翌朝
窓から差し込む淡い日差しに顔を照らされ、クラリスは目を覚ました。
出かけた欠伸を噛み殺し、寝惚け眼を手の甲でこすりながらゆっくりとベッドから身を起こす。
「……はぁ」
開口一番の溜め息。
実に清々しい目覚めとは裏腹に、彼女の気持ちはひどく沈んでいた。無論、その原因はエメトにある。彼と出会ってしまったことで、彼女の日常は呆気なく崩壊してしまった。何もかもが今まで通りにはいかず、これから先どんな事態に見舞われるかもわかったものではない。
――――きっと碌なことにはならない。
もはや確信に近い予感を抱きながら、彼女は着替えを始める。肌着だけの姿になり、ふと自らのお腹に視線を下ろす。エメトに貫かれたところは完全に治癒されており、傷痕は一切残っていなかった。女だてらに傭兵業で生計を立てているクラリスであったが、『女』としての自分を捨てているわけではない。すでにレヴァナントという存在になってしまったとしても、身体に傷を残さずに済んだのは不幸中の幸いだった。
着替えを済ませ、リビングへと向かう。
「うわぁ……」
つい呆れ声が出る。
そこには件のエメトの姿があった。ただし、彼はリビングの床に大の字になって寝ている。
昨夜、クラリスがエメトに寝床はどうするのか尋ねたところ、彼は「適当に寝る」と答えた。一人暮らしの家には当然寝床となるベッドは一つしかなく、ある意味仕方のないことではあるのだが、それにしたってあまりにだらしない姿を晒している。クラリスは自然と蔑んだ視線を向けていた。
エメトの側に歩み寄り、寝顔を窺う。すやすやと健やかな寝息を立てて眠る彼の顔はとても穏やかなものだった。
今のエメトは隙だらけ。この場で復讐を果たすこともできそうな気はする。だが、昨日の襲撃者との戦いを見るに、並大抵のことではエメトは殺せそうにない。迂闊に彼の怒りを買い、徒労に終わるだけだろう。そう結論付け、断念することにした。
「エメトさん、朝ですよ」
声を掛ける。しかし、ピクリとも反応してくれない。
「起きてくださ~い」
今度はさっきより大きな声で。それでも、エメトが起きる気配はない。
身を屈め、彼の頬をペシペシと叩く。
「……う~ん」
「朝ですよ~?」
反応があったので、再度呼びかける。
すると、彼女から離れるようにゴロリと寝返りを打ち、仰向けに寝そべってしまう。
今度こそ起きるだろうという期待を裏切られ、クラリスは起こすのを諦めることにした。
立ち上がり、台所へと足を運ぶ。そしてテキパキと朝食の準備を進める。
パンにスープにサラダ、それに牛乳という簡素なメニューを二人分、食卓の上に並べ終え、未だ目覚める様子のないエメトの元へと近寄っていく。
「朝食の用意ができたから、いいかげんに起きてください」
「……もう少し」
気の抜けた返事が返ってくる。
それは「しばらく起きません」の意思表示に他ならない。このままでは埒が明かないので、ちょっとした復讐も兼ねてクラリスは強硬手段を取ることに決めた。
エメトの耳元に口を近づけ、
「お、き、て、ください!」
そう叫んでやると、彼はくわっと目を見開き跳ね起きた。そしてクラリスの顔を恨めし気に見つめて、一言。
「うるさいじゃないか」
「起きない方が悪いんです」
不平には取り合わず、食卓の方へと移動する。嫌々ながら身を起こしたエメトもそれに倣った。
「朝、弱いんですか?」
「もうしばらく朝日の出を見てないと思う」
回りくどい言い回しではあったが、まず間違いなく弱い方であることだけは確かだろう。
クラリスは渋い顔をして、
「そうですか」
と、だけ答えた。
「ありがとね。僕の分まで用意してもらっちゃって」
「気にしなくていいですよ。後でせがまれるよりは楽ですから」
「そこまで厚かましくはないつもりだけどなぁ」
ぼやきながら、エメトはパンを頬張る。
それとなく、クラリスの視線がエメトへ向かう。意識はしていなかったが、彼女にとって自分の家で誰か、それも自分と歳の近そうな男性といっしょに食事を取るのは初めてのこと。
これじゃあまるで……。
そこまで考えたところで、馬鹿馬鹿しくなった。相手は『死神』。そういう対象として見るのは無理がある。
だが、怨恨を除いて客観的に見れば、エメトはそれなりに整った顔をしている。それはクラリスも認めるところだった。優男然としていながら、どこか精悍さを備えた顔立ち。人目の付くところに出れば、彼のことを放っておかない女性がいてもおかしくはない。
「……そうじっと見つめられると食べにくいかな」
エメトにそう言われ、ハッとする。途端に自分が恥ずかしいことをしているように思え、顔が紅潮していく感覚を覚えた。居たたまれなさを振り払うように、黙々と食事を進める。
量の多くない朝食を二人が平らげるのにそう時間は要らなかった。
片づけを終えて、席に着いたクラリスが「それで」と切り出す。
「これから具体的にどうするつもりなんです?」
「とりあえず、この街を回ってみようと思う。ところで、君はギルドに所属してるんだっけ?」
「はい」
「そうか……」
そこでエメトは少し考え込んでしまう。
その様子を見てクラリスが怪訝気に思っていると、彼が「ちょうどいい」と呟いた。
「君はギルドに顔を出してきてくれ。ちょっとお願いしたいことがあるんだ」
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「クラリス!」
ギルドへ向かう途中、背後から大声で呼ばれ、慌てて振り返る。
駆け足で近づいてきた亜麻色の短髪をした女性は、勢いそのままクラリスに抱きついてきた。
「カンナ……」
その女性はクラリスと同じギルドに所属する傭兵仲間で、その名をカンナという。職員を除いては、ギルドに女性は少なく、そして何よりよく気が合うので、クラリスにとっては親友であり戦友と呼べる相手だった。
「もう話は聞いてる……つらかったよね」
涙声で言うカンナ。クラリスを抱きしめる彼女の両腕に力がこもる。
胸に何か熱いものが込み上がってくるのを感じ、クラリスはカンナの背に手を回した。
「心配させてごめん。私は大丈夫だから」
「本当に……? 抱え込んで、無理しちゃ駄目なんだからね?」
「うん、わかってる」
本当のことを告げるわけにはいかず、後ろめたい気持ちもあったが、今は彼女が心配してくれていることが素直に嬉しかった。
更新がだいぶ遅れてしまいましたが、これからはペースを上げて行こうと思います。