1章 第25話R 自分
慌ただしく調査隊が編成され、ファビアンは第一次現地調査隊隊長として、モーリスやカイルら二十数名を伴い急行した。クーリオン全体が暗い雰囲気に包まれる中、アーティオンから逃げ出した他の生き残りがクーリオンに到着したのが十一月の半ばだった。
彼らによると、貴族街の方から突然黒い瘴気が吹き上がり、あっという間に街全体に広がっていった。死体が次々とアンデット化し、被害者を増やしていった。混乱に乗じて何者かが見たこともない魔術で防壁や門を破壊し騎士を殺していた、とのことだった。
この時代に情報統制などできるわけもなく、この話はあっという間に街中に広がっていった。次はクーリオンが危険なのではと騒ぎ、街を出る者も少なくなかった。
そんな中、以前マルクに教わったことを思い出し、以前要点を纏めた羊皮紙を荷物の中から引っ張り出す。ようやく見つけた羊皮紙には、自分が確認しようとしていた一文が確かに記されていた。
魔界:魔人族や魔物が住むとされる世界で、地上界と繋がった際に大量の瘴気を吐き出すとされる。
もしも本当に魔界と繋がっていたら、生命魔術を知る魔人族が現れるかもしれない。しかしアーティオンを壊滅させるような相手に一体どうやって聞こうというのか。原因に思い当たったところで何も出来ないことに変わりはなかった。
寒さの厳しい二月半ば、現地調査隊からモーリスとカイルだけが戻ってきた。ファビアンの不在に一瞬背筋に冷たいものが走るが、ファビアンは現地で城壁と門を塞ぎ、アーティオンからアンデットが外に出ないようにしているとのことで、工事のための人員を連れてモーリス達は再度アーティオンへ向かうことになっているらしい。安堵すると同時に、また近しい人が失われるかもしれない事実に恐怖してしまう。レイアスの父に何かあったら、自分はレイアスが戻った時に何と詫びればいいのか。今何も出来ない自分がもどかしい。
「貴方、一体何をイライラしてらっしゃるのかしら? 何を抱え込んでいるのか知りませんけど、授業に集中できないのでしたら出ていって下さる?」
魔術授業の合間、席についていた自分に薄茶髪の女性が正面に立ってドヤ顔で話しかけてきた。アレクト子爵の娘でカーリーだったか、いつぞやの仕返しかな、イライラする。
「ごめんね、カーリーさん。ちょっとアーティオンや父の事が心配で」
「その作ったような笑顔が気持ち悪いわよ? 良い子ぶるのもいい加減にしたら?」
「……え?」
いきなり真顔になったかと思えば何を言ってるんだこの女。
「貴方、人と話す時とそうじゃない時の表情に差がありすぎるわよ。まるで『無理をして良い子を演じてる』ようですわ。今もそう。内心の苛立ちを張り付いたような笑顔で隠してますわね。本当の感情が見えなくて気味が悪いですわ。さっきも言いましたが、貴方は一体何を一人で抱え込んでらっしゃるのかしら?」
「……貴女には関係ないことですよ」
「ええ、そうね。貴方が何に押し潰されようがワタクシには関係無くってよ。でも貴方がこんなだと、心配する人がいるのではなくって?」
カーリーの視線の先には不安そうに様子をうかがっているエリーシアとサラがいた。そういえば最初の一件をサラに謝罪したあと、よく話をする姿を見かけてたっけ。
「……随分と仲良くなったみたいで安心したよ」
「ええ、それはもうお陰様で。本当にあの時はどうかしてたわ、あんな可愛い子を魔人族だ、なんて恥ずかしいわ。本当の魔人族がどれだけ残酷か知ってしまうと、余計にね。そんなことより貴方、ワタクシは良いとしてもちゃんと二人には相談するべきではなくって?」
本当の魔人族? 瘴気が溢れた事から魔界と繋がった可能性は、知識のある者なら誰でも推測できる。しかし魔人族に直接繋がる話はまだ一度も聞いていなかった。カーリーは何を知っている?
「本当の魔人族って、アーティオン壊滅に関係ある話か?」
「あら、それが『地』かしら? 目つきも変わったわね、ちょっと怖いけど感情を見せようとしないさっき迄よりはいい男ですわよ?」
カーリーを見つめる表樹は相当厳しいものになっているようだが、気にする余裕がない。
「聞いていないのかしら? アーティオンを壊滅させたのはたった一人の魔人族だという話よ。紅い瞳の男がアンデットを操っていたという報告をお父様が受けていたわ。でも眉唾ものの話ですわよ? だっていくら魔人族とは言えたった一人に都市が一つ滅ぼされるなんてありえないわ」
「そうか……ありがとう、カーリーさん」
だめだ。せっかく見えた可能性が、消えた。そんなのが相手では生命魔術の話を聞くどころか、一瞬で殺されるのがオチだ。再度『レイアスの仮面』を付けてカーリーに礼を言う。
「あら、またいつもの良い子に戻ったのね、折角本当の貴方とお話できたの思ったのに、つまらない人」
うるさい。人の気も知らないくせにペラペラと知ったような口を利きやがって。俺にはやらなくちゃならないことがあるんだ。だから俺は……俺は……俺は? 本当の、俺? 俺は何を、している? 折角生まれ変わったってのに、いつまでも居なくなった奴の事を最優先にして、本当の俺は何がしたいんだ? レイアスがしたかったであろうことと、俺がしたかったことは別だ。なのに俺はいつまでレイアスの真似をして過ごせば良いんだ? 俺の体はまだ九歳だ。眠っている本当のレイアスを起こせるのはいつになる? 親しくもないカーリーにすらおかしいって思われてるのに、ファビアンやオレリアが気付いていないわけない。俺の地球の両親と違って、あの人達なら間違いなく気付いているはずだ。確かにレイアスが消えたのは俺のせいかもしれない。贖罪? 責任? その為に俺は俺じゃない生活を続けるのか? 俺がレイアスになってから、もうすぐ四年だ。その間ずっとレイアスのふりをしてきたが、ああ、そうだ。今はっきりとわかったよ。無理だ。
「は、ははっ……あははははは!」
「え、何貴方急に、どうかなさったのかしら?」
笑いが止まらない。何に? あまりにも滑稽な自分自身に。いろいろ考えたが、それでもやっぱり目的は変わらない。俺はレイアスを目覚めさせる。でもそれは、今すぐじゃない。一人で街一つ壊滅させるような奴と交渉することになるのか、他の魔人族を探すことになるのか、それはまだわからない。でも少なくとも、何年も先のことだ。以前母にも……オレリアにも言われたっけな、何を焦っているんだ、って。なのにずっと焦ったままだったんだな、俺。本当のレイアスを目覚めさせてからのことは、その時考えればいいじゃないか。もうやめだ、やめやめ。俺は俺のまま生きて、レイアスを起こす。それまでは……俺が、レイアス本人だ。
「ははは、はは……カーリー、ありがとな。ちょっと俺、顔洗ってくるわ。エリーシア、サラ、心配かけてごめんな?」
教室を出る時すれ違ったマルクは、いつの間にか涙を流していた俺の顔を見てひどく驚いてた。顔を洗って来ると断りを入れ、教室に戻るとマルクは授業の開始を少し遅らせて待っていてくれていた。
「マルク先生、みんな、お待たせしてすみません。俺はもう大丈夫なので、授業をお願いします」
マルク・エリーシア・サラは少しばかり驚き、カーリーはニヤニヤしながらこっちを見てる。こっち見んな。その後はいつもどおり授業を行い、その日の授業を全て終えた時にマルクから声をかけられた。
「レイアス君、ちょっといいかな?」
「ええ、俺もマルク先生と話したいことがあったので、ぜひ」
別室に二人で入り、応接セットに向かい合って腰掛ける。
「今日は何かあったのかね? 笑いながら涙を流して教室を出ていった後……雰囲気、変わったね?」
「カーリーに指摘されたんですよ。『無理して良い子を演じている』って。そしたらなんかもう色々考えてしまって。開き直った、とでも言うんですかね? 今の俺が、本当の俺なんです。やらなければいけない……いや、違うな。やりたい事があるんです。勉強も鍛錬も良い子を演じていたのも、全てそのための手段のつもりでした。でも出来ることと出来ないこと、出来ているつもりでも出来ていないことに気付かされました。だから俺は、俺のままで目的を達成するため、いい子でいるのをやめて、今は勉強と鍛錬に集中することにしました」
「ふむ。確かに自分を偽るのは辛いことだね。君は初めて会った時から、何かを抱え込んで無理をしているように見えていたよ。当時五歳だったね。そんな子供が一体何を抱え込んでいるのか、ニネットもファビアンもオレリアさんもとても心配していたんだ。……良かったら、君のやりたい事を聞いても良いかな?」
ああ、やっぱり両親は気付いていたか。ニネットとマルクも。本当に、滑稽だ。
「……魂について、知りたいんです。その為に生命魔術を学びたい。今は無理でも、いつか冒険者として世界を巡り、魔人族か生命魔術を教えられる人を探したいんです。知ってどうするか、までは言えませんが……悪い事ではないのは確かです」
「君は……魔人族に忌避感は無いのかね? 先日アーティオンを襲ったのも魔人族という話だが」
「野人族にだって頭のおかしい危険な人いますよね? 魔人族のことはよく知りませんけど、もし魔人族が種族として危険な存在だとしても、探せば話の通じる人はいると思います」
地球でも人種差別はあった。そもそも差別はいけない事だと教わってきたし、俺自身もそう思っている。肉親ですら良い親と悪い親がいるのを目の当たりにしてきたのだ、相手を知らずして何を判断できるというのか。
「ふ、ふふ、ふははははは……君は、本当に面白いね。……わかった、私も出来る限り協力しよう。ただし魔人族のことがわかったなら、私にも教えてくれないかな? 私も知りたいんだ、魔人族のことを。もちろん私が知り得る情報も、君に教えると約束するよ」
「ありがとうございます。何かわかったらマルク先生に報告しますよ」
「ああ、頼むよ。それに冒険者になりたいとの事だが、ちょうどカイルが元冒険者だ。戻ったら話を聞いてみるといい。それとアーティオンを襲撃したとされる魔人族だが、こちらに向かって村々を襲いながら移動していたらしいが、北へ進路を変えたのち消息不明という報告が上がっている。もしかしたら山脈を超えて小都市国家群へ向かったのかもしれない。あそこは紛争地帯だからね、魔獣もこの辺りに比べたら桁違いに多い。それにあの辺りには魔人族が隠れ住んでいるところがあるという噂もある。……ただし向かうとしたら、せめてファビアンか私と互角に近い戦いが出来るようになってからだ。つまり剣か魔術の腕を相当磨かなければ許可は出来ない。約束できるかな?」
「ええ、もちろんです。無駄に命を落としては目的も何もあったもんじゃないですから」
「よし。では明日から君には通常の授業に加えて特別授業を行う。私の魔術と、ニネットの武術だ」
その時部屋の扉がバアンと勢い良く開かれた。
「あたしたちにもその特別授業、受けさせて!」
「……お願いします……」
「エ、エリーシア、それにサラ君……盗み聞きとは感心しないな」
そこに居たのは真剣な表情のエリーシアとサラだった。
「レイアス一人じゃ心配だもの! あたしも冒険者になる! そして一緒に行くわ!!」
「……一緒」
マルクと二人がかりで説得を試みたのだが、状況は不利。ニネットが参戦しこれで形勢逆転かと思いきや、エリーシア側に付いたため敗色濃厚。
「一人より一緒に競い合った方が伸びるのも早いわよ」
ニネットさん言葉はマトモだがそのニヤついた顔は絶対別の事を考えてるな。
「あたしはレイアスのお姉さんなんだから、一緒に行って何が悪いのよ!」
いつ俺がエリーシアの弟になった。むしろこっちが保護者代わりにいろいろ面倒見た記憶しかないぞ。
「……レイアスは、私の初めての人。だからずっと一緒」
待て待て待てサラ何の事だほらマルクもニネットも凄い目でこっちを見てるじゃないか言葉足らずにも限度があるぞ。
「あ、あたしだってレイアスが初めてなんだからね!」
参戦するなエリーシア。ああ、マルクの形相が鬼に変わっていく。
サラは黒い髪と瞳を褒めてくれた初めての人、という意味だと聞き出すまでかなりの時間を要し、エリーシアがマルクに問い詰められてキスのことだと白状するまで更に時間を要するのであった。それを聞いたサラは俺の前に立つと突然「……ちゅ」唇を奪われた。
「サ、サラ? 突然何してんのよ! あ、あんたレイアスに、キ、キ……キスして……」
「……エリーシアと、一緒」
サラはそのままエリーシアの前に移動し、エリーシアの唇も奪う。
「……エリーシアも、一緒」
「な、な、な」
混乱するエリーシアと何故かドヤ顔のサラ。もうどうにでもなーれ。明日から鍛錬頑張るぞー。
寒さの厳しい一月のとある日。クーリオンの冒険者ギルドの建物前に、やる気に満ちた三人の男女が立っていた。見る人が見れば、それは初任務を行う新人冒険者特有のものであると見抜いたことだろう。
「さあ、初任務は薬草の収集。定番だけど気を抜かずに行こうか」
革製の鎧を身に着けた右手の甲に僅かな火傷の痕がある少年が、二人の少女に声をかけていた。それは十三歳となったレイアスだった。
レイアスは160センチを少し超えたくらいまで身長も伸び、とうとうエリーシアを追い越すほどになっていた。美少年と言っても良い幼少期の面影は残っているものの、その整った顔には不敵な笑みを浮かべていた。
腰にはファビアンから訓練で一本取った際に譲られた剣を下げ、左手にはバックラーという小さな円形の盾が握られていた。冒険者ギルドへの登録は十二歳から可能なのだが、サラが数えで十二歳になるまで待ったのだ。冒険者ギルドに登録して登録証を貰えば、国内の街の出入りで税金がかかる事もない。
「何でレイが仕切ってるのよ、あたしが一番年上よ?」
明るい赤毛をツインテールにした少女が槍を手に不満をこぼす。十四歳に成長したエリーシア・ライノはすでに女性らしい丸みを帯びた体つきとなっているが、それを隠すように皮の胸当てを身に着けている。
手にした槍はニネットから譲られたもので、その腕前はニネットから十本に一本は取れるほどにまでなっていた。しかしエリーシアの本分は槍よりも魔術であり、火と風の魔術に至ってはマルクといい勝負が出来るほどにまで成長していた。
「……レイがリーダー」
深い黒色の髪をショートボブに揃えたひときわ小さな少女がエリーシアに一言異論を唱える。母親の形見だというメイスを腰から下げた少女サラは、数え年て十二歳になったばかりだからか地人族の血を引いているからなのか、身長は130センチほどしかなく、体つきも幼くまだ何の膨らみも見られなかった。
サラも魔術が中心で土と金属製に長けており、こちらもマルクといい勝負ができるようになっていた。
「ほら、サラもそう言ってるし、行くぞエリー」
町の外へ向けて歩きだすレイアスとサラ、それを追いかけるエリーシア。レイアスの胸中は、やっと第一歩を踏み出せたという高揚感に満たされていた。
「よかったの? マルク……」
「ああ、ニネットか。まさかこんなにも早く条件を達成するとは思わなかったよ。レイアスが原因だろうけど、複雑だね」
窓の外を眺めるマルクと、隣に並んでマルクの肩に頬を乗せるニネット。
「思えば最初から不思議な子だったが魔力過多症から生還したのだ、彼単体で見れば不思議ではあるまい。しかし、周囲に何らかの影響を及ぼすなどと考えたこともなかったよ」
そう話すマルクは手にした羊皮紙に目をやる。それはレイアス・エリーシア・サラの魔術適正測定結果が記された羊皮紙であった。
・レイアス・クロード 九歳/魔術適正:火風水土木金光闇/魔力量:高
・エリーシア・ライノ 十歳/魔術適正:火風闇/魔力量:低
・サラ 八歳/魔術適正:土金/魔力量:低
・レイアス・クロード 十三歳/魔術適正:火風水土木金光闇/魔力量:極高
・エリーシア・ライノ 十四歳/魔術適正:火風闇/魔力量:高
・サラ・ロット 十二歳/魔術適正:土金闇/魔力量:高
そう書かれた羊皮紙を目に、マルクは深いため息を吐く。
「まず魔術適性が増えるなんて、聞いたこともない。そしてエリーシアとサラの魔力量の上昇具合が異常だ。まさかと思って私も魔力量だけ再測定してみたのだがね……ふふ、この歳になってまだ魔力が上昇するだなんて夢にも思わなかったよ。しかしこれは……流石に陛下に報告する必要が、あるだろうな……」
「報告しない訳にはいかないの?」
悲しげな表情を浮かべるニネットに、マルクは首を横に振る。
「万が一報告せずにレイアスの異常性が下手な貴族に知られた場合、間違いなくその事実を知ることが出来た立場にある私だけでなく、クロード家やコーバス様にまで反逆の疑いを向けられかねない。そうなるくらいなら陛下に事実をお知らせすべきだろう。レイアスには王族から何らかのちょっかいを掛けられる可能性はあるが、貴族に利用されるよりはマシだろう。……今のコーバス様にも、お知らせすべきではないしな……」
冒険者として始まったばかりのレイアスの未来に、早くも暗雲が立ち込めていることを本人は知る余地がなかった。
幼少期編 完
第一部はこれにて終了です。お付き合い頂きありがとうございました。




