2章 第8話Ce セレス
「……ヴァンは何故、地上へ行こうとしたのでしょう~」
ヒュドラとフレスベルグの肉を腹いっぱい食べて、ギネスとともにナナの待つ家へと戻り、開口一番に疑問を口にするセレス。
「わしは正直に言うと、ヴァンが何を考え、何のために地上へ向かったのかという点に対しては興味が無いのじゃ。奴を追うために必要な情報として調べておるだけじゃからの。……話を聞く限りでは、自分と母親以外の命に何の興味も持たない男だったようじゃがのう。大方ヴァン自身の望みではなく、母親の望みだったのかもしれんの」
ナナにヒュドラ肉の串焼きを手渡そうとするが、断られてしまいしょんぼりするセレス。
「ヴァンの母親の望みなら心当たりはあるぞ。確かあの女は地上界で光魔大戦を戦った両親から、異界に閉じ込めた地上の者達への恨み辛みを聞いて育ったのだ。それと自分を陵辱した魔人族、もしかしたら助けることをしなかった光人族に対しても恨みを抱いておるかもしれんな」
「個ではなく種に対して憎しみを抱くか。下らん」
セレスはナナの言葉に悲しみが含まれていることを感じ、つい手を伸ばして抱きしめてしまう。ギネスはナナを追い払おうとした時の自身の台詞を思い出し、苦虫を噛み潰したような表情をしながら言葉を続ける。
「するとヴァンの狙いは……世界樹かもしれんな。地上の世界樹が異界を作り出し、維持しているのは知っているか?」
「ヴァンの持っておった資料に書かれておったの。世界樹が無くなるとどうなるのじゃ?」
「異界が消滅するだろうな」
ギネスの言葉に沈黙が流れる。しかしギネスは鼻で笑うと、首を軽く横に振る。
「安心せい、わしの知る限り世界樹は一人でどうこうできる代物じゃあない。光魔大戦期の文献によると樹齢数千年とも言われ、木の周りを一周するだけで半日かかると記されていた。それに地上人にとっても大事なもんだ、世界樹がないと瘴気を浄化できなくなって人族の住めない土地になるぞ。ヴァンの狙いが世界樹で合っていたとしても、狡猾なヤツのことだ。何年も準備して行動を起こすだろうよ」
「現在の地上の状況がわからんからのう……目的に関しても想像に過ぎぬが、早いほうが良いのは間違い無さそうじゃな。地上人がどれだけヴァンの行動を阻めるか、期待する他無いのう。……それで、転移術について聞きたいのじゃが」
セレスの豊満な胸に横顔を埋めたまま、何事もないかのように話を続けるナナ。
「地上への転移魔法陣は二つ存在した。転移門を開く魔法陣と、自身を転移させる魔法陣の二つだ。一つはヴァンが、もう一つは五百年以上前に集落を出た別の一団が持って行った。そいつらは今どこで暮らしているのか、まだ生きているのかすらもわからん。どちらの魔法陣も膨大な魔力が必要で、誰も起動できなかったのだ。それと残念だが今同じ物を作れる術士は存在しない。そもそも転移魔術自体が失われた術に等しく、わしもセレスも使えんのだ」
「転移魔術が使えれば作れるのかのう?」
「必要なものが揃っていればな。まず転移魔術の術式を魔法陣に起こせる技術だ。そして行ったことのない場所への転移に必要な転移先の空間座標だ。ヴァンが使った転移魔法陣が残っているなら、魔法陣に座標が記されていよう」
それを聞いて首を横に振るナナ。セレスが胸を押し付けているので首を振りづらいようだ。
「ではもう一つの転移魔法陣を探すしか無いな」
「そうじゃな……転移魔術についてはわしが使えるから問題は無いのじゃ。戻って魔法陣を作る練習をしながら、もう一つの転移魔法陣の行方を探すとするかのう。光人族を見つけたらおぬしにも知らせるのじゃ。ヴァンを倒した後になるかもしれんがの」
それを聞いたギネスは驚愕に目を見開いた後、少し考えたかと思うと姿勢を正しナナへと向き合う。
「……ナナ殿。この度は数々の無礼、本当に申し訳なかった。魔人族は好戦的で争いを好むと聞いておったが、ナナ殿を見て考えが変わった。これからはナナ殿の言う通り、出来る限り『個』を見て判断しようと思う」
そう言って深く頭を下げるギネス。
「ああ、構わん構わん。わしも魔人族については同じように聞いておったからのう。拳王都市にも魔導王都市にも平和的に暮らしておる者が数多くおったでの、わしもつい先日疑問に思ってアルトに聞いたばかりなのじゃ。どうも闇の瘴気の影響で好戦的になる者が多いだけらしいのじゃ」
「そうだったのか。魔人族にも平和的に暮らす者がいると聞き、安心したぞ……ナナ殿。今日はもう遅い、あばら家ですまぬが泊まっていくと良い」
「いや、わしは転移で帰れるゆえお構い無用なのじゃ……セレスよ、離してくれぬかのう?」
転移で帰ると言ったその瞬間、セレスはナナを捕まえるようにその頭に手を伸ばし、豊満な胸へと引き寄せ抱きしめた。
「ナナちゃん、今日は泊まって行くべきだと思うわ~。ヒュドラとの戦闘でたくさん魔力使ったでしょ~?」
そう言って有無を言わせずナナを部屋へと連れ去るセレスであった。
(本当に不思議な子ねぇ。さすがにわたしより歳上ということは無いと思うのだけれどぉ、こんなに小さいのにヒュドラは倒しちゃうし、見たこともない魔術で巨人を作ったり空を駆ける虎を操ったかと思えば、泣きそうな声でヴァンを追う理由を話したり……。ヴァンのせいで人生を歪められたのはわたしも同じだけれどぉ、ナナちゃんほど強い恨みは感じたことは無いのよねぇ。多分おじいさまだけでなく集落の皆が家族のように目をかけてくれたおかげだと思うのだけれど……。ナナちゃんは、その家族を奪われたのねぇ……今は楽しさも幸せも全部憎しみに変わっちゃうなんて、そんなのが続いたらナナちゃんが壊れてしまうわぁ。ヴァンを殺してそれで終わりならいいのだけれど、それまでナナちゃんの心がもつのかしらぁ……)
「セレスよ、眠れぬのか?」
セレスの隣で見たこともない下着姿でベッドに横たわるナナが、自分を見つめる視線が気になったのか声をかけてきた。
「ナナちゃんがヴァンを倒した後にしたいこと、聞いてもいいかしら~?」
セレスは見たことの無い下着の布地の感触を楽しみながらナナへの質問を口にする。
「そうじゃな……まずは旅行じゃな。地上にあるという世界樹も見たいし、海も見たいのじゃ。可愛い動物も探したいのう。それと美味い果物も探してお菓子を作って……あんっ……」
ナナの下着の手触りを確認するうちに、ナナの胸に伸びていた手が小さくて硬い突起に当たり、ナナが艶めかしい声を上げた。僅かな沈黙の後、ナナは慌てて逃げるようにベッドの端まで飛び退いてしまう。
「セ、セ、セレス!? そ、それはいかんのじゃ!」
「あら~、ナナちゃんごめんねぇ。とても心地良い肌触りだったから、触っているうちに手が滑っちゃってぇ。でもそんな小さいのに、しっかり反応するのねぇ、ナナちゃん可愛いわぁ」
仮面のせいで表情は見えないが、ナナは相当慌てているらしい。ヴァンへの怒りに染まらぬように少しでも気が紛れてくれればという思いもあったが、それ以上にあまりの反応の可愛さにセレスも昂ぶりを覚えていた。
「そ、そんなに気に入ったのなら、よ、予備をあげるのじゃ」
そう言ってナナが空間庫から取り出したのは、ナナが着ている物と同じ形ではあるが、だいぶ大きな物であった。礼を言って受け取るとその場で服を全て脱ぐ。薄明かりに一糸まとわぬ肢体が浮かび上がるとナナは慌ててセレスに背を向けた。
「あらあら~。女同士なのに背中向けちゃうなんて、わたしちょっと悲しいわぁ。目を背けたくなるような体なのねぇ~」
「ち、ちがうのじゃ! その、とても綺麗なのじゃ。ただ、ちょっと、その……恥ずかしい! そう、照れておるだけなのじゃ!」
しどろもどろに言い訳をするナナの背中に抱きつくと、素肌の胸がナナの背中に当たり、直に下着の感触が胸へと伝わる。そのままナナが硬直しているのをいいことに耳元へと顔を寄せる。
「あら~、綺麗だなんてわたし嬉しいわ~。嫌われちゃったかと思ったのよ~。それにしても本当にいい肌触りね、これ……んっ……はぁ……」
「ふ、服を着んかああああ!」
ナナの背中に当てていた胸の先端が肩紐に引っかかり、つい声を出した瞬間にナナに逃げられてしまった。渋々ナナから貰った『きゃみそーる』という下着を身に着けるが、着用すると適度な締めつけがとても心地よい。もう一枚の小さな布切れはパンツだと言っていたが、これはとても小さくお尻が入るのか心配ではあったのだが、びっくりするほどの伸縮性があり、これもとても気持ち良い締付け加減であった。
「こ、これで良いじゃろ、もうわしの体……キャミソールをまさぐるでないぞ。今度触ったら……問答無用で転移で帰るのじゃ」
「え~、ナナちゃんそんなこと言わないで~」
小さなお尻を向けて返事すらしないナナだが、そこに怒りの気配は感じない。それに少しだけ安堵するとナナの隣で横になり、小さなお尻と背中、そしてナナの顔に嵌められたままの仮面へと目をやる。
(この子の心は脆いわ……強さと外見と心のバランスが悪すぎるのねぇ。とても危ういわねぇ、何とか力になってあげられないかしら~。……それにしても本当に可愛らしいわ~♪ 仮面の下はどうなっているのかしら~。でも手を出すと本当に転移で帰ってしまいそうなのよねぇ。ああ、あの可愛らしい小さなお尻、細い腰……ああ、これ以上見ていたらまた手が出ちゃいそうだわ~、いけないいけない)
「ナナちゃん、おやすみなさ~い」
ナナはぴくっと体を震わせたが、返事をすることは無かった。
翌朝目が覚めるとナナは既に着替えており、出立の準備が整っていた。慌てて支度を整えナナと一緒に部屋を出ると、おじいさまも既にテーブルについてわたし達を待っていた。そのテーブルには何枚もの羊皮紙が並べられている。
「おはよう。ナナ殿、セレス。……役に立つかわからぬが、光魔大戦の記録と五百年前にもう一つの転移魔法陣を持って集落を出た者の記録だ。光魔大戦の記録は光人族側の視点で書かれている。どちらも持ち出しは許可できぬが何かの役に立つかもしれん、一度目を通しておくと良い」
「おはようなのじゃ。これはありがたいのじゃ、早速読んでも構わんかな?」
おじいいさまの許可を取ったナナは、一心不乱に羊皮紙を読みふけっていた。
光魔大戦。その戦争は選民意識の強い一部の光人族が、当時確立されて間もない生命魔術の適正を持つ魔人族を妬むあまり、人口の多い野人族を唆して魔人族への迫害を行った結果、魔人族が自衛のため戦争へと身を投じた事が発端であった。
魔人族は光人族の影響力が強いイルム大陸から、人口の少ないエスタニア大陸へ種族ごと移住し、徹底抗戦の構えを見せていたところ、光人族の大規模魔術によって世界から切り離され、ほぼ全ての魔人族は現在の異界へと飛ばされた。
その際エスタニア大陸に住んでいた力ある魔物や亜人族のみならず光人族までもが巻き込まれ、異界へと閉じ込められたのであった。そして長い時の中で光人族は狭い結界の中での生活を余儀なくされ、魔物や他種族との争いの中で人口を増やすことも出来ずに衰退の一途を辿っていた。
「良かったのかのう? 光人族側に非があったことを認めるような記録をわしに見せても」
「ああ、問題ない。それにナナ殿は種ではなく、個を見るのであろう?」
光魔大戦の記録を読み終わったナナが顔を上げ疑問を投げかけるが、おじいさまは軽く笑って答えを告げた。
「ふむ、一本取られたようじゃな。それと転移魔法陣を持った移住者の行方か……これは当時の集落長の日誌のようなものじゃな。これによると西または南西方面へ向かったか。これならだいぶ行き先が絞れるの、礼を言うのじゃ」
「見つけたら、教えてくれるのだろう? わしも出来る限りの協力をすべきであろうと思ったのでな」
「それにしても……魔人族も、人口の減少に頭を悩ませておったわ。今の魔人族の指導者は、争いを収め平和的な繁栄を目指す者じゃ。おぬしらにその気があるのであれば、手を取り合うことも可能かもしれんのう」
「魔人族の指導者ですかぁ……拳王と、魔導王、でしたっけ?」
「そうじゃな。で、どうじゃ? 良かったらわしの方から二人には口添えしておくのじゃ」
その時おじいさまの顔から血の気が引いていく様が見えた。
「噂に聞く魔導都市の王の名は、アルト……昨日確かにナナ殿の口からその名を聞いたような。まさか……それに、ヒルダと言う名にも聞き覚えが……? まさか不死王の……」
「なんじゃ、知っておったか。いかにもアルトとは魔導王アルトじゃ。ヒルダも不死王と呼ばれておったな。ヒルダも戦うことが嫌いなくせに、光人族にまで名が知られておるとはのう」
「では、ナナ殿は……不死王に育てられ、拳王や魔導王とも知己を得ている、と……?」
「あー……わしはどうやら当代の拳王らしいのじゃ。先日ダグに勝利したゆえのう」
「……ナ、ナナちゃん、戦うことが嫌いって言ってなかったかしら~? それなのに拳王と戦って勝ってるって、冗談……では、ないわよねぇ」
「ヴァンの情報を得るためじゃ。それに嫌いとは言ったが、必要とあれば戦いもするし殺しもする。そうならないのが一番じゃがのう」
開いた口が塞がらないとはまさにこの事だ。しかしこれは……良い口実ができた。
「ナナちゃんは信用できるけど~、他の魔人族の人達と友好関係を結べるかどうか、確認する必要があるわよね~?」
「あ、ああ……そうだな。ナナ殿、すまないが多数の命を預かる身、ナナ殿の言葉だけを鵜呑みにして行動を起こすわけにはいかん。魔人族との和解をするにしても、先のヴァンの襲撃で家族を失った者もいる。その者達にはわしから直接事の経緯を話し、筋を通した上で事を進めなければならん。しばし時間が必要だ」
「勿論じゃとも。問題は無いと思うのじゃが、わしもまだアルトやダグに話を通しておるわけではないからの。とりあえずおぬしとしては、魔人族との和解に賛成であると見て良いのじゃな?」
おじいさまが深く頷いた、今が絶好の好機である。
「それじゃあ使者を立ててぇ、魔人族の暮らしぶりも見なければいけませんねぇ」
「ああ、そうだな」
「それなりに発言力のある人が行かないといけませんよねぇ」
「集落の皆にある程度信頼されていなければ意味はないな」
「万が一の事を考えてぇ、逃走できるだけの力もあった方がいいですよねぇ」
「ああ、そうだな。となると相当限られて……はっ!?」
隣に座る小さなナナの体を勢い良く抱きしめ、言葉を続ける。おじいさまに意図を気付かれたようですが、もう言質は取りました。
「ナナちゃ~ん、使者としてわたしを一緒に連れて行ってくださ~い」
「セレス!? 駄目だ! お前は集落から出るのはまだ早いぞ!」
「断るのじゃ。セレスを連れて移動しては時間がかかるでの」
二人からダメ出しされても諦めない。ナナの危うい心が壊れないよう守りたいと思ったのだ。
「それなら勝手に拳王都市に向けて一人で旅に出ます~。半年もあれば着くわよねぇ? 空間庫に水と食料た~っぷり入れて行きますから、大丈夫です~」
それから小一時間二人の説得を受けるが頑なに意見を変えずにいた結果、とうとうナナが折れた。
「仕方がないのう。わしのぱんたろーに乗ればおよそ四~五日で着くのじゃ。わしは慣れておるが、以前後ろにリオという娘を乗せたのじゃが、長時間乗っておるのは辛いらしいぞ? それに空中で戦闘になることもある。真っ直ぐ拳王都市に向かうとわしがここまで来たルートとは別のルートになるでの、どんな危険が待っておるのかもわからん。それでも良いなら着いてくるのじゃ」
「ナナちゃんありがとう! 大好きよぉ」
無理を通せばナナなら受け入れてくれ、同時に迷惑を掛けることも承知の上だった。この危なっかしく可愛らしい子の力になってあげたい。迷惑をかけた分、これから頑張らなければ。そう決意を新たにするセレスであった。
「あら~、これは凄いわねぇ~……」
白虎の『ぱんたろー』を紹介されてナナに抱きつくよう後ろにまたがると、ぱんたろーは軽快に空を駆けていった。みるみるうちに遠ざかる、自分が育った集落の姿に一抹の寂しさを感じたものの、それ以上に初めて見る空からの景色と風を切る速度に、興奮を隠しきれなかった。
「万が一があるでの、あまり高度は取らぬ。辛くなったり用を足したくなったら言うのじゃぞ、一度降りて休憩するのじゃ」
胸の間に後頭部を埋めているナナが、身動ぎせずに放った言葉はセレスに対する気遣いであり、セレスはそれをとても嬉しく感じていた。そして速度が上がるにつれ、顔に当たる風のせいで息苦しくなってくるが、唐突にその息苦しさが消え、風を受けて暴れていた髪も静かに垂れ下がった事に驚く。恐らくナナが何かしたに違いないと、胸の間に見えるナナの頭部に頬擦りする。
ナナの下着や肌も心地良かったが、特にナナの白い頭髪は柔らかくフカフカでずっとこうしていたいという衝動に駆られる。
「あ~、やめんか……風よけに結界を張っただけじゃ」
「やっぱりそうなのねぇ、ナナちゃん優しくて大好きよ~」
照れている様子ではあるが、嫌そうな雰囲気やヴァンに対する怒りの様子も見受けられない。ヒュドラを倒して食料までくれ、集落の皆の命を救ってくれたナナへの、わたしが出来る精一杯の恩返し。そしてわたしの両親の仇でもあるヴァンを討つナナへの手伝い。そして――
(ああ~、やっぱり可愛いわぁぁぁ)
自身の趣味である。
特に大きな戦闘もなく、ナナとセレスを乗せたぱんたろーは西北西へと空中を駆け続け、四日目の午後には拳王都市へ到着するのであった。




