2章 第19話E・S・Ci&O 負けない
一月の終わり頃、レイアス一行はアトリオンまであと数日というところまで近付いていた。行く先には早くも世界樹がうっすらと見えており、世界樹を初めて見るレイアス・エリーシア・サラの三人は大樹が空に浮かぶ雲に突き刺さっている辺りを見上げてぽかーんと口を広げていた。
「凄いわね……なんというか、言葉が出ないわ……」
「圧倒……」
揺れる竜車の御者をするレイアスの両隣に、世界樹を見るという大義名分を得たエリーシアとサラはしっかりと腰を下ろしレイアスにくっついていた。そのレイアスはというと「1,000メートル以上あるってのか」と呟いたっきり両隣に密着する美少女二人を気に留める様子も無く、世界樹と進路を確認しながら竜車を操っていた。
アトリオンへへ到着し滞在二週間が過ぎる頃、一行は長期滞在の拠点となる屋敷への引越しを済ませていた。都市中心部からはやや遠いものの、部屋数も庭の広さも十分にあるその屋敷は本来であれば手の届くような金額ではないのだが、戦争の気配を感じ王国南部へ移住した富裕層が多いらしく、破格の値段で売り出されていた。
決して安くは無かったがエリーシア・サラの二名が厨房設備に惚れ込み、庭の広さにシンディが、鍛錬にちょうどいい裏庭の広さにオーウェンが惚れ込み、そしてレイアスは魔道具で湯を沸かす『風呂』に惚れ込み購入を決意する。
風呂の存在を知らない女性陣はレイアスとオーウェンによる説明を受けたあと早速湯を張って風呂を利用すると、初めての『お湯に漬かる』という行為に驚きを隠せなかった。
「こんな体の芯から温まるなんて凄いわね……それに手足の筋肉がほぐれていく感じがわかるわ……」
「……極楽」
「これなら毎日でも入りたいかも! でも一度湯を張るのに1センチ魔石を二個使うのはちょっと辛いかもー……」
三人どころか五~六人が入っても余裕がありそうな浴槽に肩まで漬かり、口々に感想を言い合うエリーシア・サラ・シンディの三人。
「あたしなんか魔石を使い捨てにするような魔道具すら初めて見たわよ。よく考えたら魔石を集めて売ってるものの、使い道についてほとんど知らないわ」
「主に魔道具の動力、稀に大規模魔術行使の際の魔力供給。他は知らない」
「魔道具自体あまり一般に広まってないからねー、高すぎるんだよー。魔石も買おうと思うとアタシらがギルドに売ってる値段の三倍だしー、この風呂も薪で沸かすこともできるみたいだから、薪も集めておくと良いかも? 毎日入って綺麗になってレイアスくんを悩殺かも!」
そう言いながらシンディは、程よく膨らんだエリーシアの胸を背後から両手で鷲掴みにする。
「ちょ、ちょっとシンディ!?」
「やわらかくて良いかも? アタシ筋肉質だから硬いんだよねー」
「……あるだけ、マシ」
ざばあっと音を立て、ほぼフラットな体の正面を見せ付けるように浴槽内で立ち上がる半目のサラ。シンディはそっとサラから視線を外しエリーシアから離れていった。
「で、でもサラは十三歳になったんだよねー、まだ成長するのはこれからかも?」
「……いつかレイを、悩殺」
両手で平らな胸に手をやるサラの体も地人族の血を引く者の特徴として筋肉質であり、シンディと同じように余計な肉がほとんどついておらず、寄せて集めようとするも集める肉の少なさに肩を落とし浴槽へと体を沈める。
「そういえばシンディってここアトリオンの生まれじゃなかったっけ? ご両親には会いに行った様子無いけどいいの?」
「あー…もうどっちもいないかも? アタシの両親ってプロセニア王国から逃げてきたんだよー。その時の傷が原因で父さんはアトリオンについてすぐ、母さんはアタシを生んで間もなく、ね。父さんの知り合いってゆーおじいちゃんに育てられたんだけど、おじいちゃんも十年以上前に死んじゃってから冒険者やってるんだー。クイーナに会ったのはその後すぐかも」
エリーシアはいつも明るいシンディの表情が僅かに曇ったことに気付き、シンディを抱きしめようと手を伸ばすが、一瞬早くサラがシンディに抱きついたためエリーシアは二人まとめて抱きしめることになった。
「……私の両親も、プロセニアから逃げてきた……母はその時に亡くなったと聞いてる……」
「サラもプロセニアからの移住なんだね、一緒かも?」
抱き合うサラとシンディに掛ける言葉が見つからず、エリーシアは両手を広げ二人まとめて抱きしめ続けるしかできなかった。
「そ、それはそうと二人はレイアスくんと何か進展あったかな? 彼ストイックだからねー、どんどん押さなきゃ駄目かも?」
暗い雰囲気を吹き飛ばそうと、いつも通りに振舞うシンディが話題を変えるが、エリーシアとサラは表情を更に暗く沈めて小さく首を振る。
「ううん……多分押しても、駄目。ねえ、レイアスがなぜ魔人族や生命魔術を求めてるか、知らないでしょ? あたしもよ……レイはストイックというより『これ以上は踏み込むな』という線があるの。多分生命魔術を求めることと関係があると思うのだけど……」
「確かにそんなところあるかもー? エリーは幼馴染なんだよね、レイアスくんっていつからそんな感じなの?」
エリーシアは少し考えると、両手で自分の肩を抱き僅かに体を震わせると、目に涙を浮かべる。
「……多分、出会ったときから。昔からレイは感情を表に出さないの……本気の感情を見せたのは、塾で友人から『無理をして良い子を演じてる』って指摘されたときと、ゴブリンリーダーに一人で突っ込んでいったときくらいしかないわ……でもね、レイ……一人だと、笑ってる時があるの。あたしあんな笑顔見たこと無い……一人で、レイが、『レイアスと』話しながら笑ってるの……ねえ、どういう事だと思う? あたしね、それを初めて見たのはシンディと会う直前だったの。……あたし、レイを一人にしちゃいけないって思ったわ。それからシンディとオーウェンがパーティーに入ってくれて、おかげで自然とレイを一人にしないよう、拠点を借りることができた。……それでも、目を離すと今でも『レイアスと』会話してるわ! 気取ってみたりおどけてみたり真面目だったりと口調も安定しないし、一体レイに何がおこってるのよ!?」
そう言って瞳から涙を溢れさせるエリーシアを、サラとシンディが両側から抱きしめる。
「私も、見たことある。レイが、レイと、話すとこ……」
「レイアスくんの独り言は見たことあるけど、自分自身と話していたのは気付かなかったかも……」
二人に抱きしめられてエリーシアは落ち着きを取り戻したのか、涙をぬぐうと二人にありがとう、と礼を告げる。
「だからね、一刻でも早くレイが目的を遂げられるように手伝うって決めたの。あたしをかばってレイが怪我をした日に自分に誓ったの、今度は私がレイを守るって」
「私も、母様と同じ黒髪を綺麗だって言ってくれた事は忘れない。私もあの一言で救われた。今度は私が、レイを救う」
「レイアスくん愛されてるわねー……じゃあ貞操の危機を救われたアタシは貞操を捧げちゃうかも!?」
「な! ちょっとシンディ、い、いくらなんでも飛躍しすぎ……てゆーか、いつから!?」
「一緒なら、嬉しい。でも抜け駆けされると、悲しい」
「さーていつからだっけかなー? 最初からだったかも!?」
エリーシアの表情に悲しみ以外のものが戻ったことを確認したシンディはそのまま三人で浴槽でじゃれあい、結局全員がのぼせる寸前まで入ってしまう。レイとオーウェンが入る頃にはすっかり冷めて、四分の一ほど減ったぬるま湯が残されることになった。
「レイ、親父からの依頼内容の確認は済んだか?」
「ああ、一週間のうち火風の二日を魔術の使える中隊長・小隊長への訓練、土水は魔術師隊への訓練……どっちも二百人だそうだ。教導の補佐らしく主に模擬戦と魔物に対する戦い方のレクチャーが役目だとさ。残り木金の二日は休みで月の報酬が金貨六十枚だから破格ではあるけど、たまに近場で狩りをしないとこの風呂を維持できないかもしれないなー……ふー……」
少ないお湯でも全身を暖めようと、浴槽に半ば寝そべるレイアスとオーウェン。
「それにしても風呂とは珍しいじゃねえか、レイが何かにこだわるとこなんて水麦見つけたとき以来だろ。いつもは目的以外興味無い、って感じなのにな。三人娘全員に好意寄せられてるってのに興味示さねえしよ? ……まさか男色じゃねえだろうな?」
「んなわけないだろ、普通に女の人が好きだよ。必死に抑えてんだから煽るなよなー」
「……なんで抑える必要があるんだ?」
突然低い声を出してオーウェンはレイアスへと向き直り、腹の辺りまでしかお湯が届いていないが構わずに浴槽の底に座る。
「何で、って……今は、駄目なんだ。先にやらなくちゃいけないことがある。それをしないと……きっと皆幸せになれない」
「理由は話せねえのか?」
オーウェンはレイアスの返事を待つが、いつまで待っても返事をする気が無さそうだと判断し深くため息をつく。
「嬢ちゃん達の事を真剣に考えての事だろうな?」
「ああ、それは誓っていい」
「そんならいいや。全部終わったらちゃんと聞かせろ。それまで勝手に命投げ出すような真似するんじゃねえぞ? せめてオレの盾が届くところにいろ、きっちり守ってやるよ」
「ありがとう、オーウェン。頼りにしてるよ」
そう言ってレイアスは微笑むと、先にあがるよと声をかけて風呂を出る。オーウェンはそのレイアスの背を見送ると再度体を浴槽に沈め、先ほど微笑んだレイアスの表情に宿る寂しさの理由について考えようとする。
(思えば最初からおかしなガキだったな。考えなしに喧嘩を売ってきたかと思えば存外強かで、毎日の鍛錬も欠かさず女に囲まれてるのに見向きもしないストイックさを持つ、まるで目的以外興味無さそうに振舞う。かと思えば水麦を見た時みてえに消えてしまいそうなほど沈んだり、実際見てねえが子供を殺したゴブリンに一人で突っ込んだり……あれはあとから報告書とは違う真実を聞かされて肝を冷やしたぜ。……あいつの心は、いったい何に縛られてんだ? たかだか十四歳のガキの分際で何を背負ってやがる……くそっ!)
いくら考えても答えの出ないことにイラつき、勢い良く立ち上がるとオーウェンも風呂を後にする。
レイアスとオーウェンが風呂に漬かっていた頃、エリーシアとサラとシンディは厨房に立っていた。前もって市場から様々な食材を仕入れ、ここで調理しようというのだ。
「確か挽いた肉と卵と球根ねぎとパンの欠片を砕いて混ぜるんだったわね。サラは窯の火を見てて、シンディは野菜サラダをお願いね」
エリーシアはレイアスから聞いた様々なレシピの中から、比較的食材の揃いやすい『ハンバーグ』というものを作ろうとしていた。聞いたとおりに形を整え中に火が通るよう、窯に入れ弱火で長時間火を通す。
「レイ、正直に言って頂戴。あなたが文献で読んだというハンバーグと何がどう違うのか」
レイアスはカトラリーに乗せられて食卓に出された焼いた挽肉の塊を前に、わずかに瞳を潤ませていた。ハンバーグとは似ても似つかないものではあったが、エリーシアが覚えていて、作ってくれようとした事実が嬉しかったのだ。
「ありがとう……エリー……」
レイアスはボロボロに崩れたハンバーグもどきにナイフを入れ、フォークを使って口に運ぶ。
「……多分、形を整えるときに空気を抜かなかったから崩れたんだと思う。パサパサで肉汁が無いのは、何でだろ……ハンバーグってのは切ったときに中から肉汁がじゅわーって溢れて出て来るんだ……」
エリーシアは書字版にレイアスの言葉をメモすると、サラと二人で調理工程についてどこを見直すべきかああでもないこうでもないと話し始める。
「……見てなさいよ、レイ。今度は絶対美味いって言わせてやるんだから!」
「頑張る……」
その二日後ではあったがエリーシアとサラは宣言通り、ほぼハンバーグと言って良い代物を作り出し、レイアスを感動させることに成功する。それどころかその後もピザ・唐揚げ・カツレツをレイアスの記憶とほぼ同じものを作り出し、これらの料理にはレイアスのみならずオーウェンやシンディまで打ち震えるような感動に身を包んでいた。レイアスはエリーシアとサラに心の底から感謝の言葉を伝えるが、直後に驚くべき言葉を聞くことになる。
「ハンバーグや唐揚げ・カツレツに使う卵が一個で金貨一枚、ピザのチーズが五人前で金貨八枚、唐揚げとカツレツに使う油が一回の調理につき金貨二十枚よ。……王様からの依頼の開始は三月からだったわね? それまでの半月狩りに行くわよ!」
顎が外れるんじゃないかと思うほど口を大きく開けて呆然とするレイアスとオーウェン。エリーシア・サラと共に市場に食料を買いに行っていたシンディは知っていたため、苦笑いを浮かべているだけだった。
「お、王族でもそんなに食費かけねぇぞ……?」
「エ、エリー……? サラ……? アトリオンに着いてから今日まででいくら使ったんだ……?」
「考えたくないわ!」
ドヤ顔のエリーシアとサラを見るレイアスの表情は、呆れもあるがそれ以上に嬉しそうな様子であった。
その夜エリーシアとサラは『嬉しそうにレイアスに報告するレイアス』の姿を目撃するが声をかけることはできず、悲しさと悔しさを募らせていた。




