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星空のもと

 アルリツィシスはいつも通りにソルセリルの部屋に向かう。部屋に入ってしばらくすれば、ソルセリルは「君に見せたかったものです」とあるものを取り出した。


「君が持ってきたドレスにも合うと思うのですが……」


 生憎と、こういったものには詳しくないもので。最終的な判断は君に任せます。


 そう口にしたソルセリルが見せたのは、硝子のケースに入ったティアラだった。大ぶりの真珠が真ん中にひとつ。それからティアラの下の方に一列に小さな珠がずらりと並んでいる。派手というわけではないが、凜とした落ち着きのあるティアラだった。白銀の輝きを灯しているそれを、アルリツィシスはそっと手に取る。


「君が用意してきたような、特別な素材ではありませんが。……あの子の母親が結婚式で身に付けたものでしてね」

「いいのか?」

「しまいこんでいるよりずっと良いでしょう。僕が持っていたところで何の役にも立たないものですし──」


 きっと、あの子の母も喜びますから。


 その言葉にアルリツィシスも頷いた。妖精や精霊の祝福がなくとも、このティアラが素晴らしいものであることには変わらない。受け取った硝子ケースを丁寧にしまって、アルリツィシスは息をついた。 明日ですべてが終わる予定なのだ。明日、指輪を渡して彼女が頷いてくれたなら。


「アルリツィシス」


 初めて呼ばれた名に、精霊の青年は背筋を伸ばした。名を呼んだソルセリルは、どこか優しい顔をしている。組んだ足をまた組み直して、ニルチェニアの叔父はゆったりとアルリツィシスの目を見た。


「これが僕からの最後の確認ですよ。本当に、君はあの子と結ばれたいと思っているんですね?」

「ああ」

「やめるなら、今のうちです」

「撤回する気はない」

「よろしい」


 ふっと息をついて、ソルセリルは「なかなかままならないものですよ」と絹手袋に包まれた指先でとんとんと机を叩く。


「君も知っているかもしれないが、人間同士で結ばれる時でさえ煩わしいことがあるのです。身分、年齢、それから性別……。君たちに至っては精霊と人だ。種族の差から埋めねばなるまい。その差は一朝一夕で埋められるものでもなければ、努力次第でどうにかなるものでもない」


 存外、残酷なものですよ。


「精霊と人とでは生きる時間があまりにも違います。特にあの子は体も弱い。君ならばわかるでしょうが、一月後にはこの世にいないかもしれないほどの子だ。最近は調子もよいとはいえ……。仮定の話をしますがね、君は喪ったあとの時間に耐えられますか」


 どうだろう、とアルリツィシスはしばし考えた。答えは出てこない。耐えられるかと聞かれれば耐えられると答えるべきなのだろうが、喪ったときのことなど考えたくないのが本音だ。

 答えを返さないアルリツィシスに、それでも良いのですよ、とソルセリルは目を伏せた。


「こんなことを言う僕も、いつあの子が眠ってしまうのかと考えるたびに心臓が冷えるのですから。質問としては不適当だったでしょうが、即答された方が僕にとっては疑わしい」


 あの子をどうかよろしく頼みます。

 そう言ったソルセリルの顔には、少しだけ寂しさが感じられる。それは、子供のように思ってきた存在が自分から離れていくことに対する気持ちなのだろう。

 

「君があの子のすべてを愛すというのなら、僕にはこれ以上何をいう権利もありません。アルリツィシス、あとはあの子と君の間で決めなさい」

「──ありがとう。必ずニルチェニアを幸せにする。ニルチェニア自身に誓って」


 いつか女神に誓おうとして、止められたときのことをアルリツィシスは思い出した。ソルセリルはその言葉を聞いて目を丸くしたあとに、にっこりと笑う。


「君の指輪が、あの子の薬指におさまることを願っていますよ、アルリツィシス」


 小さな微笑みでもなく、かといって皮肉ったようなものでもなく。

 それはアルリツィシスが初めて見る、ソルセリルの笑顔だった。




***


 


 今夜もニルチェニアは寝台に腰かけていた。ソルセリルと随分と話し込んでしまったせいか、アルリツィシスが訪れたときには半分夢の世界にいたようで。ドレスは身に付けていなかったが、ふんわりとした丈の長いネグリジェを纏って、こっくりこっくりと船をこいでいる。その傍らでニルチェニアに肩を貸していたのは、彼女の兄であるルティカルだった。この部屋で会うのは初めてだ。

 アルリツィシスが部屋に入ってきたのに気づくと、ルティカルは神経質そうな柳眉をきりりと持ち上げ、妹を起こさない程度に口を開く。


「遅い」


 開口一番それだった。

 

「すまない」


 謝ったアルリツィシスにふんと鼻をならし、ルティカルは寝ているニルチェニアの頬を撫でる。その手つきは優しげだ。妹の髪をすく手も、アルリツィシスより少し大きいだろう。頼りがいがありそうな手だ。厳しそうな顔立ちは、先日泡を吹いて倒れた人間とは思えない。


「ニルチェニア。……友達が来ている」


 アルリツィシスには「友達」を強調されたように聞こえたが、あながち間違ってもいないはずだ。

 ぽんぽんと背中を叩かれたニルチェニアが、むにゃむにゃと口を動かしながら目を開ける。その様子がいつもよりずっと子供っぽかったことにアルリツィシスは小さく笑った。


「……おにいさま?」

「アルリツィシスが来ているぞ、ニルチェニア。話すんじゃなかったのか。このまま帰していいか?」

「それはやめてくれないか」


 思わず口をだしたアルリツィシスに顔をしかめて、ルティカルはまだ眠たげな顔をする妹の頬をぺちぺちと軽くたたいた。ぼんやりした菫色が、ようやっときちんと開かれる。


「こんばんは、ニルチェニア」

「あっ……! ご、ごめんなさい! 寝てました!」


 急にぴしっと背筋を伸ばしたニルチェニアに微笑めば、ルティカルがすっと立ち上がった。毎回会うたびに思っていたものの、アルリツィシスより背が随分と高い。こう背の高い人間はなかなか見てこなかったから、どことなく新鮮だ。紺碧の海を思わせる青い瞳でアルリツィシスを見下ろして、ルティカルはさっさと部屋を出ていってしまう。部屋を出る際に本当に小さく「妹を任せたぞ」と聞こえたのは、「今夜だけ」なのか、「これからずっと」なのか。


「こんばんは、アルさん」


 寝てしまっていたわ、とはにかみながら夜の挨拶を口にしたニルチェニアに、アルリツィシスは穏やかに微笑んでみせる。こんばんは、と同じように返して額に口付けた。ふんわりと香ったのは前に贈った香水だろう。夜に咲く花の香りと、春先の菫の香りを閉じ込めたものだ。夜空の色を移した香水瓶につめたそれは、飾り皿と一緒に飾られている。使ってくれたのか、とアルリツィシスがニルチェニアの髪を撫でれば、「少しもったいない気もしたのですけど」とその手に小さな指がからめられた。


「アルさんにいただいたものだから」


 からめられた指をきゅっと握り、アルリツィシスはニルチェニアを抱き締めた。自分とは違って温かいからだが、同じように抱き締め返してくる。満ち足りた気分になったのは気のせいではないだろう。


「どうしたの、アルさん。良いことでもあったの」

「……ああ」


 抱きついたままのアルリツィシスの背中をゆっくり撫でながら、ニルチェニアはアルリツィシスの胸に顔を埋めた。その頭をぽんぽんと撫でて、小さな体をそっと手放した。名残惜しげに抱きついているニルチェニアに「渡したいものがあるんだ」と囁く。

 なあに、とニルチェニアが首をかしげた。


 これ、とアルリツィシスが差し出したのは、硝子のケースに収まったあのティアラだ。ニルチェニアはきょとんとした顔をしてから、アルリツィシスとティアラを交互に見つめる。その様子が少しおかしくなってしまって、アルリツィシスは小さく吹き出した。


「どうした」

「アルさんは本当に私をお姫様にする気なのかと思ってしまって」


 硝子のケースに触れるだけで、ティアラには触れないニルチェニアは、夢か現かと言いたげにガラス越しのティアラを見つめている。そのケースをそっと開けて、アルリツィシスはティアラを手に取った。あ、と小さく呟いたニルチェニアの髪に触れて、そっと手を離した。


「よく似合う」

「ほんとう?」


 髪を結ってはいなかったからと、アルリツィシスはティアラをニルチェニアの頭にそっとのせるだけにとどめることにした。銀のようにも見える白い髪に、とろんとした輝きの真珠が月明かりに照らされているのは美しい。

 ティアラを落とさないようにと体をかたくしている少女に微笑んで、アルリツィシスはベッドの近くにおいてあった手鏡を手に取った。これも、アルリツィシスが贈ったものだ。星の映る湖の水面を磨きあげ、張った氷に嵌め込んで作られた手鏡だ。それを手渡してやれば、少女はどきどきした顔を隠すことなくそろりと鏡を覗きこむ。白っぽい磨りガラスのような枠の手鏡は、ニルチェニアの白い手によく馴染んでいた。


「お、お姫様みたい……!」


 素敵、とアルリツィシスを見上げたニルチェニアの頭からティアラが転げ落ちそうになる。それをしっかり支えて、アルリツィシスは「ああ」と笑った。


「アルさん……あの、本当に……」

「明日でおしまいにする」


 こんなに頂いてしまって、と申し訳なさそうな顔をした少女に、アルリツィシスはゆっくりと目を細める。転げ落ちそうになったティアラを硝子ケースに戻し、ニルチェニアの膝にそっと乗せた。


「明日でおしまい?」

「ああ。……明日でおしまいだ」


 どことなく寂しそうな顔を見せたニルチェニアの頬を撫でて、アルリツィシスはその髪をゆっくりとすく。明日また来る、とニルチェニアのまぶたに口付けて、精霊の青年は宵闇に消えていった。



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