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無軌道な単色  作者: こんたくみ
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アスラウエの日々―苦悩―



 蒼天に沖す雲は、行き先を知らず、風に流される身であるとも知らず、何も知らず、知らず、そうして、千々に千切れ散り散りとなる運命にある事をも知らず、ただ、思い浮かぶのは、愛する者の事、満ち足りた今日の事。


 アサツキは眠っていた。外は静かであった。窓にはまだ板が嵌めてあり、僅かの間隙を透り抜けた朝日が床に刺さる。添い寝るスクモは、アサツキの髪を撫でている。深い静穏に、室内は外界から隔離した一つの世界を創り上げている。アサツキとスクモだけの、スクモにとって特別な世界である。そして世界とは、世界の外側に立って見た時の、領地の呼称だ。つまり今、この空間はスクモにとって、死守すべき故郷であり、住まうべき国であった。だから、足音が近づいてきた時、是非にも脅威を排除すべく、スクモは惜しみつつアサツキを離れて部屋を出た。


 マンナは、アサツキを起こしに来たのだが、スクモが部屋から現れて出入り口を塞いだので、どうしようもなく立ち止まってしまった。スクモは「私の邪魔をするなら、貴様の鬱陶しい髪を毟って燃やして捨ててやる」と言った。マンナは「あの、アサツキ、くんを、起こしに……」と尻すぼみな声で言う。スクモがマンナの髪へ手を伸ばした所へ、スコン、と狼の上腕骨がスクモの頭に投げ当てられた。

「痛……」

当たった部分を手で押さえるスクモと、顔を明るくしたマンナの許へ、アサツキが歩いてきた。

「おはようマンナ」

「お、おはよう、アサツキ、くん」

それだけ会話した後で、アサツキは歩き出す。スクモが慌てて「こら待てアサツキ」と言って、アサツキの手を握る。アサツキは勝手に握らせたまま、ダイニングへと歩いて行った。


 食卓を共にするのは、アザミ、アサツキ、スクモ、ナオミ、そしてマンナである。多数の奴隷を抱えるようになったとは言え、やはりナオミはアルカギリ家にとって特別であった。そして、マンナは、形式上は居候として、アルカギリ家に迎えられていた。そのため食事も同伴しているのではあるが、タダで身寄りのない他人を引き受ける道理もなく、実質上マンナは奴隷としての仕事をこなしている。


 アスラウエに来てから、食事は料理担当の奴隷が作ることもあるが、多くはナオミとマンナがアサツキ達の分を用意していた。朝食は前日の夕食の余りも合わせて、それなりの量が食卓に並んでいる。

「おはよう、アサツキ、スクモ」

ダイニングへ入ったアサツキ達を迎えて、アザミが笑った。ゆるく波打った黄金色の髪は、凝って飾られるようなことが無くなって久しく、いつも肩に掛かっている。歳は三十を過ぎて二年だが、日溜まりにも似た美貌は健在で、資産の事も相俟って、求婚者も珍しくない、アザミがそういう男達を相手にすることはなかったが。


「おいスクモ、そろそろ手を離せ」

 アサツキが椅子に座ろうとして不自由を感じ、スクモに言った。

「私に命令するつもりか」

離れろと言われて素直に離れるなど、スクモにとっては死ねと言われて死ぬようなものだった。そういう無茶な命令に対して、反発的になるのも致し方なかったが、そんな無茶な感情はスクモにしか分からないことであった。少なくともアサツキには、離れて欲しいという気持ちしかない。

「このまま食事にするつもり?」

「もう片方の手が空いているだろう。パンくらい掴める」

「ほら、スクモ、アサツキが困るでしょう。手を離してあげて」

アサツキはスクモの強情を察し、空いた手でマンナの手を握った。不意に握られ、驚いて背筋を伸ばすマンナに、スクモはむっと顔を顰める。

「両手が塞がったからパンも掴めない」

「あ、あの、アサツキ、く……」

「おいアサツキ、今すぐその手を離せ今すぐだ!」

「お前がこっちの手を離せば僕もこっちの手を離す」

スクモは、アサツキがするマンナへの特別扱いが大いに気に食わない。それはアサツキも知るところだった。だからスクモを適当に煽って思い通りに動かそうという算段であったが、柔らかなマンナの手に意識が削がれてしまうのは、半ば故意的な失敗だった。アサツキの憎らしい失策について、スクモはマンナへの憎悪を募らせたが、アサツキの抱く青々とした感情については危惧した。スクモは渋々、且つ苦々しくアサツキから手を離す。しかしアサツキはマンナから手を離さない。

「アサツキ!」

「これでいいだろ」

アサツキは両掌をスクモに向けた。その背後で、掴まれていた手を握りながら耳を赤らめるマンナが、スクモはこの上無く恨めしかった。


「さあさ、食事にしましょう。席に着いて」

「皆さん、食事にしましょう」

 ナオミが三人へ声を掛けると、アサツキ達はテーブルをコの字に囲む臥台に腰を下ろした。「いただきます」と食事の挨拶を済ませて、適当に食べ物を口へ運んでいく。

「あ、そうそう。昨夜のイチジクがまだ残ってるの、アサツキ好きでしょう? 食べる?」

「スクモ、『気霊の同調解釈』は読み終えた?」

「ああ、読んだぞ」

アサツキの質問に、アスパラガスをつまみながらスクモが返答する。

「どう思う? 可能かな」

「可能とは何の事だ。あの解釈の証明か、それとも気霊働に干渉することか」

「両方とも」

スクモは苦笑する。チグサの顔を思い浮かべて、言いようも無く哀れに感じたのだ。

「先ずあの解釈を正しいとするのは不可能だ。簡単に目を通しただけでも訂正するべき箇所が四つはあったぞ」

「え、本当?」

「私が君に嘘を吐いたことがあるか。というか気付かなかったのか、君」

脚を組んで得意気に、スクモはアサツキを睨んだ。アスパラガスの先端は失態を指摘するように、アサツキに向いている。

「こら、お行儀が悪いでしょう。脚を組むのは止めなさい」

「お前と一緒にするなよ、気霊師の書いた論述の欠点なんて容易く分かるものじゃない」

「フフん、その点、私に意見を求めたのは正解だな。兎も角、あの本の内容は間違いだが、面白い考察が含まれているのは確かだぞ」

「じゃあ、気霊働に干渉して、気霊具の使用権を奪うなんてことが出来るの?」

「それは私にもまだ分からん、が、可能性は低くないと思う」

そうなのか、とアサツキは考え込む。同調の実験を続ける価値はありそうだった。


「む、難しい話なのね。気霊学の事なの? 凄いわね。きっとシュウでも分か――」

 心臓の縮まる音、怒号にも似た音は、少量の木片を散らして、テーブルに罅を入れる音だった。叩き付けた拳は、痛みよりも体内の血潮を感じた。アサツキは目を伏せていた。アザミの顔を直視出来なかった。すれば、殴り掛かってしまうと思った。

「ごちそうさまでした」

微笑みがちに、目を瞑って、ナオミに向かって、アサツキは言う。そうして席を立った。スクモは慌ててパンを頬張り、急いで咀嚼し、牛乳を飲むと、アサツキを追い掛けた。


 食卓には、気まずそうなマンナが、もそもそと自分の分のパンを噛んでいる。手元を動かす気力さえ無いアザミは、悲しそうに微笑んで俯き加減になっている。ナオミはそっと、アザミの手に触れた。

「大丈夫です、反抗期ですよ」

「……ええ、そうね」

アザミは静かに応えた。ナオミは、気休めにしかならない自らの慰めを、内心で恥じていた。忠誠心もあるが、それよりも、己の矜持によって。10年近く、アルカギリ家に仕えてきた。奴隷の身分に甘んじるなど、本来の己の気性から言えば在り得ない。それでも長く仕えてきたのは、シュウやアザミに親しみがあったからこそ、そして何より、アサツキが居てこそだった。ともすれば、母親よりもこの私に懐いてきたアサツキだ。アサツキを育ててきたという自覚がある。荒んだアサツキの心を、平癒し得ないことに、ナオミは忸怩たる思いであった。


 食事を終えると、アサツキ達は私塾へ向かう。アサツキの腕を抱き込みながらスクモが歩き、その後ろを、荷物を抱えたマンナが歩く姿が平生である。しかし今日は、スクモもアサツキの後ろに付いて歩いていた。スクモはマンナと並んで歩くなど耐え難いから、三人は一列になっている。


 街を往く人は疎ら。と言うのも、まだ薄暗い朝だからだ。チグサの塾では、随伴する奴隷達は部屋の隅か廊下へ寄っていた。場所が良ければ、塾生と同じ授業を立ち聞き出来る。その事は、マンナにとって僥倖以外の何物でもない。故に、アサツキは、マンナが良い場所を取れるよう、いつも早くに家を出て、一番早くに塾へと着いた。それは今日とて変わりない。


「スクモ」

 歩きながら、アサツキが声を掛ける。錨を海面へ上げるように、重さに対する力強さのある声だった。

「どうした?」

「今日は確か、午後から拳格闘の授業があったよね」

「あったな、それがどうかしたのか」

アサツキは立ち止まった。

「先に塾へ行ってくれ。午後には必ず行くから」

「ん、そうか、分かった」

「マンナと仲良くしろよ」

「知るか」

アサツキはスクモの頬を優しく抓って、マンナに目配せして、そうして早朝の街に独り、姿を消した。




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