憤怒
「……美味しい」
クラリスの淹れた紅茶を一口飲み、エメトは思わず感嘆の声を漏らした。
――――してやったり。
彼がはじめて驚きの表情を見せたことで、クラリスは心の中でほくそ笑む。
ところで、彼女は紅茶に拘りがあった。茶葉の選択はもちろん、淹れ方にまで一家言を持っているくらいには。
淹れる紅茶は常に絶品であり、知り合いにもよく賞賛されていた。そのことに彼女自身も誇りを感じており、この『死神』をも唸らせたことに心から満足している――残っていた茶葉がとっておきの一品だけだったのが相当な痛手ではあったが。
そう広くないリビングの中、机を挟んで二人は向かい合う。エメトはいったんティーカップを机の上に置いた。
「この家には君一人なのかい?」
クラリスは首を縦に振って応えた。
まだ齢二十にも満たない女子が一人暮らしをしているのは珍しく、そう好ましいものでもないのだろう。彼女に関して言えば、共に暮らす家族がすでに他界しており、異性として良い人もいないという事情がある。
そのあたりを察してか、それ以上エメトはこの話題に踏み込もうとはしなかった。
「さて、それじゃあ何から話そうか」
エメトが本題を切り出す。
クラリスもいろいろと聞きたいことはあったが、ひとまずは彼が話すのを大人しく待つことにした。
「まずは君も気になっているであろうことからかな……まあ、君に関する話だね」
エメトの言う通りで、クラリスはそのことを聞きたいと考えていた。彼女はいわゆるレヴァナントと呼ばれる存在。何かしら生活に支障が出るだけならまだいいが、最悪生命活動に関わる部分に何か致命的な欠陥でもあったら困る。そうでなくとも、自分の身体のことをよく理解しておく必要性は高い。
「以前も言った通り、君に施したのは肉体の再構築だけだ……言ってしまえば、治療したのと大差はない。いろいろと制限は付くのはまあ仕方ないとして」
それが命令の絶対遵守と自殺防止というわけか、と理解し、クラリスは嘆息する。
エメトは構わず説明を続けた。
「それと気づいているかもしれないけど、君の肉体は常人のソレより数段強化されたものになっている。僕ほどではないにしても簡単には死なないし、結構便利だと思うよ」
「嬉しいような嬉しくないような……」
便利であるのは否定できないが、致命傷を負っても生き永らえてしまうというのは本当に良いことなのか。そんな考えがクラリスの頭に過った。
「はははっ、後はそうだな……多分、肉を食べたくなる衝動に駆られることが多々あるだろう。生きた人間には噛みつかないよう気をつけた方が良い。他ならぬ君自身のためにね」
冗談のような口調で洒落にならないことを口にしているが、エメトが本気で言ってるのかわからず、クラリスは困惑させられた。
「何か不都合があれば言ってくれ。大抵のことは何とかなると思うから」
そこで、話題が切り替わる。
「さて、次はさっきの三人についてかな……彼らは道中出会ったグレイトファングと同じだ」
「えっ?」
クラリスは首を傾げた。あの巨大な狼と襲撃者たちとは似ても似つかない。
「彼らは操られていただけだ。あの歪められ方を見るに、術師は相当悪趣味な外法に手を染めているね」
「外法……黒魔術ですか。どこの誰がそんなことを」
「心当たりがないわけじゃないけど、そこまではちょっとわからない」
ぼさぼさの黒髪をくしゃりと手で潰し、エメトは苦笑した。
彼の話が続く。
「トルカに来る前から、この手のことはたまにあってね。ただ、今回は少し本腰を入れてきたところを見るに、おそらく犯人はこの街の中。それさえわかれば手の打ちようもある」
「つまり、一連の襲撃はあなたを街から遠ざけるためのものだったと」
「そんなとこかな」
何のために、とクラリスは尋ねなかった。どうせ答えが返って来ないことは容易に想像がつく。
「あえて筆頭騎士なんて名乗ったのも、それに上手く釣り出される間抜けがいてくれないかと期待してのことだったけど、余計なことしたかな……まあ、結果的には良かった。黒幕の正体は必ず突き止める」
エメトのなんとも嬉しそうな様子がクラリスには気にかかった。わざわざ敵に自分の存在を誇示して何の意味があるのか。彼の目的はいったい何なのか。
「あなたは、いったい何のために――」
「復讐さ」
答えは即座に返ってきた。
思わずクラリスは目を疑う。ほんの一瞬、それでも確かに見てしまった。エメトがその顔に垣間見せた感情は間違いなく――怒り。それも烈火のごとき憤怒。
それが自分に向けられているものでない、と理解していても手足が震えてしまう。今まで彼女はこれほど強い怒りを宿した人間を見たことがなかった。
「絶対に許せないやつらがいるんだ……どれだけの犠牲を払うことになっても、全員この手で葬るまで僕は止まらない」
先ほど垣間見せた怒りは鳴りを潜めている。だが、強く握られた彼の拳と真剣で重みのある声には、はっきりと彼の決意が滲み出ていた。
彼が復讐を願う相手はクラリスにも心当たりがある。
「なるほど、そういうことだったんですね……だから、あなたは『祝福の闇』を探して……」
「ご明察。やつらが今回の件に直接関わっているかはわからないけど、僕に手を出そうとする輩なんてそうはいない。きっと足掛かりになるはずだ。逃がしはしないよ」
クラリスが何も言えずに呆然としていると、それに気づいたらしいエメトは取り繕うように笑ってみせた。
「ごめんごめん、ちょっと熱くなっちゃったか」
「いえ……でも、意外でした」
「意外? どうしてさ?」
エメトがキョトンとした顔で問いかける。
「『死神』というにはあまりに人間らしかったので」
「ははっ、なかなか皮肉が効いてるね」
皮肉のつもりはなかったが、彼にとっては皮肉になるようだ。
「……よくわかりません」
クラリスはエメトという人物を掴みかねていた。彼女にとっては仇であり、許してはならない相手には違いない。しかしそれは別として、先ほどの憤怒を見せられた後では、単なる怨敵とは思えないでいることも否定できずにいる。彼女はいつの間にか『死神』に興味を抱いてしまっていたのだ。
「復讐を果たしたら」
「んっ?」
「復讐を果たしたその後はどうする気なんですか?」
復讐に意味がない、と言う気はない。彼女もエメトに復讐を考えている身であるのだから。かと言って、復讐の後には何も残らないこと、復讐によって救われる者なんていないことは弁えているつもりだった。
「決まっている」
一切の迷いなくエメトは答える。
「独り虚しく冥府にでも落ちていくさ」
「……寂しい最期ですね」
クラリスは思ったままに告げた。
するとエメトは、
「同感だ。それでも、僕はそういう道しか選べそうにない」
どこか憂いを帯びた笑みを浮かべ、少し冷めてしまった紅茶を口に運んだ。