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無軌道な単色  作者: こんたくみ
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アスラウエの日々―亀裂―



 街の輪郭に重くのしかかっていく夕陽に向かい、アサツキは歩いていた。アサツキの面は赤光に打ち据えられている。手を繋いで後ろを歩くマンナには、夕焼けに縁取られたアサツキの輪郭だけが見える。他は一切、アサツキの身体すら、黒い影の沼となって、明瞭に判別し得るものはない。マンナ自身、街を覆う影の一部となっていた。周囲に建物の影のない大路の更にその真ん中を歩いても、夜を迎えようとする世界で影は果てしなく広がり続ける。影の伸びる方向から逃れようとするアサツキの足取りは早く、けれどもその目的地に、夜をやり過ごす為の家は無い。


 マンナは握力を強めた。

「何処に、行くの?」

「え? ああ……」

アサツキは、自分が足早に歩いていることに初めて気が付いたかのように、立ち止まった。マンナは体をアサツキの背中にぶつけた。

「何処に行きたい?」

振り向いたアサツキの夕陽を背負った姿を見て、マンナは胸の前で拳を握った。

「私、が?」

「うん、マンナは何処に行きたい?」

「それ、じゃあ……」

マンナが案内したのは、今日のまだ太陽が沖天あった時分、スクモと来た小物店であった。

「スクモ、ちゃんが、これ、欲しがってた」

マンナが指差したのは、商品棚に置かれた番の鳥の置物である。

「これを? どうして」

「わかん、ない」

アサツキは考え、誕生日の事に往き着いた。スクモが物を欲しがるとしたら、それに関連した時だけだ。何故これなのかは兎も角、これを所望するらしい。

「マンナが欲しい物は?」

「え?」

「マンナが」

マンナは深く沈黙した。

「ない」

「本当に?」

「……今は、ない」

アサツキは番の鳥を手に取り入店した。店の品物を一通り眺め、花を象った橙色の髪留めを取ると、番の鳥と一緒に会計した。鳥は包装し、髪留めはそのまま受け取る。店を出て直ぐ、アサツキはマンナの頭に手を伸ばした。ぎくりとしたマンナが顔を強張らせる。優しく離れたアサツキの手と、頭部に残った微かな重さが、マンナの胸に慎ましやかな高揚を芽吹かせた。そっと、頭に現出した心地良い違和感に手を添える。マンナの掌には、硬質な髪留めの感触が嬉しさを齎すものとして存在した。


 薄暗い黄昏の世界で、アサツキは静かにマンナを見詰めている。葛藤はまだ生き生きと陰影の中で蠕動していたけれども、地の正対に於いては、蒼天の如く澄んだ心境がアサツキの真実だった。アサツキは滑空する鳥と同じ気持ちで、皓歯の覗くマンナの若く瑞々しい口元へ吾が口を寄せた。マンナは自分が何をされているのか理解しないまま、それを然るべき事として受け入れた。恍惚としていくマンナの表情に対し、アサツキは何処か苦々し気に見えた。


 勢い付くアサツキの行為を、マンナは従順に受け入れ続ける。軈てアサツキが屈めた首を戻し、指で荒々しい動作にならぬよう注意しながら、マンナの唇の端から端を拭った。マンナは恥じらい、もじもじと脚や手元を動かす。


 アサツキは何気なく空を見上げた。淡い星の光が、灰色と誤認してしまいそうな空に滲んでいる。帰るべきだと考えた。夜中の治安を保証出来ない。自分一人ならいざ知れず、否、自分一人であってもそうなのだが、マンナを連れていれば殊更に帰るべきなのだ。


 一人で帰れる気がしない。


 マンナがアサツキの懐へ身を投げた。柔らかく受け止めたアサツキの腕の中で、マンナの頬や耳は真っ赤に染まっている。

「アサツキ、くん……。好き」

それは精一杯の告白だった。マンナ自身、あまりにも子供っぽく、単純すぎて嘘臭く思えた。それでもその言葉を選択したのは、言葉巧みではなかったのと、仮に美辞麗句を述べ立てる事が出来たとしても、それらの言葉に自分自身が釣り合わないだろうという卑屈さの為だった。


「帰ろうか?」

 アサツキのそれは懇願だった。マンナはアサツキの胸の中で、ゆっくりと頷いた。


 家への途次、繋ぎ合った手の不確かさを確かめ合いながら、独り言のようにアサツキが言う。

「ねえマンナ、スクモに買ったこの置物なんだけど、誕生日までマンナの部屋で預かってくれないか。僕の部屋にあると、直ぐスクモに見付かる」

誕生日用の物を誕生日より前に渡す羽目になる、そんな間の抜けた事は避けたかった。マンナは頷いて承服した。


 家に着いたのは、日も暮れ、星が懸かる頃である。家の門の前では、ナオミに加えてスクモまでもが脚を開いて踏ん張り、堂々待ち構えていた。アサツキは失笑気味に、口元を歪めて俯いた。マンナを引き寄せる。二人に気付いたスクモとナオミは、動じず睨む。アサツキが二人の前に立った。

「おかえり、アサツキ」

憤りを一切隠さない口調でスクモが言った。

「ただいま」

マンナに絡めていた指を外して、スクモの頭を撫でる。スクモは眉間に皺を寄せ、額をアサツキの額にぶつけた。

「汚い手で私を撫でるな」

「汚くない」

「いいや、反吐が出るほど汚い。服も、おまけに体もだ。今すぐ水浴びでもして服を着替えてこい」

「そんなに臭うか?」

「ああ、とびきりの悪臭だ」

スクモが額を離すと、アサツキは袖を鼻の前に持ってきて嗅いだが、特に臭いとは思わなかった。家に入ろうと、マンナの手を掴もうとした手を、スクモの手が掴んだ。

「触るなよ、汚いし臭いんだろ」

「そうだ、悪臭の原因に触るな」

これには流石に、アサツキも良い顔をしなかった。叱り付けようと息を吸った所で、ナオミの仲裁が入る。

「スクモ様、お控え下さい。アサツキ様もご容赦を」

スクモはそっぽを向き、腕を組んだ。アサツキはナオミの顔を見たが、その表情は怒りや呆れに近いながらも、焦りにも似た色味が含まれていた。アサツキはその正体を知らないが為に、ナオミの感情を言い当て兼ねた。少なくとも、自分がマンナと遅帰りをした事に関連はしている。何らかの非行を疑られているのは察せられた。


 ナオミは膝を曲げて、アサツキと同じ目線を作った。そして、まるで逃がさんとでも言わぬばかりに力加減を忘れて、アサツキの双肩に指を喰い込ませた。

「何処で、何をしていたのです、ご説明下さい」

「どうして」


 先程までの、口元の歪みが、冷笑に変わっているのを、アサツキは自覚した。そう、それは例えば、哲学的な蟻を踏み潰そうと躍起になる子供を見るような心境だった。蟻は身の丈に似合わぬ物事を思考し悩み行き詰まる愚かな存在だ。そんな蟻は、放っておいても自死するだろう。仮に何かに殺されたとしても、それはきっと自害と大差は無いだろう。だと言うのに、この子供らは、そんな蟻を踏み殺そうと地団駄を踏む。実に愚かしく、滑稽だ。そんな気持ちが、アサツキの表情に発露していた。ナオミはアサツキの冷笑を受けて、むきになった。

「どうしてじゃありません! 当たり前です、どれだけ心配したと思っているのです! なんの説明も無しに済まされません!」

「済みますよ」

「え!?」

「この家で一番偉いのは、僕の残念ながら母で、次に僕とスクモです。師匠、いや、ナオミ、お前は奴隷だ。物、道具だ。道具に説明する要は無い」

ナオミは、一瞬、手を振り上げた。しかし振り下ろされた手は地面に付いて、表面に涙の滴を乗せた。その様子を、スクモもマンナも黙って見詰めていた。

「なんで? なんで、そんな事、言うのよ。……私は、貴方の事を、弟と思ってるのよ。家族だと思ってるの。貴方だって、あの時までは、そうだったでしょう?」

暫くの間、アサツキは無言だった。その間に、醸されていた念が蓋を開け、するするとアサツキの心中から這い出ていた。アサツキは膝を折り、打ち拉がれるナオミに目線を近付ける。

「貴女が僕を弟だと思っていたのなら、貴方は狂ってる。異常者です。僕はこの先も貴方を家族と思う事はありません」

何か言い返そうとしてアサツキの顔を見たナオミは、その軽蔑をはっきりと身に受けて、返す言葉を失った。誤魔化しようのない現実が、過大な重みとなってナオミの精神を圧し潰しに掛かった。眼前の状況の全容を把握出来ない二人は、心細さに目を合わしかけたが、嫉妬がスクモの視界を遮り、各々で咀嚼し得ない状況を飲み下すしかなかった。


 アサツキは立ち上がって、灯りの乏しい家を眺めた。ナオミを奴隷扱いし、敢えてアザミを示唆し、それでもナオミは、ナオミの意志でアサツキの説明を求めた。それはつまり、アザミからなんの指図も受けていなかったという事だ。スクモですらがこうして門の前に立っていた。そこまでするのはむしろスクモだからこそかも知れないが、それにしても、だ。ナオミへの何らの興味も無いまま、アサツキはマンナの手を引いて、門を押し開いた。


「こらアサツキ!」

 スクモが声を荒らげる。アサツキが自分を無視するのは許せなかった。

「今日はもういいだろ」

そう言って振り向いたアサツキの目を見て、スクモは何も言えなくなってしまう。納得がいかない、納得がいかない……。そんな言葉だけが頭の中を占領している。恨めしくマンナを睨む。マンナは、置物の包みを隠すように胸元へ押し付けた。




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