナのおかげで綺麗さっぱり解消されたんだ。でも俺には、魔物から命を救えるだけの力がある。この力を、一人でも犠牲者を減らすために役立てたいんだ。それに俺、レイアスが目覚めた時に自慢できる存在でありたい。胸を張って、誇れる『兄』でいたいんだ。レイアスが起きた時、今より少しでも平和な世界を見せてやりたい。だから俺は、冒険者を続ける」
ヒデオはここで、ナナに向け飛び切りの笑顔を見せた。ナナは一瞬固まった後、ふん、と声を出してそっぽを向く。
「……弱いくせに調子に乗りおって……おぬし英雄にでもなるつもりか? 笑えん駄洒落じゃのう」
「うわ、ナナ酷くね? ……でも英雄か、それも悪くないよな。そしたら……たくさん救える」
「なぜおぬしが救わねばならんのじゃ。そんなもの国の仕事じゃろうが」
ナナはソファーから立ち上がると身を乗り出し、ヒデオを睨みつけるように仮面に隠れた顔を近づける。しかしヒデオは悲しげな顔で一瞬目を伏せると、ナナの仮面の奥の瞳を真っ直ぐ見つめるように見つめ返す。
「……以前、ゴブリンに殺された子供がいたんだ。五歳の子供で、レイアスと同い年だって聞いて……子供を失った親の気持ちって、レイアスが目覚めなくなった時の俺の気持ちと似てるって思ったら、俺ブチ切れちゃってさ……そんな嫌な思いはもうたくさんだし、同じ思いをする人を一人でも減らしたいって思ったんだ。そのためなら英雄だって目指してやる。俺はそう、決めたんだ」
長い沈黙の中、ナナは深くため息を吐き出しソファーへと勢い良く身を沈める。
「……おぬしの決めたことじゃ、おぬしの好きにするが良い。わしは反対せん。しかし、手も口も出すのじゃ。ヴァンは二十日後にまた来ると言ったのじゃな? 使役するゴーレムの破壊察知はヴァン程度には使えん。それに索敵に出しておるぶぞーからこの時間まで何の連絡もないとなると、このアトリオンにおるヴァンの配下は多くないか、打ち止めじゃろう。ヴァンがアンバーの破壊に気付き、アトリオンに到達するするまで長ければ一ヶ月は余裕ができるのじゃ。……それまでわしがおぬしを鍛えてやろう。少なくともアンバーに勝てる程度に強くなれば、英雄と呼んでも差し支えないレベルに到達するじゃろ。しかしたったの一ヶ月じゃ、早速明日から特訓じゃの」
「はあ? お前がオレ達を鍛えるだって?」
「何素っ頓狂な声を出しておるオーウェン。わしが鍛えるのは『英雄を目指すヒデオ』じゃ、おぬしらまで鍛えるとは言っていないのじゃ」
「あたし達はヒデオの仲間よ! ヒデオが英雄を目指すならあたし達だって一緒よ!!」
「……逃がさない」
「特訓は怖いかも? でもアタシも負けてられないかも!」
「だとよ? どうやって鍛えようってのか知らねえが、強くなれるんなら何だってやってやる。これは俺のケジメでもあるんだ」
全員に視線を向けられ、ナナはやれやれ、と呟きながら首を横に振る。
「明日朝から早速始めるのじゃ。覚悟しておくのじゃ」
その日の夜、ナナにあてがわれた客室のドアをノックする音が室内に響いた。
「ヒデオ、このような幼い少女に夜這いとは感心せんぞ?」
「ちげえよ! 一つ聞きたいことがあるんだけど、入っていいか?」
室内のナナの許可を取り部屋へ入ったヒデオは、月明かりだけの室内でソファーに腰掛けていたナナに気付き、その向かいに腰掛ける。
「寝てなかったのかよ」
「食わずとも良いのと一緒で、寝ずとも良い体なのじゃ。聞きたいこととは何じゃ?」
「便利なんだか不便なんだかよくわかんねぇ体だな……ナナは、なぜヴァンを追っているんだ?」
「そう言えば話しておらんのう……なあに、ただの復讐じゃ」
ヒデオの顔が驚きに包まれ、やがて悲しみへと変わる。
「ヴァンに誰か殺された、ってことか……」
「ああ、そうじゃ。ヴァンは六年半前、わしのこの世界での家族……ヒルダとノーラを殺し、地上へと逃げたのじゃ」
「仇討ちが、理由だったのか……」
しかしナナは小さく首を横に振る。
「仇討ちは目的というか、ただの手段じゃ。わしは我儘での、折角生まれ変われたのじゃから好き勝手に生きようと決めたのじゃ。楽しいことをたくさんやろうと決めたのじゃ。面白おかしく自由に生きてやるのじゃ。しかしのう、わしの家族を奪ったヴァンがのうのうと生きておるのでは、わしが楽しめんのじゃ。じゃから殺す。それだけじゃ」
「な、なんて言って良いかわかんねーけど……恨みとか憎しみとか、そういうんじゃないのか?」
「もちろんどっちもあるのじゃ。じゃがその感情に支配されたくないから、さっさとヴァンを殺して開放されたいのじゃ」
ヒデオは両手で頭を抱え、首を振る。
「……わるいナナ、ナナの考え方が理解できねぇ……それ深く事情聞いて無きゃ『楽しく生きるため邪魔者を殺す』って言ってるのと一緒じゃねえか」
「かっかっか。概ね変わらん。わしはわしの意志で人を殺す。ヒルダのせいでもノーラのせいでもない。わしが決めたことじゃ」
「理解はできないけど……間違ってるとも思わないよ」
そう言ってヒデオは真剣な眼差しをナナに向ける。
「俺は、ナナに救ってもらった。それでナナが救われるなら、何も言わない。他の誰が何と言おうとも、俺はナナの味方をするって決めた。何かあったら言ってくれ、ナナのためなら何でもする」
しばし正面から向き合う二人だが、ナナは妙な気恥ずかしさを感じ急にぷいっと横を向く。
「……救われたのは、わしも同じじゃ。……ノーラはまだ十歳でのう……わしはその誕生日を祝うため、ハンバーグを作ったのじゃ。しかしそれを食べて貰う前に、ヴァンによってその機会を永遠に奪われたのじゃ……今日おぬしに出会っておらなんだら、わしはヴァンを跡形もなく消し去り暴れるだけ暴れて、わし自身をも壊しておったかもしれん。アンバーを見た時、心の奥の憎しみがヴァンを見つけた喜びに変わり、理性が薄れておった自覚はあるのじゃ……」
「それで、ハンバーグを見て……。十歳か……」
「わしは、一人になった。知らぬ世界で、ただ一人じゃ。一人で戦いを始め、気付いたら仲間もできておったが、結局一人で終わらせるために地上へ来てしもうた。そしたらおぬしが……ヒデオがいてくれたのじゃ。わしと同じ日本から来た、ただ一人の同士じゃ……ありがとう、ヒデオ」
ナナはそう言うと仮面を外し、素顔を晒してヒデオに微笑みを向ける。ヒデオはその紅い瞳を食い入るように見つめ、わずかに顔を赤らめた。
「さて、これより少しの間だけ秘密の話をしたいでのう、物理結界と遮音結界を張るのじゃ」
そう言うとナナは立ち上がり、魔素を操り結界を施す。
「は、え? ひ、秘密の話って!?」
紅い瞳に見とれていたヒデオはナナの突然の行動に狼狽し、ナナは薄い胸を突き出しふふん、とドヤ顔をしている。
「エリーシアとサラとシンディが扉の前で盗み聞きしておったでな、ちょっとしたいたずらじゃ」
「ええ! ちょ、ええええ!!」
「安心せい、すぐに済む。おぬしにはわしの正体を話しておくのじゃ。これだけは今はまだ、おぬしと異界の仲間達にしか教える気はないのじゃ」
「ナナの……正体?」
ナナは少しばかり躊躇うが、訝しげなヒデオの目を見つめると、意を決して口を開く。
「わしはのう……ヒルダに造られた魔法生物、スライムじゃ」




