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無軌道な単色  作者: こんたくみ
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アスラウエの日々―提案―



 サブラフに随従する奴隷達を普通の男とするなら、彼らに比べてサブラフは何倍も壮健に見えた。体格が良く、顔が厳つい。アサツキは傷痕を隠すために、いつも露出を少なく衣類を身に着けていたが、サブラフは傷痕を勲章のように晒している。


「今日も塾があるだろう、倅も今朝、塾へ向かったぞ」

 自信の土壌から生え出づる声が、萎靡するアサツキの気分には堪えた。

「時間はあるのか?」

「あります」

「おう、そうか。では我が家へ来い、多少のもてなしはしてやれるぞ。お前もこの暑さは避けたいだろう」

「ええ、はい、まあ……」

アサツキは申し出を諾う。断る理由を見付けられなかった。そうしてアサツキはサブラフ邸のアトリウムへと案内された。


 磨き上げられた大理石の床や、天窓から差し込む陽光と、直射を煌めかせる貯水槽の水、その手前に置かれた水浴びするフェクィメの像、それらの、無駄を排した上で空間を飾ることに神経を尖らせた、立方体内の在り様は、アサツキにとり理路整然とした嘘だった。非の打ち所がない虚構を前にして、アサツキの雑然とした真情はまだ為す術を持たない。だからか、フェクィメの足元に模られた番の鳥の、黒く目立つ罅、フェクィメの使いとされる鳥の不完全さだけが、安心感を匂わす存在だった。


 サンダルを擦る跫音が部屋に近付く。入ってきたのは、サブラフ一人で、手には二つの杯を持っている。一方をアサツキに手渡した。アサツキが杯の中身を、上等な葡萄酒であると知る間に、サブラフは白布で隠してあった壁の収納から椅子を取り出し、アサツキの前に設え、深く腰を掛けた。

「少しばかり待たせたな」

「いいえ」

「訪問者が絶えなくてな。大した用事でもないのだが、保護民としての義務は名誉だ。蔑ろにするのもあり得ん」


 保護民、というのは、庇護民を抱える有力者のことである。保護民は仕事や食料、金銭などを庇護民に与える代わりに、庇護民は庶務雑務、選挙の際における投票などの義務を負った。サブラフはアスラウエで、少なくとも五本の指に入る数の庇護民を抱えている。アルカギリ家、即ちアザミも保護民であるが、庇護民の数はサブラフと比べるまでもない。

「それで、僕に何の用でしょうか」

「用と言う程の事は無い。話をしたかっただけだ。迷惑か?」

「いえ、そのような事はありません」


 アサツキは杯を傾け、葡萄酒の匂いを嗅いだ。甘い葡萄の香りは好ましかったが、酒気はあまり好まなかった。サブラフは品定めでもするように、じっとアサツキを見据えている。

「塾はどうした。今日は塾があるだろう。ソランズネラの塾だ。倅は今朝、拳格闘の授業があるから陰鬱だなどと抜かしていたがな」

「野暮用を済ませていました。午後には行くつもりです」

「そうか、では引き止めたのはよろしくなかったかな」

「いいえ、構いません」


 互いに気を遣いながらも、雰囲気は和気藹々としなかった。アサツキには、サブラフの威圧的な容貌と、滲み出る高圧的な態度が、殺されるのを望んで暴れる犬のように思えた。サブラフには、アサツキの視線が常に自らの動きを把捉して惑わないことから、監視されているような気分に陥っていた。しかし同時に、酷薄とした瞳の奥にある余裕の無さが、傷付いた子犬と同種の脆さを孕んでいるとも感じていた。決定的に交わらない個々人間の認識の相違は、それが明らかな者にとってみれば致命的な程であったが、当人達は気が付かない。


 軈て、サブラフが口を開いた。口角の微かな笑みは愛想であるのと同時に、下卑た期待感でもある。

「君の御母上はどうかね? 息災か」

返答の為にしては随分と長い間を置いてから、「ええ」とアサツキは言った。

「そうか、出来れば話す機会でも設けたい。近々饗宴を催すことになっているのだが、どうだ、諸君らも招かれてみないか」

「母に言伝があるなら、今ここで承りますが」

「そうではない、そうではない! 仰々しいやり取りを望むのではないのだ。数年で家を栄えさせたその明の秘訣を、気楽に語ってもらいたいだけだ。我が都市の発展に寄与する婦人へ、相応の尊敬を捧げる意図もある」


 サブラフは、アザミへの求婚者の一人である。求婚、とは言っても、サブラフは既婚者であり、正妻も健在であるから、愛人関係を結ぼうということなのだが、そうしてまで尚アザミに執心するのは、アザミの持つ財産と容貌であろう。或いは、アザミの経歴にも所以はあったのかも知れない。


 アザミは元々、アルカギリ家の、即ちシュウの生家で買われた奴隷であった。一盗二卑三妾に近い要素が、サブラフへの心理的な誘因となった可能性もある。そして、過去に奴隷であった事実はアラガナム国民にとって、大きな瑕瑾ではなかったが、その事実を家族からではなく赤の他人であるサブラフから聞かされた時には、流石のアサツキも動揺を抑えきれなかった。その瞬間から、サブラフにアサツキはアルカギリ家に付け入る隙であり、そこからアザミの貞烈を切り崩すという算段が立ってしまったことも、一つの要因となっているだろう。


 その程度の打算を察知しないアサツキではなく、アサツキの警戒心を察しないサブラフでもない。

「最近、困ったことはないか?」サブラフが言う。

「いいえ、特にはありません」

「本当か?」

「はい」

「気霊院への後ろ盾に、30アルゲンの用意が要るという噂を耳にしたぞ」

アサツキは返答に窮する。事実なのだ。サブラフはしたり顔をした。

「まあ、困っていないのならばそれで良い」

この時、敢えてサブラフは追及をしなかった、もう一つの目的の為に。


 話を区切るかのような沈黙。サブラフが口を開く。

「今日は一人で歩いていたな。普段はシュウネラ嬢と、あと娘の奴隷を伴っているだろう」

「娘の奴隷? ……ひょっとしてマンナのことでしょうか」

「さあ、名前なぞ知る由も無い。それは措け。あの娘、経験はあるのか」

「経験?」

「伽のだ。あってもなくても構わんが、扱いを変えねばならないからな」

「何の話をしているんです、どういうつもりでそんな事を」

「あの娘の容姿が気に入ったのだ。シュウネル、お前さえ良ければ買い取りたい、30アルゲンでどうだ?」

「え――」

「返事は後で良い。そろそろ午後だ。塾へは私の奴隷を供に貸そう」


 サブラフが合図をすると、側使えが出てきて、要件を承った。アサツキは唯々諾々と、サブラフの奴隷を供として、塾へ向かった。




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