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無軌道な単色  作者: こんたくみ
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アスラウエの日々―日常―



 そうして、『気霊の同調解釈』を数日掛けて読み終えたアサツキは、気霊の同調を実践するため講義室に居残っていた。スクモは先に帰らせている。採光の足りない部屋には薄く気霊灯の翡翠色が降り注いでいる。アサツキはその光に独り影を落としながら、片手に嵌めた手袋を前方に突き出している。手袋の材質は主に獣皮であるが、間接部や掌などに金属による機構があり、手の甲に装着する気霊晶によって起動する気霊具である。効果としては、掌の前方に、物体を前へ押し出す気霊働を発生させるものであるが、威力は微弱で、それを実用することはない。チグサはこれを、気霊同調の実験に用いる為に作製した。チグサの予想が正しいならば、この気霊具による気霊働を、もう片方の手から発する気霊によって妨害できるということなのだが、そんなことは出来そうにない。


 アサツキは集中し疲れて、手袋を脱いで一息吐いた。そもそも、気霊とは生命力に等しい。気霊具の動力は気霊の結晶たる気霊晶により賄われるが、アサツキの素手から発する気霊はアサツキのもの。出し続ければ疲弊する。自らの気霊を体外へ出すという操作からして、普通はやらない荒業である。仮に気霊の同調が成功したとしても、だからなんだというのがアサツキの真情だった。もう帰ろうか、そんな事をふと思い、講義室の出口へ目を遣る。中を覗いていたのは、先日に書斎の前で鉢合わせた少年であった。


「何か用?」

 見られたままに放っておくというのは、あまり気持ちの良いものではない。アサツキが声を掛けると、少年は特に驚く様子もなしに、へらへらとした愛想笑いを浮かべて室に入った。

「何をしてるのかなァ、と思いまして、見ていました」

「気霊学の実験だけど、興味あるの?」

「ええ、はい。あります」

気霊学への興味を表明した少年は、何故かばつ悪そうにして頭を掻いた。何かを恥じて、思わず顔を背けたように、アサツキは感じた。先の放っておけない気持ちの悪さが、放っておけない気持ちになったのは、アサツキの性分だった。何事かの束縛を受ける、束縛に値しない弱者を、その束縛から放ちたくなる、義務感。そういう気性は、今でもアサツキの心中に残存していた。


「その格好からして、ここの生徒じゃなさそうだね。何者?」

「数週間前この家に買われた奴隷です。ただ、まだ何も命じられてません。家の中の移動も、殆ど自由なんです」

「ふうん、名前は?」

「あっ、それだけはここに来る時、命じられました。名前は必要ないから、名乗るな、と」


 少年の話に疑問はあるが、取り敢えずチグサの奴隷ということで、納得したアサツキは、この少年に気霊具の手袋を投げて渡した。慌てて受け止める少年に、「使っていいよ」とアサツキが言う。

「いいんです!?」

「いいよ、僕は疲れたから」

大した気霊具ではない。けれども少年は、欲しかった玩具を手に入れた子供そっくりに喜んで、気霊具を使い始めた。アサツキは為すべきことを為した満足感に足を浸け、ふと、ここで同調を試みたらどうなるのかと思い立つ。片手を伸ばし、少年の生んだ気霊働に干渉を試みた。アサツキの気霊は弾かれるような感覚とともに霧散する。「あれ」少年が言う。

「ん? どした」

「いえ、なんでもないです」

「言ってくれ。気霊具を壊したら僕が怒られる」

「あ、はい、すみません……えっとですね、なにか、今、一瞬だけこの機械を使い辛かった感じがしました」

「フーン」

チグサの言う妨害とはこのことだろうか、この現象の飛躍した解釈が気霊の同調か、成程……と、アサツキは合点した。スクモはまだ『気霊の同調解釈』を読み終えていない。この実験を続けるのは、スクモの見解を聞いてからでも遅くはないと、アサツキは考えた。

「それじゃあ、僕は帰るから、その気霊具は先生に返しといて」

「畏まりました」


 少年は、立ち去るアサツキの背中を笑顔で見送った。だが、アサツキの荷物を見て顔を曇らせた。アサツキはもういない、だから確かめることは出来ない。アサツキの荷物は明らかに、勉強道具ではなかったのだが、ではなんだったのか。考えても詮無い事である。少年はアサツキの鷹揚さに感謝して、今暫く気霊具を使うことにした。


 田畑の斜陽は別れを惜しむように、時を停滞させた感を生み出している。その中で働くアルカギリ家の奴隷達は、自分達がそれに逆らっているように思えて、何処か後ろめたいささやかな感傷を持った。この日の作業も終わり、後はその感傷を持ち帰りでもすれば詩情味のある一日にもなったのだが、それは許されなかった。田畑を横切って歩くアサツキを見て、奴隷達は先の感傷も忘れ、冷え冷えとした機械かなにかのように、後片付けに集中したのであった。


 アサツキは傷だらけの血塗れ、服は裂け、痛みからか片足を少し引き摺っている。そして、手にはぎらついた剣を提げている。まともな姿ではなかったが、いつもの姿ではあった。自分から目を逸らす奴隷達を見て、アサツキは心底から辟易する。奴隷達の仕草がそのまま、父の妻の心底に思えたからだ。アサツキは田畑を過ぎて、アルカギリ家の邸宅に着いた。


「アサツキ様、お怪我が?」

 邸宅の門の前で、待ち受けていたナオミが厳しい目をして言った。アサツキは表情を微塵も変えず「脚を。後は返り血です」と言い、ナオミの横を通り過ぎようとする。しかしナオミの掣肘を受けた。

「もう百回以上は言ったわよ。危険だからもう止めて。奴隷としてじゃなく、もっと大事なものとしての言葉よ」

「忠告感謝します。それと、主人として言います。構うな」


 アサツキは門を通った。


 中庭の浴泉まで行くと、マンナが海綿で周囲の柱を擦っていた。アサツキに気が付くと、マンナは手を止めて浴泉の端に寄った。マンナの顔に出ているのは、新芽のようにひっそりとして、それでいて生き生きとした嬉しさであった。

「掃除を?」

アサツキが問う。

「う、うん。アサツキ、くんが、そろそろ帰ると、思って」

「ありがとう」

そう言ってアサツキは笑って見せた。疲労の所為か多少なげやりな微笑みであったが、その気遣いがまた嬉しくて、マンナも控えめに笑った。


 アラガナムのタミエト通りで起きた惨劇から三年、流石にマンナも今の生活に慣れてきて、立ち回りに淀みがない。このアスラウエという街に移り住んで変わりに変わった環境を、ナオミやスクモも受け入れている。アサツキも、ある意味では受け入れていたが、その胸中には常に不満があった。その不満は屈辱感だった。屈辱感は憤懣の薪となって、アサツキの脳を燻り続けている。捌け口は、狼狩りであった。


 アスラウエの周囲には狼が居て、時たま家畜に害を為す。それを知ったアサツキは、かつて自分の命を守った剣を握って、哀れな獣らの命を奪いに赴いていた。時期を置いて何度も。ナオミに諌められようと止めなかった。アサツキは剣を振るっていたかったのだ。はっきりと言葉に出来ない、後ろめたい感傷を抱きつつ、アザミへの軽蔑と嚇怒を面に塗りたくって。今やアルカギリ家は、アサツキにとって居心地の良い場所ではなかった。


 アサツキが体の血をすっかり洗い流すと、脚の噛み痕から滲む血がはっきりし出した。アサツキは浴泉の縁に腰掛け、傷口を確かめる。衣服の替えを持ってきたマンナが心配そうに跪いて、傷口に指を伸ばした。アサツキはその指を掴み上げる。

「気にしなくていい。スクモは?」

「部屋に、いる」

「そう」


 アサツキは答えを聞くと、すぐにスクモへの興味を失った。マンナの指の感触と、青く血管の浮かんだ白い肌に心を奪われた。果実の熟れたような唇から、大きく膨らんだ胸にまで目が巡る。顔を赤らめたマンナが胸元を隠し、アサツキは反省して視線を地面に落とした。


「アサツキ!」

 その時、アサツキの正面から声が飛んできた。声の主は走りざまマンナを叩いてアサツキから引き離し、自身はアサツキに飛び込んだ。アサツキは背中から浴泉へ沈水する。浴泉は手前が浅くなっていて、溺れることはなかったが、頭を打った。アサツキの事情には構わずに、濡れた髪が頬と一緒に擦り付けられる。それでもアサツキは眉をぴくりとも動かさずに抱き返し、

「ただいま」

と言う。

「ああ、おかえり」

水浸しになったスクモが堂々と応えた。




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