2章 第9話N 魔王ナナ
拳王都市に到着したナナとセレスは、空を駆けるぱんたろーに騎乗したまま、都市中心部の一際大きな建物の前へと降り立った。そこにはナナを待ち構える二人の人影があり、小さい方の人影はぱんたろーを見つけ大きく手を降っていた。
「姉御! おかえりなさい!!」
「随分早かったじゃねぇか。つーか何でその虎、空飛んでんだよ、デタラメすぎだろ。……光人族は見つかったようだな?」
「何じゃおぬしら、こっちに戻っとったのか。リューンに話をしたら魔導都市まで跳ぶつもりじゃったが必要無さそうじゃのう。この娘は光人族のセレスじゃ。光人族と魔人族で協力できぬかと思ってのう、向こうの集落長が乗り気じゃったので使者として連れてきたのじゃ。セレスよ、このでっかいのが拳王ダグ、ちっこいのがリオじゃ。セレスとリオは歳も近かろう、仲良くしてくれると嬉しいのじゃ」
「よろしくおねがいします~、セレスと言います~」
セレスは一歩前に出て、リオ・ダグと握手を交わしている。
「リオだよ! ナナの姉御の側近だよ、よろしくね!」
「ダグだ。それともう拳王じゃねえ、ナナの側近の一人だ。詳しいことはリューンと話してくれ。ナナ、アルトも準備が済んだらこっちに来るってよ。何でもナナが活動する拠点には地理的にこっちの方が良いだろうって」
「何じゃ、アルトまでこっちに来るつもりか。あやつも魔導王と呼ばれておる割に自由じゃのう、ダグと変わらんではないか」
ナナは呆れた声を上げるが、それを聞いたリオはけらけらと笑い声を上げた。
「姉御、アルトも姉御に負けたから魔導王やめるってさ!」
「アルトも俺も、実際に都市を治めてんのはリューンとイライザだからな。そもそも俺達の言う『王』ってのは戦力としての象徴なんだよ」
「ナナ様、おかえりなさいませ。お姿を見た住民が興奮状態になりつつありますので、立ち話もそれくらいにしてどうぞ中へお入り下さい」
建物前でわいわい話していると、中から出てきたリューンに叱られる一行であった。周囲を見ると確かに野次馬のように住民が増えてきており、中には魔王さまだ、魔王さまちいさい、魔王さまかわいい、などと話している者も多く、ナナは首を傾げながら「拳王と聞き間違えたかのう」と呟き建物へと入っていった。
中に入るとリューンとセレスを合わせ光人族との融和について話すと、あっさりと受け入れられて拍子抜けするナナとセレス。話によると光魔大戦から既に二世代三世代と重ねており当時を知る者は無く、何より光人族より瘴気で凶暴化した魔人族の方がよっぽど危険であると、全員が実体験として理解していることが理由らしい。ナナは融和についての話を二人に丸投げすると、もう一つの転移魔法陣を持って姿を消した光人族の一団について、情報を集めるようリューンにお願いする。
「ナナ様。私もナナ様の側近と自負しております。お願いなどではなく、はっきりとご命令頂けないでしょうか」
何故か叱られて仕方なく情報収集を命ずるナナ。しかし知らぬ間に側近が増えていた事実に僅かであるが嫌な予感がするナナであった。
ナナのために用意された自室へと案内された際、魔銀・魔鋼や珍しい金属類や作業台などを持ってくるようにメイドへお願いする。一通り揃ったところでヒルダ邸の地下にあった作りかけの最上級ゴーレムを空間庫から取り出し作業台の上に横たえ、用意してもらった金属類ごと右手から出したスライム体で全体を覆う。
金属の分解・吸収と再構築は時間が掛かるが、手で加工を行えるほどの技術も無いため仕方がない。それに情報が集まるまで待つ必要があるので時間もあるのだ。しばらくそうしてキューの力を借りながら未完成な骨格の形成と神経となる魔銀糸の加工をしていると、部屋に近付く二人の存在を感知する。
「姉御! 湯浴みしよう!」
ノックとほぼ同時に開けられた扉から、まずリオが顔を出した。
「必要ないのじゃ」
「えー……あ! スライムか!!」
リオは悲しそうな表情を浮かべた後、作業台を覆う大量のスライムを見て、湯浴みの必要がない理由を悟ったようだった。
「あら~、どういうことかしら~。わたし、ナナちゃんとリオちゃんと一緒の湯浴み、楽しみにしてましたのに~」
次いで顔を出したセレスが、こちらも悲しげな表情を浮かべてリオを伴い部屋へと入ってきた。
「うん、前に姉御のスライムで服を洗ってもらったり、古傷を直してもらっりしたんだ、その時に体も綺麗にしてもらったの」
「あら、生命魔術で作ったスライムかしら~? いろいろ出来るのねぇ」
「リオよ、その後傷跡はどうじゃ? 変わりないか?」
「うん、最初の三日くらいはちょっと肌が突っ張る感じがしてたけど、今はもう全然平気だよ、ほら!」
するとリオはナナが止める間もなくあっという間に上着を脱ぎ去り、動けないナナへと近付いて行く。
「リオ!? いちいち出さんでよいのじゃ、服を着ぬか!」
右手の空間庫を開けっ放しにして出しているスライムが作業台を覆っているため逃げることもできず、仮面の前に慎ましやかな二つの膨らみを突きつけられるナナ。
「あら~、リオちゃんもナナちゃんから貰った下着かしら? ねえナナちゃん、これナナちゃんが作ってるのよねぇ? 一体何でどうやって作ってるのかしら?」
セレスはリオが脱ぎ捨てたキャミソールを拾い上げると、ナナへと笑顔で詰め寄った。
「わ、わしが蜘蛛の糸で編んだものじゃ。……リオ、ポーチから洗濯物を出すでない脱ぐでない服を着ろと言うとるじゃろうが悲しそうな顔をするでないっ!」
「洗濯物って~?」
「うん……前に姉御がスライムで洗濯してくれたから、またお願いしたかったんだけどなー……」
ナナはパンツ一枚で悲しそうな顔のリオから顔を背ける。すでに視覚情報を遮断して魔力視のみに切り替えているため必要はないのだが、習性というものであろう。
「あら~、そんな便利なことまでできるのねぇ。この時期寒いから、洗い物は大変なのよねぇ。手も痛くなるし……」
「ああもう、わかったのじゃ! ちょっと待っておれ……ほれ」
ナナは空間庫の口を左手にも繋げると、そこからバスタブ一杯分くらいのスライムを噴出させる。
「洗い物はここに入れると良いのじゃ、綺麗にしておくのじゃ」
ぱあーっと明るくなるリオの表情に、やれやれといった感じで首を振るナナだが、次にリオが取った行動は流石に予想していなかった。
「リーオー。おぬしは何故洗濯物を抱えて一緒にスライムに飛び込んでおるのじゃ!」
「え、駄目……だった?」
ナナの声に驚いたパンツ一枚でスライムに飛び込んだリオと、同じように洗濯物を抱えてスライムに飛び込もうとした足を止めるセレス。
「……二人揃って悲しそうな顔をするでない……はぁ……今日だけじゃぞ。あとで洗濯用スライムは別に作ってやるのじゃ」
そう言ってナナは左手から出すスライムの量をもう少し増やしてやる。まるで透明なバスタブに水が貯まるように増えていくスライムに、目を輝かせるリオとセレス。しかしナナはスライムの温度調節や制御のみならず、床が抜けないように空間魔術で結界を張ったりと忙しい状況であった。
「あらあら~。スライムに入るなんて初めてだけど、こんなに暖かくて気持ちいいのねぇ……ナナちゃんは入らないの?」
スライムの中で器用に服を脱ぎ全裸になっていたセレスが、ナナの方へ中腰でゆっくりと近付く。つられてリオもナナの方へとにじり寄る。
「おぬしらは、もう少し恥じらいというものをじゃな……おぬしら、わざとやっておるじゃろ」
悲しそうな表情でナナを見ていたリオとセレスだが、ナナの言葉を聞いた瞬間悪戯がバレた子供のような表情を浮かべた。
「綺麗になったのじゃ。スライムから出て服を着るのじゃ」
「えー、姉御もうちょっとだけお願いだよー。この中暖かくて気持ちよくってさー。それになんか姉御に抱きついてる時みたいな安心感? みたいなもんあるしさー」
「あら、わたしも同じ感じがしてましたの~。リオちゃん気が合うわね~」
二人が包まれているスライムこそがナナの本体なのだから当然ではあるが、言葉に詰まるナナ。これがナナ自身であると知ったら二人はどんな顔をするだろう。怯えるか、怒るか、それとも軽蔑するか。元々はその場限りの付き合いだろうと、正体について何も話していなかったが、どんどん状況が変わっていった。いつかは本当の事を全て話すつもりだが、その時が来ることが少しだけ怖くなったナナである。
そして懲りずに悲しい表情を向けてくる二人に根負けして、ナナは右手側のスライムが行っていた作業を中断させて三人でスライム浴びを行うのであった。
「よいかおぬしら。今後わしへの抱きつきは禁止じゃ」
「姉御~ごめんよ~……」
「ナナちゃんごめんなさい、それだけは、どうかそれだけは許して……」
下着姿で仁王立ちするナナと、その前に同じく下着姿で正座するリオとセレス。二人共頭を擦り目に涙を浮かべている。
「調子に乗って、ふ、二人がかりで触るなんて……もう許さんのじゃ」
スライムの中でリオとセレスははしゃぎすぎ、全裸でナナに抱きつきあちこち触ったり撫で回したことで、ナナによりきつい拳骨を食らっていたのだ。
「お、お願いナナちゃん……もうしないから、許して……」
「姉御~、せめて普段は許しておくれよぉ……二度と裸で抱きついたりしないからさぁ……」
「わ、わたしも全裸で抱きつくのはやめるから、普段は許してほしいの~……」
「本当じゃな? 全くおぬしらときたら……ほれ、いつまで下着でおるのじゃ、服を着んか」
「姉御! 許してくれるの!? やったあ姉御ありがとう!」
「ナナちゃんありがとう! ナナちゃん大好きよ~!」
「ええっ! セレスずるい、オレも姉御大好きだぜ!」
「じゃから抱きつくなと言うておるじゃろうがああ」
「「全裸じゃないもん!」」
二人にはナナの二度目の拳骨が落ちることになった。
洗濯用スライムの作成を行うナナ。本来スライムは実用可能なサイズまで成長するのに時間がかかるのだが、最初に食事としてナナのスライム体を与えることで解消し、即時実用可能な状態でセレスに預けてある。
その後大事な用がある時以外は部屋に入らぬように言ってゴーレムの骨格の形成と魔銀糸の加工を行うが、リオとセレスは時折用もないのに様子を見に顔を出したり、ダグは組手を誘ってきたりと、結局ナナの言いつけを守ったのはリューンだけであった。
「失礼します、ナナ様。アルト様が到着なさいました」
「うむ、わかったのじゃ。今行くのじゃ」
ナナが拳王都市に到着してより十日、漸くアルトが合流する。以前殺意を向けてから逃げるように光人族集落へと旅立ったため、少しばかり顔を合わせづらいと思いつつ、最初に謝るべきかどうか考えながら、アルトと他のメンバーがいるという会議室に足を踏み入れる。しかしアルトの第一声を聞いてそんな考えがすべて吹き飛ぶことになるのであった。
「ご無沙汰しております、『魔王ナナ』様」
「はい? ……え?」
「おや、聞いておられませんか? 拳王と魔導王を従える不死王の後継者、魔王ナナ様。魔導都市・魔王都市は勿論、既に存在が知られている全ての集落にも通達を出し、魔王ナナ様の名において争いをやめるよう厳命させてあります。同時にヴァンと光人族に関する情報、地上転移に関する情報も収集するよう、手はずを整えております。現在知られている集落で最も遠いのがヒルダ集落で、連絡員の足でも早くて戻るのは半年先となります。それと先程セレス君から話を聞き光人族との融和の件も承知しており、ギネスが治めるという集落にも連絡員を走らせております」
「待て待て待て待たぬか。突っ込みどころが多すぎるのじゃ。わしが魔王じゃと?」
「はい。まずは魔王ナナ様、どうぞこちらへお座り下さい」
アルトに促されて室内の最奥、上座へと案内されて席に着くナナ。
「ナナ様が旧魔導王都市を出立されたあと、魔導王都市を魔導都市、拳王都市をナナ様の拠点として魔王都市に改名、魔王という呼称については三王の頂点に立つ存在として私が考えました。また、僕……私も側近の一人として、ナナ様のお側に仕えますのでよろしくお願いいたします」
「アルトよ……おぬしに丁寧な口調で言われると何か気持ち悪いのじゃ。普通に話して欲しいのじゃ。先日殺意をぶつけた意趣返しなら謝るから頼むのじゃ……それに魔王とかなんなのじゃ、勘弁して欲しいのじゃ……」
「ああ、そんな事もありましたね。では遠慮なく。ナナさん、この異界での王というものは『知っていると思いますが、地上とは違って』単なる戦力の象徴であり、従う者たちの防衛以外に責任は負いません。統治は全て側近に任せて非常時の戦力として存在するだけでいいんです。それに現在ナナさん以外に王と呼べる存在は無く元拳王・元魔導王を従える魔王ともなれば、争いを挑んでくる愚か者もいないでしょう。それにナナさんの行動の妨げになるどころか情報を集めるのに役立ちますので了承して下さい。それと万が一があった場合困りますので、今後は必ず側近の誰かと一緒に行動して下さい。あ、セレス君も先程ナナさんの側近に加わっています。彼女空間魔術だけではなく水と光の高位魔術士ですね、イライザと良い勝負です」
「そ、そうなんじゃな。……ではヴァンを倒すまでの間という条件なら受けるのじゃ。よろしく頼むのじゃ」
その言葉を聞いて僅かに目を細めるアルト。僅かに考え込む様子を見せるがすぐに顔を上げ、ナナへと笑顔を向ける。
「最後に一点だけ、僕とダグを従えて一度でいいので魔王都市内を歩いて貰えませんか? それでナナさんの魔王就任が事実として周知されます」
アルトの勢いに押されて気がつけばダグとアルトを両脇に従え、ぱんたろーに乗って魔王都市に改名された都市の広場へ向けて進んでいた。後ろからはリューン、リオ、セレスも一緒に行進に参加している。道の両脇には住人が詰めかけているが、ダグとアルトに睨まれ一定以上の距離からは近付いて来ず、適度な距離でナナへと歓声を上げていた。
「魔王ナナ様ばんざーい」
「魔王ナナ様かわいいー」
「魔王ナナ様仮面の下みせてー」
「魔王ナナ様俺と結婚してー」
最後に叫んだ男はアルトに全力で睨まれ逃げて行くのが見えた。ナナは情報を集めるためと我慢して行進を終えると、魔王と呼ばれることの恥ずかしさのあまり部屋に引きこもり、しばらく出てくることは無く、気がつけばナナはこの世界に来て九年目を迎えていたのであった。




