1章 第18話R 幼馴染
マルクのところで勉強を始めて二年が経ち、今年も雨季が終わり暑い時期がやってくる。
「レイアス! 明日は買い物に行くわよ、貴方も付き合いなさい!」
エリーシアは今日も元気だ。両親とも上手く行ってるらしく、初めて会った時のような妬みや嫉妬で歪んだ顔は、あれ以来一度も見てない。
「どうせ拒否権は無いんだろ。何を買いに行くんだ?」
ニネットの授業が終わり片付けて帰る準備をしていたところで声をかけられ、明日の予定変更を余儀なくされる。エリーシアとはこの二年で些細な事で喧嘩をしたり仲直りしたりしているうちに、随分打ち解けて話すようになってしまった。始めのうちは母やニネットの生ぬるい視線を感じていたが、最近はそれもやっと落ち着いてきた。マルク一人渋い顔なのは相変わらずだが。
「羊皮紙が残り少ないのよ。あと仕立て屋に頼んだ夏服ができてるはずだからそこも寄って、帰りに大通りの屋台でお昼を食べるわ。いいわね?」
明日の午前の鐘が鳴る頃に迎えに来るよう言われ、ライノ家を後にする。そろそろ自宅というところで、母の姿が見えた。よく見るとメイドのタルサと談笑しながら一緒に玄関先の掃除をしているらしい。
「ただいま帰りました、母様。お疲れ様、タルサ。二人でお掃除ですか?」
「おかえりなさい、レイアス。そうなのよ、あと半年ちょっとでクーリオンに行くでしょ? 今のうちからちゃんと掃除や片づけをしておかないと、もしも急に予定が変更になっちゃったら対応できないでしょ? この家も私達の後から住む人ももう決まっているのだし、綺麗にして引き渡してあげたいわよね?」
うきうきと掃除をしているオレリアだが、こっちとしては正直引越しが憂鬱でたまらない。クーリオンは隣の大都市と聞いていたが、まさか竜車で片道四十日もかかる距離だとは夢にも思わなかった。しかも今回はかなりの規模の集団で移動するためさらに日数を必要とし六十日前後の予定と聞いている。
手伝いを申し出るが『男がする仕事ではない』と追い返され、やむを得ず裏庭に回り自己鍛錬を行う。とはいえまだレイアスは七歳児であるため筋肉をつけることよりも、バランス感覚と柔軟性の向上訓練を優先的に行い、最後に父から教わった剣の素振りをして終了となる。レイアスはこれを毎日朝と帰宅後の二セット行うようにしており、特に朝の鍛錬は父も一緒に行うようになってからは父の機嫌が良い。
朝の鍛錬と朝食を終えて部屋に戻ると、白の襟付きシャツと紺のジャケットとハーフパンツがベッドの上に並べられていた。いつも着ている服装と変わり無いのだが、よく見ると布が多少上質らしく洗濯したての香りがする。よく見るといつも使っている革の背負い鞄すら磨かれているではないか。恐らく母がエリーシアと出かける話を聞きつけて用意したのだろう。
ただの買い物なのにと思うも母の気遣いどおり多少はおめかししないとレディに対して失礼だろうと納得しかけるが、八歳児のしかもエリーシアをレディと言うのはどうかと思い苦笑するしか無かった。
「遅いわよ、レイアス! さあ行くわよ、着いてらっしゃい!」
「エリーシア、午前の鐘が鳴る頃って言ったじゃないか……ほら、今鳴ってるよ?」
ライノ邸に着くや否やエリーシアはちょっとむくれて責めるが、そこにタイミングよく午前の鐘が鳴った。しかしエリーシアはお構いなしに手を引いて歩き出す。エリーシアはいつもの動きやすそうな服を着ているが、頭には黄色の小さなリボンが結ばれている。
「あれ、エリーシア今日はリボンつけてるんだね、とても似合ってるよ」
エリーシアはリボンの存在を指摘された瞬間、恐らく外そうとしたのか開いている手を頭に伸ばすが、続く言葉を聴いて動きを止める。
「変じゃ、ない、かな?」
うつむき加減でもじもじしながら話すエリーシアなんて初めて見ると思いつつ、明るい赤毛にリボンがよく映えているとか可愛いとか綺麗とか褒めまくっていると、顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
「あ、ありがと……」
小さく呟いたお礼の言葉にどう致しまして、と答えるとエリーシアは真っ赤な顔をこちらへ向けて口をぱくぱくさせている。
「ほら、まずは羊皮紙を買いに行くんだろ、行こう」
エリーシアにつかまれていた手を振りほどき、逆にこちらから掴んで前を歩く。するとエリーシアは斜め後ろを、少しばかり歩幅を狭めて歩いてくる。八歳のエリーシアより七歳のレイアスはやや低い身長で、エリーシアが手を引いて先導しているときは少し小走りにしないと追いつけなかったのだ。
そのまま雑貨屋でエリーシアと五枚分ずつの羊皮紙を買い、全部自分の背負い鞄に入れる。エリーシアが何か言いかけたが、雑貨屋の店主がそれより早く「レディの荷物を持つなんて、小さななりをして紳士じゃないか」と言ったため「レディ、私がレディ」と両手を頬に当てながらぶつぶつと呟き一人別世界へとトリップしてしまった。
次の仕立て屋でもエリーシアの夏服を進んで受け取り、こちらは背負い鞄に入りきらなかったため包みのまま小脇に抱えて大通りへと向かう。エリーシアはずっと上機嫌で、両親の話や勉強の話、これから屋台で何を食べようかなどずっと喋りっぱなしである。
「お、お前、ライノ家の、エリーシアじゃないか?」
屋台で買ったホットドッグのようなものをテーブル席で食べていると、知らない三人組の男に声をかけられる。見たところ十歳前後だろうか、声をかけたのは真ん中の太った少年で、ぴひー、ぷひーと荒い息遣いで大量の汗をかいている。
三人とも腰に小剣を下げ背にはマントをなびかせているが、息が荒いのも汗をかいているのも真ん中の一人だけで、走ってここへ来たわけではなさそうだ。エリーシアはというと、相手の顔を見てきょとんとしている。
「エリーシア・ライノは私で合っていますが、どちら様でしょうか」
エリーシアの余所行きの言葉を聞くたび、ニネットさんに厳しく教えられていたのを思い出して笑いそうになってしまう。その気配に気付いたのか、エリーシアが横目で睨んでいた。
「ブ、ブザール男爵家の、オーブリーだ。そこのお前は?」
ズボンのポケットから取り出したハンカチで汗をぬぐいながら、今気付いたかのようにエリーシアと一緒に席に着くこちらへと見下すような視線を向ける。
「私はクロード騎士爵家の」
「何だ騎士爵家か、下がれ。エ、エリーシア、向こうに甘いパンケーキを出している店があるのだ。食べながら少し話そう、着いて来い」
そう言って踵を返しぷひーぷひーと息を漏らしながら歩き出すオーブリー。しかしエリーシアは無視してホットドッグの続きを楽しんでいる。
「いいの? あれほっといて」
「いいの。だって知らない人だもん。着いて行く理由が無いわ」
ほんの少し残っていたホットドッグを食べきると、ちょうど三人組が戻ってくるところだった。
「エ、エリーシア! 着いて来いと言っただろ!!」
ぶひー、ぶひーと息を切らせながら戻ってきたブザールは開口一番で怒鳴り声を上げた。屋台が多く並ぶ大通りでそのようなことをすれば当然のことではあるが、周囲にいた大勢の人たちの目が一斉にこちらに向いてしまう。しかし誰も止めに入ろうとはせず、遠巻きに様子を窺うだけだった。
「オーブリー様。私は本日この場が初対面であると記憶しております。そのような方に着いて行く理由などありませんし、ましてや同じ男爵家ではありますが親しくも無い貴方に呼び捨てにされる謂れもありません! どうぞ、お引取りくださいませ」
席から立ち上がるエリーシアをかばう様に半歩前に出ると、エリーシアは周囲によく通る声で、力強く相手の言動を非難する。
「オーブリー様の言う事が聞けないのか!」
取り巻きの一人がこちらを突き飛ばそうと右手を伸ばしてきたので、左手で手首の内側を掴んでそのまま外側後方へ引っ張る。するとバランスを崩した取り巻きAは無人のテーブル席に頭から突っ込んでいく。取り巻きBも向かって来ようとしたが、エリーシアに睨まれたたらを踏んでいた。
「ぐっ……この、ひ、人が優しくしてやってるのに、調子に乗るなよクソ女が!」
オーブリーは叫ぶと同時に少し下がり、その前に取り巻きBが立ちはだかる。取り巻きBが壁になったせいでよく見えないが、後ろでオーブリーがごそごそと懐から何かを取り出す様子が見えた。そして取り巻きBはあろうことか、腰から下げていた小剣に手をかけた。とっさに取り巻きAが突っ込んで壊した椅子の足を手に持って取り巻きBと対峙するが、その時オーブリーが懐から取り出したものがちらっと見えた。
「っ!? エリーシア、気をつけて! オーブリーが魔方陣を持ってる!」
魔方陣を起動させてはいけないと盾になっている取り巻きBに肉薄し、小剣にかけた手に打ち下ろしで一撃、切り返しで顎に一撃を入れて昏倒させるも、一歩遅くオーブリーは術式を唱え終わった後だった。魔法陣が描かれた羊皮紙を中心に魔力が高まり一本の炎の矢が生み出され、それはレイアスの右後方にいるエリーシア目掛け放たれてしまう。
「うああっ!」
とっさに振り上げた右手に握る椅子の足は見事に炎の矢を捉え、ぼふっを音を立てて燃え上がる。しかし手を離すのが間に合わず右手までも炎に包まれてしまう。左手で叩き火を消そうとするがなかなか消えず、そこにエリーシアが駆け寄り手にした布で燃える右手を叩き、なんとか火が消えるも酷いやけどを負ってしまう。
「よくも……よくもっ!!」
オーブリーはエリーシアの怒りに燃える視線をものともせず、ニヤニヤしながら懐から魔法陣が描かれた羊皮紙をもう一枚取り出した。
「さ、最後のチャンスだ、エリーシア。お前は、僕と結婚するんだから、そこの下級貴族などほっといて、僕と一緒に、来い。嫌だと言うのならんげっ」
オーブリーは最後まで言葉を紡ぐ事無く、周囲の人ごみから抜け出してきた精悍な顔つきをした中年男性に首の後ろを殴られ、白目を剥いて倒れる。
「刃物に魔術と子供の喧嘩じゃあ済まされねえぞ? おい誰か衛兵呼びに行ったのか!?」
男は大声を上げて周囲にいた者に衛兵を呼びに行かせると、警戒を続けるエリーシアをものともせず右手を出すようにと言ってきた。
「坊主、なかなかの騎士っぷりじゃねえか。剣の筋も悪くねえぞ、まぐれでも火矢の術を叩き落すとはたいしたもんだ。……どうだ、少しは痛み引いたか?」
男は差し出した右手を取ると水の魔術で患部を冷やし、弱回復の魔術まで使ってくれたのだ。改めて男性を見ると、ぼさぼさの濃い茶色の髪と同じ色の瞳をした三十代半ばくらいの長身男性だ。腰にはこの辺りでは珍しい、シミターと呼ばれる曲刀らしきものを下げている。
「あ、ありがとうございます! だいぶ良くなりました!」
「レイアス? 火傷……よかったあ……ふえ、ふえええええええ」
エリーシアは抱きついてきたかと思うと漸く気が抜けたのか、へたり込んでぼろぼろと涙を落とし始め、それを宥めながら助けてくれた男性へと向き直る。
「私はクロード騎士爵家のレイアス・クロードと申します。危ないところを助けていただいた上、治療術までかけてくださり重ね重ねありがとうございました。よろしければお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「あ、ああ。俺はカイル、冒険者だ」
貴族の、それもこんな子供にここまで丁寧にお礼を言われたら驚くのも無理は無い。そう気付いたのは目を丸くしているカイルを見た後だった。
その後衛兵によって事情聴取を受けると、その最中に駆けつけた父とマルクの二人がかりで、叱られたり褒められたり治療院へ連れて行かれたりと慌しく時間が過ぎ、やっと屋敷へ帰れたのは夕飯の時間を過ぎた頃だった。
聞いた話ではオーブリーのブザール男爵家は先代から子爵の位を継いだものの、現当主は魔術も使えず性格的にも難有りとして最近男爵へ降格された家で、せめて魔術を使える者を嫁入りさせて地位を保とうと、ライノ家に対し強引に婚約を迫っていたそうだ。
あの親馬鹿のマルクがそれを許すわけが無く、今回の件が王都に報告されれば再度の降格どころか、爵位剥奪の可能性もあるため二度と絡んでくることは無いだろう、とのことだった。
思った以上に思い罰が科せられることに驚いていると、現当主の子爵から降格された原因が子女への暴力とのことだったのでさもありなんと納得する。
右手の火傷はカイルの応急処置がよかったおかげもあって、手の甲に僅かに火傷の痕が残る程度で支障は無いと断言されて安心する。一つだけ気がかりなのは、エリーシアが右手の火を消してくれたときに使った布が、エリーシアがとても楽しみにしていた引き換えてきたばかりの夏服だった事だった。
翌日一番にエリーシアに夏服の事を謝り火を消してくれた感謝を伝えると、そんなものどうでもいいと逆に怒られた。しかもその日の午後から、エリーシアは槍の鍛錬を始めると言い出したのだ。ニネットがこっそり教えてくれたのだが、弟同然のレイアスを守るどころか逆に守られてしまったことで、自分を責めているとのことだった。なし崩し的に自分も鍛錬に加わることになり、一緒に裏庭へと連行されることになった。
「レイアス、何してるの?」
十分な柔軟運動をして体を解し裸足で小さな杭の上に片足立ちをしていると、ニネットから基礎的な槍の構えを教わっていたエリーシアが声をかけてくる。
「バランスの鍛錬だよ。体の柔軟性とバランス能力が高いといろいろと便利だからね」
大きな動きをした後は必ず隙ができる、それを少なくして即応能力を上げることを目的とした基礎鍛錬だと説明していると、ニネットまでもが真剣な表情で聞いていた。
ニネットはファビアン流を褒めてくれたが、実はこれは以前中国拳法の映画だか漫画だかを見た時に得たうろ覚えの知識で、突っ込まれても答えようがないためあいまいに笑って誤魔化す。
自分には魔力以外に飛び抜けた能力はない以上、うろ覚えの知識だろうと何であろうと出来ることを積み重ねて強くなっていくしか無いのだ。
「へえ、昨日の動きはそんな鍛錬をしていたのが理由か。道理で歳のわりに重心の運びが滑らかなはずだぜ」
後ろから声をかけてきたのは、ライノ家の家令に案内されてやってきたカイルだった。その後ろにはカイルに隠れながらおずおずと歩く小さな人影があった。
「カイルさん、昨日はありがとうございました」
エリーシアとニネットも続けてお礼を言う。そしてニネットが後ろの人影に気付き優しく声をかける。
「あら、貴方がサラちゃんね。初めまして」
カイルの後ろからゆっくりと出てきた少女は、ニネットに対して小さな声で挨拶をする。
「うわあ……綺麗な髪……」
「「「!?」」」
この世界では初めて見るが自分にとっては馴染みの深い、まるで日本人形のようなサラと呼ばれた少女のショートボブにした黒髪に、ついつい思ったことがそのまま口に出てしまう。しかしなぜかエリーシア・ニネット・カイルの三人が驚いた表情でこっちを見ている。
「レ、レイアスだったか。怖くないのか?」
「そ、そうよ!? 黒なのよ?」
カイルとエリーシアの言葉の意味が解らないので、首を傾げてみる。
「怖い? 何で? 黒って、黒髪のこと? それとも瞳? あ、もしかして地人族の子かな? はじめまして、僕はレイアスです。よろしくね」
ゆっくり近付いてサラに向かって右手を差し出す。恐らく同年代であろうサラは恐る恐る右手を出してきたのでもう一歩前に出て握手をする。よく見ると艶のある黒髪の隙間から真っ赤になったサラの耳が見えている。
「こいつは驚いたぜ。確かにマルクさんの言う通り、おかしな坊主だ。この子は娘のサラだ。俺達は種族差別の激しいプロセニアから大河セドリューを越えてこの国に逃げて来たんだが、こっちはこっちで黒色は魔人族に関わりのある色だと言われてな。そのせいで友達がいないんだ。仲良くしてやってくれると助かる」
「ええ、もちろんです……エリーシア、何してるの? マルクさんに教わったじゃない、種族の違いは瞳に出るって。この子の瞳を見てご覧よ、髪と同じ綺麗な黒色だよ」
「た、確かに地人族の特徴ね……悪かったわね。エリーシアよ、よろしく」
「よ、よろし……く」
カイルは冒険者をやめて定職に就こうと職を探していたため、マルクの口利きで半年の衛兵業務を経て、問題なければ騎士見習いとしてライノ家の寄子扱いで働くこととなったそうだ。
サラはの母親はプロセニアを出た際に亡くなっており、またサラ自身に魔術の才能をマルクが見出していたため、カイルが仕事をしている日中の多くを、ライノ家で三人一緒に勉強をして過ごすことが多くなるのであった。




