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無軌道な単色  作者: こんたくみ
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アスラウエの日々―相違―



 感情が心の機構による結果に過ぎないとすれば、幸福になるのを止める事は出来ない。仮令その幸福が信念に背馳するものであっても。そして信念と感情が分かたれる時、感情か信念かを人は選ばねばならないのだ。その場合アサツキは信念を選ぶ人間であり、今回もそうしたかった。そう出来ないのは、信念に従う事がまた、もう一つの信念に反する事であったからだ。アサツキの心は硬直して動けない。


 薬の訪問販売はアザミとナオミで細々と続けていたアルカギリ家の一応が付くものの本業であり、アサツキとスクモも、薬の調合や材料の仕入れ、販売、一通りやる。二人で街を歩いていた所へ、ざわめきを巻き起こして風が吹き、色々の花弁を散らした。ふと目の前で舞った花弁を、アサツキは心臓の前で掴み取る。偶然に得たのは赤色だ。


 この一瞬間の記憶を、生の涯まで忘れぬ方法が有り得るだろうか。過ぎ去った時間は、未だ来たらぬ時間によって押し流される定めにある。幼時に掴んだ花びらを、老境にまで持ち続ける者は無い。しかし、世界を敵とする事、終わらぬ闘いの宿命、剣を持つ必要が、消え去るであろう一片を生涯の果てにまで運ばしむる。アサツキは剣を掴んだ手を離さない。何故ならその剣の柄と手の間には、いつか掴んだ花びらが挟まっているのだ。一瞬間の記憶を忘れぬ為には、花びらを持ち続けていればよい。夭折の弟とその父を忘れぬ為には、それ故の苦痛に甘んじていればよい。嘗ての苦痛を抗う為に剣を持つのは、それが過去と未来を現在で繋ぐ楔でもあるからだ。アサツキが剣を持ち続けている限り、喪失の苦痛と影響は未来へ続く。アサツキにとって、二人の死を受け容れるとはそういう事だ。二人の存在を未来まで引っ張っていく事だ。重荷に耐え切れず、死を忘却して過ごす事は紛れもない二人への裏切りであり、最も憎むべき所業だ。


 けれど、と、アサツキは手を離す。赤色の花びらは風に攫われ、地を擦り、跡形も無く去っていった。どうしようもなく手が開いてしまうこともある。それが今回だ。確かに、あの少年との交際は、シュラとの関係に近似していた。いうなれば、代替足り得た。失った筈の幸福が未来から顔を出し、課された筈の苦痛が顔を背けた。不覚であった。ならば幸福を拒絶して、もう一度、苦痛の道をやり直せばよい。まだまだ間に合う位置にいる。それがそうでもないのは、アサツキにとって弱者に手を差し伸べるのは正義であり、信条であり、剣を手に取る前からあった根本だからだ。助けられる以上は助けねばならない。だから、まだ暫く、或いは長く、少年との関係は断ち切れない。断ち切る為の剣は握っているのに、振り下ろす意志を用意できない。このまま幸福に手が緩み、花びらを逃がす事、それが現在アサツキにとっての危惧だった。


 携行用の蝋板をスクモが開き、それを見て取りアサツキが問う。

「スクモ、次はどの家?」

「ソランズネラだな」

「チグサ先生の所か。少し遠いな」

「値の張る薬草を注文しているが、あいつめ、焼けた家の修理で手持ちが無いんじゃなかろうな?」

「取り敢えず行くしかないだろう」


 少年に会う事を恐れつつ、アサツキはそう言った。不愉快ではない故に、愉快ではない。その時のアサツキには、少年がいなくなればよいのにという気持ちが、影法師のように尾けていた。


 少年は誰かに認められた事など無かった。認めてくれそうな人がいなかった訳でも無い。けれど一人前と程遠い子供、可も無く不可も無い。特別邪険にされたりしないが、他に何かあるでも無かった。人生がどうとか、生き甲斐がどうとか、そんなことは知りもしなかった。嫌いという言葉も知らない儘に、頭の中が鉛色に曇るような感覚を嫌っただけだ。それ故にチグサの奴隷として買われた事は、悪いばかりでなかった。それは一陣の風、鉛色の湿気を払うに十分だった。けれど、少年はやはり、停滞を過ごした。何も課されず、何も与えられず、自力救済の道も無い。何も変わっていなかった。少年はそう感じた。アサツキと出会うその時まで、そうだった。


 アサツキの齎す知識に、社会的な価値は無い。何をも望まれぬ奴隷が手にした所で、持ち腐れる知識だ。それでも少年にとっては、気霊研究の知が宝であった。何かを究明するという行為は、少年の内の鉛色の湿気を払い飛ばしたのだ。己が認められるという出来事は、その延長線上にあった。


 アサツキとの出会いは間違い無く、短い少年の生涯で最高の出会いであった。惜しむらくは、その出会いに、運命を超克するだけの発展が無かった事、否むしろ、運命の一部にしかなり得なかったという事実だ。


 しかもそれは少年の運命ではなく、アサツキの運命である。


 半壊のチグサ邸へ到着したアサツキとスクモは暫時、応接間にて商売相手を待つ事と相成った。運ばれてきた二脚の椅子に腰掛ける二人だったが、やがて一人が椅子をずらしてぴたりと横にくっ付いた。

「離れろ」

「やだ」

言っても聞かないのは……。アサツキはせめて建設的な話でもしようと決めた。

「折角だし、先生にやる気のある所を見せておいてよ」

「やる気? 何のだ?」

「気霊院の事に決まってるだろ」

「ハァ――またその話か。私は気霊師になどなりたくない」

「どうして」

「気霊師など頭の狂った連中の成れの果てだ。気霊院などその温床だぞ。誰が行きたいものか」

「行った事も無い癖に何を言ってる」

「そんなことより――」スクモは強引に話を曲げて「あと数日で誕生日だな。お互いに17歳というわけだ。まあ、その、あれだ……帰りに何処かへ寄っていこうじゃないか。わ、私が君への贈り物を適当に買ってやる」自分の欲しい物をそれと無く示しておく為の布石を打った。その寄り道の最中に、例の鳥の置物を望む意思を暗示するつもりである。

「17か……」

「それがどうかしたのか」

「彼氏の一人も出来ないの?」

絶句したスクモの胸奥に湧き出ずるのは怒りであった。彼氏も出来ないという台詞は、男から相手にされないという含意であるから、侮辱である。とは言え、スクモの容姿は端麗なので、相手にされないのは性格の所為、相手にされないよりも相手にしないと言った方が正確だ。だから、以前までのスクモなら怒りを感じる事も無く、そんなもの必要なかろう、と言いのけていた。その事に思い至った瞬間、自分の口から出掛かった言葉を、危うくスクモは飲み込んだ。――私には君がいるだろう――。その台詞は、おかしい。スクモはうつむいて、火照った頭の思考を回転させていた。羞恥に喰われた怒りは、怒りにしては自由を感じた。そんな事は初めてで、スクモは上手く感情を処理できない。


 赤面して俯いたスクモを眺めて、刹那しか感じ取れなかった怒りを不思議に思うアサツキは、ふと時間の経過を思い出した。チグサは未だ姿を見せない。家屋の修理の手続きに手古摺ってでもいるのだろうか。この待ち時間に、あの少年が出てきたら、僕はどう対応したものか。いや、対応は前までと変わらない。ただ自分の心だけ、それだけを、幸せという厄介な感情に噛み砕かれぬようせねばならない。最善なのは、あの少年の勉学を、チグサに託してしまうこと。そうすれば、少年の勉励と、己の心と、何も矛盾せず解決だ。


 アサツキは、少年を薦めるチグサへの文言を捻り始めた。


「何で?」

 少年は問うた。目の前で作業をするチグサにではない。この世界を支配する「何か」、時に運命と呼ばれ、時に神と呼ばれ、時に偶然と呼ばれ、きっと幾百通りもの定まらぬ名を持つ何かに問うた。けれどそれが人生のどんな瞬間であろうと、返される答えは、答えにならぬ、漠然として捉えきれぬ現実だけ。

「私の身体は若返りを繰り返す気霊具となってしまっています。若返りをする為の気霊は私の体内から賄われるのですが、消耗する気霊が莫大で放置すれば死んでしまうのです。ですからこうして外部から気霊を補充する必要があるのですよ。まあ、説明した所で分からないのでしょうが」


 管から吸い上げられる血が、己の過去、積み重ねてきたちっぽけな歴史に思えた。吸いつくされれば死ぬ、空っぽになる。少年は激しい恐怖を感じたけれど、拘束は外せない。そもそも薬で感覚が麻痺し、動けているのかどうかも判別できない。単なる道具でしかないものが、少年の最期を決定付けている。悔しさ、悲しさ、屈辱、怒り、怖さ、何一つとして言葉にならなかった。


 死ぬ為に生まれ、死ぬ為に買われ、死ぬ為に過ごしている。チグサに買われた後、家事を取り仕切る奴隷から言われた言葉だ。最早、何でもよかった。望むことは、己が死に呪いを掛ける事。誰でもよい、何でもよい、己の死を望むもの、決定付けるもの、或いはこの世界の「何か」に復讐してくれ。その一色を、最期の彩りにして、後はもう、無色透明な今際の際へ沈んでいくだけだった。死ぬ瞬間に少年が何を想ったのか、アサツキは知り得ない。




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