タミエトの悲劇 中編
行進は余興の段階である。故に、巫女のお披露目はまだ先である。今は賑やかな音楽を奏でながら、アラガナムの兵隊がタミエト通りを闊歩する。苦痛もなく、悲鳴もなく、怒りもない、楽しげな時が流れていた。
アサツキとスクモはタミエト通りまで来ていたが、人垣が出来ており、それに遮られて行進が見えない。アサツキが餌に飛び付く犬のようになってみても、一向に埒は明かない。そのうち、スクモがアサツキの袖を引いた。
「おい、あれに入るぞ」
そう言ってスクモが指し示したのは、三階建ての家であった。島宅ではない、私邸である。生成り色の外壁、赤く焼けた煉瓦の屋根。周囲の建物と意匠は同様だが、アサツキにはなんとなく、荘重な建物に見えた。その原因は、外壁に染み一つなかったのと、度々見かける、違法に建て増した島宅には感じられない、堅固さがあったからかも知れない。
「入ってもいいの?」
アサツキが訊く。
「渡り鳥よろしく勝手に巣を作ろうというわけではないのだ、気にするな」
スクモはそう言い放ち、アサツキの手を引っ張った。
二人が建物の近くまで来る。建物の周囲は塀に囲まれ、出入り口には男が一人、門番をしている。
「どうする? 止めた方が良さそうだけど」
アサツキが少し安心して言うと、スクモは反発し、まだ稚さのある柳眉を逆立てた。
「私が遣ると言ったら遣るのだ、馬鹿者。そら、こっちに来い」
スクモはぐるりと建物を周り、忍び込むのに都合の良い部分を探して回った。一通り確認して、首を傾げる。
「なんだ、これは。どうなっている」
「どうかした?」
「妙に厳重な警備だ。入るには一工夫必要だな」
「警備って? 特に何もないと思うけど」
「私が厳重と言ったらそうなのだ。繰り返し言わせるな」
「分かったよ。作戦は?」
「そうだな……よし、君が考えろ」
「なんで」
「思考の癖を付けておけ。いざという時に役立つ」
「いつもそんなこと言うよね。いざって時はいつ来るのさ」
「いつ来るか分からないから備えるのだ。下らん台詞に頭を使う余地など捨てて、さっさと打開策を考えろ」
アサツキはスクモを睨み、それから幾つかの策を頭の中で試行した。思考の末に、アサツキは、建物の門番へ歩み寄る。
門番の男は、近付いてくるアサツキを見た。アサツキが怪訝な顔して寄ってくるので、気持ちだけは身構えた。
「すみません、貴方はここの門番でしょうか?」
「そうだが?」
「変な人に、貴方を呼んでくれと頼まれました」
「変な人だと?」
「紫色の衣に、頭に緋色の羽飾りを付けていました」
「そりゃ確かに変な人だな。名前は?」
「さあ。通りすがったら頼まれたので知りません。駄賃も渡されました、ほら」
アサツキは少々の小銭を取り出し、門番に見せた。門番は語られる人物に思い当たる節がなく、混迷を深めた。
「そいつは何処に居るんだ?」
「この路の角を曲がって、四軒程、通り過ぎた所にいました」
「分かった」
門番は「仕方ないな」と呟きながら、駆け足で、アサツキに言われた路を辿って行った。
物陰で見ていたスクモがやって来る。
「中々賢いじゃないか。それに運も悪くない。流石は私のアサツキだ」
言いながら、スクモがアサツキを抱き締める。アサツキはスクモを引き剥がし「早くしないと」と言って照れを隠した。
スクモが頷き、先行する。そして建物の扉を開けた。質素な見た目の扉に反し、内装は装飾が凝らされていた。二人の正面には上階へ続く階段があり、手摺りに施された彫刻は植物を模した緻密なものだ。左右の壁にはアラガナムの豊かな大地が描かれ、神格化された初代皇帝が天からそれを見守っている。壁を刳り貫いた通路は川の流れに被り、絵の構成を崩さぬ工夫がされている。慌ただしく、なにか物を動かす音や話し声が彼方此方から届いている。
「忙しそうだな、丁度良い。上がるぞ」
スクモが階段を上り、アサツキは続いた。三階まで上がり、タミエト通り側の部屋に向かう。空いていれば、窓から行進を眺めるという算段だ。
目ぼしい部屋の前に着く。扉に耳を当てたのはアサツキである。その瞬間、扉が開いて、アサツキは前のめりになり、誰かの体にぶつかった。
「やけに歩幅の小さい足音だと思えば、子供か」
「あ――」
咄嗟に、アサツキは腕を横に伸ばした。彼女がいないことに気付いたのはその時だ。そは煙の如し。アサツキがぶつかった男は、失笑を手の甲で覆った。
「お仲間の逃げ足はネズミだね。取り敢えず言い訳を聞こうか」
男から怒りの様子は感じ取れない。アサツキは改めて、男を眺めた。血色の悪い印象、頬の僅かに赤いのは血管の赤さと思える。しかし、不健康と思えないくらいの生気が瞳にある。実際にも、アサツキは男の体にぶつかったとき、筋肉質という感想を抱いた。その印象がちぐはぐに感じられるのは、中性的な顔貌によるのだろう。また、後ろに束ねられた黒々とした髪は、男のものとは考えられないほど美しい。これに匹敵する美々しい髪は、スクモのものしかアサツキには思い当たらなかった。そして着膨れしていそうな長袖の衣服も、体の印象を隠してしまっている。皺の作り方にも細心の注意が払われていると、意識しなければ分からないくらい自然に着こなされていた。暑そうだが、小汗の一つも掻いていない。
見るからに並々の人物ではない。アサツキは冷や汗を背中に掻いた。
「あ、ええと、行進を見たかったんですけど、人垣が邪魔で、何処か高い所に登ろうと……」
男は笑顔で小首を傾げる。
「思いました」
アサツキは妙な威圧を感じて言い切った。
「成程、それでこの建物に目を付けたというわけだな。門番はどうしたのかね?」
「その人を呼んでいる人がいると言って、持ち場を離れてもらいました」
「成程々々、良く分かった。では此方に来給え」
男は部屋に入った。入っても良いのかと、アサツキは困惑し、だが従うしかなく、男に追従した。
部屋には、男の他に、二人の人物がいた。それぞれ豪奢な椅子に腰掛けている。空いている椅子は男が座っていたものだろう。三人が対面する形になっている。
一人は青年で、日焼けした肌に、獰猛を教養で縛り上げたような面立ち。薄着で、筋骨逞しい体躯が分かる。足を組み、深く椅子に腰掛けている。頬杖を突き、アサツキのことをじっと見ていた。
一人は女性。茶色のざんばらな髪の毛に、切れ長の目は眇めているのか睨んでいるのか判然としない。この女性も、男と同様、着膨れしていそうな服を着こんでいた。
青年と女性の間を恐る恐る通り抜け、アサツキは男に近付く。男は空席に立て掛けてあった、黒い杖を持ち、そして壁際に立った。
「見ていなさい」
男が、壁を杖で突く。すると、壁から光が漏れ出し、壁の色が薄くなり、最後には消えた。アサツキの眼下にはアラガナムの街並みが、さらにタミエト通りの行進があった。
想像を超えた事態に、言葉を失うアサツキへ、男が声を掛ける。
「君の仲間も連れて、じっくり観賞すると良い。尤も、今回だけだ。君の、いやお仲間かな? どちらでも構わないが、その機転に褒美を上げよう」
「ダンよ正気か?」
青年が、嘲った調子で言った。アサツキは男の名がダンであると知った。
「そうですね、酔狂にしても悪酔いでしょう。その子供が爆発を引き起こす気霊具でも飲み込んでいたら、どうするおつもりで?」
女性が青年に続けて言う。ダンは微笑して「君にも私にも気付かれない気霊具があるならお目に掛かりたいし、そんなものがあればとうに作動している。それに能力を発揮したのならば、すかさず取り立てよというのが私の信条でね。私の意向に不満があるならば聞こうか、シンシャ君」
「いいえ、ですが、その……」
女性は言い淀み乍ら、青年に視線を移す。
「陛下のご気分を害すのでは?」
「なんだ、余が狭量だと言いたいのか?」
「決してそのようなことはありません。ですが、このような場に一般人がいること自体が異状ですので」
アサツキは、この三人が頭のおかしい人物か、そうでなくともとんでもない人物だと察し始めた。
陛下とは皇帝のことである。皇帝の名はコンムドゥス。齢十九の、若き皇帝である。それはアサツキも知っていた。ならば他の二人は誰か。宰相か、それに類する人物であるのに相違ない。元老院のお偉方であろうか。それにしては、ダンも、シンシャと呼ばれた女性も、若い。ダンは明らかに壮年の容貌であるし、シンシャも多く見積もってもダンより若い。
「あ、あの、お邪魔なら、帰ります。それに元々、忍び込んだんだし……」
恐縮しながらアサツキが言うと、視線が集まり、さらに緊張した。ダンはやはり微笑みながら、「気にするな。私が良いと言ったら良いのだ。この家は私の持ち物だからね。おっと、陛下に盾突くつもりは御座いませんので、悪しからず」そう飄々と言いのける。
「あ、じゃあ、妹を探してきます。その、本当にありがとうございます!」
アサツキは叫んで、逃げるように部屋を出た。
スクモはどこに消えた、まさか、外か。そうだ、外であってくれ。アサツキは祈りながら、階段を駆け下り、外に出た。先程の門番が行く手に立っている。
「げ」
「ん? お前さっきの小僧、なんで中に入ってるんだ!」
「えと、許可を今しがたもらって……それよりも妹を見ませんでしたか!?」
「妹?」
「アサツキ、此処だ」
アサツキのすぐ横に、座り込むスクモがいた。アサツキは肩を跳ね上げた。それから急いでスクモを立たせる。
「なんか思ったより大変な場所みたいだよ、この建物。壁が透明になったり、それに、そう、中で見ても良いって言われたんだけど、どうしよう?」
「君は見たいのか?」
「え、そのために来たんじゃないの」
アサツキは、スクモが気落ちしているのに気が付いた。否、気落ちどころではない。青褪めて、微かに震えている。なにかを恐れていた。
「どうしたの、大丈夫?」
「私はこの建物に戻らない。すまないが、君は一人で見物してくれ」
「スクモと一緒にいる」
「だが、行進を見たいのだろう?」
「父さんに、僕と一緒に巫女を見るって言ったんだろう」
「アサツキ……」
スクモは弱々しく笑った。アサツキは誘いを断るために、建物の中へと戻った。
「――妹の体調が優れないようなので、誠に申し訳ありませんが、遠慮させていただきます」
ダンにアサツキは告げた。ダンは気分を害した風もなく「そうか、家族を大事にするのは良い事だ。行きなさい」そう言った。
「ありがとうございます」
アサツキは下げていた頭を上げ、前を向いた。透き通った壁から見える街の眺望を、暫く忘れられそうになかった。
ふと、アサツキは違和を感じる。壁から良く見えるタミエト通りの行進が止まっている。先頭で誰かが、行進の行列に向かってなにか喚き立てていた。
アサツキの視線に気付き、他の三人も行進へ目を向ける。
「あれは、どうしたのでしょう」
「怪我だな。腕を食い千切られている」
シンシャの言葉に、陛下と呼ばれる人物が応えた。恐るべき視力の良さであった。そして台詞の内容に、アサツキは強烈な疑問を覚えた。
「食い千切られた? ……のでございますか?」
思わず口走った言葉に、慌てて敬意を付け足すアサツキに、先程までは微笑したであろうダンも、毅然とした表情を崩さない。ダンは杖で、景色を叩いた。透けていた壁が元に戻る。それからダンはアサツキに向き直った。
「君は今すぐ此処を離れなさい。妹を連れて、早く家に帰るのだ」
「分かりました」
尋常でない事態に、アサツキは機敏に対応する。再び急いで建物を出て、スクモを引っ張った。
「なんだ、今度はどうしたのだ」
「なんかとんでもないことが起こってるみたいだから、家に戻ろう。早くしないと父さん達もこっちに来る」
「あんまり引っ張るな――もう少し詳しく説明してくれ」
「行進が止まってる。腕を食い千切られてる人がいるって」
「腕を? 何を言っているのかさっぱりだ」
「ともかく、急ごう」
急流に揉まれる木の葉のように、素早く道々を往くアサツキとスクモの耳に、往来から叫び声が走ってきた。悲鳴が群体となって駆けて来たようであった。破滅的な声である。そこには防御の手立ても、危険を避ける術も、あらゆる希望が無いことを知らしめた。一瞬で地獄が現れたことを、アサツキは理性よりも本能で感じ取った。何が起きているのか分からない、ということも一層、アサツキの恐怖を煽った。アサツキは半ば走っていた。
「早く、逃げよう」
「う、うむ」
アサツキとスクモが向かう方角から、疎らに人が走ってきた。誰もが恐怖を顔に張り付けており、「まさか」とアサツキは無意識に呟いていた。アサツキの耳に聞こえてくるのは、最早、祭り囃子などではない。阿鼻叫喚である。
遠くで男が走っている。その後ろを、四足歩行の何かが追い掛けていた。肌色で、まるで狼のような形態だが、狼ではない。前脚はない、前脚ではなく、前腕である。つまり、人型の何かが、四足歩行で走っていた。肌色なのは、毛が殆どないからだ。まるで人間が狼化したような異形である。アサツキはあんな化物を見た事がないし、聞いた事もない。
「アサツキ、まずいぞ……」
スクモがアサツキの服を引っ張る。そして、戦慄した。アサツキらが立っていたのは、十字路である。そして、その四方向の全てから、大勢の人が恐懼して中心に向かっていた。化物は周辺を取り囲んでいるのだ。
アサツキはついさっきの化物を見た。逃げていた男を化物は組み伏せ、そして齧り付いた。肉片と血が飛び散っている。そうこうしているうちに、アサツキとスクモの周辺には人が集まっていた。悲鳴と混乱の渦中で、人間の密度が加速的に高まっていく。アサツキは人波に化物の姿も見失って、スクモさえ辛うじて繋いだ手によって存在を確かめているに過ぎなくなった。
避けようもなく、その事態は訪れた。固まった群衆の端に、化物が喰らい付いたのである。人波は質量の流れとなって、アサツキとスクモを切り離した。二人はお互いの名を叫んだが、悲鳴に打ち消されてしまう。アサツキは最後、「逃げろ」というスクモの言葉を聞いた。その言葉を信じ、アサツキは人波の流れる方へ身を任せた。




