1章 第24話V 虐殺
「がはっ……」
ヴァンは、左膝・左腕と腹部に開いた大穴に向けて必死に治療魔術を使用していた。地上への転移が終わる間際に響いた轟音が、腹部に大穴が開け左腕を吹き飛ばしたのだと気付いたのは転移が完全に終わった後であった。
目を開けると濃い闇の魔素がヴァンのいる窪地から外へと噴き出る様が見える。転移門が開いたのは地面の下だった様だが、瘴気の圧力に押され地面に大穴を開けたようだ。窪地の外からは複数の悲鳴が聞こえ、ここが人の住む地域であることがわかる。
「スライムごときに……くそっ!」
ヴァンの立てたここまでの計画は順調であった。ヒルダを騙して子を設けさせ、地上転移魔法陣に必要な魔力はヒルダの魔石から搾り出した魔力で補い、発動の肝となる空間属性魔力は子であるノーラの魔石から搾り出すことで魔方陣を発動させる。
計画は確かに成功した。しかし途中で念のためにノーラの魔力量を確認しようとしたときも、また最後の詰めの段階でも、どちらもヴァンの邪魔をしたのは一体のスライムだったのだ。
結局ノーラの魔力量と属性を確認するために、勘のいいスライム対策として、起動したことを気付かれない秘法級の魔道具である属性視の珠を持ち出さざるを得ず、しかも一時的にとはいえヒルダに預けることになったのも腹を立てていた。
「奴はノーラの従魔だ、もう会うことは無いが……この手で殺してやれないのが残念だよ!」
ヴァンはナナがとどめを刺そうと直刀を振り上げた時、ノーラに向けたアンデット化の術でナナの気を引こうとしたのだ。
間に合わないかと思ったアンデット化だったが、完全に発動する前にナナが気付いたおかげで、目眩ましと陽動を兼ねて装置を破壊したした。そのおかげで転移魔法陣起動へ最終起動の魔力を流すことが出来、辛うじて命拾いをしたかもしれないという事実に苛立ちを抑えきれなかった。
しかし状況確認を急ぐ必要を感じたため、ヒルダの最期の表情を思い出し溜飲を下げることにする。共闘すると見せかけて背後から心臓を貫き魔石を奪った時の、ヴァンを見る裏切られた者特有の顔。ヴァンは何よりもそんな顔を見るのが好きだった。
気持ちを落ち着けたところで腹部と左膝の治療と吹き飛んだ左腕の止血を終えたヴァンは、まず自分のいる窪地の状況を確認する。転移門が吸い込んだ瘴気は周囲へと噴き出しており、地面には装置の破片といくつかの大きな魔石が転がっていた。
「この魔石は装置に入っていたものか? 魔石といい瘴気といい、結果的にはあのスライムと戦ったおかげ、か」
苛立ちが多少収まるのを感じたヴァンは軽く跳ね窪地から出て辺りを見渡す。その光景にヴァンは心が躍るのを感じた。
「ここは……ヒルダの館よりも立派な家が並んでいるが……そうか、これが野人族の集落か!」
見た事の無い綺麗な建物や、周囲に転がる上質な服を身に纏った、遺体の紅でも金でもない瞳の色を見て、ヴァンは文献でしか知らない野人族であると断定する。
噴き出した瘴気は瞬く間に家々を飲み込み、広範囲へ広がっていく。そしてそれに触れたものは次々倒れて死んでいくが、アンデットと化して再び立ち上がる姿も数多く確認できた。弱者が次々と死んでいく姿に昂ぶりを覚えたヴァンは、悲鳴の多く聞こえる辺りに向けて魔術を叩き込み、さらにその死体も魔術でアンデットに変えると手当たり次第に襲わせる。
瘴気のおかげで生きたままヴァンに近寄れるものはおらず、僅か数分でアンデットの大群が出来上がる。ヴァンは笑いながら周囲を見渡せる建物の屋根に上ると、更なる笑いがこみ上げてくるのがわかった。
「はは、はははははは! 素晴らしい、素晴らしいぞ! これだけの人口がある集落だったとは! 殺し甲斐があるではないか!! しかもこの瘴気! できる、これなら皆殺しにできるぞ!!」
そこには見渡す限りの家、家、家。ここだけで異界の総人口を上回るのではないかと思えるほどで、ヴァンの笑いは止まることを知らない。そこは人口二万人を超える地方都市なのだが、ヴァンにその事実を知る余地は無かった。
ヴァンはひとしきり笑うと都市を囲む門を破壊して周り、都市住民の逃走を阻む。瘴気はあっという間に都市を包みこむが、ヴァンの現れた窪地から離れた都市外周部は濃度が薄いためすぐに倒れるような者は少なかった。
しかし瘴気を吸って昏倒するかアンデットに襲われるかヴァンの攻撃を受けるかの違いしかなく、結局それらの多くは命を落としていく。瘴気の薄い辺りではヴァンに戦いを挑む者も当然居たのだが、どれも鎧袖一触にすら値せずアンデットを増やす手助けをしたに過ぎなかった。
僅かな者が都市からの逃亡に成功した様子ではあるが、人口約二万人の地方都市アーティオンはこの日、ヴァンが現れてから僅か半日で壊滅するのであった。
ヴァンは生きる者が皆無となったアンデットの蠢くアーティオンにて、一番立派な建物に侵入し書物を漁っていた。そして目的の物を見つけると都市を立ち、東へと向かう。その手にはこの辺りの簡易的な地図が握られていた。
「世界樹はこっちだな……ふふふ……もうすぐだ。もうすぐ叶うぞ……」
つぶやくヴァンの紅い瞳は真っ直ぐと東の空へと向けられていた。
ヴァンは途中で小さな村落を見つけると皆殺しにし、空間庫から二体の全身鎧ゴーレムを取り出す。ヴァンの空間庫の容量はそれほど多くないもので、ヒルダ邸から持ってきたこの二体が入っていたせいで大量の荷物を入れられないのだ。
従魔作成術式でゴーレムを起動させると、村落中の食料を集めさせて空間庫に入れ東へと歩みを進める。
兵士らしき者達と遭遇した際にゴーレムに戦わせて高みの見物をする腹づもりだったが、ヒルダ邸で剣を交えたときほどの強さはなくガッカリすることになる。直接戦った際はヒルダを先に殺していなければ、またノーラを盾にしなければ、自分が負けていた可能性が高いと思えるほどの技量を持つ高性能なゴーレムだっただけに、現在の身体能力の高さだけで兵士を圧倒するだけのゴーレムには失望を禁じ得ない。
「しまった……核か、ヒルダの術式の方に強さの理由があったか。とはいえ性能は高いのだ、左腕の代わりくらいにはなるだろう……行くぞ」
最後の兵士をゴーレムが力任せに両断するのを見届け、二体のゴーレムを引き連れ更に東へと進むヴァン。
それは地上に出てから数十度目の野営の時だった。夜明け前にヴァンに近付く何者かの存在に気付き、ヴァンは腰の剣に手を掛ける。
「お待ち下さいっ! 敵対する意志はございません!」
そういって林から両手を上げて一人の男が出てくる。その男の瞳は紅く、焚き火の炎を反射して揺れていた。
「ほう、地上にも魔人族が生き残っていたのか。それで、私に何の用だ」
抜いた剣の切っ先を男に向けて問いかけるヴァン。男は震えながら上げた両手を下ろすこと無くその場で足を止める。
「わ、わたしは確かに魔人族です。先程あなたは『地上にも』とおっしゃいましたが、もしや異界からいらしたのではありませんか? もしそうなら、どうかお力をお貸し下さい! 異界に送られた同胞を地上へと戻すために!!」
「面白いことを言うじゃあないか。良いだろう話くらいは聞いてやる。その『異界に送られた同胞を地上に戻す』手段とやらを話せ」
男は震える声で、異界を維持しているのは世界樹の魔力であること、そして世界樹の出力を下げる術式が存在するが発動させる魔力が不足していること、世界樹の出力を下げる術式ならば大きな混乱無く異界と地上界を徐々に融合させるため大きな被害も出ないこと等を話す。
「……ですから、この術式を使わずに異界を融合させようとすると、一気に融合が進み地上界にも異界にも大きな被害が出てしまうのです」
ここでヴァンの口の端が僅かに釣り上がるが、男はそれに気づかず話を続ける。
「そうか、おおよその話は理解した。私からも聞きたいことがあるので答えろ。この辺りの国家情勢と地理、そして警戒すべき戦力だ」
男はアーティオン壊滅時に大量の闇の瘴気が噴き出したことが既に噂になっていること、この先に人口が二十万を超える大都市があること、世界樹の側にも同規模の都市が存在することや、現在いるティニオン王国の総人口をヴァンに伝える。
また北には政情が不安定で小競り合いの戦争を繰り返す少都市国家群が存在すること、そこは戦争が多いせいで闇の瘴気溜まりが少なくなく、魔物が多く生息していることや、自分もそこの出身であることなどを話し、ヴァンの様子を覗う。
「ところでその世界樹を切り倒した場合、どうなるのだ?」
ヴァンの突拍子もない問いかけに、男は笑いをこらえようと引きつった表情で口を開く。
「世界樹を切り倒そうなんて、とてもじゃありませんが無理ですよ。なんせ木の周りを一周するだけで半日は余裕でかかってしまうほどの巨木なんです。それにもしそんな事をしたら異界との融合が急激に進み、地上だけでなく異界の同胞にも大きな被害が出てしまいますよ」
「そうか、やはり異界の光人族どもが言っていた通りのようだな」
そう言ってヴァンは手に持っていた剣を男の腹部目掛けて振るう。
「がはっ! な、なんで……私は、同じ魔人族で……」
斬られた腹部を押さえて縋るような目をヴァンに向けるが、男が目にしたのは金色の瞳で見下ろすヴァンの姿だった。直後に再度振られた剣によって男の首は胴体と別れ、驚愕に目を見開いたまま鈍い音を立てて転がっていた。
「貴様のお陰で計画を見直すことにしたよ。野人共だけではなく、異界に残してきた薄汚い魔人族も皆殺しにするため、とても有益な情報だった。礼を言うぞ」
ヴァンが剣を仕舞い一言二言術式を唱えると、金色の瞳が紅く染まっていく。
「この国だけで百万人もの野人族が存在するとはな、ゴキブリのように増えるだけしか脳のない野人族め……忌々しいが戦力を整える必要があるな。アーティオンとやらに戻ってアンデットを……いや。よさそうな場所があったな」
異界と地上の大まかな地形そのものは同じである事を知っているヴァンは、異界でも使用したことのあるルートで海と山脈の隙間を北に抜け、小都市国家群へと向かうことにして野営を切り上げる。
これからの殺戮劇に心を躍らせるヴァンだったが、周囲への警戒は怠っていないにも関わらず、樹上から一部始終を見ていた者がいることに気付く事は無かった。樹上の男は北に向かって歩き出したヴァンが十分に離れた頃を見計らい、懐から小さな箱のようなものを出すとそこに向かい一言二言話して懐に戻し、慎重にヴァンの進んだ北へと移動を開始した。
その日の昼、クーリオンから出発したアーティオン調査隊の斥候が野営跡と致死量になるであろう血痕を発見、北へ向かった足跡も発見するがアーティオンの調査が優先された。
彼らはヴァンが進路を変えた事と追跡調査が行われなかった事で、命拾いをしたという事実には気付いていなかった。
2018/01/18訂正
アーティオン調査隊の斥候が野営跡と首を落とされた魔人族の遺体を発見
↓
アーティオン調査隊の斥候が野営跡と致死量になるであろう血痕を発見




