1章 第12話N キューちゃん
(……ん……体の痛みが、無い。うーん。もしかして麻酔でも……てなわけあるかーい。魔力視起動!)
目が覚めたナナはこの世界で初めて目覚めた時と同様に五感が何一つ効かず、スライム体で作ったはずの器官も発動しないことに多少驚くが、冷静に魔力視を発動させる。
(おー視えたのじゃ。魔力視だけの視界は久しぶりじゃのう。って何でこうなっているのじゃ)
魔力視で捉えた視界は間違いなくスライムとして最初に目覚めた部屋の、最初に入れられていた容器の中だったが、容器の蓋が開いている事と、傍らに欠けた魔石が転がっているという違いがあった。気を失う直前にあったことを思い出そうとし、白狼との戦いを思い出す。
(はっ! ノーラは! ノーラは無事か!?)
魔力視の出力を上げ、その視野を室外、そして館内にまで広げる。
(おお、ヒルダの隣で寝ておる……怪我の有無はわからんが、ともあれ良かったのじゃ。ってわしの魔力視、ここまで遠くを見渡せたのか。自分で使っておいて何じゃが知らなかったわい。それにしても、よく無事に生きて帰れたもんじゃ。あれは流石に死んだと思ったわ)
ナナは最後の瞬間を思い出し背中に冷たいものを感じる気がした。魔法を発動しようとした白狼の前に転移し、ありったけの防御障壁を張ると同時に大きく開けられた白狼の口内めがけ、作っておいた蜘蛛の麻痺毒を大量に射出したのだ。しかし狙い通り狼の口内に麻痺毒が流れ込むのと、防御障壁の大半を吹き飛ばされ意識を失うのがほぼ同時であったのだ。
(もうあんな賭けは懲り懲りじゃわい。さて体の殆どが無くなっておるのう。とりあえず食べて補充せねば……あれ。……空間庫が……無いぞ?)
いつも本体の傍らに設置していた空間庫の口が見当たらない。吹き飛んだのかと思い悲しみに暮れていると、傍らの魔石に見覚えのある空間庫の口を見つける。しかしこちらから干渉することができず、開けることができない。そしてよくよくその欠けた魔石を見ていると、ある事実に気づいてしまう。
(この欠けた魔石、わしの本体じゃん。待て待てよく考えるんじゃ。今のわしは……ぬおお魔石が大きくなっておる。どういう事じゃ?)
しばし考え込むナナだが、一つの結論に達する。
(あれじゃ。要は別のHDDである魔石にOSであるわしが移し替えられた、ってことじゃろ。で、旧HDDからデータを取り出したい。なら元の魔石を増設したHDDとして認識させば……)
欠けた魔石をスライム体で包み込み、五感の接続に時に使った魔力神経を通し、その道と旧魔石を介して空間庫を開くイメージをしてみる。
(……開いたのじゃ。いや、できたら良いな、とは思っておったが……いやまずは食事じゃ。体がちっこすぎて感覚器官が作れん、さっさと補充せねばな)
ナナは容器から広くスペースの空いた場所へ転移し、旧魔石から狼を一頭取り出し吸収を開始する。狼の頭部から吸収を進めるうち徐々に体積が増えてきたので、まず最低限必要とした視覚・聴覚を作り食べ進めている。そして三十分ほどが過ぎ狼の心臓付近に辿り着いた時、内部に直径1.5センチほどの魔石があることに気がつく。
(魔石があるということは、この狼は魔獣の一種なのかの? ……えい)
ナナは小さな魔石を吸収、構造を解析・記憶しようとする。しかしあまりにも複雑すぎて覚えきれる気が全くしない。
(ぬおお、なんじゃこの構造やら材質やらさっぱりわからぬぞ……ううむ、いくらHDD増設したところでOSがポンコツじゃ処理しきれんかのう……いや、それなら情報を増設HDDにそのまま送り、わし……OSを通さずそのまま出力するようにすれば……)
魔力神経を通して繋げた旧魔石へ吸収中の魔石の情報を送るイメージをし、吸収を終えた魔石をそのまま再構築するよう旧魔石へ指示を出してみる。すると一瞬にしてスライム体の一部が直径1.5センチ程の魔石へと変化し、ナナはその速さと完成度に驚きを隠せず呆然としてしまう。
(……できた、のじゃ。旧魔石さんマジ優秀なのじゃ……OSわしポンコツ。少し凹むのう。ならいっそのこと吸収と再現の全てを任せてしまおうかの)
再現した魔石と狼の残りの部位を吸収解析するよう旧魔石へ指示を出してみると、みるみるうちに狼の死骸は吸収されていき、一分もせずに残った七割ほどの吸収を終えてしまう。いくら何でもでたらめすぎるその吸収速度には、もう乾いた笑いしか出てこなかった。
(ははは……もう何が何やら。今までの苦労は一体、といった感じじゃの。……いやいや、いかん完全に任せてしまうと、どんな器官を吸収したのかわしが全く把握できなくなってしまうのじゃ。狼をもう一頭出して……旧魔石よ、今度はわしに解析内容の概要を送信しつつ吸収してくれぬか)
ナナの指示で吸収が始まり、旧魔石から情報が送られてくる。
―――上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 上毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色 下毛:灰色……
情報の波に理解が全く追いつかない。慌てて旧魔石を止め、同じものは省くように指示すると、今度は理解可能な範囲で情報が流れ込んでくる。
―――上毛:灰色 下毛:灰色 皮膚:弱耐熱/耐寒 眼球:金色 鼻:超嗅覚 牙:……
(おお、これなら大丈夫じゃな。……それでも一頭吸収するのに二分ほどか。……旧魔石よ、わしの記憶を読み取り、わしの知らぬ情報と大事な情報だけ……そうじゃな。魔石の大きさと、戦闘等に役立つ部位のみ報告するようには……流石に無理かの?)
ナナは魔力神経を介して情報を送りながら旧魔石に指示を出すが、流石にハードルが高いかと諦めたその時である。
―――1.可 2.不可
(……む? 今旧魔石から情報ではなく、言葉が送られてきたような……何じゃと!? ……魔石の報告は可能、という事か?)
―――肯定
(では戦闘に役立つ部位の報告は無理、ということか)
―――肯定
(なぜじゃ?)
しばらく返事を待つが、返ってくる様子がないので旧魔石へ質問を続ける。
(それは戦闘に役立つ部位かどうかがわからない、という事かの?)
―――肯定
(なぜ話せるようになったのじゃ?)
返事はない
(わしの記憶を読み取って言語を理解した?)
―――一部肯定
(一部、なのか。うーむ……ええい次じゃ。わしは誰じゃ?)
―――島津義之として日本で生まれた人間 二十九歳で死去 スライムとして現在地に生まれ変わりナナと呼ばれ生活中
(わしの好きなものは?)
―――可愛い物全般:フリル・リボン・パステルカラーを中心に他多数 動物全般:猫・熊・兎を中心に他多数 甘いもの全般:プリンを中心に他多数 果物全般:桃を中心に他多数
(ぐおおおおお……いや、そうじゃが……そうなんじゃが……地味にダメージが……)
人目を気にして隠していたものを全て暴露されてしまい、容器の中をのたうち回るナナ。立ち直るまでかなりの時間を要したが、質問を続けることにする。
(ぐぬぬ……ではわしが空手とボクシングを始めたのはいつじゃ?)
―――空手:1990年5月10日、ボクシング:1998年9月12日
(ヒルダの好きなものは?)
―――不明
(ヒルダの本名・身長・体重・三サイズは?)
―――エルメンヒルデ・約160センチ・50kg前後・90半ば・60未満・90半ば
(ああ、これでわかったわい。返ってくるのはわしの知っておる情報と想像した情報のみじゃな。しかも空手などいつ始めたかなんて忘れておったぞ。む……過去に見聞きして、わしが忘れておる情報……覚えきれなかった情報じゃと……いや、旧魔石の検証は一旦中断するのじゃ。まずは体と五感全て再現せんとな。旧魔石よ、感覚器の再現も任せたぞ)
―――了
何かもっと出来る事が多そうだと頭のなかに引っかかる物があったが一旦優先度を下げ、それからは空間庫内の狼を食べて食べて食べまくるナナ。旧魔石によって再構築された五感は以前に自分で作り出したものより精度が高く、先に自分で作っていた視覚と聴覚も作り直す。微調整も旧魔石に指示しながら行うことで、色付きの視覚を得たり鋭敏すぎる嗅覚を人間並みに落としたりするのも容易になった。
そして最後に吸収した白狼からは、白くて柔らかいくせに切れにくい毛皮と、2センチ級の魔石を得ることができた。ただ白狼が使った魔法は特殊な器官が存在したわけではなく、純粋に白狼の能力であると知り少しばかりがっかりするナナであった。しかし全ての狼を吸収し終わるとナナのスライム体は直径1mを余裕で超え、ひとまずは安心じゃと呟き次の行動へと移る。
(では旧魔石の検証を再開しようかのう。まずは……これまで吸収した魔石は1.5センチ級が八個と2センチ級が一個じゃな。旧魔石よ、それを使っておぬしの欠けた部分を修復せよ)
―――了
欠けた三割ほどの部位が盛り上がり、次第に形を整えていく。数分で旧魔石から完了の報告があり、見ると破損前と変わらない綺麗な球体へと修復を終えていた。
(言ってみるもんじゃな。しかし単純な再現と違って時間がかかるものじゃな、ふむふむ。では旧魔石よ、次は部位の再現じゃ。全身に白狼の毛皮を纏え!)
するとスライム体の上半分ほどがフサフサとした白い毛で覆われる。その姿はまるでカツラを被った巨大マネキンの頭部である。
(あ、サイズ調整忘れてたのじゃ)
その後ナナはいつものように空間庫へ自分の体の大半を入れると全身を毛皮で覆ったり、折れた鎌や狼の頭部や前足など様々な部位を再現させたりして検証を続けた。
(ふむふむ。全て前よりスムーズに変化できるのう。鎌も折れてしまってはいるが、前より硬いようじゃ。それに……やはりの。鎌に亀の能力である硬質化も同時に発動できるではないか。旧魔石様々じゃのう)
折れた二本の鎌を融合させて再構築し形状を微調整、更に硬質化させて一本の直刀のような形に整える。それを出したり消したりして具合を確かめると、満足し次の検証へと移る。
(では以前出来なかった全身擬態じゃな。これは……サイズ調整が必要じゃの。旧魔石よ、変化する際は体を入れた空間庫で調整しつつ行うんじゃぞ。それと……そうじゃな、中身はいらん。外から見える部分と五感に必要な部分だけ再現するんじゃ。まずはネズミじゃ!)
―――不可
出鼻をくじかれズッコケそうになるナナ。何が悪いのかとしばし考え、一つの結論に達する。
(もしかして魔石が入り切らないのかの?)
―――肯定
(では狼、いや白狼に変化じゃ! これなら余裕で魔石も入るのじゃ!)
スライム体の全身が白い毛皮で覆われ、手足が伸び、首、鼻先と伸び、最後にフサフサの尻尾が生える。そう時間はかからずに完全な白狼の姿へと変化を遂げ感動を覚えるナナであったが、重くのしかかる疲労感から相当な魔力を消費したことに気付く。そこで魔力視で周辺魔素を集め魔力回復を図るが一度の回復では疲労感が取れないうえ、狼の形態でいることで徐々に魔力が消費されていることも感じる。
(この消耗具合からすると一時間もすれば倒れそうじゃのう。まあ奥の手が増えたと思っておこうかの。どうせじゃからこのままの姿で糸を……出せる。鎌を変化させた直刀……も、出せる。おお、戦闘のバリエーションが増えるのう。では白狼の姿をなるべく変えずに二足歩行形態へ微調整……イメージじゃ、イメージするのじゃ……狼男じゃ!)
ナナは狼形態のまま後ろ足でスッと立ち上がるとふにゃっと潰れ、ブリッジをするように後頭部から床に叩きつけられる。
(ぬおおおおお……痛みよりこの恥ずかしい転び方に心が痛いぞ……)
後頭部を押さえのたうち回るナナだが、潰れた原因は細い足の内部にあるスライム体だけでは体を支えきれないことにあると考え、骨格と筋肉の再現も旧魔石に命ずる。
(これなら……立てる! しかし……ぬおっ!)
再度の二足歩行を試すも足腰のバランスが悪く思うように歩くこともできず、またもひっくり返って後頭部を床に叩きつけてしまう。
(ぬおおおおお……)
またも後頭部を押さえのたうち回るナナだが、バランスの悪い原因は二足歩行に適さない足腰の骨格と筋肉のつき具合と理解したところで、疲労感も限界に近付いてきたので小休止とする。
(それにしても旧魔石は優秀じゃのう、おぬしのサポートがないとこうは行かんじゃろうて。それにしても旧魔石……いつまでもこの呼び方ではなんじゃな。……うむ、今からおぬしの名はキューじゃ!旧魔石のキューちゃんじゃ!)
―――了
狼形態のまま床に座り、周辺魔素を吸収しながら旧魔石に名付けをするナナ。その時、視線を感じふと顔をあげると、ほんの少しだけ開いた扉の隙間から覗く者がいることに気付く。
「……」
「……」
目が合いしばし見つめ合う両者だったが、先に沈黙に耐えきれなくなったのはナナであった。
「……もきゅっ?」
ナナが右前足を上げ挨拶をすると、それに応えるように扉を開けて部屋に入ってきたのはヒルダだった。ヒルダは目に浮かぶ涙がこぼれ落ちぬようこらえながら、ナナに笑顔を向け語りかける。
「ナナよ……狼はそのような鳴き方はせんぞ?」
「……わん?」
「ふふっ……ナナよ、よく目覚めてくれたのじゃ。ノーラを守ってくれたこと、なんと礼を言えばよいか。本当に、ありがとう」
ヒルダは狼の姿を取るナナに近寄ると、その太い首へと腕を回し抱きしめる。
「ノーラはわしにとっても大事な家族じゃからのう、当然のことをしただけじゃ。一応無事なのは確認しておるが、ノーラは元気かの?」
白狼の姿でお座りの態勢を取ったまま、流暢に会話を行うナナ。ノーラを助けに行く際に言葉を発しているのだから、もう隠す必要は無くなっている。
「ノーラなら狼に襲われてから今日まで毎日様子を見に来ておったぞ。あまりにも頻繁なので、ほれ、最近はそこで毎日勉強しておるわ」
ヒルダはナナを抱きしめる手を離し、机の脇に置かれた小さな椅子を指差す。
「そうじゃったか、それは悪いことをしたのう……って、わしは何日眠っておったのじゃ?」
ヒルダは涙を拭うとニッコリと笑顔を浮かべナナに語りかける。
「十五日、といったところじゃの。さて、ナナよ。わしもおぬしに聞きたいことあるのじゃが、たくさんありすぎて何から聞けばよいのやら。まずその姿とわしそっくりな口調、それと先程立ち上がって二度ほどひっくり返っていた経緯でも聞かせてもらおうかの?」
ナナの白狼の口が、顎が外れんばかりに開かれる。
「ヒルダ……おぬしいつから見ておった……」
笑顔を浮かべながらその顔を近付けてくるヒルダを見て、サディストの気があったのかと気付き返答に詰まるナナであった。




