2章 第23話R 衝撃
金髪の剣士に敗北した『紅の探索者』は前線から引き、アンバーと名乗る全身鎧の男の活躍によって、三度目のアトリオン防衛戦は戦闘を終えた。
「ぐ、ぐええ……がはっ」
屋敷へと戻ったレイアスは胃液を残らず吐き出すのではないかと周囲が心配するほど、厠に籠もり続けていた。
仲間を守れずエリーシアとサラに重症を負わせた自分の不甲斐なさ、国内最強とおだてられ調子に乗っていた自分自身に対する恥ずかしさ、顔見知りの刎ねられた首が宙を舞い目が合った恐怖、そして初めて人間に対して抱いた殺意。様々な感情を処理できず、ただただ吐き続けるだけしか出来ずにいた。
しばらくそうしていたレイアスだが、どうして自分がこんな目に、何故自分はここにいるんだろうと考えたその時、自分の目的を思い出して無理矢理気持ちを落ち着ける。
「はあ、はあ、はあ……。レイアス、格好悪いところを見せて悪いな……大丈夫だ、まだやれる……お前に格好良いところたくさん見せなきゃいけねえのに、お前が目覚めた時に誇れる自分でいなきゃいけねえのに、こんなところで止まれない……もっと強くなって、生命魔術を見つけてやる……。だから、もう少し待ってろよ、レイアス。この戦争を終わらせて国王から生命魔術の文献を見せてもらう予定だからよ。……ああ、大丈夫だって。心配しなくても今度は、敵である以上、人も……殺す」
呼吸を整え、顔を上げる。喉の奥の焼けるような不快感と口内に広がる胃液の味に顔を歪めると、井戸でうがいをしようと厠の扉を開く。
「あ、レイ……その、水、持ってきててあげたわよ……」
「……うがい」
厠の前にはエリーシアとサラの二人が不安げな顔で立っており、エリーシアは手に水の入った木製のカップを持ち、サラは木桶を両手で抱えていた。
レイアスを僅かに見上げるエリーシアと大きく見上げるサラの二人の様子に、会話を聞かれた可能性を考えるが、会話の内容を思い出すと『何もおかしな内容は言っていない』と考え何事も無かったようにエリーシアの持つカップを受け取る。
「ありがとう、エリー。サラ。二人の怪我はもう平気か?」
レイアスはそう言ってうがいをし、サラが持つ木桶に吐き出す。
「……問題ない」
「肉を少し焼かれただけよ……レイの方こそ左腕と、脇腹……自分に向けて魔術を撃つなんて、馬鹿じゃないの……」
そう言って瞳を潤ませるエリーシアの頭へと右手を伸ばし、優しく撫で付けるレイアス。見上げるサラの瞳にも光るものを見つけ、カップを近くの台に置くと左手でサラの頭を優しく撫でる。
「ごめん、俺頭に血が上ってたみたいだ。二人のことも守れなくて……」
エリーシアはそう言って表情を暗くするレイアスの、頭を撫でつけている右手を掴むと幼い頃の火傷痕が残る手の甲に口づけをする。突然の行為に驚くレイアスに、エリーシアは強い意志を宿らせた目を向けた。
「レイはあたしが守るんだから! 守ってもらってるだけじゃないわ、見くびらないで!!」
「私も、レイを守る。負けない」
「そうよ! あんな奴らにもう負けたりしないんだから!!」
レイアスが驚いている間にサラもレイアスの左手を取り口づけをし、掌に頬ずりをしていた。そしてレイアスは驚きから立ち直る間も与えられず、そのまま二人にリビングへと連れて行かれるのであった。
「レイ、来たか。……ひでえ顔だな、おい」
「返す言葉も無いよ……それよりもありがとう皆。おかげで命拾いした」
リビングにいたオーウェンとエリーシアに頭を下げると水臭いと二人から叱られ、促されてソファーへと腰を落とす。その両隣には当たり前のようにエリーとサラが腰掛けたのを見届けたオーウェンは、レイアスの前に羊皮紙を広げる。
「まず今回前線に穴が空いた原因だが、どうもゾンビの陰に隠れて生きたゴブリンリーダーが紛れ込んでいたらしい。そいつらは前線に穴を開けてゾンビを深く進入させると逃げたそうだ。あとはあの金髪クソ野郎だな。瞳が茶色だったから魔人族じゃねえ、ってことは魔王の配下にはゾンビの他ゴブリンと野人族がいるってことになる。これにより軍施設への出入りが制限された。俺たちは許可証を貰えることになっているので問題ないが、兵の訓練は終了だ。……前回・前々回と死者は無かったが、今回は三百人近く死んだ。次は俺たちもその中に数えられるかも知れねえ。……逃げるなら、今だぞ?」
オーウェンはそこで言葉を切ると、四人の様子を窺う。レイアスは目を瞑り大きく一つ深呼吸をすると、目を開ける。さっきまでの弱りきっていた様子は完全に消え、強い意志の宿った表情へと変わっていた。
「……世界樹がなくなるとどうなるか、知ってるよな? 瘴気と呼ばれる高濃度魔素の浄化は世界樹しかできない。それが無くなったら、数年先か、数十年先かはわからないが、確実に世界は瘴気に覆われる。魔王が世界樹をどうするつもりかは知らないが、ろくなことじゃないのは確かだろう。未来が閉ざされるならば、俺が生命魔術を求める意味も無くなる。だから俺は、戦うことはやめない。俺一人の力でどうにかなると思えるほど自惚れてるわけじゃない。だから……力を貸してほしい。誰か一人でも……命を落とすようなことがあれば、俺は絶対に後悔する。でも、戦わずに逃げる事は、俺にはできないんだ」
レイアスはそう言い放つと、仲間の目を一人一人ゆっくりと見つめる。僅かでも拒絶や戸惑いが見えたら一度『紅の探索者』を解散して任意でついて来て貰おうと思っていたのだが、杞憂に終わったようである。
「どの道俺は王族の一人だ、逃げる場所なんてねえよ」
「ワタシも将来畑いじりするってゆー夢があるからねー。それに森人族として世界樹を傷つけようとするものは許せないかも!」
「あたしはレイを守る為にここにいる。一人でなんて行かせるわけないでしょ! バカ!!」
「私の居場所はレイの隣だけ。逃がさない」
レイアスの顔に笑顔が戻り、お礼の言葉を口にする。しかし今度は四人から水臭いと叱られることになってしまった。
武器防具の修理を頼みに鍛冶屋に向かうが、どこも先約で埋まっており早くても十日以上というので、修理を諦め既製品として店頭に並んでいる物を買うことにする。レイアスはこれまでの革鎧から、皮鎧の上に金属製の胸当てとネックガードのついたものへ替え、盾も少し重くなるが表面を磨き上げた金属盾に変更する。オーウェンも鎧が駄目になっていたため鎖帷子とその上から着る胸当てを購入する。
「そういえばアンバーって何者なんだ? 冒険者かな?」
「ああ、あいつは小都市国家群の出身で、南のジース王国で冒険者をやっていたらしい。生まれ育った地の惨状を知って参じたんだとよ」
「あの人の剣捌き、早かったな……金髪の剣士も強かったけど、明らかにアンバーの方が上だった。機会があったら剣の使い方を教えて欲しいくらいだよ」
「それなら光天教の方に行ってみるか、そこに世話になってると言ってたぞ」
新調した装備を身につけ帰路に着くレイアスは、隣を歩くオーウェンを見て首を傾げる。
「随分詳しいな、まさかオーウェンの方こそ男色の気が……うおっと」
オーウェンはレイアスに避けられ空を切った拳骨に目をやると、舌打ちしてレイアスを睨みつける。
「防衛戦の後、少しだけ話したんだよ。病気でたまに声が出なくなるとかなんとか、それで宿じゃなく病気に理解のある神殿に世話になってるそうだ」
「そっか、そういうことならちょっと顔を出してみるか、お礼も言いたいし」
しかしタイミングの悪いことにアンバーは発作が出て現在体を休めていると、アンバーの仲間という戦士に断られてしまった。結局会うことができないまま三月の半ば、四度目の防衛戦が開始される。今回の魔王側の編成はゾンビとゴブリンに加え、狼が数十体混じっていた。
ゴブリンと狼が素早い動きで魔術師隊へと詰め寄ることでゾンビへの魔術攻撃がままならずまたも前線は乱戦となったうえ、前回同様金髪の剣士が単独で切り込み何十人もの兵士の命を奪っていく。
ゴブリンと狼は『紅の探索者』をはじめとした冒険者パーティーが大きな働きを見せ魔術師隊の被害を抑えることに成功し、アンバーは今回も金髪剣士と一対一の戦いを繰り広げ、危なげなく勝利し金髪剣士を撤退に追い込んでいた。
戦闘が一段落するとアンバーがオーウェンへと近付き、なるべく早いうちに相談したいことがあると言う。オーウェンは視線を送ったレイアスが頷いたのを確認すると、翌日の夕方を指定するアンバーに了承の意を伝え、屋敷へ来ることを了承する。
「突然すまないな、オーウェン。お邪魔するよ」
アンバーは防衛戦時と同様全身鎧を着て、仲間である戦士の男を一人伴ってレイアスの屋敷を訪れた。
「済まないが病気と怪我で人には見せられない状態でね、兜を付けたままで失礼する」
「はい、お気になさらず。先日は危ないところをありがとうございました。お礼が遅くなってしまい申し訳ありません」
レイアスの言葉に続き女性三人組も次々と感謝の言葉を告げ、最後にオーウェンが礼を告げる。
「おっと玄関先でわりいな、こっちだ」
気にするなと言うアンバーと一言も話さないお付きの戦士を応接室に通す。エリーとサラは二人にお茶を出してシンディと共に退室すると、アンバーはオーウェンの隣に座るレイアスの方に顔を向け、邪魔だと言わんばかりの無言のプレッシャーをかける
「アンバー、レイアスは俺の所属するパーティーのリーダーだ。どんな相談事か知らねえが、話なら一緒に聞かせてもらう。そっちも一人同伴してんだからそう睨むんじゃねえよ」
「……そういうことなら仕方ない。では単刀直入に言おう、貴方達は敵の攻撃についてどう思うかね? 本気でこの世界樹を攻撃しに来ていると思うか?」
「どういうことですか? 確かにこれまでの四回に渡る魔王の侵攻は戦力の無駄遣いにしか思えませんが……四回ともゾンビが三千体ずつと、僅かなゴブリンと狼。もし一度に送り出していたら、こちらは大打撃を受けていたでしょう」
真剣な表情で話すレイアスに顔を向け、一度深く頷くアンバー。
「なぜ一度に送り込まなかったか、想像できるか?」
「一度に動かせねえ、もしくは動かさねえ理由があるってか」
「そうだな……ところでセトンには偵察を送っていないのか? あそこから南下されると王都アイオンまで遮るものは何もないぞ?」
「小都市国家郡には何人もの密偵を放っているらしいが、誰一人戻ってきちゃいねえ。未だに魔王の正体どころか敵軍の全容すら把握できてねえんだとよ……おいアンバー、まさかこっちは囮とか言い出すんじゃんぇだろうな。お前が世話になっている光天教から『魔王の狙いは世界樹』って警告が出てるんだ、こっちが囮だとしたら光天教と魔王がグルって可能性まで出てくるって事、わかってて言ってんのか?」
「何だと、教会からそんな警告が?」
アンバーは隣に座る付き添いの戦士に顔を向けるが、付き添いは慌てた様子で首を横に振る。
「ふむ……まあいい。それはそうと、やはり貴方は軍の情報を多く掴んでいるようだな。では軍の上層部に伝えて欲しいのだが、セトンに直接偵察を送るのではなく、セトンとアイオンの間を調べてみてはどうか? と。アンデットの大軍が通った形跡が無ければそれで良いが、万が一何万ものアンデットがアイオンに向かっていたら、取り返しの付かないことになるんじゃあないか? アイオンが本命だとしたら、ここからも兵を出す必要が出てくるかもしれない」
「……足の早い馬を使っても、そのルートの確認をして戻るまで二十日はかかるな。いいだろう、オレには何の権限もねえからどうなるかはわからんが、伝えるだけ伝えておくぜ。しかしなんだってお前はこの話をオレに持ってきた?」
すっと目を細めるオーウェン。そこのアンバーの小さく鼻で笑うような音が聞こえてくる。
「冒険者部隊の最前に立ち、兵を率いる立場にある者達が一目置いているような視線を送る貴方のことだ、只者であるはずがないじゃあないか?」
勝ち誇ったような声で話すアンバーに、今度はオーウェンがフッと鼻で笑い返す。
「惜しいな、そいつらは訓練で教官役をやっていたレイアスを見ていたんだよ。お前が現れるまでは最強の魔法戦士として有名だったしな」
「やめてくれよ、オーウェン。こないだ盛大に負けたばかりなのに最強とか言われても恥ずかしいだけだよ」
アンバーは小さく驚きの声を上げてレイアスへと顔を向け、隣りに座る付き添いの戦士は疑いの眼差しを向けていた。
「それでアンバーさん、良かったら俺に剣の稽古をつけてもらえませんか? 俺、強くなりたいんです……お願いします!」
そう言って頭を下げるレイアスに、アンバーは首を横に振って答える。
「悪く思うな、病気も怪我も酷く実戦以外では激しく体を動かさないようにしている。ではそろそろ私は帰るとしよう。オーウェン、先程の件頼んだぞ。では斥候が戻る二十日後にまた来よう」
「あ、良かったら夕飯をご一緒しませんか? 今エリーたちが腕によりをかけて支度をしていますから」
しかしアンバーはソファーから立ち上がり、扉へと向かって歩き出した。
「病気のせいで食事も喉を通らないのだ、それにそろそろ発作が起きる時間だ。声すら出せなくなる。」
「そうですか……申し訳ありませんでした」
テーブルに置かれた一口も飲まれていないお茶に視線を落とし、レイアスは謝罪の言葉を口にする。アンバーはそのまま玄関へ向かい扉をくぐると、屋敷内に残るオーウェンに向き直り右手を上げて挨拶をする。
「……旦那の発作が始まりましたので、これで失礼します」
付き添いの戦士がアンバーの代わりに言葉を発すると、深々と礼をして立ち去ろうとする。
『グシャッ!』
その時何かを突き破るような音が辺りに響き渡る。そして音の発生源に目をやった一同は、その光景に目を見開き驚愕する。屋敷へ体を向けて右手を上げるアンバーの、鎧に覆われた腹部から細い一本の腕が生えていたのだ。そしてその小さな手には、黒い球状のものが握られていた。
『ザッ』『ドサッ』
腹部から生えていた腕が体の中へと戻り、アンバーが前のめりに倒れる。するとその後ろに一人の子供が立っていることに気付く。その子供は白い仮面を付け、毛皮のコートとニーソックスとブーツを身に着けた、髪の毛から衣服まで全身真っ白な少女であった。
その少女は息が詰まるような死の気配を身に纏いながら、立っている三人の男を見回すように首を振る。
「おぬしら、これとどういう関係じゃ」




