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無軌道な単色  作者: こんたくみ
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アスラウエの日々―喧噪―



 父子が手を繋いで歩いており、アサツキの脇を往き過ぎる。楽し気な音調の会話が近付いて遠ざかる。舗装された道路の上を、荷車の車輪が転がり揺れる、音がアサツキの背後を横切った。首だけ動かし振り向くが、父子は視界に入らない。自分が振り向いた理由を、考えもせずに、それが無意味な事だと、アサツキは理解した。


 人工的な建造物、という言葉は一種の二重表現に当たる。敢えてそう表現するのは、直線的に切り出された建材とそれに塗布される漆喰、一枚一枚丁寧に焼かれた煉瓦、道路に敷き詰められた石、列柱廊の彫刻、それらに対比しているようでいて、やはり人の手が加えられている観葉植物が、森のように街を装っており、完成された規則と偶発の景観が如何にも自然な美しさであると同時に、人間の建造と管理なくして存在し得ないからだ。


 アスラウエがあるのはゼウラン半島の北部であるが、この地域の伝承に、太陽と月が夫婦であるというものがある。太陽の浮気性に怒り狂った月が追い回すため、太陽は常に東から西へ逃げるというのだ。人が昼間に安心して活動できるのは、月の見えない所まで逃げてきた太陽の安心感が、明るさをもたらすからだともいう。どうせまた月に追い掛け回されるのに、と誰かが言った。それではいても、その安心感は確かなようで、この現在も人間は、昼間の活動を良しとしている。


 東端から四番目にある十字路を西へ曲がって、アサツキはとある軽食店へ向かっていた。軽食店とは言っても看板だけの話で、昼間から酒を飲ませる店主が営む、風紀紊乱の、殆ど賭場である。


 列柱廊の日陰に暑気を逃れて店へ入ると、つんとした酒の臭いが鼻を突く。数人の男が店の中で死体のようになっている。店主イヌクはカウンターの前にある椅子で鼾を掻いている。青白の膨れた頭部に、鼻孔の穴が大きく二つ、口腔が一つ空いている。アサツキが椅子を蹴ると、イヌクはびくりと体を跳ね上げ、鼾を断続させた。うすぼんやりと瞼を上げて、アサツキを見る。カウンターにもたれていた体を真っ直ぐにして、首を回して伸びをする。おまけに欠伸をしてから、頭をぼりぼりと掻き「坊ちゃん、何か用か?」と言った。

「稼ぎを受け取りに来た」

「……今すぐには無理だよ。いくらあると思ってんだ」

「いくらあるんだ?」

「えっとォ、アルゲン銀貨五枚分は溜まってるぜ」

「5アルゲン、か……」


 アサツキの表情は変わらずに無表情であったが、内心では苦々しさに溢れていた。アルゲン銀貨五枚はスクモの為に用意したい金額の六分の一でしかない。精々やってこれなのだから、アサツキが自力で必要な金銭を工面するのには無理がある。

「今に用意できるだけ渡してくれ」

「今すぐだと2シロガネ4アエスしか用意できねェよ。いいか?」

「構わない」

「待ってれや」

イヌクは緩慢に立ち上がると、片足を引き摺りながら店の奥へと入った。店内にはアサツキと半死人の酔っ払い共が残される。無精髭を生やした男が、ぬるりと起き上がる。目の焦点が合わない。イヌクが戻ってくると、その手には小袋が提げられており、貨幣の擦れる音が微かに聞こえる。

「ほらよ、本でも買うのか?」

「まあ、それも悪くないかな」


 掌に硬貨を並べながら、アサツキはスクモの顔を思い浮かべた。誕生日の贈り物に、スクモならきっと何か強請ってくるが、無理矢理に本を押し付けてしまっても良い。そう考えていた。

「おい、兄ちゃん」


 ついさっき起きた無精髭の酔っ払いが、じっとアサツキの手元を、硬貨を見ている。

「良い物を持ってるじゃねェか、分けろよ」

「あいつ馬鹿なのか?」

「しっ、あいつはあれでも腕は立つんだ。喧嘩するなよ」


 イヌクは忠告し、アサツキは無言で了承したが、アサツキの台詞を聞いていたのかいないのか、酔っ払いはすっくと立ち、アサツキに近寄った。ぐい、と酒臭い顔をアサツキの顔に近付ける。日焼けした顔には小皺が多く、無精髭にも白い物が混じっていた。

「賭けをしようぜ、ここがどういう場所か知ってんだろう。え? 俺が勝てば、その金を貰う」

「僕が勝ったら?」

「喜べ、お前はこのカラゲル様に勝ったことンなる」


 アサツキは呆れて溜め息を吐き、硬貨を小袋に戻した。

「じゃあ、僕は行くから。残りの稼ぎも、ちゃんと払えるようにしといてくれ」

「あぁ、まあ、任せとけ。今年中には全額、払うぜ」

立ち去ろうとしたアサツキの肩を、カラゲルが掴んだ。骨を軋ませるような握力に、アサツキの中で、意識が切り替わるような感覚がする。極単純な事だ。肉食獣に咬み付かれた草食動物の本能が、何にも増して逃走を命ずるようなものである。アサツキの場合もこれによく似て、平生ある熟慮の習慣すら選択肢から奪い取り、本能が命じたのは闘争である。


 アサツキの足運びは、ナオミから体得した、ナオミの故郷で連綿と受け継がれてきた体術のもの。その特徴は間合いの確保にあった。何十歩と離れていても、瞬く間に相手の懐に入り、触れ合うほど接近しても、いつの間にやら相手の手の内から抜ける、奇術の如き瞬発力が、理に適う位置取りを約束する。


 カラゲルがアサツキの肩の感触を失った時、アサツキの後ろ回し蹴りが彼の腹部を狙って撃ち込まれていた。吹っ飛んだカラゲルは倒れた拍子で椅子に頭をぶつけて、転げ回った。

「うお、いてえェ!」


 頭を押さえて仰山に床で暴れるカラゲルに、イヌクは慌て気味に声を掛ける。その様子を訝る目でアサツキは眺めた。自身の蹴りが、腹の手前で掌に当たったからだ。蹴りは防がれていた。

「あんた、誰なんだ?」

「お、お前は知らないでこいつを蹴ったのか!? 剣闘士養成所のカラゲルだよ、カラゲル剣闘士養成所の主だ、名前くらい聞いたことあるだろう」

「……ある。けど、なんでこんなとこに?」

「こいつは元々ウチの常連だ。お前は賭け試合に出るばっかで飲みもしねえ賭けもしねえんで、知らなかったな、この、馬鹿野郎!」

「なんで罵られなきゃならない」

「いきなり人を蹴る奴があるか!」


 反論の余地も無いアサツキであったが、わざとらしく痛がるカラゲルが、次に慰謝料でも要求してきそうな気がして、早々に立ち去った。


 ぎゃあぎゃあと喚くイヌクと、何か叫ぶカラゲルが言い争いになっているのを離れた場所で聞きながら、アサツキは歩く。なんにせよ、目的の物は得たのだから、塾へ行こう。そう思って往来の人混みを突っ切っていると、ふと呼び止められた。

「おい、シュウネル、待て」

容貌魁偉の男が、三人の奴隷を引き連れて立っている。アサツキは最低限の礼儀を尽くした所作で以って挨拶をした。

「こんなところで何をしている?」

男の名をサブラフと言い、アスラウエで一、二を争う有力者であった。




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