3章 第79話H 心臓が止まるかと思ったよ
戦場となっていたテミロイ西門前の雪原に、突然現れたナナ。この場にいる全員が今、ナナと俺に視線を集中させているのを感じる。
そのナナは足元にひっくり返った二つの器と、雪に紛れて転がる白い塊……多分おにぎりを見て、目に涙を浮かべていた。
「そうなのじゃ、皇国で見つけたのじゃ。それに……味噌と醤油も見つけて、味噌汁と肉じゃがを作ってきたのじゃが……っ! そんな事よりヒデオ! 何じゃその怪我は!?」
「ああ、うん。ちょっと今、戦争の真っ最中なんだ」
「はい?」
スライムを抱いていた左腕の痛みが治まった。スライムが光ってるから、多分ナナの治療魔術だな。
ナナの乱入にチェイニー達もエリー達も呆然としているし、ちょうどいいや。雪の上で良かった、まずはおにぎりから、っと。
「ヒ、ヒデオ! そんな、落ちたものを食べてはいかんのじゃ! たくさん作ってあるのじゃ!!」
おにぎりを拾って一気に口に突っ込んで飲み込み、器の下にあった貝に少しだけ残っていた茶色の汁をすすって貝の身を摘んで口に入れる。肉じゃがは鷲掴みにして、雪ごと口に突っ込んだ。
「うめぇ……それに具は鮭か? こっちの貝はよくわかんねぇけど、間違いなく味噌汁だな。肉じゃがも醤油の味がしっかり染みてるなー……ナナ、ありがとう。ほんと、びっくりしたよ」
どれもこれも、懐かしい味だ。そっか、ナナはこれを俺に食べさせたくて跳んできたんだな。
左手で抱いていたスライムをナナに返した頃には、自然と頬が緩んで笑顔になっていた気がする。
「それとナナ、一応確認なんだけど頭に怪我とかしてないか?」
「そ、そういえば、転移した瞬間、何か頭にぶつかったのう」
「ぶ、ぶつかったなんてもんじゃねえぞ! おいガキ、何で剣で脳天突かれて平気なツラしてんだよ!!」
ぽかーんとして固まっていたチェイニーが、やっと動き出した。何か顔を赤らめて挙動不審になっていたナナもようやくチェイニーに気付いたようで、振り返って首を傾げている。
「んー。おぬし程度の実力で、わしに傷をつけるなどできるわけないのじゃ。それにヒデオ、まさかとは思うがこんな雑魚相手にボロボロにされておるのではあるまいの?」
「ごめんナナ、ちょっと亜人種とか森人族とか地人族とかの奴隷が人質に取られてるんだ。周りの覆面をしている人たちは、プロセニアの督戦隊に無理やり戦わされている奴隷兵なんだよ」
「覆面? ……奴隷、じゃと? ……督戦隊というのは、ちらほら見えるちゃんとした鎧を着た奴じゃな?」
「雑魚、だと……この、糞ガキがあ! 手足切り落として皮を削『ヒュインッ』……は?」
チェイニーを無視してナナに頷いた瞬間、空から何条もの光線が降り注いだ。同時に周囲から聞こえてくる幾つもの悲鳴の元に目をやると、手足から細い煙を上げる督戦隊の姿があった。見渡す限りには、もう立っている督戦隊の姿はない。
光線が降ってきた空を見上げると、何十体もの翼付きスライムがぱたぱたと空を飛び回り、広い範囲に散っていくところだった……ナナ?
「督戦隊は片付けたのじゃ。怪我人もこっちで何とかしてやるでの、ヒデオはさっさとそこの下品な赤マントを倒さぬか。……ヒデオ! エリー! サラ! シンディ! ついでにオーウェン! この、たわけがあああああ!!」
動きの完全に止まっている戦場に、ナナの大声が響いた。
「この程度の相手にわしが鍛えたおぬしらが、傷の一つも付けられるわけがなかろうが! 剣で切られようが槍で突かれようが魔術を受けようが、どうもならん! ……オーウェン! ジルが今朝、たった一人で五千人の敵兵とドラゴン・ゾンビ一体を相手に勝利しておるぞ! それなのにおぬしは、ただ力の強いだけの相手に何を手間取っておるのじゃ! ペトラとミーシャも、それぞれジルと同じ戦果を上げておる! 自分の力を信じぬか!!」
敵兵五千とドラゴン・ゾンビって、ナナの方こそ何やってるんだよ……。でも、そうだな。ナナが大丈夫だって言うんだ、本当に大丈夫なんだろう。
「な、なんだ! 何なんだよ、そのガキは!! それにお前、す、素手で俺と戦おうってのか!?」
「ああ。ナナが言うには余裕で勝てるらしいからな、さっさと来いよ」
「ハ、ハッ、てめえ……舐めやがってえええ!!」
無防備でチェイニーの方に歩いて行くと、俺の脳天目掛けて剣が振り下ろされた。その俺の剣を真正面から、瞬きもしないで睨み続けた。
その剣で、俺を傷つけることなんて、できない!
『ゴチンッ!』
「いってえ! ってナナ!! 確かに切れてないけど、普通に殴られた痛みはあるんだけど!?」
「我慢できる程度の痛みじゃろうが、それくらいで泣き言を言うでないわ」
確かに拳骨食らった程度の痛みだったけどさ。
さて……俺はもう、一人殺してしまっている。また人を殺すことをためらって仲間を危険に晒すのも、ナナにかっこ悪いところを見せるのも嫌だ。
それに俺はこいつを許すことが出来ない。
空間庫から刀を取り出し左手に鞘、右手を柄にかける。そのまま抜き打ちで一閃。
「んな!? ヒ、ヒデオ!!」
「ん? ごめんナナ、心配かけちゃったな」
刀を鞘に収め振り返ってナナの方を向くと、後ろからドサッという音が聞こえてきた。上下二つに別れたチェイニーの上半身が落ちた音だろう。かすかなうめき声も聞こえるが、じきに止む。
俺は今、初めて自分の意志で人を殺した。
本当に、嫌な気分だ。目の前にナナがいなかったら、かっこ悪く吐いてたかもしれないな。
ナナはいつも、こんな気持を抱えて――
『ヒュインッ』
「え?」
ナナ放った光線が俺の横をすり抜けた。振り返るとチェイニーの頭に穴が空き、白煙を上げている。
え? 何でナナがこんな事を??
「わしが殺したのじゃ。とどめを刺したのはわしじゃ。じゃからそんな顔をするでない、ヒデオ……」
ああ、そうか。ナナは俺が罪悪感を持たないようにしてくれたんだな。いつもいつも、俺はナナに守られてばかりだ……。
「ナナ……いいんだ。俺はもう、一人殺しているんだ。さっきそこで、狼の獣人を……」
俺が死なせてしまった、いや、殺したんだ。あそこに倒れている、狼の……え? 何であの人、普通に座ってるの。さっき俺の剣、間違いなく心臓に刺さったよな!?
「ばかものぉ……確かにあ奴が一番危なかったがの、蘇生は間に合っておるわ……。おぬしらの相手とプロセニアの正規兵以外では、誰一人死んでおらぬのじゃ……」
殺して、ない……? 生きてる? 狼の人、ぽかんとした顔で体のあちこち触って……ああ、本当に生きてる……。
「ナナ……ありがとう……あの人を助けてくれて、本当に……ありがとう……良かった……」
「うなっ!? ば、ばかもん、エリー達が見ておるではないか……」
「う、うううう……うあああ……」
どれくらいそうしていたのだろう。
気が付けば俺は両膝を雪の上に着き、ナナの細くて小さな体にしがみついて涙を流していた。
頭に乗せられたナナの小さな手がとても心地よく、でもまたみっともないところを見せたことが恥ずかしく……そしてエリー達がどんな顔で俺を見ているのか知るのが怖く、とてもじゃないけど顔を上げられない。
「ねえナナ、その男の人がナナの想いび「うぎゃああああああ!!」」
『ゴスッ!』
「げふおっ!?」
誰の声、って思った瞬間、みぞおちにナナの膝蹴りが入った。
い、息が……。
「ア、アネモイ! どうしてここに、って、何でみんなおるのじゃ!?」
「行き先は解ってたんだけど、姉御が戻って来ないから来ちゃった。えへ」
「んで、ナナは何だってまたこんな戦闘のド真ん中にいやがんだ? しかもちっちゃい方の体でよぉ? ああ!?」
「そ……それは、じゃな……元いた世界と同じ調味料を見つけて料理をしているうちに、感動のおすそ分けと言うか……気付いたらヒデオの……ぬおお、わしは何をしておるんじゃぁ……」
息を整えて顔を上げると、角の生えた見たことのない女性とバツの悪そうな顔のリオや怒り顔のダグ、それにオーウェンと話すアルトや、ニヤニヤとした顔でこっちを見ているエリーやセレス等の女性陣がいた。
ナナは膝から崩れ落ち、真っ赤な顔を両手で覆っている。
状況の変化に、頭が追いつかないんだけど……。
チェイニーの仲間はオーウェンとシンディが一人ずつ仕留め、エリー達の相手をしていた術士二人はナナの姿を見た途端に降伏してきたので捕縛したと、左手を痛そうにしていたオーウェンから説明された。
オーウェンはナナの言葉を聞いて、盾を捨て相手の槍の穂先を左の手の平で受け止め握り潰したそうだ。その時穂先がちょっと刺さったとかで、愚痴をこぼしていた。シンディの方は「本当に矢が刺さらなかったよー」って、毒で汚れた左腕を見せてくれた。
その後オーウェンは「治療してあげるわぁ」と言うジルに連れて行かれ、俺はとりあえず兵士に指示して奴隷にされていた人達を一旦テミロイの防壁内で保護することにした。
手足に穴が空いた督戦隊は全て奴隷にされていた人達の手で殺されていたらしく、いつの間にかナナが全て吸収していた。
南門はエリー達三人と「プロセニア相手なら手伝うにゃ」と言うミーシャとペトラが、兵士を連れて制圧に行ってくれた。
「これだけの人数を食べさせられる食料は無いでしょう。よろしければプディング魔王国で全員引き取りますよ?」
「助かるよ、アルト。それと北のハーデラグという都市跡にも、女子供が連れて来られて人質にされてるらしいんだ。すまないがゲートゴーレムを貸してもらえないかな、ちょっと行って開放してくる」
「それには及びません。我が国の国民になるのですから、僕とセレス君で行きましょう。アネモイさんとリオ君は、ナナさんが逃げないよう見張っていて下さい」
角の生えた人はアネモイさんって言うのか。……あれ。アルトがナナ以外の人をさん付けで呼ぶなんて珍しいな。どんな人なんだろ。
そのアネモイさんは、真っ赤な顔をしたナナにつきまとって殴られてた。あれ、長いスカートの裾からトカゲみたいな尻尾の先が見えてるけど、亜人種の人なのかな。
「ナナちゃ~ん、面白いもの見つけたわ~? 水晶玉に空間庫と同系の魔力を封じ込めてるみたいね~、はいこれ。じゃあ行ってくるわ~」
チェイニー達の死体を調べていたセレスがナナに水晶玉を渡し、アルトと一緒に転移していった。あれ、何かこの水晶玉に見え覚えがある気がする。
「……ふん。中に地の中級ドラゴン・ゾンビが封じられておるの。裏におったのはプロセニアか、はたまた同じ者が裏におるのか……」
「ねえナナ! それ、食べられそう!? 私まだ魔力が全快してないの! ねえ、食べられるなら頂戴!!」
「構わんが、元の姿で食うのかの?」
アネモイさんって人、ドラゴン・ゾンビ食う気かよ。それより元の姿ってなんだろ、ぶんぶんと縦に頭を振ったアネモイさんに、ナナが何か小声で注意してるけど何話してるんだろ。
それにあの水晶玉、思い出した。キンバリーが逃げる時に使ったやつ、って何割ろうとしてんのナナ!?
……ナナが割った水晶玉から出てきたドラゴン・ゾンビが、それよりも大きい緑色のドラゴンに変身したアネモイさんに一撃で倒され、今目の前でナナの手で薄くスライスされている。
アネモイさんはそれをナナが作った巨大なフォークに突き刺し、火の魔術で炙って嬉しそうに食べている。
てーか……フォークを使って焼肉を食うドラゴンって何だ。
ドラゴン・ゾンビのスライスを終えたナナが、その肉を全て魔術で作った巨大な皿に乗せ、ゆっくり食べるんじゃぞーって声をかけると、リオと一緒にこっちに歩いてきた。
「何ぼけーっと突っ立っておるんじゃ。そう言えばヒデオ達にはまだ紹介しておらんかったの。あれは古竜のアネモイというのじゃ。最近友達になったでの、エリー達も戻ったら改めて紹介するのじゃ」
「古竜!? ……ほんと、少し見ない間にデタラメ度が増してるな」
この世界で最強と言われている生物じゃないか。道理でアルトがさん付けで呼ぶはずだよ。
「アネモイが勝手に付いてきただけじゃもん、わしがデタラメなわけじゃないわい。ふふふ」
ああ、ほんと可愛いな。笑顔もそうだけど、言葉も態度も何もかも。本当に生きてて良かった。ナナに想いを伝える前に死んでたら、死んでも死にきれなかったよ。
「ところでのうヒデオ。大事なことを言い忘れておらんか? ん?」
ニヤニヤしているナナの顔を正面から見て、ゆっくり息を吸い込む。
そうだな、大事なことだ。ちゃんと、伝えよう。
「ああ。ナナ、愛してる。俺と結婚してくれ」
「んなっ!?」
一瞬にして顔が真っ赤に染まったナナが可愛い。あわあわしているナナも可愛い。徐々に目に涙が浮かんで来たナナも可愛い。
「ば、ばかものぉ……おぬしには、エリーもサラもシンディもおるではないか……」
「三人にはもうプロポーズは済ませた。最低だって思うかもしれないけど、俺はナナのことも大事に想ってる」
優柔不断と言われようが、俺には誰か一人を選ぶなんて出来ない。
「わしに、四人目になれと? ふふ、軽く見られたもんじゃのう……」
「軽く見ているつもりはない! …・俺にとっては、四人とも大切な人なんだ。ナナには情けないところばかり見られているけど、そういう意味では俺の弱いところを一番知ってるのはナナだ」
ゆっくり息を吸い、今度はさっきよりも強く、言葉に想いを乗せる。
「もう一度言う。愛してる、ナナ。俺と結婚してくれ」
全部事実だ。エリー達三人には責任という意味も多少は感じているが、それ以上に今まで支えてくれた大切な人だ。
そしてナナには三度も命を救われた。ナナがいなければヴァンに殺されていただろうし、ニースと会った山ではドラゴンに食われていただろうし、それに今日。
そして……レイアスの、存在。いつか目覚めるであろう、俺の、弟。
ナナがいなければ、俺はレイアスの存在を信じきることができなかっただろう。
静かに、ナナの返事を待つ。息を呑んでこっちを見るリオと、アネモイさんまでフォークを持つ手を止めてじっとこっちを見ていた。
そしてようやく顔を上げたナナの目が、俺を真正面から見つめる。さっきまで目に溜まっていた涙は引いて、何か苦しそうな雰囲気すら感じる。
「ヒデオ……わしはな、おぬしに言っておらん事があるのじゃ……」
泣きそうな顔をしたナナの、言葉の続きを待つ。それに俺はどんな内容だろうと、きっと受け入れられる。
いや、受け入れる。
『俺の日本での名前は、島津義之。……男だ』
「え? ……ええ!?」
突然日本語で語ったナナの言葉に、思考が一瞬止まった。
つーか……男? 義之??
確かにびっくりしたけど……いきなり日本語だったから、そっちの方がびっくりしたよ。
それにオーウェンとジルの時に一度は「もしナナが男だったら」って想像したことがある。俺が知っているのは女の子のナナだけだから、問題ないって思ったんだ。
そう言おうとした時、北に少し離れた林から火柱が上がった。
「……じゃから、わしはヒデオの言葉には答えられぬ。エリー達を大切にするんじゃぞ」
「え、ナナちょっと待ってくれ!」
俺の静止は間に合わず、ナナは抱きついてきたリオと一緒に転移してしまった。
え。あれ……?
……俺は、フられた、のか?
つーか何だよ、今の火柱……。




