2章 第5話N 拳王ナナ
決闘を終えて広場を出ると拳王都市住民のナナを称える歓声に迎えられたナナだったが、リオにお姫様抱っこをされたまま固まっており、歓声に応えることもないままリューイが案内した建物に運ばれていった。
リューイが好きに使うようナナ達に与えた部屋には、大きなベッドが一つとソファー・テーブル・クローゼットが置いてある客室と思しき部屋だった。リオにベッドに降ろされやっと再起動したナナは、飛び跳ねるようにベッドから降りてソファーへと向かう。
「な、姉御! 急にそんな動いて平気なのかよ!」
慌てたリオの伸ばした手をかいくぐり、ソファーへと腰掛けるナナ。
「問題ないのじゃ、それより着替えたいのじゃが……」
「あ、うん。手伝うよ!」
「あ、いや、そうではなくてじゃな……」
結局諦め、未だ修復が終わらず右肩の動きが悪いこともありリオの手伝いで全身着替えを行うことになった。
「わあ……姉御、可愛い下着……それに何この素材! 柔らかくて触り心地も良い……」
「リ、リオ!? わしのパンツに頬ずりするでないっ!」
散弾がかすめて穴が空いてしまったパンツを慌てて取り返し、空間庫の替えの下着を取り出して素早く身に着ける。ズタズタのキャミソールとニーソックスも着替えるとナナは空間庫にしまってあるスライム体をドラム缶一本分ほど取り出し、その中にコート・ホットパンツ・ブーツを投げ入れ破損部分の吸収と再構築を行う。
「姉御、これスライム? すげー、オレこんなでっかいスライム見るの初めてだよ。それにこれ、何してんの? 洗濯? 姉御、オレの服もお願いしていいかな? あちこち血が固まって凄いことになってるんだ、頼むよ!」
言うが早いか素早く服を脱ぎ躊躇いなく全裸になりスライムに衣服を全て突っ込むリオ。
「リオ、おぬしはもう少し羞恥心というものをじゃな……」
ナナは断る間も与えないリオの行動に驚きついつい凝視してしまうが、慌てて視覚情報を遮断し魔力視のみに切り替える。輪郭は視えてしまうが、普通に見てしまうよりマシだろうと自分で自分を納得させる。
「うるせーぞお前ら! 騒ぐ元気があるんならこっちで説明の一つくら……い……何だこれ?」
その時大きな音をたてて部屋の扉が開かれた。そこに立っていたの赤いリーゼント頭の長身男性、ダグは目の前に広がる黒い霧のカーテンに驚いていた。ナナの魔石視と魔力視はは薄い壁の向こうを歩くダグの魔石と姿を捉えており、部屋の前に立った瞬間に闇の魔素を集め間一髪のところで視界を遮ることに成功していたのだ。
「闇魔術で視界を遮っておるだけじゃ。ところでダグよ、おぬしは乙女の着替えを覗く趣味があるのか? そこから一歩でも中に入ったら……」
そう言ってナナは闇のカーテンの向こうに散弾筒の銃口を突き出す。
「わるかった! やめろそれをこっちに向けるな!!」
慌ててドアを閉め逃げ去るダグ。ナナは闇の魔素を霧散させると、今度は扉前に土の魔素を集めてバリケードを作る。
「姉御……あんだけの戦闘もできるのに、魔術もこんなに使えるなんて……やっぱりすげえな!」
そう言うと全裸のまま抱きついてくるリオ。避けなければ、という思いと今は女だ問題ない、という思いに板挟みにされたナナは結局回避することが出来ず、リオの控えめな胸に仮面を着けた顔を埋めさせることになる。
「はあ……。リオよ、少し離れんか。……よし、そのまま動くでないぞ」
リオがナナの頭を離すと、ナナは更にドラム缶もう一本分のスライム体を出して二人の足を包み込ませる。リオは一瞬ビックリしたものの、ナナの言うとおりそのまま動かずにいる。
「存外驚かんのじゃな」
「姉御のやることだもん、大丈夫!」
「やれやれ、随分信頼されたものじゃ。さて、リオよ。無事復讐を遂げられたのう、おめでとうなのじゃ」
「……全部、姉御のおかげだよ。姉御に会ってアドバイス貰ってなかったら、バイドに勝てなかったと思う。それに闘う舞台だって用意してくれた。本当にありがとう、姉御……」
「そうか。では、その胸の傷……治しても良いな?」
「……うん。お願い!」
ナナはそのままスライム体で二人の全身を包み込む。リオの古傷は表面を僅かに吸収し綺麗にすると、皮膚の不足分をこれまで死体から吸収したものなどを僅かずつ加えて補い、リオの肌と遜色のない物を構築し組み込む。ついでに他の古傷も同様に綺麗にすると、二人の全身の汚れを綺麗に吸収しスライム体を引っ込める。
なおこれらを全てナナがやろうとしたのだが、あまりにも生々しいリオと自分自身の肌の感触をスライム体で感じてしまい、精神的にいろいろと危険を感じたためキューにお任せして、ナナ自身は無の境地に到達したかのようにひたすら耐えていた。
「わあ! 他の傷も全部キレイになってる!! それにこびりついてた血もキレイに取れてるよ!? ありがとう姉御!!」
「じゃからいちいち抱きつくでない。ほれ、これをやるからさっさと履くのじゃ」
ナナが取り出した予備のパンツとキャミソールを貰い、喜々として身に着けるリオ。さらに替えも五着分渡すと喜んで洗濯を終えたポーチに入れていた。ナナは洗濯と修復を終えたコート・ホットパンツ・ブーツを身に着けリオの様子を覗うと、スライムに突っ込んでいた衣類の穴やほつれが綺麗になっていることに驚きながら身に着け、最後にポーチを腰につけていた。
「そのポーチは空間庫になっておるのじゃな。ふむ……やはり視ただけでは作り方はわからんの」
「いや、それわかったらとんでもないことだと思うよ姉御」
棚や引き出しなど場所が固定されていればナナでも空間庫を作れたのだが、どうも持ち歩くカバンやポーチなどに空間庫を付与するのは上手く行っていなかったのだ。
「まあそれは良いのじゃ。ところで今更という気もするが、なんでわしが『姉御』なんじゃ。誰が見てもおぬしの方が歳上に見えるじゃろうに」
「だって姉御、見た目通りの年齢じゃないでしょ? もし見た目通りほんとに八歳か九歳だったら異常だよ? 話し方も年寄りっぽいし」
「ぐ……年寄りっぽい、かのう? まあ良い。リオよおぬしは少し休むがよい、今は気分が高揚しておるから感じておらぬじゃろうが、足元がふらついておるぞ? 昨夜から大変だったというのに、わしをここまで運んできてくれてありがとうなのじゃ。重かったじゃろ?」
「あはは、確かに大人の男性より重くてびっくりしちゃったよ。そのコートとブーツが重いの? 良い防具なんだね!」
リオはそう言って笑うと、ナナの左手を掴んでベッドまで引っ張っていく。
「確かに少し休んだ方が良いみたいだ。姉御も少し休んだ方が良いよ、あんな凄い戦いをしておいてケロッとしてるけど、すっげー魔力使ってたじゃん」
そう言ってナナをベッドに押し倒すリオ。慌てて跳ね除けようとするナナだが、既に気を失うかのようにナナの上で眠っているリオを起こすのも悪いと思い、やむを得ずリオの抱きまくらと化して骨格の再生に力を入れることにする。
「兄さん……」
三時間ほど横になっていただろうか、リオが小さく呟き涙を流していた。見るとまだ眠っているので夢を見ているのであろうその顔は、決して悲しげに見える表情ではなく、ナナは優しくその頭を撫でてやる。
(ヴァンを殺し終えたら、わしにもこんな表情で眠れる日が来るかの)
ナナは深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、自身の骨格へと意識を向ける。キューの手を借りても金属加工だけは時間がかかってしまうのだが漸く骨格の破損部分の再構築は終えており、今度はリオを探す際に覚えた感覚転移について検証する。
これまでも転移用のマーカーを設置した場所に体の一部を送り込み感覚を得ることができていたのだが、この感覚転移を使えばマーカーの無いところからも視覚や聴覚情報を得られその場所へ自由に転移ができることがわかった。しかし行った事のない場所へいきなり感覚転移をすることはできず感覚を移動させる必要があり、まるで自身が幽体離脱してふわふわ移動しているような感覚に囚われる。しかも移動速度は遅くナナの駆け足ぐらいであり、いきなり魔道都市に転移すると言う選択肢が消えたことを残念に思うナナであった。
『ドンドン』
「なんじゃ」
部屋の扉が強めにノックされる。魔力視と魔石視で壁の向こうまで視ていたナナは扉を叩いた者が誰なのかわかっていたが、素知らぬふりで応える。
「ダグだ、その、今開けても大丈夫か?」
着替え中に部屋に入ろうとした時の恐怖からか、少々声に怯えが感じられる。リオも目が覚めたようなのでダグに問題ないと応え、扉前の土魔術バリケードを撤去する。
「昼飯の準備ができたぞ、食べながらでも良いから話を聞かせろ」
「なんでわざわざおぬしが迎えに来ておるのじゃ、メイドやお手伝いさんはおらんのか?」
まだ少し眠そうにしていたリオだが、昼飯と聞いて目を輝かせている。揃ってベッドから降りるとダグについて部屋を出て、食堂らしき部屋へと入る。
「ぐ……俺はナナに負けたから、もう拳王じゃねえ。ただの『拳王ナナの側近』だ。側近が王を迎えに行くのも当然だろうが」
「……は? ああ、すまぬわしは食事は不要なのじゃ。拳王という地位もいらぬぞ、わしはヴァンを追うからここに住む気は無いのじゃからの」
「大丈夫ですよナナ様。単なる象徴ですから自由にして下さって構いません」
ナナは食事を運んできてくれたメイドらしき女性に詫びるとダグに向き直り憮然とした態度で話していたが、ちょうど食堂に入ってきたリューイの言葉によって懸念された問題は解決するもだからといって拳王を名乗るなどおこがましいと固辞しようとする。
「そもそも純粋な格闘能力はわしよりダグの方が上じゃ。呼吸やら武器やらと、わしは化かし合いで勝っただけに過ぎぬ。拳王の名はダグにこそふさわしいと思うのじゃ」
「ナナお前、最初から俺を殺すつもりで闘ってたら『何秒で』終わらせられた? 転移術も奇妙な剣も、足場以外の魔術も使って無かったじゃねえか。手加減された上に負けておいて、拳王だなんて恥ずかしくて名乗れるかってんだ。そんなことより……ヒルダのこと聞かせろよ」
ちょうどナナ以外の三人に食事が行き渡ったところでダグが話を変える。リューイとリオも真剣な表情でナナの様子を窺っていた。
「よいじゃろう、食べながら聞くが良い。少しばかり長くなるでな……ヴァンとヒルダの出会いから話すべきじゃろうの」
ヴァンが転移魔法陣を起動させるための魔力を欲してヒルダに近付きノーラと言う娘を設けたこと、ナナは約九年前からヒルダとノーラと一緒に住み、ヒルダに協力して従魔の強化を行っていたこと、ヴァンがヒルダとノーラを殺害し地上へ逃げたことまでを順序立てて話していく。
「ダグのことも話しておったぞ、ヒルダの従魔で当時一番強かったゴーレムを殴り飛ばし、満足して帰ったとな」
「ああ、そうかい……ありがとよ、話してくれて。俺よお、最初は不死王と闘うつもりで集落に行ったんだが、不死王を見た瞬間あまりにも美人で驚いちまってな。強いことだけをアピールして逃げるように戻ったんだけどよ……ちくしょう、こんなことなら俺は……」
ダグは拳を握り締め、悔しさに顔を歪める。
「姉御も……仇討ちのために旅してきたんだね……」
「いいや? リオよ、少しばかり違うのじゃ。わしの場合は復讐であって仇討ちではないのじゃ」
「?? 姉御、それどう違うの?」
「仇討ちを終えたばかりのリオに言うのもなんじゃが、わしはわし自身の行動の責任を誰かに負わせる気はないのじゃ。ヒルダやノーラの無念を晴らしたいとかではなく、ヴァンのしたことにわし自身が腹を立ているから殺しに行くだけなのじゃ。今わしはヒルダとノーラのことを思い出す度に、悲しみや懐かしい気持ちよりもヴァンに対する怒りしか沸いてこんのじゃ。奴が生きておる限り、この状態は変わらぬ。じゃから殺しに行く、ただの我侭なのじゃ」
首を傾げるリオに、自分でも屁理屈に過ぎないと思っているような持論を展開する。するとこれまで考え込むように俯いていたリューンが口を開いた。
「失礼ですがナナ様、先ほど伺った話からはナナ様とヒルダ様との関係がよく解りませんでした。浅くはない関係であることは理解できたのですが、よろしければお聞かせ願えないでしょうか」
「ヒルダはわしの命の恩人じゃ。二度も命を救われたのじゃ。なのにわしは、ただの一度も救えんかったがのう……」
そこに転生した元人で現スライムであることは、ここにいる者には関係の無い話なので話す必要を感じず、適当にはぐらかす。
「いや、そこおかしいだろ。俺より強いくせに何でヴァンを止められなかったんだ? あいつは俺と闘いたくなくて逃げ回るような雑魚だぞ?」
「……その時わしはまだ弱かったのじゃ」
「ヴァンより弱かったってのか? それがたった二ヶ月で、俺よりも強くなったと? んな馬鹿な」
「事実じゃ」
呆れたような眼差しをナナに向けるダグだが、ナナはどうせ長い付き合いにはならないだろうと、復讐に関係の無い話をする気は無い。
「それで、ヴァンのことと転移魔術について聞きたいのじゃが」
「ヴァンの名前が有名になったのは、南で野党の集団から集落を守り、救ったことからです。しかしその集落は後に壊滅し、生き残りはいませんでした。また別の集落でもヴァンの活躍で救われたのですが、その集落も同じように後日皆殺しに合っています。ヴァンと野党が仲間である可能性が高いとしてダグ様が討伐に向かわれましたが逃げられ、その後同様の被害の報告が無かったため発見に至りませんでした」
ダグの苛々した舌打ちと、この時殺しておけば、と言う呟きが聞こえる。
「その後ヒルダ様の調査で偶然ヴァンが西にいることを掴んではいたのですが、当時は魔導王との関係悪化もあり手を出せる状況ではありませんでした。出身地や足取りについては現在人を使って調査に向かわせております。転移魔術については光人族の生き残り集落があると噂が入っておりますので、こちらも調査に人を向かわせております」
「そうか、助かるのじゃ。転移魔法陣の入手先がわかれば、地上へ行く手段が見つかるかもしれぬ。頼んだのじゃ」
「はっ。それとナナ様。転移魔方陣のような魔道具や術について詳しい者がおりますゆえ、よろしければその方にもお話を聞いてみてはいかがでしょうか」
そう話すリューンの隣で、ダグが一人嫌そうに顔をゆがめている。
「うむ、わかったのじゃ。それでその者はどこに行けば会えるのじゃ?」
「魔道都市におられます。魔道王と呼ばれるお方ですが、ダグ様と一緒に伺えば面会は可能でしょう」




