3章 第43話H それでいいのか
元々はヒルダとノーラの寝室だったというナナの私室は、女の子らしく多数のぬいぐるみが転がり、桃色や黄色など暖色系の飾りやクッションが転がる可愛らしい部屋だった。
そして日本にいた頃も含めて、『女の子の部屋』に入るのはこれが初めてだ。
エリーもサラもシンディも屋敷に部屋はあるけれどただの寝室だし、そもそも部屋を趣味のもので飾ったり溢れさせるのは、少なくともこっちの世界の人にとっては常識的なことじゃない。
それにこのぬいぐるみ、エリーから聞いた話だと全部ゴーレムらしい。別の意味でも常識外れだ。
とはいえあまりジロジロと見ているとぬいぐるみゴーレムに襲われそうな気がして、近くにいた猫を撫でているとナナが不穏な動きをしていた。
ニースの尻尾に飛び掛った猫を羨ましそうに見たあと、目を丸くしてじわりじわりとニースとの距離を詰めている。そして態勢を低くし――
「ナナ?」
「ひゃいっ!? な、何じゃヒデオ、わしは何もしておらぬぞ!?」
「完全にやる気の目をしてたぞ?」
というか動きが獲物を狙う猫だ。ああ、この出鱈目な猫を膝に乗せて撫で回したい。
そのあとやっと回ってきた仔猫との対面だが、やはり猫は可愛い。昔じいちゃんちの軒先に野良猫が住み着いてて、よく触らせてもらったな。
ただ、ダグがびっくりするほどでれっでれの顔で、恐る恐る仔猫を抱いていたのは驚いた。でも触れると殴られそうだから黙っておこう。
猫と戯れたあとの夕食も、ドラゴン肉がてんこ盛りの豪華な食事だった。
どうもドラゴン肉は滋養強壮・疲労回復の効果が異常に高く、そしてモノがモノだけにおいそれと他へ流すこともできないため、こうして内々で処理しているらしい。贅沢すぎだろ。
食後は模擬戦の反省会という名の、飲み会が始まった。
それにしてもパーティーでの戦闘訓練は凄く勉強になった。なんせ自分達五人と互角に戦えるパーティーがティニオンには存在しないため、ここ数年は身内以外と模擬戦をした事が無いのだ。
しかも皇国の三人は自分達と互角かそれ以上、リオとセレスに至っては完全に格上である。そんな人達とメンバーを入れ替えながら模擬戦とは、本当にいい経験になった。
そしてヴァルキリーというナナの戦闘用義体も、恐ろしく強かったし、とても綺麗だった。
しかしナナが空に上がると短いスカートの中が丸見えになり、厚手のストッキングのようなものを穿いているとはいえお尻の形が丸分かりで、そこに視線が釘付けになりそうだった。だからこそ、ナナより上空に移動して戦わざるを得なかったのだ。
「おいヒデオ、てめえぶぞーに剣の手ほどきでも受けたのか?」
「え、ぶぞーが剣を使ってるところ見たこと無いんだけど、似てるのか?」
ダグの声で我に返り、ナナに向けようとしていた視線をダグに移す。
以前ぶぞーとの戦闘訓練もしたことはあるが、素手で軽くあしらわれていたのだ。
「ビリーは普通に叩き切る剣の使い方だけどよ、とーごーは流れるように斬りつける使い方なんだよ。技量は雲泥の差だけどよ、てめえと使い方がそっくりだぜ」
「子供の頃に曲刀使いのカイルに剣を教わってたからかな、それと前の世界での習慣だと思う」
刃物は『引いて斬る』ものというイメージが強く、一般的な西洋剣の『叩き切る』が最初の頃上手くイメージが掴めなかったのだ。
しかし今ならはっきり言える。剣は殴る物だ。鈍器なのだ。
ところが今使っているナナから貰った銀猿骨の剣は切れ味も良く、やはり叩きつけるような普通の剣術からかけ離れた使い方になってしまう。ダグはそこを見抜いたようだ。
「そういえばヒデオはしっかりと刃筋を立てて剣を振るっておったの。むー……刀の技能魔素がわしより高いじゃと? ちっ」
またキューと会話しているのだろうか。たまに独り言にしか見えなくてびっくりするんだよなあれ。
「刀あるの?」
「そういえばヒデオ達に見せた記憶が無いのう。これじゃ」
そう言ってナナが空間庫から取り出したのは、刀身が綺麗な緑色の刀だった。あまり刀身の反りが無く、長さも今の小さいナナならまだしも、ヴァルキリーが持ったら小太刀にも見えなくは無いサイズだ。
その刀はナナによると元々はカマキリの鎌で、この世界で始めて戦闘をして以来の付き合いであり、始めて自分で改造して作り出した武器でもあったという。
それにしても綺麗だし、かっこいい。やはり刀は全ての日本人の憧れじゃないだろうか。
「初めて会った頃の姉御って、手加減するときはトンファー使って、殺す時はそれ使ってたよね!」
「ヴァンを倒したのもこの直刀じゃ。気付いたら出血死しとったがの」
その言葉でミーシャが耳を垂らしてぷるぷる震えてる。でもナナが笑顔というかニヤニヤしてるから、本当にもう怒ってないんだな。
「これをそのままヒデオが使うには短いからのう、あとで両手持ちの太刀でも加工してやるのじゃ。盾が不要となる場面もあるじゃろ、そういうときにでも使うと良いのじゃ」
「マジか! 俺が刀を持つ日が来るなんて……」
「ヒデオにやにやし過ぎじゃ、ふふふ」
日本刀ってやっぱ憧れじゃん、って言うとナナ以外は何のことやらって顔をしていたが、前の世界にあった武器だというと皆興味津々で、ナナの持つ緑の刀を見ていた。
「でもこの先オーウェンがパーティー抜ける事になってるからなぁ、フォーメーション考えないとな」
「なんじゃ熊は野生に帰るのか」
「元から人間だよ!!」
今日はずいぶんオーウェンがいじられてるな、でもジルやミーシャやペトラも笑ってるからいいか。この三人はやっぱりレーネハイトという人が気になるのか、ちょっとふさぎ込んでる様子だったしな。
「ナナのプディング魔王国が正式に国交を始めるようになったら、オーウェンが外交を担当するんだよ。これでもこないだ公爵になったからね」
「そうじゃったか、まあ実情を知る者がおると話も早いからのう。こちらとしては助かるんじゃがの」
「ああ、だからブランシェに常駐してティニオンと橋渡しというのも考えてる。そこで、だ……」
オーウェンが真剣な顔で、ジルに顔を向けた。
「ジルフィール。オレと結婚してくれ」
はい? 何だって?
「嬢ちゃんの許可は取ってある。一目惚れなんだ」
とたんにジルの顔が、ぼんっ、という音が聞こえてきそうなほどに赤く染まった。
まだ二人が出会って数時間だというのに、もしかしたらオーウェンに春が来るのか?
「ちょ、待つんじゃオーウェン、わしはそんな許可出した覚えなど無いのじゃ!」
「え? だって嬢ちゃん、期待してるって言ったじゃねぇか」
「そーれーはー、ワインの話じゃこの馬鹿熊!」
こちらは意思の疎通に問題があったようです。もしかしてナナに酒とブルーチーズを渡すって言って連れ出してたのは、その話をするためか。
「ありがとうオーウェン、とっても嬉しいわぁ……でもぉ、ワタシにはどうしてもやらなければいけない事があるの。だからぁ……」
「レーネハイトを探す事だろ、俺にも手伝わせてくれ。惚れた女の助けになれなくて、何が男だ! そういうわけだ、すまんヒデオ。少し早いが、俺は『紅の探索者』を抜ける。今まで世話になった」
「あ、うん。こちらこそ?」
オーウェンの勢いに押されて頷いてしまった。……え?
いやいやいやそれでいいのか王族だよな!?
「ダメよぉ、オーウェン……それにワタシ……」
頬を染めたジルがちらちらと目線を向ける先には、眉間にしわを寄せて何とも言いがたい苦悩の表情を浮かべるナナがいた。そしてジルが悲しげな表情へと変わったその時、ナナが大きなため息を吐いた。
「ジル。構わんのじゃ。話したいことを話し、やりたいようにするがよい。ただし……わかっておるな?」
「ああ、ナナ様……ありがとうございます」
喜びの表情に変わったジルがナナに深く頭を下げるが、そのナナ本人は難しい顔のままオーウェンの方をじっと見ている。ときたまちらちらこっちを見ているのは何故だろう。
「オーウェン。ワタシね……一ヶ月くらい前まで、その……男、だったの」
「へ?」
間の抜けた声を出したオーウェンの顔が、ギ、ギ、ギ、という音でも出しそうな感じで、ナナの方を向いた。少し泣きそうな顔である。
それにしても男だった、というのはどういう意味だろう。性転換手術? だとするとそれをやったのはナナか。ニューハーフ的な奴か?
「後日説明する時間を取ってやろうと思っておったのに、先走りおってこの馬鹿熊が。ジルは生まれつき女性としての心を持っておったと聞いてのう、心に合わせてわしが身体を作り変えてやったのじゃ。じゃから今のジルは正真正銘、身も心も女性なのじゃ」
「なんでえ、それなら問題ねえ。びっくりさせるなよ、嬢ちゃん」
「……へ?」
今度はナナが間の抜けた声を出した。
つーかやっぱりナナの仕業か。
「嬢ちゃん前に『義体じゃ子供が作れるかわからない』って言ってたよな、でもゴーレムから仔猫が産まれたってことは解決してるんだろ? その嬢ちゃんが身体を作り変えたから身も心も女性だってんなら、元がどうとか関係ねえ、女だ。改めて言うぞ、ジルフィール。オレと結婚してくれ」
「ほんとに……ワタシでいいのぉ?」
「お前が良いんだ」
ジルが目に涙を浮かべて、オーウェンの胸に飛び込んだ。
そして二人の顔が近付いて……人んちで何してんだオーウェン。
つーか……マジかよ。もしオーウェンが美少女になったら、俺なら……うん、無いな。無理。
女性陣は皆黄色い歓声と共にジルを祝福し、アルトとダグもニヤニヤとオーウェンを見てる。
しかしナナだけは何故かあきれたような顔を二人に向けており、やがて苦笑交じりにため息をついて、突然視線をこちらへ向けてきた。
「……」
「……」
しばらく無言で見詰め合ってたら、ぷいっと顔を逸らされてしまった。少し赤く染まった頬が可愛いんだけど何だろう。
しかしナナ、か。オーウェンは無いけど、もしナナが元男だったら……やべえ、ありかもしれない。俺って両方行ける口だったのか?
いやいや、中身だよ中身。オーウェンだってジルの心が漢らしかったら、きっとこうなっていないはず。
なんてそんなことを考えながら、抱き合いながら笑顔を周囲に向けるオーウェンとジルに近付き祝福の言葉をかけると、二人はナナに感謝の言葉を返していた。
「のうおぬしら、参考までに相手のどこが気に入ったのか、教えてくれんかのう?」
「外見だな」「外見ですわぁ」
ナナの頭からスライムが「びちゃっ」て音を立てて床に落ちた。
ああ、俺もずっこけたい気分だよ! 何かいろいろかっこいいこと言ってなかったっけオーウェン!?
いろいろ台無しにされた気分だよ!!
そのあと二人に祝福の声はかけたけど、正直オーウェンの行動は漢らしくてかっこいいと思ってしまった。思考は賛同できないけど。
俺はあんなふうに、真っ向からナナにプロポーズできるだろうか。
じゃなくて。
まずはエリー、そしてサラ、シンディだろ。
この三人と結婚するという話は決まっているけれど、ちゃんとプロポーズらしい言葉はかけていない。
俺もオーウェンのように、はっきりと結婚を申し込もう。
それがケジメってものだ。
なんて事を考えているうちに小宴会はお開きとなり、すぐ近くの俺の屋敷へ五人で帰る。
と言っても寝て起きたらまたすぐにナナの屋敷を訪ねて模擬戦漬けになる予定ではあるのだが。
そして深夜、今日はシンディと添い寝する日である。三人に日替わりで毎日添い寝されるようになってから、正直なところ宿や野営時のように一人で眠れる時間のほうが嬉しい。
シンディの薄いキャミソールから透けて見えている、程よい大きさの胸の膨らみの先端から目を背け、今日も熱く火照った体の一部に鎮まるように念を込め、眠る努力をする。
「眠れないのかな?」
「起きてたのか。大丈夫、もうすぐ落ち着くから」
頬を染めたシンディの視線の先には……何も言うまい。そりゃ何度も一緒に寝ていればバレるだろ。ていうか見るな、ますます鎮まり難くなる。
三人とも、俺が『レイアスの身体』であることを気にしているのは知っているし、だからこそ隣にいても襲うことの無い自分を責めたりもしない。
いつでも良いよと言われているが、正直童貞で良かった。
肌を合わせることの気持ちよさを知っていたなら、きっとこうして耐えることは不可能だっただろう。
「ナナちゃん、すごいよねー。ジルさんの身体を女の人に変えちゃうとか、ありえないかも!」
「ほんと、やる事成す事出鱈目過ぎて笑っちゃうよな」
オーウェンのプロポーズ成功後、ジルの体のことだけでなく、ペトラの腕やミーシャの足についても話を聞くことができた。道理で桁外れの腕力と脚力だ。
「ヒデオの身体、ナナちゃんに作ってもらったら、ちゃんとできるようになるんだねー。かなり楽しみかも! そういえばヒデオもナナちゃんと一緒で、魔石に魂が入ってるんだよね。レイアス君が起きる前に、義体に入ることってできないのかな?」
「多分、だけど……その間、レイアスの身体が植物状態になって介護が必要になると思う。できればそういうのは、嫌だな」
何が楽しみなんだ、とは突っ込まない。これは罠だ、間違いなくやぶへびになる。
「そっかー、残念かも? ところでヒデオとナナちゃんって、どれくらい生きるのかな? アタシであと二百年くらい生きるし、リオちゃんもセレスちゃんもあと八百年以上って言ってたけど、もっと長生きなのかな?」
考えたことも無かった。
もしかしたら俺はナナと二人で何千年も生きるのだろうか。
……それはそれで悪くない。むしろ願ったり叶ったりか?
というかそんな先の事よりも、レイアスが目覚めて俺が義体に移ったあとのことすらも、漠然としか考えていない。
そもそも英雄を目指す理由である、シンディと初めて出会った集落での子供の死、そんな悲しみを減らしたいと言う想いで活動してきたが、既にその目的の大半は達成している。
冒険者ギルドの改革によって冒険者が魔石を使った鍛錬で腕を上げ、そして魔石の需要増加で冒険者も増え、今ではゴブリンによる被害が出ることは極稀なことだと聞いている。
住民の生命の危機に関わる依頼には国が依頼料を上乗せするようになったことで、依頼の敬遠も行われ難くなった。
オーウェンも抜けることだし、しばらくの間は国からの緊急依頼対応だけ受けて、のんびりするのもいいかもしれない。
それにレイアスが目覚めるまであと七年もある。
そんなに長くシンディたち三人を待たせていいものだろうか。
結婚、か。
来年にはエリーが二十歳になる。結婚の早いこの世界の女性としては、行き遅れ扱いされる年齢だ。
もう一度真剣に考えて、今年中に結論を出そう。
自分のことも、ナナの事も。




