1章 第5話R 幼き怒り
2018/6/20
大幅に改稿。
マルク邸から戻った夜に、父ファビアンと次兄オラースを交えて家族会議が開かれた。まず母オレリアが魔力過多症について家族に説明し、今後の対処と俺が魔術を学ぶことに話が及ぶ。
「それで当の本人、レイアスは魔術師になりたいのか?」
父ファビアンが探るような視線を俺に向けてきた。心は既に決まっている、こっちも真剣な眼差しをファビアンに向けて言葉を紡ぐ。
「はい、父様。先ほど母様が説明なさった通り、僕は魔力が高く、放っておけば近いうちにまた発症するそうです。その際に自分で最低限の対処ができるようになるには、魔術を学ぶ必要があると思いました」
ファビアンの眉間に皺が寄る。これは残念に思っているときの癖だ。
「しかし魔術師になると決めたわけではありません。モーリス兄様のように父様から剣を習いたいですし、オラース兄様のように勉強もしたいのです。今はまだ体が小さいので剣を習うことはできませんので、まず勉強を頑張りたいと思います」
ファビアンは続けて発せられた俺の言葉に、頬を僅かに引き攣らせた。これは嬉しい時に出る癖だ。無口で仏頂面のファビアンだが、よく表情に出るためわかりやすいのだ。恐らく父様から剣を習いたい、が引き金だったのだろう。
「そうか……わかった。ライノ男爵にはこちらからも改めてお願いしておこう」
ファビアンにお礼を言ったところで、機を窺っていたのかメイドのタルサが夕食のパンとスープを運んでくる。正直に言えばパンは固くスープの味も薄い。しかもライノ男爵から聞いた話のせいか、今日はより一層味を感じない。
しかもこの世界のマナーなのか貴族としてのマナーなのか、それともクロード家の独自ルールなのかはよくわからないが、食事中は会話をしない習慣のため、いつも通り無言で食事を終える。
静かな夕食が終わると、いつもなら次兄のオラースが読み書きを教えてくれる時間なのだが、今日はファビアンから貴族の爵位について教えてもらうことになった。ライノ男爵は父ファビアンより上位の貴族のため、失礼があってはいけないということだ。
まずこの国はイゼルバード・ティニオン王の下に治められているティニオン王国であると教えられた。王族である公爵家の下に、貴族として侯爵、伯爵、子爵、男爵・騎士爵と続いている。
この国では貴族に特定の領地を与えることがなく、新しい視点で領地運営をより良く行うためという名目で、侯爵と伯爵は十五年毎に各都市の領主を交代で務めるとのことだった。
説明を聞く限りでは陞爵や爵位の剥奪・降格もよくある事らしく、貴族というよりまるで日本の会社員の役職のようだ。公爵家以外は『身分の違い』などさほど気にしないらしく、日本での知識を当てはめると恥をかきそうなので気をつけねばなるまい。
そしてここアーティオンの領主コーバス・ビュルシンク子爵は開拓村に赴任した先代の後を継ぎ、およそ五十年かけて人口二万人規模の小都市まで発展させた功績が認められ陞爵、伯爵として隣の大都市クーリオンの次期領主となることが決まっている。
「教えていただきありがとうございます、父様。ライノ男爵に失礼の無いよう努めます」
そう答えるとここまで一緒に聞いていたオラースは驚愕の目を向けるが、すぐにいつもの優しい表情に戻りレイアスの頭を撫でながら褒め言葉を口にした。
「凄いなあレイアス。難しい言葉もたくさんあったのに頑張ったねえ」
しまった、間違いなく五歳児の理解力じゃない。
しかし後の祭りだ、何とかフォローを……オラースに対しては「褒めて褒めて」と言わんばかりの態度を取ったことで、なんとか誤魔化せたかな。
「それとレイアス。ライノ男爵には六歳になるご息女がいるが、粗相のないように」
いや待ってファビアン、爵位よりそこもっと詳しく説明!
翌日。ライノ家の門をたたくと、家令の案内で昨日とは別の部屋に通された。
「奥様、お嬢様、失礼致します。オレリア・クロード様、レイアス・クロード様をお連れ致しました」
中から入室を許可する声が聞こえ、扉を開けると室内には二人の先客がいた。
大人の女性と、自分と同じくらいの年齢の女の子だ。室内はソファーテーブルのセットが一つと、小さめの机が三つ置かれていた。これが勉強机になるのかな。
「はじめましてニネット様、エリーシア様。ファビアン・クロードの妻、オレリアと息子のレイアスです。本日はお招きに預かりありがとうございます」
「はじめまして。ファビアン・クロードの息子レイアスと申します。よろしくお願いいたします」
そう言って下げていた頭を上げ、二人の姿を見る。
「オレリア様、レイアス君。マルク・ライノの妻ニネットと娘のエリーシアです。エリーシアはレイアス君の一つお姉さんになるわ。今日はよろしくね」
にこやかに笑ってるニネットさんは170センチくらいありそうだな、明るい赤髪を結い上げたモデルを思わせる女性だ。
「エリーシアよ! 弱虫泣き虫の癖にここに何をしに来たのかしら?」
かちーん。ああ、昨日こっそり覗いてたのはこのガキか。
母譲りの明るい赤髪で見てくれだけは可愛らしいが、頭と性格は悪そうだな。
お転婆とは聞いていたが……「ごつんっ!」エリーシアの頭にニネットの拳骨が落とされ、エリーシアは頭を押さえて涙目だ。
「エリーシア!? 貴方はどうしてそんな事を言うの! 今日から一緒に勉強するお友達なのよ?」
話が進まないから助け舟を出してやろう。
「良いんですニネットさん。僕が泣いていたのは本当のことですから。昨日覗いてたのはエリーシア様だったのですね。恥ずかしいところをお見せしてしまい申し訳ありません」
助け舟と言っても泥舟だがな。とにかく勉強したいんだ。知りたいことが多いんだ。邪魔をするな。覗いていたことをバラされエリーシアに睨まれるが、そこに再度ニネットから拳骨が落とされる。
「レイアス君ごめんね? うちの娘、気が強くてお転婆で……よかったらこれから仲良くして貰えるかな?」
出会って数分だがそれもきっと母親似だろうと思うけど、そこは口をつぐみ『レイアスらしい』演技を続ける。
「こちらこそ、こんな可愛いらしいお姉さんと友だちになれたら嬉しいです。改めてよろしくお願いします」
二度目の拳骨以降頭を押さえてうずくまったままのエリーシアに手を伸ばし、立ち上がりやすいようエスコートする。
「ふんっ。貴方見る目があるじゃない。私の子分に……お、お友達になってあげてもいいわよ!」
エリーシアは伸ばした俺の手を取り、立ち上がり様にまた偉そうな態度を見せたが、子分、と言った瞬間にニネットから睨まれ慌てて言い直した。
「さあ、二人共席に着いて。まず勉強がどこまでできるか確認しないとね。オレリアさんはどうぞそちらにおかけになってお待ちくださいな」
後ろでオレリアがソファーに腰掛けるのを感じ、自身はエリーシアの左の机に着くとニネットに自己紹介するよう促される。
「レイアス・クロード、五歳。基本文字の読み書きと、数字の足し引き計算ができます」
五歳で掛け算割り算までこなしては相当目立つことになるだろうから自重しているつもりだが、十分異常である。
「エリーシア・ライノ、六歳。基本文字の読み書きと……足し算ができるわ」
「そう、レイアス君はもう読み書きだけじゃなく足し算引き算もできるのね、凄いじゃない。じゃあ今日は基本文字のおさらいをして、足し算引き算の勉強をしましょう」
悔しそうにこちらを見ていたエリーシアだったが、続くニネットの言葉で視線に怒りすら漂わせるようになっていた。どうもレイアスが褒められたのが癇に障ったらしい。
「アンタ、書字板の使い方はわかるの?」
机の上に浅い木の箱が置かれており、中には固まった蝋が入れられている。これが書字板という物で、隣にある先の尖った太い釘で蝋を削る様に文字を書き、使い終わったら蝋を均せば書いた文字を消して再利用できるため、メモや字の練習用に使われる道具だ。
「大丈夫ですエリーシア様、家でも同じ物を使って勉強していましたので問題ありません」
「じゃあそこに基本文字を書いてみなさいよ、間違ってたらアタシが教えてあげるわ」
レイアスを気遣って声をかけたというより、何か勝てる所が無いかと探る感じのエリーシアだが、近付いてきたニネットによってその顔を片手で握られる。
「痛い! ごめんなさいお母様!! こ、言葉遣いですね!?」
ニネットはそこで満足げにアイアンクローを解除し、エリーシアに引きつった笑顔で語りかける。
「わかっているようで良かったわ。少しはレイアス君を見習って欲しいわねえ」
その言葉でエリーシアの顔が再度歪んだのが見えた。
あ、これ駄目なやつだ、他人と比較され続けると心が歪む。
そう思ったものの自分が伝える訳にはいかない。
オレリアに目をやると少し困ったような難しい顔をしているが、気付いているのか、気付いたとしてニネットへ言えるのかはわからないな。
そのまま重苦しい雰囲気のまま時間が経ち、足し算のおさらいまで進んだところでニネットが休憩を提案した。
「そろそろ休憩しようかしら。オレリアさん、手伝ってくださる? レイアス君、エリーシア、お茶の準備をするからいい子で待っててね?」
ニネットはそう言うとオレリアを伴って部屋を後にした。
隣からは完全に敵と認めたようなエリーシアの視線が刺さる。
「……なんでアンタばっかり褒められるのよ……」
視界の隅に、ぐぬぬ顔でつぶやくエリーシアが見える。
はあ。手遅れになる前に手を打たないと、魔術の勉強どころではなくなってしまう。それにエリーシアの心がもたない。
正面から向き直って、エリーシアの目を見て話そう。
「エリーシア様。僕は二人の兄が居ます。そのおかげで勉強を見てもらったり言葉遣いを教わったりできたのですが、兄様がいるから僕は母様と父様を独り占めすることができません。エリーシア様は僕の事を羨ましいと思っているようですが、僕の方こそエリーシア様を羨ましいと思う事がたくさんありますよ? でもいくら羨ましくても僕はエリーシア様になれませんし、エリーシア様が僕になることもできません。何より僕は兄様達も母様も父様も大好きですから、他の誰かになろうとも思いません。エリーシア様はご両親の事がお好きですか?」
途中から部屋の外で二人が聞き耳を立てて様子を窺っている気配を感じたため、敢えて聞かせるため声のボリュームを意図的に上げて話した。
「大好きよ! 嫌いなわけないじゃない!! なのにお母様はアンタばっかり褒めて……」
エリーシアはそう言うと、目から大粒の涙をこぼしながら掴みかかってきた。
「お父様もよ! 何でアンタばっかり褒めるのよ! 何でアンタが魔法を教えてもらえるのよ! 私もまだ教えてもらっていないのに!! 昨日はお父様、嬉しそうにアンタの事ばっかり話して……何で……ふぇ、ふぇえええええん」
俺の服の両肩辺りを掴んで前後に揺さぶると、そのまま胸に顔を押し付けて号泣し始めた。部屋の外では二人が話をする気配がする。
少なくともファビアンもオレリアも、叱る・褒めるをしっかりやっており、兄弟で比較するようなことは一度も無かったと記憶している。すぐに入ってこない様子を見ると、オレリアは問題に気付いているはず、指摘しフォローしてくれるのを期待するしかない。
「僕は僕、エリーシア様はエリーシア様です。エリーシア様には、エリーシア様の良い所がたくさんありますよね? 僕は今日会ったばかりだから、元気が良くてころころ変わる表情がとても素敵な女性、という事くらいしかわかりません。でもご両親は間違いなくエリーシア様のいい所をたくさんご存知ですよ。一度ゆっくり話をしてみると良いのではないでしょうか」
素敵な女性、のところで、エリーシアが体をびくっと震わせた。
「そうだ、面と向かって言う練習をしてみませんか? エリーシア様の方から、ご両親の良いところや好きなところを言ってみましょう。ニネット様のどんなところが好きですか?」
目の前にある頭をゆっくり撫でていると、鼻をすすりながら料理が上手だとか歌が上手いとか元騎士で槍を持たせると格好良いとか、次々とニネットの良い所を次々話してくれる。
「……それとね、いつも怒ってばかりだけどお父様と二人だけになると凄く可愛いの。五日前の夜も私が寝ていると思ったみたいで、お父様に抱きついて」
「お待たせー、二人ともいい子にしてた?」
顔の赤いニネットが慌てたように扉を開け、そそくさとお茶の用意を始めた。一緒に入ってきたオレリアも少しばかり顔が赤いようだけど、もう遅いよ……。
最後の一文は聞かなかったことにしよう。
エリーシアは少しすると俺に抱きついている事を思い出したのか、慌てて離れようとしたのか俺を突き飛ばした。まあいいけど。
その後お茶のあいだも引き算の勉強のあいだもエリーシアは一度もこちらを見ようとせず、目を合わせる事が無いまま一日目が終わった。
その帰り道、オレリアにぎゅーっと抱きしめられてめちゃくちゃ撫でられた。翌朝はファビアンが頬をぴくぴくさせながら、頭を撫で回してくれた。
翌日もオレリアを伴いライノ家へ向かう。オレリアが付き添うのは今日が最後ということで、徒歩十分程の道のりを忘れないよう覚えながら、貴族街の石畳が敷かれた道を歩く。ライノ家に着くと、今日は家令だけでは無くエリーシアも出迎えてくれた。
「レイアス、お母様達は少し話があるそうだから、終わるまで庭を案内してあげるわ。着いて来なさい」
言い終わるが早いか、エリーシアが俺の手を取って走り出した。
「エリーシア様、待ってください。庭って」
「エリーシア、で良いわ。今から『様』付けで呼ぶのは禁止なんだからね! わかったら返事よ、レイアス!」
昨日とは打って変わって上機嫌だな。昨夜のうちにライノ家で家族会議でも開かれたかな?
これでエリーシアも一安心……いやいや。魔術の学習の妨げになりそうだから、何とかしなきゃって思ったのに、何してんだか俺。今日はちゃんと魔術を教えてもらえるのかなー。
「ねえ、聞いてるのレイアス。この庭の奥にある広場で、よくお母様が槍の練習をしたり、お父様が魔術の練習をしているのよ」
庭の花が何だとか木がどうとかしばらくいろいろと説明してくれ、草木が途切れた広い場所に出た辺りでエリーシアの言葉も止まった。
「……あのね、レイアス。昨日、お父様とお母様といっぱいお話しできたの。練習で言ったみたいに二人の好きなところを言ったら、お父様もお母様も私の好きなところ、たくさん言ってくれたわ。レイアスの言ったとおりだったわ。……昨日はごめんなさい、それと、その……あ、ありがと……」
エリーシアはそう言うといきなり抱きついてきたかと思うと、その勢いのまま唇を奪って来た。
「こ、これはお礼なんだからね! そ、そろそろ時間よ、ぼーっとしてないでさっさと戻るわよ! 今日から私も魔術の勉強をするんだから!」
突然ファーストキスを奪わたんだけど、何があった。
俺の手を引いて上機嫌で歩くエリーシアの後ろ姿の向こうから、誰かの視線も感じたんだけど気のせいだろうか。
ていうか俺のファーストキスが、六才児に奪われるとかどういうこと……。