3章 第56話N 羨ましくなんてないのじゃ
「ふはー、ギリギリ間に合ったようじゃの! 全くヒヤヒヤさせよるわい」
「あはは! 姉御、今にも転移しそうだったもんね!」
現地にこっそりと飛ばしたタカファイターによって、いつまでたっても現れないジル達にヤキモキしながら、ステーシア奪還からの一部始終をモニターしていた。
青い鎧の男がレーネハイトの目玉をえぐってステーシアに手を伸ばした瞬間、ジル達の姿をタカファイターが捉えていなければ間違いなく転移していただろう。
「しかし映像だけというのも味気ないのう、集音マイクでも作ろうかの。音声はやろうと思えば送れるのじゃが、音を集めるには何の魔術で代用できるかのう。うーむ」
上空を舞うタカファイターからそのまま音声を送った所で、風を切る音しか届かないだろう。とはいえ緊急性もないので思いついたら作ることにしよう。
差し当たっての問題は、ジル達が戦った覆面たちである。
「ジル達が移動したのう。ではちょっと行って……いや、いい機会じゃ少し試してみようかの」
今もタカファイターが監視中の死体が転がる平原に、羽根つきになったスライム体だけを転移させる。スライムだけの短距離転移ができたのだから、長距離転移も出来るだろうという予想は的中した。
しかしそこで覆面達の死体をごっそりと吸収しようとするが、どうも本体から離れるとキューのサポートが完全には受けられないようで、いつもより吸収に時間がかかりそうだ。
仕方がないので一度死体等を全て空間庫に放り込み、戻ってからキューの手を借りて吸収することにする。
「セレスよ、確かに今は向こうのスライムを動かすことに集中しとったが、こちらに残した義体も意識はあるのじゃぞ?」
椅子に深く腰掛けてモニターを見つめる義体に、だらしない顔でにじり寄って手を伸ばしてきたセレスを半目で睨みつける。
全く油断も隙もない。そのままセレスの動向に気を付けながら、馬の遺体や鎧の破片などを空間庫にしまい終えてスライム体を転移させる。
ただいまと言いかけるスライム体と、おかえりと言いかける義体。どっちも自分だしややこしいな。
その場で多めのスライム体を出し、半透明の体を透明感のない水色に変化させる。
「あれ、姉御がふーすけみたいな色になっちゃったよ?」
「中で空間庫を開いて、持ってきた死体を吸収しておるのじゃ。わざわざ見る趣味はないし、なんぞ毒物も混ざっておるようでの、念の為に密封しておる。絶対に飛び込むでないぞ?」
フリじゃないぞリオ、本当に飛び込んじゃ駄目だからな。
「気に入らんの」
「どうしたんですか、ナナさん。眉間にしわが寄っていますよ」
水色のスライム体が、内部で覆面達を吸収し続けている。そこからキューを通して送られてくる情報の異常さに、自然と眉間に力が入っていた。
「ジル達が倒した覆面達の体じゃ。体中にオーガ等の魔物の細胞が混ざっておっての、その細胞が体中の神経を侵食しておる。おそらく尋常ではない激痛があったじゃろうが、それを薬物で無理に押さえ込んでおったのじゃろう。感覚や神経を麻痺させる強力な薬物が、体内から大量に出てきたわい。あれでは何年も生きられまいのう」
人の体を改造することについては、自分に他者を責める資格は無いかもしれない。しかし相手にデメリットを強いるような改造はしていないし、これからもするつもりはない。
「それにほぼ全員が森人族や獣亜人族、またはそのハーフじゃった。耳や尻尾のあるものは根本から切り取られ、野人族に見えるようにされておったわ」
「……探らせておきます」
何かいろんな国のいろんな問題に首を突っ込みそうな気がするが、それも今更か。知った以上、気になるものは気になるんだもん。
あとはジル達だが、レーネハイトが落ち着いたら挨拶に来ると言っていたから、それまでのんびりと待つとしよう。
それとタカファイターの回収を忘れてた。ついでだし近くの街まで様子見がてら飛ばして、アルトの配下に回収してもらおう。
そして三日後、ようやくレーネハイト達が落ち着いたという報告を受け、アトリオンの別荘へと向かう。そこにはどこか愁いを帯びたような表情で椅子に座るステーシアと、その隣にぼろ雑巾のように薄汚れたレーネハイトが片膝を床について控えていた。おかしいな、レーネハイトはステーシアと同じ金髪だったはずだが、今はどう見ても緑色なのだが。
「フォルカヌス神皇国皇女、ステーシア・フォルカヌスと申します。足が不自由であるため、着座でご挨拶をさせていただく無礼をお許しくださいませ。この度は危ないところをお救い頂き、真にありがとうございました」
「レーネハイトと申します。過去の無礼、心より謝罪致します。事情は全て我が友ジルより聞いております。そしてこの度はご助力頂いた事、心より感謝いたします」
「スライムのナナじゃ。魔王と呼ばれてはおるが、堅苦しいのは嫌いなのじゃ、気楽に話してくれると助かるのう。ところでレーネハイトよ、どうしたのじゃその格好は」
視界の隅に、困ったような表情を浮かべるジルと、そーっと顔を背けるミーシャとペトラの姿が見えた。
そちらに視線を向けていると、ミーシャとペトラの顔にどんどん汗が浮いてきた。何したんだこいつら。
「お見苦しい姿を晒す無礼、ご容赦下さい。髪の色は、こちらが本来の色にございます。そしてジル達三人に負けただけでなく、マリエル殿にまで敗北を喫したおかげで目が覚めました。魔王様に疑いを持っていたことを、お許し下さい」
「魔王様、レーネはわたくしを守るために警戒していただけなのです、どうか寛大な処置をお願いいたします!」
レーネハイトによると魔王の配下となって姿も変わったジルを信用できず、ミーシャとペトラに対しても操られているのではないかという疑いを持ったのだそうだ。それで三人に代わる代わるボコられ、動けなくなったところに淡々と説明を受けたらしい。
そこでレーネハイトの国境超えの際に仲間二人が命を落とし、ペトラも右腕を失っていたことを聞き我に返ったのだそうだ。
そして髪の色は緑色が本来の髪色なのだが、森人族と勘違いされるため普段は偽装して金色にしていたという。どうも森人族の血が混じっていないのに緑髪という野人族は、相当珍しいらしい。
右目を閉じたまま左目だけでしっかりとこちらを見て説明するレーネハイトを見て思い出した。そういえば右目を抉り取られていたな。
「よいよい。何の疑いも持たぬほうが逆に不自然じゃろうて。ところで片目では余計に戦い辛かったじゃろう。ジル、レーネハイトの右目を拾っておったな? わしに寄越すのじゃ」
「あらぁ、ナナ様やっぱり覗いてらしたのねぇ。恥ずかしいわぁ」
あ。……ま、いっか。ジルもどうせ最初からそのつもりで目玉を拾ったんだろうし。頭上の羽根つきスライム体を掌に乗せ、ジルが空間庫から出した目玉を吸収させる。
キューから入ってきた目玉の情報は人のものよりも竜に近いものでだったが、特に再構築をする上で問題は無さそうだ。ドラゴンとのハーフとか血が混じっているとかそんなのだろうか。
「レーネハイトよ、今からおぬしの目を治してやるのじゃ。動くでないぞ?」
跪いているレーネハイトにスライム体を見せ、右のまぶたに押し当てて麻痺毒を流し、目玉を再構築して神経と繋げ毒を抜く。
動くなと言われて動かないと言うよりも緊張からこわばっている様子のレーネハイトだったが、閉じた右瞼の中にあるものの感触に気付いたのか、はっと息を呑んだ。
「ほれ、終わったのじゃ。右目も見えるじゃろ? あとステーシアじゃったか。歩けないようじゃったが、どうしたのかのう?」
「ステーシア様は足首の筋が切られてるにゃ。酷いことするにゃ」
「そうじゃったか、それくらいならすぐに済むじゃろ。ステーシアよ、少々くすぐったいかもしれんが我慢して欲しいのじゃ」
右瞼を上げたレーネハイトの瞳を見て驚愕するステーシアの返事を待たず、スライム体の体積を増やして足を包み込み、筋というかアキレス腱を繋ぎ直す。
「しばらく歩いておらぬなら筋力も落ちていよう、二~三日は無理な運動をせず様子を見るのじゃな」
ステーシアは瞼をぱちくりさせたあと足首をぷらぷらと動かし、目を見開くとゆっくりと床につけた足に力を入れ始めた。
支えてやるよう言うが早いか、さっと寄ってきたレーネハイトがステーシアの腰に手を回し、ステーシアはゆっくりと立ち上がった。
その瞳からは涙が零れ落ちているが、レーネハイトと顔を見合わせて今にも熱い抱擁を交わしそうな様子を見て、ちょっとだけ羨ましいと思ったのは秘密だ。
「ああ、なんてこと……足が、また自由に動かせるなんて……魔王様にはなんとお礼申し上げればよいか……」
「私の右目も、はっきりとステーシア様のお姿を捉えております。ああ、魔王様……ありがとうございます……」
二人してちゃんとお礼を言えるのは偉いが、見詰め合うと一瞬にして二人の世界に入りやがった。けっ。
でもステーシアには涙を拭くようハンカチは渡しておく。そういえば二人ともほぼ着の身着のままで来たのだから、こういった小物も不足しているだろう。
「今後のことについてはジルと相談するが良かろう。それとマリエルに言えば着替えや下着、タオルやハンカチなども出してくれるでのう、まずは二人とも体を休めるがよいのじゃ」
ステーシアの腰に回るレーネハイトの手は、きっといちゃいちゃしているのではなく支えているだけだ。そういうことにして、深く頭を下げる二人を残して立ち去ることにする。
そこにジル達三人も慌てて合流してきて代わる代わる頭を下げてきたが、別にたいした事はしていない。
自分はジル達を鍛えて魔道具を貸し出した、ただそれだけだ。
「そうはおっしゃいますけどぉ、レーネたちの治療までして頂いてぇ、何とお礼を申し上げればよいか……」
「ならば感謝の分だけオーウェンを唆して、酒を貢がせるのじゃな。くっくっく」
このツケはオーウェンに払わせよう、そうだそれがいい。ジルならできる頑張れジル。
「姉御、すっごい悪い顔になってるよ!」
「そう言うリオも、似たような顔ではないか」
「えへへー。姉御と一緒にしょっちゅう飲んでるうちに、オレもお酒好きになってきたんだ! 楽しみだなー!」
なんだ、元々そんなに好きではなかったのか。それなのに付き合って飲んでいたとは可愛い奴だ、撫で回してやろう。
「えへへー!」
「あら~、ナナちゃん私には~?」
「セレスを撫でる理由は無いのじゃ」
首を横に振りながら涙目で抱きついてきたセレスを引きずったまま歩き、そのまま魔王邸に戻る。
本当はこんなやり取りが楽しく安らぎすら感じているなんて言ったら、セレスは絶対に調子に乗るから口が裂けても言ってやらない。ふふふ。
レーネハイト救出から六日が過ぎた日の夕食後、回収を頼んだつもりのタカファイターの存在を忘れていた事を思い出した。
多分一番近かったセーナンという都市の上空を、延々と旋回しているはずだ。
アルトを呼んでくるようマリエルに頼み、回収を頼む前に一度場所の確認をしておこうと思い立ち、モニターを起動させて映像を見る。
「何が……起きておるのじゃ」
そのモニターには防壁が大きく崩れ、街のあちこちから炎を上げる都市セーナンの姿が映し出されていた。




