1章 第15話N お人形あそび再び
「ナナ!!」
現れたのは紅い瞳に大粒の涙を浮かべた、寝間着姿のノーラであった。
「ノーラよ、心配かけてすまぬのう。怪我などしておらぬと聞いて安心しておったのじゃが、こうして元気な姿を見ると安しぐはっ」
ナナが言い終わるよりも早く、駆けて来たノーラに捕まり抱きしめられるずんぐりむっくり30センチ人形形態のナナ。そのまま小さな声で何度もごめんなさい、とつぶやくノーラの頭に、太く短い手を置いて語りかける。
「わしを心配して何度も様子を見に来てくれたと聞いたぞ。ノーラ、ありがとう。心配かけてすまなかったのう」
ナナの胸部にあたる部分に顔を押し付けたまま、ぶんぶんと頭を振るノーラ。ナナはノーラの桃色の頭部をやさしく包み、頭上に伸ばした短い手でゆっくりと撫でる。
「私のせいでナナが怪我をしたのじゃ……このままナナの目が覚めなかったらどうしようって思って……ひくっ……ナナ、ごべんなざいいい」
「いいんじゃ、わしもノーラとヒルダのおかげで元気になったのじゃ。大丈夫じゃ。ほれ、可愛い顔が台無しじゃぞ?」
こらえきれず泣き出すノーラの頭を撫でる手を少し下げ、涙をぬぐう。しかしノーラが泣き止むまで、されるがままに宙吊り状態のナナであった。
「ノーラに渡したいものがあるんじゃが、よいかの?」
ノーラが落ち着いた頃合を見計らい、ナナは空間庫からいろいろと取り出す。
「ふわああああ……ナナ、これは?」
目を丸くしながらノーラが手に取ったのは、蜘蛛の糸で作った熊のぬいぐるみである。それは赤青黒でアーガイル型に塗られ、三頭身ほどにデフォルメされた可愛らしい作りであった。
「ぬいぐるみじゃ。熊……ってこっちにもおるのか?」
ヒルダに顔を向けて問いかけるナナだが、返ってきたのは呆れるような視線であった。
「いるわけないじゃない、見たこと無いわよそんな柄で頭の大きい可愛い熊なんて。あら、これはさっきのキャミソールとかいう……さっきも思ったけど、この手触りに柔らかさ……まさかこれ……」
熊はいるらしい。そして蜘蛛の糸製であることに気付いたのか、ノーラに合わせて作られたキャミソールを手に取ったまま固まるヒルダ。
「ナナ! ナナ! これは?」
固まっているヒルダを横目に次にノーラが手に取ったのは、色をつけていない真っ白なリボンである。
「ノーラよ、こっちに来て背中を向けるのじゃ。これはリボンといってな……ほれ、こう使うのじゃ」
背中を向けたノーラの桃色の髪に触手を伸ばしその先端をブラシ状に変化させると、器用に髪をとかしながら別の触手で頭の横にリボンを結ぶ。反対側も同じように結ぶと、金と水と土の魔素を組み合わせて即席の鏡を作り出し、ノーラに自分の姿を見せる。
「ふわああああ……」
桃色の髪を白いリボンでツインテールにされたノーラは、鏡に映る姿に目を大きく開けて言葉を失っていた。そしてヒルダは別の意味で言葉を失っている。
「ねえ、ナナ……あなた今何をしたのかわかってる? ランク7相当の魔術よこれ……」
「何となくぶっつけ本番でやったら作れたのじゃ。ところでそのランク7とやらはなんじゃ? 詳しく知りたいのじゃが」
「……この部屋には置いてないけど書かれてる本があるから、あとで持ってきてあげるわ。それも魔力視の恩恵かしら? 文献で読んだことはあるけれど、本当にでたらめな能力、いや、能力以前にあなたがでたらめすぎるわよ。この布の材質もね」
そう言うとヒルダは可愛らしいツインテールになったノーラをやさしい表情で撫で、ナナにお礼を言わなきゃね、と促す。
「ナナ! ありがとうなのじゃ!! ぬいぐるみもリボンも可愛いのじゃ!! それと……狼に襲われたとき、助けてくれてありがとう。ナナ、大好き! なのじゃ!」
再度ナナに飛びつき、強く抱きしめるノーラ。ヒルダは腰を落とし、そんなノーラとナナを広げた両手で優しく抱く。ノーラに強く締められ形を維持するのが精一杯のナナは、今この雰囲気をぶち壊す訳にはいかないと、無言でひたすら耐えるのみであった。
その後二人は身支度と朝食へ向かい、午前はノーラの勉強をナナとヒルダで教えて過ごす。ヒルダが勉強を見るのは久しぶりの事であるのに加えてナナも目覚め、嬉しいことが重なりノーラはいつも以上に張り切って勉強を進めていた。
午後はナナの提案により、二人と一体で集落内を散歩することになった。ノーラはぬいぐるみとナナの両方を抱えようとするが、結局ナナを抱えて歩き出す。その頭の両側には真っ白な可愛らしいリボンに結わえられた桃色の髪がぴょこぴょこ揺れている。
「ねえナナ、サンプルの収集というけどいったい何を集めるの?」
「ああ、見るだけで良いのじゃ。仕事風景や訓練風景など、『何かをしているところ』が見たいのじゃ。まだ確信は無いのじゃが、人やゴーレムの技能も魔素として魔力視で見えておるらしくての。……あれは鍛冶師かの。あやつでどれくらいの技量なのだ? 一人前の職人? それとも弟子を取るような熟練者かの?」
「彼は一人前の職人といったところかしら。ほら、あの後ろに居る人が父で、もう引退したのだけれど熟練した職人だったわ」
手を止めヒルダに挨拶しようとしている職人を手で制し、続けるよう促しながら話す。その後もナナの質問が飛ぶが、たまにヒルダに挨拶しようと近付いてきた住民がナナの声を聞いてぎょっとした表情を浮かべていた。
五百人ほどしか住んでいない狭い集落ではあったが、最初は散歩にはしゃいでいたノーラも全て回る頃にはへとへとになっていた。
「ノーラよ、狼は怖いかの?」
唐突にナナから投げかけられた質問にきょとんとするノーラ。
「怖くないのじゃ! 母さまもおるしナナもおるのじゃ!」
胸を張って答えるノーラ、そしてナナが何をしようとしているのか想像できたヒルダは慌てて静止しようとするが間に合わなかった。ノーラの手から飛び降りたナナは空中で全身に白い毛皮を纏い、そのまま体積を大きく増やし着地する。その姿は立ち上がれば2mを超えるであろう、とても立派な白狼であった。
「ふわああああああ……ナナ、なの?」
「間に合わなかったわ……ナナ、あなた誰かに見られたらどうするの?」
「恐らくみんなヒルダの従魔が増えただけ、と思うじゃろ。変身は見られておらんし、大丈夫なのじゃ。さあノーラ背中に乗るのじゃ! しっかり掴まるんじゃぞ?」
地面に伏せた白狼ナナに恐る恐るまたがり、首の付け根辺りの毛皮をしっかりと握るノーラ。ナナはそれを確認すると、ゆっくりと立ち上がり歩き始める。
「ふわああああああ……ナナ! 凄いのじゃ!」
先ほどまでの疲れが吹き飛んだようなノーラのはしゃぎように、苦笑を浮かべていたヒルダも優しい笑みに表情を変えていた。そして並んで歩き出すと手を伸ばし、白狼ナナの首筋辺りを撫で付ける。
「本物の魔狼の毛皮より柔らかい気がするわね……」
「それはそうじゃ、こっちは作りたての毛皮じゃ。野生で汚れた毛皮と一緒にするでないわ、かっかっか。それはそうと聞きそびれておったが魔狼というのはこの白狼のことかの?」
「作りたてって……まあいいわ。そうよ、白く体の大きな狼は数十頭規模の群れのリーダーとしてよく見られるわ。集中・拡散を自由に調整できる衝撃波を放つことができる、とても厄介な魔物よ。ただ、この周辺に住むフォレストトータスとは相性が悪く、群れで近くに来たことなんて今まで一度も無かったのよ」
「フォレストトータスとは亀の魔物か。確かにあの硬さは脅威じゃな」
「でも槍なら甲羅の隙間から一突きなのよ。だから周辺に槍を持ったゴーレムで警戒に当たらせていたの」
ノーラを乗せてゆっくり歩くナナが軽く首を傾げた。
「言いたいことはわかるわ。フォレストトータスの姿を見ていない、でしょ? ……1年位前からほとんど見かけなくなったらしいわ」
そういって苦虫を噛み潰したような顔をするヒルダ。
「ああ……そう言えば帰り際に何か言っておったな……」
ナナも遠くを見つめるそぶりをするが、ノーラは一人何の話かときょとんとしている。1年ほど前といえばヴァンがヒルダの屋敷を訪れた時期と一致しているのだ。
「ま、それはさておき、じゃ。そろそろ館に着くのう、ノーラどうじゃ? 楽しかったか?」
ナナの上から降りると満面の笑みを浮かべ、ナナの上がどれほど気持ちよかったのかを熱く語るノーラのおしゃべりは、なかなか止まらなかった。
「私は夕飯まで少し休むわ。ナナ、ノーラを任せていいかしら?」
「うむ、かまわんぞ。わしが休めと言ったくせに、連れまわしてしまってすまんの」
日の出るよりかなり前に起きて話し込んでいたヒルダに、スライムからデフォルメされた人の上半身を生やしたナナがぴょこぴょこと手を振りながら答える。
「ではノーラよ、わしが面白いものを見せてやろう。少しばかり待っておれ」
ナナの言う『面白いもの』に相当心惹かれるヒルダだが、後でまとめて説明してもらおうと心に決め、あとはよろしくねと言い残し部屋を後にする。ナナはキューにあれこれ指示を出しながら、布で作った人形を数体目の前に並べる。その男女様々な下着姿の人形に次々と小さな魔石を埋め込み、ゴーレム化して立たせてゆくと、今度は人形サイズの大量の服を出し、それぞれのゴーレムに服を着るよう命じていく。ノーラはその光景を目を輝かせながらかぶりつきで見ている。
「よーしできたのじゃー」
「のじゃー!」
人形たちはヒルダとノーラの住む集落の住人たちと同じようなチュニックとだぼだぼのパンツに身を包み、ナナの体で作った舞台に立つ。その後ろにはデフォルメされた小さな羊と狼のぬいぐるみが追いかけっこをしている。このぬいぐるみは魔石を埋め込んでおらず、舞台となっているナナが直接動かしていた。
「羊が追いかけられておるのじゃー!」
大興奮して羊に手を伸ばそうとするノーラに、ナナは今から面白いものを見せるから、終わったらあげると約束して手を引っ込めさせる。
「では。これはとある羊飼いの少年のお話じゃ。少年は飼っている羊が狼に襲われたら助けを求めるよう村人に言われておったのじゃがな……」
ナナが操作するゴーレムとぬいぐるみによる人形劇は、嘘をついて痛い目にあう少年の話や、毒りんごを食べて王子の口付けで目覚める少女の話など、地球では一般的な童話であった。四本目の途中でヒルダが起きてきたので中断しようとするが、ヒルダの要望で四本目が終わるまで人形劇を続けた。大喜びのノーラと対照的に、ヒルダの顔は多少引きつっていたがナナは見なかったことにした。
夕食を終えて戻ったノーラに魔石を抜いたただの人形とその服を、着せ替え人形として全部渡して遊び方を教えていたナナだが、そういえばと一言発すると空間庫を漁りはじめる。
「ヒルダ、おぬしにも渡したいものがあるんじゃが。……これ、着てみんか?」
そういってナナが空間庫から取り出したものは、女性用の下着とキャミソールであった。
「さすがに人が着る物はインクで着色するわけにいかぬから白しかないのじゃ。じゃからこのキャミは外で着るでないぞ、透けてしまうからの」
「ねえ、私言おう、言おうと思っていたのだけど……これスパイダーシルクっていって恐ろしく貴重で上質な布なのよ? しかもノーラにあげた人形も全部スパイダーシルクよね? しかも何でこんなに伸びるの……いったいどうやって調達や加工をしているわけ?」
一度広げた下着を握り締めながらナナにずい、ずい、と詰め寄るヒルダ。
「またんか、教えるから、教えるから握るでないっ! うぎゃーこぼれる、体がこぼれるのじゃー」
本気のやり取りではないことがわかっていてけたけたと笑い声を上げるノーラだが、そろそろやめてあげるのじゃーと制止しナナを握っていたヒルダは手を離す。
「うう、ヒルダは酷いのじゃ……そう睨むでない。最初にこの部屋にわしを連れて来た時に、食事として蜘蛛を貰ったんだが覚えておらぬか?」
「ええ、覚えているわ。たまたま館の敷地内に迷い込んできたレッサー・ゾルア・スパイダーの幼生ね。でも一体しか与えていないし、幼生からはこんなに大量の糸は」
「てい」
ヒルダめがけ突然体から糸を噴出するナナに、ヒルダは短く悲鳴を上げる。
「ちょっと、いきなり何? って、これ蜘蛛の糸? え、スライムが糸って……え?」
「常識に囚われておるのう。わしが狼の姿に変化したのを見ておろうに。ほれ」
そういうとナナはスライム体から魔狼の右前足だけを出現させてノーラに『お手』をする。ナナが何をしたのかおおよその想像ができたらしいヒルダは、口をあんぐりさせてナナを見ている。
「ヒルダのお休みが終わったら全部話してやるゆえ、それまで待っておれ」
先程噴出した粘着力のない蜘蛛の糸を回収しながら魔狼の前足でノーラと遊ぶナナを見て、引きつった笑いを浮かべるしかできないヒルダだった。




