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無軌道な単色  作者: こんたくみ
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タミエトの悲劇 後編



 人々は坂を転がる礫となってひた走る。それを異形が駆り立てる。異形から逃げ惑う人の群に混じり、アサツキも駆けていた。


 何処へ逃げる? 何をするべきだ? 僕の役割は? 責務は? アサツキの思考は巡る。迷路に惑うのと同じで、自分の位置も、目的となる場所も不明である。


 交錯する道々を人々が逃げ行き交う。まるで定まらない逃走の方向は、より一層、人々の、そしてアサツキの混乱を加速させた。畢竟、大半の者は逃げる事が目的となり、何から逃げているのかさえ分からなくなっている。そのうちに、今、自分を追い立てる者がいないとアサツキは察して足を止めた。肺の膨張と収縮は痛い程に激しく、足の疲れは急速に溜まっていた。そのために休む必要があるとアサツキは判断し、建物の陰に座り込む。


 アサツキは考えた。敵は何か、自分のするべきことは何か。敵は無論の事、あの怪物である。そして自分は、家に戻って、シュウ達にこの状況を伝えねばならない。スクモもそうする筈だ。しかし、此処は何処だ? アサツキは我武者羅に走る内に、自分の位置を見失っている。ならばと、アサツキは見知った場所に行く為、兎にも角にも歩み始めた。


 アラガナムの兵士がふらふらと現れ出たのは、アサツキが曲がり角に差し掛かった時であった。彼は腹部から血を垂れ流しており、それは明らかに刺し傷であった。肩は抉られており、手に持った(グラディウス)の先にまで血が滴っている。アサツキと目が合うこともなく、彼はその場に倒れ伏した。血液がゆっくりと地面に広がっていく。


 アサツキは既に混乱の極みにあって、今更、驚いてどうのこうのという事は無かった。ただ、足を止めたのは、敵が角を曲がった先にいるのではないかという懸念と、剣の輝かす鈍い光が目に入ったからだ。剣を拾うには、角の先へ、即ち死角の中へ、身を曝さなければならない。若しアサツキの血肉を欲する敵がいれば、どうなるか。


 それは身を守る盾ではなく、怪我を治療する道具でもない。アサツキには分かっていた。それを手にするということが、アサツキのこの先の運命を、どのように左右するかを。自身の運命を、言葉で解していたわけではない。しかし恐懼と混乱の最中にあって、アサツキの心底に芽生えていたもの、それがアサツキの魂を震わせた。その名は怒り、暴虐に対する復讐心であった。恐慌の枯草に隠れていた嚇怒の芽は、血に濡れた剣がアサツキの目に触れたことによって、覆う枯草を吹き散らされて表に出た。


 角の向こうへ身を曝す、アサツキは剣を拾った。それを逆手に持ったのは、本能が襲撃を警戒したからに相違ない。通りの方へ顔を向けた、その刹那、視界を覆う如く化物の顔面がアサツキに迫る。雷に打たれたような衝撃に突き動かされ、反射的にアサツキは払い除けた。剣の切っ先が化物の首に食い込んで骨に達する硬い感触。肉の削げ落ちたような首はあっさりと致命の刺突を通して、アサツキは飛び掛かった勢いのまま絶命する化物に押し倒された。


 吹き出る生温かい血が口元に掛かる。激情を刺激されたアサツキは、ぶよぶよとした化物の腹を膝で押し退け、馬乗りになり、そして更に一撃を加えようとする。筋肉が硬直して動けなくなったのは、化物の顔を見たからだ。


 毛はなく、香気もなく、血汐の生気もなく、宿痾に取り付かれたような形貌の断末魔は、紛れもない人間の形姿であった。急に胃から熱いものが込み上げてきたアサツキは、道端に嘔吐する。すると気が落ち着いたのか周りを見回す余裕が心に出来た。アラガナムの兵士達が、数体の化物と争っている。隊列は崩れ、化物の素早さに兵士達が押されている。しかも、市民の風体の幾人かが、明確な敵意を持って、兵士達に相対していた。この騒乱の首謀者共かも知れないが、アサツキにはどうでもよかった。


 アラガナムの兵隊は、行進を警護していたものだろうと、アサツキは憶測する。ならば目抜き通りもそう遠くないかも知れない。アサツキはそれらしい方向へ走った。化物に狙われないよう、急いで。


 そうして果たして、アサツキは目抜き通りに辿り着いた。ほんの少し前までの賑やかさなどなく、遠くで聞こえる悲鳴も最早、小さい。往来には喰い散らかされた死体と、微かに息がある者の呻き、取り残された輿があった。輿は、どうやら、フェクィメの巫女を乗せていた物らしく、清澄に洗練された造形で、豪奢ではないが厳かな雰囲気を醸し出している。地に付き血が付いていることが、その洗練された造形の故に凋落を感じさせずにはいられなかった。アサツキは輿の周りに転がる死体の幾つかは、フェクィメの神官の衣装であることを見て取った。そして、背中に刺し傷があったことも。


 近付いたのは、好奇心からだろうか。輿に近寄ったアサツキは、輿の陰から、はみ出て見える死体の一つが、ゆらりと動いたのを目睹した。死体と思ったそれはまだ生きているのかと、人助けのつもりで、アサツキは駆け寄った。


 死体が動いたのは、化物が一体、貪っていたからだった。その悍ましい光景に、アサツキは茫然とする。口元を血で汚しながら、化物はじろりとアサツキを睨んだ。黄褐色の瞳がアサツキの心にもたらしたのは、怒りであった。恐怖と憤激は紙一重だと、何処か冷静な部分で、アサツキは思惟した。この一瞬間を逃せば、己も貪り喰われるのだ。アサツキは剣を振り上げていた。弩の弦に弾かれた如く、化物が飛び掛かる。アサツキの振り下ろした剣は化物の背中に突き刺さり、そうしてアサツキは肩に噛み付かれながら倒れた。


 背中に刺さった剣には無関心で、アサツキの肩や顔を一心不乱に齧ろうとする化物。生温かく荒い吐息がアサツキを舐り、涎が雨垂れとなってアサツキに掛かる。なんとか手で退け、払い、叩き、防御するアサツキ。辛うじて傷を増やしていないのは、ナオミによる体術の稽古の成果だったが、時間の問題であるのには間違いがない。アサツキの心臓の鼓動を恐怖が侵食し始めた。


 最も恐ろしい死を予感して、アサツキは発奮する。これが失敗すればそうなるのだと、決死の覚悟で打った手刀が、化物の歯に強く挟められる。肉を食い千切らんとして、圧力が強められていく。痛みの中で、アサツキは安堵した。狙いが上手くいったのだ。アサツキの片手は、化物の小指を掴んでいた。容赦なく、躊躇いなく、微塵の情けもなく、それを当然のこととして、アサツキは小指を小枝のように圧し折った。


 化物が跳び離れて、背後の輿に当たる。輿が揺れて、「きゃッ」という女の声が上がった。輿の中に誰か隠れていたらしい。化物は標的を変え、輿に飛び乗った。


 それを見逃すアサツキではない。なにより、背中に刺さったままの剣がアサツキの闘志を燃え立たせた。女の――それも少女の――悲鳴が上がる。化物が彼女を襲おうとした背後で、アサツキが、剣の柄を握った。渾身の力を込めて、全体重を以って斬り下ろす。ぶちぶちと筋の筋が切れ、肉が圧し断たれていく。ぷしぷしと噴き出す血がアサツキを染める。人間のものとは思えない人間の悲鳴が、化物の口から発せられ、化物は倒れた。ぴくり、と痙攣し、そのまま動かなくなった。


 達成感と安心感に酔いながら、アサツキは輿の中に居た少女を眺めた。純絹の衣装は裾が血に濡れ、他にも飛沫を受けて、点々と染みになっている。少女の表情は緊迫から安堵の振り幅が如何に激しかったかを如実に物語っており、印象的な深い緑色の瞳は大きく見開かれ、化物の死体を凝視していた。


 アサツキが輿の座席にへたり込むと、少女は漸く正気を取り戻して、おずおずとアサツキに話し掛けた。

「……あの、ありがとうございます」

返答する余裕もアサツキにはない。

「私は、ハインリカと申します。今代のフェクィメの巫女です。助けて下さった事、深くお礼申し上げます」

流石にアサツキは驚いて、しかし驚きを顔に表すことが出来ないまま、ハインリカを見た。

「あの、それで……どうしましょう」

周囲の大人は、全員が犠牲になっている。ハインリカは自身と同じくらいの年齢だ。そう、マンナと同じで、何とか守ってやらないといけないのだろう。そうアサツキは考えたが、アサツキには守るだけの力がなく、そのうえ、家に帰るという目的がある。だから、精一杯の助言だけして、立ち去ることにした。

「生き残れ」


 アサツキは輿を降り、歩き始める。目抜き通りに出たから、道順は分かった。化物に出くわさないことだけを祈り、慎重に進んでいく。途次で見掛ける死体には、転落死したものも含まれていた。島宅にまで、あの化物が侵入したのだ。アサツキはマンナのことが心配になる。


 幸い敵に出会うことなく、家の近くにまで来たアサツキは、家に戻るより先に、マンナの許へ行くことにした。マンナの居る島宅の門番は消えている。階段を上がっていくが、人の気配はあまりに無い。そしてマンナの家の扉の前で、アサツキは声を掛けた。

「マンナ、居る? 僕だ、アサツキだけど」

静寂が残る。部屋の中でがさごそと何かが動く音がする。アサツキは剣を握り締めた。


 扉が開き、出てきたのはマンナだ。泣き腫らし、傷のように赤い目元。血に濡れた手で触れたのであろう、服や頬も汚れている。そして背後に見える部屋は荒れに荒れている。マンナはアサツキを見て、恐れ、驚いて後退った。血に塗れ、剣を持っていたのだから、むべなるかな。

「だ、大丈夫、アサツキ、くん」

「……どうだろう、マンナは?」

「わ、わた、私、は……」


 目元を拭うマンナだが、涙は止めどない。アサツキはマンナを抱き寄せて、部屋の中に見えた内臓から目を逸らし、扉を閉めた。

「僕の家に行こう、いいね」

マンナはアサツキの胸元で頷いた。そうして二人は、数軒隣の、アサツキの、シュウ達が居るであろう家へ向かった。


 家に戻ったアサツキを先ず迎えたのは、沈黙である。繋いだマンナの手と、剣を持つ力が強まる。肩の痛みを気にしていられない。アサツキは敵が見えない事の恐怖を味わっていた。だがそれよりもアサツキを心底、震え上がらせたのは、敵が過ぎ去っている事への恐怖であった。立ち止まる事で時間を停める事が出来たなら、アサツキはそうしたかった。アトリウムに立ち尽くし、床の貯水槽の、静止する水面を見詰める。そこに沈んでいたのは化物であった。意を決し、アサツキが言った言葉は、「ただいま」であった。

「おお、遅かったな」

そう言って、奥から出てきたのはスクモであった。服はアサツキ以上に血が付いている。顔や手や脚には付着するものがなく、髪がやや濡れているのを見ると、血を拭った後らしい。

「スクモ、怪我は?」

「ない、が、君どういうつもりだ」

「え、何が」

さも不満げな表情でスクモは歩み寄り、繋いでいたアサツキとマンナの手を引き剥がす。アサツキには何が何だか分からない。

「どうしてこいつが此処にいる」

「マンナの所も襲われたんだよ、邪険にするな」

スクモがマンナを睨むので、アサツキは二人の間に割って入った。非常時に常時の会話をするのがどれだけ異常か。アサツキは生まれて初めて、スクモを恐ろしく感じた。だがスクモが無事だったのに安堵して、アサツキはスクモに訊いた。

「父さん達は? シュラや母さんは、ナオミは?」

「ああ、ゆっくり休んでいるよ」


 アサツキは、スクモの言葉を聞いて安心し、その場で力が抜けた。崩れるように膝を付いたので、スクモが慌てて支える。スクモの胸に抱かれ、アサツキは「良かった、本当に、良かった」と、思わず呟いていた。

「ああー……アサツキ、私としては、君さえ無事ならそれでいいんだ」

「へ?」


 スクモの要領を得ない台詞に、アサツキは顔を上げた。丁度、その時、奥からアザミが歩いてきた。乱れた髪と衣服、絶望した表情が、先程まで狂乱の態であったことを連想させた。

「母さん?」

アサツキが言葉を発すると、感激してアザミは、スクモごとアサツキに抱き付いた。

「アサツキ、嗚呼、アサツキ! 良く生きてたわ、本当に良かった、貴方まで……」

そこで言葉を、アザミは喉の奥で詰まらせる。不吉な言葉を口にしたくないという心理であった。だけれども、アサツキにはそこまでで十分であった。絶望に叩き落とすには、十分であった。


 アサツキはアザミの手から離れ、徘徊するように奥へと進む。そうして、家の一番奥で、負傷して休むナオミの姿を見た。ナオミは、アサツキを見て、安心するのと同時、開口一番に謝った。

「申し訳ございません、アサツキ様。私が……」


 そこから先、ナオミは自身が守り切れなかった事、自分が犠牲になれば良かったと思う事、最期の状況等を、アサツキに述懐していた。けれど、アサツキに、その声は殆ど聞こえなかった。


 アサツキはその日、地獄を抜けた先に何があるのか、思い知った。






 ツェルタ暦981年。フェクィメの巫女披露式の行進にて、正体不明の生物が、見物客、フェクィメの神官、護衛に当たっていた軍の兵隊を襲撃。騒乱は特級気霊師セイネル・ダンと、同じくアカムネラ・シンシャの親衛隊によって鎮圧されるも、多数の被害を出す。生物はセイネル・ダンによって回収され、何らかの気霊研究によって変異させられた人間であると公表される。生物を市中に放ったと見られる者達は、自ら市民や兵士達を殺害しており、その目的は不明。戦闘によって命を落とすか、さもなくばコネリコの根を呑んで、全員が服毒自殺している。一般市民、軍の兵士、更にはフェクィメの神官にまで、これらの者は紛れ込んでおり、その共通点も不明。何らかの宗教組織の陰謀ではないかとする向きもあるが、それを証明するものは無い――……。




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