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無軌道な単色  作者: こんたくみ
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アスラウエの日々―事情―



 フェクィメの巫女披露式襲撃事件の後、アザミは自分達が暮らしていた邸宅を売却し、アサツキとスクモを連れて北へ向かった。そこにはナオミの他にマンナの姿もあったのだが、これはアサツキの口添えに因るものであった。アサツキはマンナを独り放っておくには忍びなかった。


 旅の末、アザミが居付いたのは、アラガナムから北に約150里にある街、アスラウエである。アザミは宅を売った金に加え、元々の財産を元手として、多数の奴隷をこの街で雇い入れ、土地を買い、農業を始めた。家政の才に恵まれていたアザミは、何の蹉跌もないままに財を殖やし肥やし、三年後には、アスラウエでも有数の資産家に成り果せていた。アサツキとスクモが気霊師の講ずる塾へ通うことが出来たのも、アザミの家政があってこそである。


 アサツキとスクモの通う塾は街の中心部にあり、二級気霊師チウセイ・ソランズネラ・チグサが講師を務めている。気霊師が講師を務めるということで、アスラウエの富裕層に大変な人気のある塾であった。手習いの科目は修辞学、弁論術、政治学、数学、天文学、音楽、等、そして気霊学である。気霊とは生命を活動させる不可視の「なにか」であり、気霊学はこの気霊の正体を突き止めるべく研究を行う学問であると同時に、気霊具と呼ばれる、気霊の振る舞いを利用した種々多様な道具を開発するための学問でもある。スクモは特に、この気霊学での才能を顕著に表した。難解な理論も、まるで始めから知っていたかのように理解し、本職であるチグサですら思ってもみなかった知見をさらりと述べる。もしも気霊具の開発に着手すれば、目覚ましい成果を上げるのは目に見えていた。


 そうだと言うのに、スクモは才能を活かそうとはしなかった。例えば、気霊学に取り組むスクモは傍から見ても楽し気で、実際、他の学問や仕事に比しても優先する度は高かったのに、そこから先の展望が無い。また例えば、アサツキが気霊院の話を持ち出しても、曖昧な笑みを浮かべて、「君と一緒に居る方がいい」と宣う。だからいつしか、スクモではなくアサツキが、チグサに対して気霊院への紹介を頼み込んでいる始末であった。


 気霊院とは気霊学者の総本山で、気霊研究の材料となる気霊晶という物質の流通、気霊学者の研究に特権を与える気霊師制度と気霊師の統轄を行う組織である。組織長である特級気霊師ユウハブル・セイネル・ダンは気霊研究の成果によって、齢を200は優に超す、アラガナム帝国の大長老である。元老院や皇帝に比肩して尚劣らないその権勢は、気霊院にて学ぶことの栄誉の大きさを如実に示していた。アサツキがスクモを思って、チグサに掛け合ったのもそこが理由だ。


 アサツキがチグサを待っている。四方の壁に掛けられた棚の全てを埋め尽くす巻子本。浩瀚な書物は、ここが書斎であるからだ。天井に取り付いた籠で寝そべる岩石は、翡翠色の光を垂らす照明用の気霊具であり、アサツキの視界を助けるために部屋を照らした。アサツキは無表情に、一巻の書を手に取り、開いて見る。書の題は『気霊晶の流体化現象について』であり、著者はユウハブル・ダンネラ・ラン。帝国に三人いる特級気霊師の一人である。


 アサツキは気霊師必読の書物をそっと元の棚に戻し、別の棚から新たに本を取った。スクネビ作の詩劇『アーヴァレオンの陥火』、何の気なしに取った本は、アサツキの愛読書であった。

「時が癒してくれる悲しみなど無い。浅い眠りに月が冴え渡る夜、夢と現の往来は幾重にもなり、次第に地に足の着いた感覚は消え、自分の正気が信じられなくなってくる。そして気付くのだ、己は立ちながら寝てはいないということに」


 本が文字を吐き出す前に、アサツキが言葉を零した。諳んじたのは手に持った書の一節だ。アサツキの掌で本が転がり、項を広げる。


「待たせてしまいましたか」

 高い声を低く律したような声がした。書斎の扉が動いて、少女がアサツキの前へ歩み入る。蒼めく程の白髪と、疲れたような表情が、少女の容姿と相容れない、摂理に弾かれた証左。彼女はチグサ、御年93歳で、気霊実験の失敗により、若返り続ける身体となってしまった二級気霊師。外見年齢12、3歳ながら、アサツキの通う塾の講師であった。


 チグサは机の横の踏み台に乗り、椅子へと座る。高く調整された肘掛け椅子は、チグサに威厳を多少なりとも奉った。目線はアサツキと同じである。


「一級気霊師への紹介の件、どうでしたか」

 アサツキは棚に本を差し込むと、やや緊張の面持ちで尋ねた。

「好感触でした。もし紹介したのが私でなければ、もっと良かったでしょう」と、チグサが返す。「それじゃあ――」

「もう一押しが必要と言ったところでしょうか。具体的には、献金があると良いでしょう」

アサツキの声を制止したのは、要らぬ期待で落胆させたくはなかった為だ。

「献金……どれくらいの?」

「30アルゲンもあれば、十分な庇護を期待出来ると思います」

人一人が一年は働かずに暮らせる程の金額を提示され、アサツキは押し黙る。アルカギリ家の財政ならば、工面しようと思えば出来る。しかし軽い額とは言い難い。なにしろ、気霊院に入るための試験を、滞りなく受けるためだけの金額である。


 気霊院は伝統と秩序の組織。気霊院で学ぶには実力は無論、由緒を認められ得る家柄か、それ相応の後ろ盾を要とした。


 チグサは背後の棚から迷わず一冊を引き抜いて、アサツキに手渡す。

「アサツキ君、前にも一度、言いました。ですがもう一度、言いましょう。止めておきなさい。スクモさんの才能が本物でも、本人にやる気が無くては……。それよりも、貴方自身が気霊院を目指した方が、幾らか健全です。私が貸した本も、全て読破しているのでしょう。きっとアサツキ君も気霊師になれます」

忠告を義務と受け止めた、重みのある言い方だった。だけれども、アサツキは躊躇いなく首を振り、拒否を示した。

「僕の理解が及ばない部分も、スクモなら始めから答えが分かっているみたいに理解します。あいつは気霊師になるべきです。それにスクモはなんだかんだ言いながら、気霊学に関わっている時が、特に生き生きしています。切欠さえあれば、あいつは気霊学に打ち込みます。だから心配ありません」

確信に満ちた口調は、チグサから説得の気概を削ぐのに不足なかった。

「そこまで言うのなら、私には止められませんね。しかし、勘違いしないでください。これはスクモさんの話ですから、最後に決断するのはスクモさんです。今日はこのくらいにしましょう。……ところで今、アサツキ君に渡した本は『気霊の同調解釈』、私が書いたものです。気霊研究の主流からは外れているのですが、ともかく、読んで感想を聞かせて下さい」


 アサツキは中身を知っているびっくり箱を見るように、チグサの本へ視線を向けた。気霊具の持つ気霊働――気霊晶にあるなんらかの現象を起こす力――に他の気霊が同調し、気霊働に影響を及ぼし、時には気霊具の使用権を奪うという研究、それこそは、チグサ畢生の研究課題にして、チグサが二級の気霊師たる所以であった。

「あ、スクモさんにも読んでもらって構いませんよ」

「読ませておきます」

「その、なんと言いましょうか……。やる気さえあればスクモさんに、その気があればアサツキ君に、私の研究を引き継いでもらうというのも、やぶさかではありません。なにしろ私の時間も残り少ないものですから、早急に後継者を決めたく――」


 アサツキは一通りの謝辞と社交辞令を述べて、チグサの前を後にした。


 書斎を出てすぐ、一人の少年がアサツキと鉢合わせた。見掛けの歳はアサツキよりも数年、若い。毒気も無く、純朴で、人の良さそうな少年だった。

「あ、ごめんなさい」

少年はアサツキに会釈して、そそくさと居なくなる。その姿にアサツキは、用が済んだ人間の素っ気無さを感じ、一瞬、無意味に思案した。

――立ち聞きか?

アサツキは意識の流れにそんな思案を投げ捨てて、借り受けた本を読み読ませるべく、家路に就いた。




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