2章 第3話Ri リオ
「ナナってばどんだけ早いんだよ、全然追いつく気配ないじゃんかー!」
リオは集落から走り去ったナナを追い、拳王都市へと向かっていた。しかし強化術まで使って走るが一向に姿が見えず、時々木の上や安全なフォレストタートルの近くで仮眠を取りながら進み、拳王都市までたった五日で到着したものの疲労の限界であった。
「拳王都市にはどういった用で来たのだ?」
「ええと……人捜しだよ。白い仮面を付けた真っ白な髪の女の子、見かけてない?」
リオは門番から話を聞くがナナのことは知らないらしく、もしや南の集落へ方向転換したのではと思い始める。それならこの速さで追いかけたのに追いつけない理由も納得できる。リオは門番に小振りな魔石を三つ渡して通行許可証と引き換えると、一休みできる宿と噂を聞けそうな場所を聞いて都市の門を後にする。
「お嬢ちゃん、真っ白な娘を探してるのかい?」
門をくぐって間もなく、宿へと向かおうとしていたリオに声をかけてきた男が居た。それは猿によく似た顔をしており、傍らには腰に手斧をぶら下げた男を連れていた。
「うん、そうだけど知ってるの?」
警戒感を前面に出し、拳を握り込みながら質問を返すリオだが、猿顔と手斧男は両手を上げて危害を加える意思がない事を示す。
「それって身長120センチくらいの、髪だけじゃなく仮面も服もブーツまで真っ白な、ナナっていう人だろ? 俺達その人に協力して情報集めをしているんだ」
「っ!! お願い、ナナの所に案内して!」
警戒を解き、猿顔に詰め寄るリオ。猿顔は笑顔を浮かべて快諾すると、手斧男に小さな声で準備を任せた、と耳打ちする。手斧男は走ってその場から立ち去り、猿顔はリオに着いてくるよう話すと手斧男と別の方向へすたすたと歩きだす。
「ああ、彼は俺の代わりにナナから頼まれた仕事をしに行ったのさ。さあ、こっちだよ」
走り去った手斧男に怪訝な視線を向けていたリオに問題ないことを告げる猿顔。リオはそれを信じ、猿顔についてしばらく歩いていくと一件のあばら家の前で立ち止まる。
「この奥の部屋にナナがいるぜ。ほら、入りな」
リオはこの時、やっとナナに追いついたという安堵と限界近い疲労のせいもあり、判断能力が低下していた。あばら家に一歩踏み込んだリオの後頭部に強い衝撃が加えられ意識が薄れていく中で、先回りしたのであろう手斧を腰にぶら下げた男の姿を視界に捉え、やっとリオは自身の失敗に気付くが、手遅れであった。
「ぐ、うあああああっ」
意識がうっすらと戻ったリオは、手足の猛烈な痛みに身を捩る。見ると程よく筋肉の付いた自慢の手足が四本とも折られ、あらぬ方向へ曲がっているのが目に入った。
「あ、あ、ああああああああ!!」
「五月蝿いんだよ小娘!」
近くにいた女性が罵声を浴びせながら、リオの顔面を何度も踏みつける。
「おい、そのへんにしときな。その小娘はバイドさんが楽しみにしてるだろうから、あまり甚振るとバイドさんに怒られちまうよ」
「ちっ、それもそうだね。おい小娘、明日の昼過ぎには良いことがあるから楽しみにしてな、お前を人質にして白いガキに言うことを聞かせるんだけどよ、それが終わったら手足のへし折られた白いガキの目の前で、バイドさんが直接お前を可愛がってくれるだろうからな? ああ、安心しな。ちゃんと白いガキも仮面の下がマトモな顔だったら、お前の目の前で他の連中全員で使ってやるからさあ」
「だ……だめ、だ! ……がああああああああっ!」
そう言ってゲラゲラと笑う女達を見て、リオは痛みを堪え手足に力を入れる。しかし女はリオの右足の折れた部分を思い切り踏みつけ、リオはその激痛で気を失ってしまうのであった。
その後も意識を取り戻す度に逃げようとするが、見張りらしき女達に阻まれ激痛にのたうち回ることになり、明るくなる頃には痛みで意識が朦朧としていた。折れた手足は何度も踏まれ、既に骨は砕けているであろうことがわかる。
リオは自身の生まれた集落を出てから今に至る道のりを思い出し、悔しさに流れる涙をぬぐうこともできず絶望に打ちひしがれていた。自分を人質にとって兄を殺した、ダグと名乗った卑怯者を殺す。ただそれだけのことができない自分が心から情けなかった。
『ゴトゴトン』
そこに唐突に、思い何かが二つ床に落ちる音が響く。続いてドサッという何かが倒れる音が二つ。何の音かと顔を上げると、床に落ちたのは女の頭、倒れた音の正体は頭部を失った胴体で、首から大量の血を床に垂れ流していた。そしてその傍らには、真っ白な仮面を着けた真っ白な少女が、見たこともない剣を片手に立っていた。
「ナ……ナ……?」
「巻き込んでしまったようですまなかったのう。今治療してやるでな、少し待っておれ」
そう言うとナナはしゃがみ込み、倒れているリオに回復魔術を使い始めた。
「これはひどいの……少し時間がかかるゆえ、我慢するんじゃぞ?」
「ナナ……ごめん……ごめん……」
「巻き込んだのはわしの方なのじゃ。おぬしが謝ることでは無いのじゃ」
大粒の涙を流すリオをなだめ回復魔術を使い続けるナナ。その時部屋の扉が大きく開け放たれた。
「おい、何だ今の音……ってナナ! てめえなんでここに!」
扉の向こうに居たのは猿顔の仲間なのだが、ナナはそちらを一瞥もせずに空間庫を開く。
「ぱんたろー、外の掃除を頼むのじゃ」
空間庫から飛び出したホワイトタイガーゴーレムのぱんたろーは、前足の一振りで男の首をへし折っていた。そのままぱんたろーには狭い扉を壊しながら部屋の外へと進み、二・三度悲鳴が聞こえたかと思うとドサッ、ドサッと何かが倒れる音だけがあばら家に響く。
「ぱんたろー、掃除が終わったら死体を一箇所に集めて欲しいのじゃ」
「はい、ますたー」
ふと気づくとリオの涙は止まり、状況について行けずに目を丸くしていた。
「え……ナナ? 今の虎、は……?」
「わしの作ったゴーレムじゃ……ほれ、治療は終わったぞ。動かしてみるのじゃ」
リオは立ち上がり手足の感触を確かめ、信じられないという顔をしていた。そしてまた瞳に涙があふれ、零れ落ちるのをそのままにナナに抱きつく。
「ナナ、ありがとう……オレ、もう二度と手足が動かないだろうって諦めそうになって……仇を討つために強くなったのに、何も出来なくて……また人質にされて、悔しくて、悔しくて……うわあああああああああ……」
いつしかリオは号泣し始め、ナナは精一杯手を伸ばしてリオの頭を撫でてやっていた。やがてリオの泣き声が小さくなってきたことを感じたナナは、リオの後頭部を優しくぽんぽんと二度叩き体を離す。
「仇討ち、と言ったの。ダグを倒すために強くなったと以前言っておったが、仇とは拳王ダグのことかの?」
「……ああ、ダグは四十年前、オレの兄貴に負けそうになると、オレを人質にとって兄貴を殺したんだ。その時オレが住んでいた集落のみんなもほとんど殺されて、食料も奪われ、生き残った人たちは散り散りになったんだ。オレも殺されかけたんだけど、偶然息を吹き返すことができて、それからはずっとダグを倒すために修行を重ねてきたんだ」
そう言っておもむろに上着を脱ぐリオ。あっという間のことで視線を逸らすことができなかったナナだが、そのままあらわになったリオの控えめな胸を凝視し、ゆっくりと手を伸ばし浅い谷間へと優しく触れる。
「ギリギリ、心臓と魔石の間じゃのう。少しでもずれておったなら間違いなく死んでおったじゃろうな」
ナナが触れていたのはリオの胸の中心からやや左にずれた場所にある大きな古い傷跡だった。魔石視でリオの魔石を見ると、傷跡のやや右側に存在しているのがわかる。
「古い傷跡じゃが、そのような場所に傷があるのは辛かろう。治してやれんことも無いのじゃが」
「……いいや、いいんだ。もし治してくれるってんなら、仇を討ったあとでお願いするよ」
そういってニッコリと笑うリオ。ナナはその笑顔を見るとくるんっと回れ右をした。
「若い娘がいつまでも胸を放り出しておってはいかんのじゃ。早く仕舞うのじゃ」
そう言ってナナはぱんたろーが集めてきた三人分の死体と室内の二人の死体を全て空間庫に入れ、その場に伏せているぱんたろーをねぎらって首のあたりを撫でる。
「しかし仇か……リオよ、四十年もかけて己を高めてきたとはの、見上げた根性じゃ。場合によってはわしも手を貸すのじゃ」
「ああ、できれば自分の手であのゴリラ顔を粉砕してやりたいけど、もしもの場合は……力を貸して欲しい」
上着を着直してナナの隣に立つリオ。そして恐る恐るぱんたろーに近寄ると、ナナが無言で頷いたのを確認しゆっくりと手を伸ばす。
「うわあ……やわらかいな! これでゴーレムだなんて信じられないぜ、それにしゃべるゴーレムなんて初めて見たよ!」
「りおさん、よろしくおねがいします」
「ぱんたろーと仲良くなれたようじゃし、そろそろ外に出るとしようかの。ここは狭いのじゃ。それに待たせておる男がおるでの、あまり放置するのも可哀想じゃ」
きょとんとするリオを伴いぱんたろーとあばら家の外に出ると、そこにも見覚えのある猿顔の手下が一人、あばら家の様子を窺っていた。ぱんたろーに優しく撫でるように指示して、首の折れた死体を一体空間庫へと投げ入れておく。そしてぱんたろーに伏せるよう指示すると、その背に跳び乗るナナ。
「リオ、おぬしも乗るのじゃ。ほれ周りが騒がしくなってきておろうが、早くせんか。……しっかり捕まっておれよ」
ぱんたろーは背にナナとリオを乗せ立ち上がると、ナナの指示に従い広場へ向かって一直線に空中を駆ける。周囲の住民の悲鳴が響くが、ナナはその一切を無視する。
「う、うわわ、ちょっと待ってナナ、これ、高い、早」
高さと移動の速さに驚いているリオの言葉も無視して、ぱんたろーの足場となる空間障壁を作り続けるナナ。最初からぱんたろーの魔石に空間魔術を組み込んでおくんだったと後悔し、またあとで時間が出来た時に組み替えようなどと考えているうちに、広場へと到着し中央の舞台へと着地する。そこにいたリューンは、ぱんたろーから降りたナナとリオの姿を見て目を丸くしていた。
「待たせたのう、リューンとやら。知り合いがそこの手斧男と猿顔に捕まって人質にされとったもんじゃからの、助けに行っておったのじゃ、許せ。ついでにもう少しだけ待ってもらえぬかの?」
するとナナはリューンの返答を待たずに一瞬にして手斧男の眼前に転移し首を刎ね、空中でその頭部を掴むと猿顔に向かって投げつける。ひい、と小さく悲鳴を上げる猿顔は足をもつれさせ、尻もちをつきそうになっていた。
ちょうどそこに間合いを詰めていたリオが右足を高く上げ、踵落としを顔面に叩き込む。さらに首を全力で踏み抜くと、ゴキッという鈍い音とともに猿顔の体がビクンッを一度跳ね、そのまま二度と動かなくなる。
「リオもやりおるのう……リオ?」
リオのためらいのない動きを見て驚くが、しかしそのリオの何かに驚いたような表情に違和感を持つナナ。
「こいつ……この顔、忘れるもんか! ダグの弟だ!! オレを人質にして、ダグが兄貴を殺したあとオレを殺そうとしたのもこいつだ!!」
展開に全くついて行けず諦めて静観の構えを取るリューンの後方から、その時ゴリラの雄叫びのような声が聞こえてくる。
「バート……? バート!! この小娘、よくも俺の弟を!! うがあああああ!」
叫びながらリオに向かって走り寄るゴリラ顔の男。ナナはぱんたろーに命じ、ゴリラ男を取り押さえさせる。ぱんたろーに前足で背中を踏みつけられて、顔面から地面に叩きつけられたゴリラ顔は潰れたカエルのような声を上げた後、バート、バートと叫びながら涙を流していた。
「のう、これがダグなのか? 正直拍子抜けなのじゃが」
そうリューンに問うナナに、腕を組みながら静観していたリューンが首を傾げながら口を開いた。
「いや……? その男はバイドという。ダグ様はこんな、潰れた顔はしておられない」
「え?」
その言葉に呆気にとられるリオの受けた衝撃はとても大きかったようで、リオはしばらく固まったままだった。そしてリューンは状況が掴めないまま、ナナによって舞台の端へ移動させられたぱんたろーに代わり、バイドと呼ばれたゴリラ顔の偽ダグを拘束している。
「つまりはそこのゴリラ顔が、四十年前にダグの名を騙ってリオのいた集落を襲い、卑怯な真似をして略奪を行ったということじゃな?」
「そのようだな。そして今回はリオという娘を人質にとって、貴様に俺を殺すよう指示していたというわけか」
ナナ・リオ・リューンの三名は互いに情報を交換し合い、状況を理解したリューンは深くため息をつく。
「そういうことなのでリューンよ、そこのゴリラを離してやってくれぬかの? そやつを仇と決めた者がそこにおるでの」
「ああ、頼む、ナナ! リューンさん!!」
闘気を漲らせたリオは二人に小さく頭を下げると、バイドに向かって怒りに満ちた視線を向けていた。リューンはバイドを拘束していた手を離すと、舞台へ向けて突き飛ばした。
「バイド、拳王ダグ様の代理として命ずる。リオと勝負し勝てば今回の一件、都市追放だけで済ませてやろう」
バイドと呼ばれたゴリラ顔の男は、殺す、と小さく呟きリューンとリオをひと睨みし、舞台中央へと歩いていく。
「リューンよ、おぬしはあのゴリラ顔になんぞ恨みでも買っておったか」
舞台の中央で睨み合うリオとバイドを見ながら、野球場のベンチのような席があるところまで下がり、隣に立つリューンへと声をかけるナナ。
「俺が実質この都市を仕切っているからな。大方権力目当てだろう」
「都市を仕切っておる? 拳王は……ああ、あやつはアホじゃったか。これだけの都市を治めるような真似は無理じゃろう」
ナナの声が聞こえたのか、二人の後ろから何者かの怒りの気配が漂ってくる。
「ダグ様の事をアホだと……貴様にダグ様の何が解る。確かにあの方は強い者と闘うことしか考えていないが、あの方がいるからこそ北東の魔導王に滅ぼされずに我々は生きてこられたのだぞ」
その時バイドがバートの仇と叫びながら、リオに向け突進した。肩を前に出したショルダータックルはリオに軽々避けられ横っ面に拳が叩き込まれる。しかしバイドはそれを意に介さず、腕を横に大きく振り抜きガードしたリオを吹き飛ばす。
「やはり素の戦闘力ではゴリラの防御を抜けぬか。……ダグは喧嘩するために徒歩で半年かかる道のりを一人で移動し、相手が思ったのと違うとわかるや踵を返しまた歩いてここまで帰ったと聞いた事があるのじゃ。わしはその話を聞いて面白い奴じゃと思ったものじゃ。そう言えばここまでダグ本人の悪い話は聞かなんだが、拳王都市とダグの配下についてはあまり良い話を聞かぬの。お主を見てわかったのじゃが、あのゴリラが元凶じゃろうかのう」
「き、貴様その話を誰から……」
バイドはリオの拳の連打を食らっているもののダメージを受けた様子はなく、逆に掠るだけでダメージを受けるバイドの大振りな攻撃を避けるため、大きく回避しなければならないリオは息が上がり始めていた。
しかし苦し紛れに大技を放つことは無く、冷静に相手を見ている様子を確認したナナはリオの勝利を確信する。
「勝負が決まるの」
ナナのその言葉と同時に、リオは身体強化術を発動させる。そして一気にバイドの懐に飛び込むと拳の連打を腹に叩き込む。流石にこれは効いたらしく、バイドは正面のリオに真っ直ぐ右拳を突き出す。
しかしリオはその攻撃を自身の両腕を使い、正面から受け止めた。広場に骨の折れる鈍い音が響く。にやりと笑うバイドだが、次の瞬間リオによって右拳を押し返され、負けじと押し込んだ瞬間にリオが横に体を回転させてバイドの拳を後方へ受け流し、バイドの体は僅かに前方へとつんのめってしまう。
その顎にリオが回転の勢いそのままに肘を叩き込み、さらにもう一回転して放った回し蹴りが鈍い音を立ててバイドの首をへし折り、勝敗は決した。
「あ、あ、……ああああああああああああああ!!!」
空を仰ぎ、折れた腕をものともせずに大きく広げ、大粒の涙をこぼしながら叫ぶリオ。固唾を呑んで見守っていた観衆も大きな歓声を上げ、リオの勝利を祝福していた。
「やるじゃねえか、小娘のくせに強化術まで使うなんてよ。どれ、次は俺が相手になってやろうじゃねえか」
その時ナナとリューンの後ろから、赤い髪を短めに揃え、鶏冠のように立てた2メートル近い長身の男がのそっと立ち上がる。
「やめぬか、リオはもう戦える状態ではないのじゃ。どうしてもというのであれば、条件次第じゃがわしが相手になってやろう。『拳王ダグ』よ」
後ろに立つダグに顔も向けず、ナナはひょいっと舞台に跳び乗るとリオのもとまで駆けていき、治療魔術を使用する。
「リオ、よくやったのじゃ。ほれ、腕を出さぬか。折角治したのにまた折りよってからに」
「ひくっ。ひくっ。ナナから、教わった、ひくっ。態勢の崩し、ちゃんと、ひくっ。できた。ひくっ。勝ったの、ナナのおかげ。ひくっ」
「見事じゃったぞ、リオよ。ほれ、腕はもう繋がったの? 舞台から降りて休むといいのじゃ。次はわしの番なのじゃ」
「ひくっ。ナナが、闘う……? 誰と?」
ナナは舞台に登ってきた赤髪のリーゼント男に顔を向けて、静かに言い放つ。
「拳王、ダグじゃ」




