3章 第36話N 生命は廻るのじゃ
突如訪問してきたニースの二本に増えていた尻尾をモフモフしながら観察してみると、根本から出てすぐのところで枝分かれしていた。
しかもキューによると、ニースは一ヶ月前に比べて魔力が三割ほど上昇しているそうだ。
ニースの話では狐獣人族は魔力が上昇すると尻尾が増えるらしいのだが、これまで男性の尻尾が増える現象は確認されたことがないらしい。それなのに男性であるニースの尻尾が増えたため一族は大騒ぎとなり、直感的に「ナナ様が何かして下さったに違いない」と思い訪問することになったそうだ。
まさかと思い魔力視の出力を上げてみると、確かに自分からニースへと繋がる魔力線があった。アルト達側近に繋がっているものと同じものである。
しかし自分のせいと言うのは正解だったが、それがどうして側にいたいという話に繋がるのか甚だ疑問である。
「わしからニースにうっすら魔力線がつながっておるのう、ここから微量の魔力供給をしておったのが魔力増加の原因じゃ。すまなかったのう」
「ん……だ、大丈夫、です……。むしろそのおかげで、んあっ……ナナ様のお側に置いて頂けるのです、から……くぅ……」
ニースの尻尾のモフモフを堪能するついでにブラッシングをしながら、息の荒いニースに原因を告げる。ちなみにジル・ミーシャ・ペトラの三人にもいつの間にか魔力線がつながっており、無意識下では既に身内と判断していたようだ。我ながらちょろいものだと苦笑してしまう。
なお南西に五本まとまって伸びている魔力線もある。会いたくないと距離をおいたにも関わらず、無意識につながっていたことが何となく気恥ずかしさを感じてしまう。
「では当分の間、ニース君もジル君達と一緒に訓練ですね。まずは魔力視の会得から始めてはどうですか?」
確かにニース自身の戦闘力は低く、適性もせいぜいが火魔術が少し高い程度で連れ回すのは不安が大きい。ニース自身の希望もあるだろうが、何をするにせよ魔力視が有ると無いとでは選択肢の幅が違いすぎる。
そういえば余談だが魔力視会得の訓練方法はアルトが広めており、アルト配下の斥候や警備兵のみならず、職人等の生産者の中にも魔力視を会得している者が少なくないそうだ。
「ニースは物理戦闘より魔法戦闘向きじゃのう、アルトやセレスに師事していろいろ学ぶと良いのじゃ」
「は、はい! お願いします、アルトさん、セレスさん!」
こうしてアトリオンの邸宅は獣率が増えていくのであった。天国じゃー。
『ポンッ』
ジル達とニースに魔力視を会得させ、訓練を始めて一週間が経った時だった。突然奇妙な音とともに、ニースの尻尾が増えた。
「うひょーふわもこが増えたのじゃ―!」
「あ、ちょ、待って下さいナナ様、そこは……あっ……」
思わず反射的に飛びつき、ニースがびくんびくんと身体を痙攣させてへたり込むまでモフってしまった。誰も止める者がいないので、ついついやり過ぎてしまう。反省。
キューによると、また元の魔力から三割ほど増えたらしい。今は二本増えて三本なので、プラス六割ほどの増加だという。
「何本まで増えるかのう、楽しみじゃのう」
気がつけばミーシャも訓練の手を止め、羨ましそうにこっちを見ている。先日猫科は大物もいるので間に合っているとぱんたろーを見せたところ、悲しそうに口をあわあわさせながら膝から崩れ落ちたミーシャだが、その晩から風呂でブラッシングをしてやっている。夜まで我慢せい。
なお獣の耳と尻尾が欲しいというリオとセレスの要求は、ノータイムで却下済みである。
訓練の邪魔をしたことを詫びてニースから離れると、アルトが近寄ってくるのが見えた。最近はブランシェ建築と移転関連で忙しいようで、この時間にアトリオンにいるのは珍しい。
「ナナさん、異界の住人ほぼ全員の移転が終わり、魔王邸も完成しました」
「……はい?」
待て嘘だいくら何でも早過ぎるだろ。
「とはいえ皆さん仮住まいですがね。ブランシェは区画整理と下水の整備が終わったばかりで、建物の建築はこれからとなります。魔王邸も仮住まいですが、ブランシェ中心部に魔王城として建築が始められていますよ」
「それにしても早すぎるじゃろう……。ほぼ全員、というのは何じゃ?」
「その件でナナさんに大事なお話があります」
いつになく真面目な顔のアルトに、よほどの事だろうと気を引き締める。
異界に残っているのは異界でしか取れない鉱石を採掘している者と、収穫前の作物の面倒を見ている者、そしてアラクネ族のバービーだという。バービーは体調を崩しており、転移門を作っている最中に何度か見舞いに行ったっきりである。
そのバービーが、自分に会いたいと言っているという。
「わかったのじゃ、わしはバービーに会いに行ってくるのじゃ。皆は鍛錬を続けているとよい」
アルトを伴いゲートを潜り異界の旧魔王邸に出るとぱんたろーの背に座り、魔狼型ゴーレムを駆るアルトと並んでバービーの元へ急ぐ。バービーの体調不良の原因は、年齢によるものだ。病気になりにくく栄養も十分に取れる環境になったとは言え、やはり寄る年波には勝てぬのだ。
魔王都市と呼ばれた今はほぼ無人の都市近郊の、アラクネ族の住む森に着くと、ジュリアが待ち構えており案内してくれた。
「バービーよ、久しいのう。体の具合はどうじゃ?」
「ナナ様、わざわざご足労頂いてしまい申し訳ないの。元気、と言いたいところじゃが……もう自力で立つことも出来んよ」
「そうじゃったか……ではわしが地上まで運んでやるのじゃ。地上の景色を見れば、少しは元気になるかもしれぬぞ?」
バービーの顔はとても穏やかで、優しい笑みを浮かべている。そしてそのまま、ゆっくりと首を横に振った。
「あたしゃね、確かに地上への憧れもあったよ? でもね、それ以上に自分が生まれ育った、この異界も嫌いじゃあないのさ。それよりナナ様にお願いがあって、ご足労願ったのさ。聞いてもらえるかねえ?」
「ああ、わしに出来ることなら叶えてやるのじゃ、言うてみよ」
「では遠慮なく……ナナ様。今ここであたしを、食べておくれ」
「……なにを言うておる?」
驚いたのは自分一人、ということはアルトもジュリアもバービーの願いを知っていたな。
確かに今まで殺した相手のみならず、ヒルダもノーラも吸収している。とはいえ生きた相手を吸収したことは無いし、する気も無かった。それに一体何の意図がある。
それを問いただそうとした時、隣に立つアルトがこちらに顔を向けた。
「ナナさんなら老いた肉体を作り直せるかもしれないと、話してはいるのですが……」
「あたしゃもう十分に生きたさ。それよりあたしゃあナナ様の作る新しい命の一つに、いつかあたしの体の一部でも使ってくれた方が嬉しいねえ。そして……あたしも、ナナ様のスライムの一部にしておくれよ。ナナ様が作る楽しい世界に、あたしも連れて行ってくれないかねえ」
「わしの一部、そして新たな生命の一部として、生まれ変わる事を選ぶというのか……」
力強く頷くバービーの顔は穏やかなままで、瞳だけが強い意思を感じさせるものだった。
その目を正面から見据え、しばしバービーと向き合う。
説得を試みようと思ったのだが、この目は既に覚悟を決めた目だ。自分も観念して覚悟を決めなければいけないだろう。
「……バービー。おぬしの願い、聞き入れよう。じゃがの、代わりにわしの我侭も聞いてもらえるかのう? 今日一日、わしと付き合って欲しいのじゃ。服のデザインはともかく、色の組み合わせなどのセンスはバービーに敵わんからのう」
「ははっ、ナナ様もお忙しい身だろうに、いいのかい?」
「もちろんじゃ、アルトが全部やってくれるでのう」
そう言いながらアルトに視線を向けると、しっかりと頷きを返してくれた。話の内容は何でもいい、ただバービーともう少し話をしたかったのだ。
退出したアルトを見送り、それからしばらくの間、バービーとジュリアと自分の三人で、初めて会ったときのいざこざや、半ば脅すように連れて来きた思い出を話して笑いあう。
また地上界の出来事を話して聞かせたり、三人共通の趣味である服飾関係についてあーだこーだと話したり、自分の知らない糸の編み方や色の組み合わせについて教えてもらっていると、あっという間に辺りが暗くなり、バービーがもうそろそろ、と言い出した。
「まだ今日一日は終わっておらんじゃろうに……わしはまだ話し足りぬぞ……」
「相変わらずだねぇ、ナナ様は。でもそろそろあたしを休ませておくれよ。……ナナ様。貴女との出会いが、あたしの、そして一族にとっての最大の幸運さね。本当に、ありがとう……」
嫌だ。お別れなんてしたくない。
バービーの体に抱きつき、顔を押し付ける。涙は見せちゃ駄目だ、そう思っているのに次々頬を伝って零れてしまう。そして抱きついて気付いてしまった。バービーの骨と皮ばかりになった身体は、病院のベッドで死を待つだけだった、自分の姿と同じであると。
必死に笑顔を作り、顔を上げてバービーに笑いかける。
「バービーよ……おぬしの体を使って生まれる命は、何が良いかの?」
「ははっ、そんなことまで選ばせてくれるのかい、ナナ様。それならあたしゃねえ、その……ネコ、という生き物がいいねぇ。実は以前、ナナ様の屋敷で見て一目惚れでねぇ……」
「お安い御用じゃ……蜘蛛の身体の毛を少し貰うぞ?」
その場でバービーの黒と茶色の毛を少しスライム体で吸収し、サビ柄の猫を一匹作り出してバービーに手渡す。
顔を見て「なー」と鳴き声を上げる猫を抱き上げ、バービーは潤んだ目で見つめかえすと、ゆっくりと頬ずりをし始めた。
「これ、あたしの毛かい? 随分柔らかいけど、こんな風になるんだねぇ……はあ、可愛いねぇ」
「ふふふ……好きなだけ可愛がるとよいのじゃ……」
「ありがとう、ナナ様……これであたしゃ満足だよ。ジュリア、この子を頼めるかい?」
バービーからジュリアに手渡された猫が、なあああ、と悲しげな鳴き声を上げながらバービーを見ていた。まるでこれから何が起こるのか、わかっているようではないか。
「あたいが責任持って、この子を大事に育てるよ……」
「ああ、頼んだよ、族長ジュリア。この子も、アラクネ族もね……。さて、ナナ様。貴女様にお会いしてからのこの10年近く、本当に幸せな時間でした。心よりお礼申し上げます。どうかこれからも、我が一族を気にかけてくださいますよう、お願いいたします」
嫌だ。バービーにいなくなって欲しくない。もっと長生きして欲しい。そう思いながら、バービーの体に再度抱きつく。
「わしの方こそ、バービーにお礼を言わねばならん。バービーのおかげで、皆の服装が大きく様変わりしたでのう。おぬしと次はどんな服を作ろうかと語り合う時間は、とても楽しかったのじゃ。バービー、ありがとう。一族のことはわしとジュリアに任せよ」
「ありがとうございます、ナナ様。……私を……貴女様の一部にして下さい」
「……わかった、のじゃ……。バービーよ、今までありがとう、なのじゃ」
抱きついたまま顔を上げてバービーと向き合う。その優しく穏やかな笑顔を、一生忘れない。そのままスライム体でバービーを包み、痛みを感じぬよう麻痺毒を一気に流しながら吸収する。
僅か数秒で吸収を終えてスライム体を頭上に戻すと、吸収しなかったバービーの着ていた服が、中身を失いふぁさっと床に落ちた。
ジュリアの手から抜け出したサビ猫が、その床に落ちたバービーの服に駆け寄り、必死に臭いを嗅いだり床を掘るようなしぐさをしながら、なああああああ、と長い鳴き声をあげた。それがとても悲しく、寂しげな鳴き声に聞こえ、両目から溢れる雫に拍車がかかる。
同じように頬を濡らすジュリアといつしか抱きしめ合い、声も上げずに涙を流し続けた。
自分がスライムでなければ、バービーを死なせずに済んだのだろうか。
いや、死なせたのではない。自分がバービーを殺したのだ。
どれくらい時間がたっただろうか。やっと涙が収まった頃、ジュリアとサビ猫を連れて旧魔王邸へ転移する。
少し一人になりたいと言ってジュリアと別れ、屋敷内の以前使っていた自室へと向かう。既に引越しを終えた旧魔王邸は人の気配も無く、部屋もがらんとしている。
この部屋でバービーとよく新しい服のデザインや素材、縫製について話し合ったものだ。
当時を思い出し、また涙が溢れそうになるのを必死に堪え、真っ暗な部屋で一人鼻の頭に力を入れる。
そんな時、突然腰のポーチに入れた魔道通信機が、ザイゼンからの着信を告げた。
『ナナ? 突然ごめん、今時間大丈夫かな?』
「ヒデオ、か?」
『俺達アイオンにいるんだけどさ、今ナナはどうしてるのかなーって思って、その……ん? ナナ?」
どうして今? このタイミングは卑怯だ。
「ふえ……ふえええええええぇぇぇ……」
涙腺が、決壊した。




