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君と二人で


 アルリツィシスにはミシェルがそっと部屋を出ていったのがわかっていた。きっと、彼女の叔父に今夜も報告にいくのだろうとも思う。その報告次第で、この屋敷にいる人間のアルリツィシスを見る目が変わることも知っている。最近は雰囲気が優しいような、生温いような視線を感じるから、ミシェルはどうやら良い方向に物事を持っていこうとしているらしい。


 屋敷の人間のアルリツィシスへの態度は変われど、ニルチェニアの態度が一向に変わらないのだけが気になるのだが。


 というのも、この屋敷でアルリツィシスがニルチェニアへ求婚していることを知らないのは、どうやらニルチェニアだけらしい。アルリツィシスにとっては悲しいことに。


 そうでなければ、夜更けにアルリツィシスが歩いていても誰も気に留めないわけがない。普通の人間にはアルリツィシスは見えないが、生憎とこの家の人間に【普通の】人間はいない。ミシェルに聞いたところによれば、ヒトならざるものの血が薄く流れているそうだ。つまり、見て見ぬふりなど出来ないはずで。時折感じる視線のことを考えると、受け入れてくれているのだろうか。ありがたい話だとアルリツィシスは思っている。


「ずいぶん待たせてしまったな……。眠くはないか」

「アルさんにあったら、眠気なんてどこかにいってしまったわ」

「そうか」

「そうよ」


 ニルチェニアは本当に嬉しそうにくすくすと笑った。アルリツィシスは、そんな少女の頬をそっと撫でながら、自分とは違って温かく、柔らかい少女のからだを慈しむように抱き締める。人に惹かれることなどないと思っていたのに、この少女に惹かれてしまった。人の決まりごとに則って、彼女を伴侶にしたいと思うくらいには。


「体の調子はどうだ」

「最近はとても元気なの。叔父様も驚くくらいに」

「それは何よりだ」


 思わずほっとした声を出してしまった精霊の青年に、白いドレスを纏った少女がころころと笑う。お兄様みたい、と小さく付け足して。


「お兄様もね、私が元気なのを聞いてほっとしていらして。最近、何だかお兄様に元気がないとお聞きしていたから、私も嬉しいの」

「そうか……」


 元気がなかったのは僕のせいだろうか、とアルリツィシスは少しだけ考え込んだ。

 なにしろ、アルリツィシスが「貴方の妹を僕の伴侶に出来ないだろうか」という話をしに行った時に、「僕の」のあたりで彼女の兄は泡を吹いて倒れたのだから。

 付き添いよろしくアルリツィシスと共にいたミシェルがソルセリルを呼びにいかなかったら、危うくアルリツィシスが渡し守の仕事をする羽目になるところだった。本当に洒落にならなかったのだからどうしようもない。


 落ち着いてから「結婚を考えている」というような話をしたら、彼女の兄であるルティカルが今度は無言で気絶したのだから──妹馬鹿もここに極まれりといったところだろう。けれど、これほどまでにニルチェニアが愛されているというのは、微笑ましくもあった。アルリツィシスが「渡してきた」人間のなかには、家族に命を奪われたものも少なからず存在していたから。


「……君に【貸している】ものに、まじないというか……祝福を宿したものも多いからな。もしかしたら、君が元気になったのは精霊たちの祝福のお陰かもしれない」

「まあ……! 本当に素敵なものばかり、わたしに貸してくださるなんて。わたしはあなたに何を返せるかしら」

「このまま君が元気になるのなら、僕はそれだけでも良い」


 ──もし、受け入れてもらえなかったとしても。


 嘘偽りのない気持ちを紡げば、ニルチェニアはふんわりと嬉しさをにじませた顔でアルリツィシスを見つめる。このまま元気になったらね、と少女はゆっくりと唇を動かす。ああ、とアルリツィシスは続きを促した。


「あなたにも、お兄様にも、叔父様にも。それから私のお世話をしてくださるたくさんのひとたちにも、ご恩返しをしたいのよ。私が今まで、いっぱい手をかけさせてしまったぶんね」

「君が幸せになったなら、それが僕を含めた彼らへの恩返しだろう」

「ふふ。そうだと良いけれど。……でもね、わたしは欲張りだから。私が幸せになれたなら、周りにももっともっと幸せになってほしいの」

「欲張りだな」

「そうでしょう」


 楽しそうに笑った少女を、アルリツィシスはそっと抱えてベッドに腰かけさせる。その隣に自分も腰かけて、白い手袋に包まれた手を握った。月明かりに照らされる雪のように、ニルチェニアの手はほんのりと淡く光っている。


「ニルチェニア」


 少女の顔を自分の方へと向けさせて、アルリツィシスは持参した箱から薄い布を取り出した。きょとんとしたニルチェニアに「少し目を閉じていてくれ」と微笑む。今日はヴェールなのね、とにっこり笑って、ニルチェニアは目を閉じる。


 月明かりに照らされた睫毛がこんなにも心を擽るものだとアルリツィシスは知らなかったし、唇が紅でほんのりと染まっているのは胸が破裂しそうなほどに高鳴るのだ、ということも知らなかった。思わず顔を近づけてしまって、それから唇を触れあわせることもなく、そっと離れる。自分には口付ける権利はないのだと言い聞かせた。まだ、想いも告げていないのだから。


 機織りの得意な精霊に頼んでつくってもらったヴェールは、細氷を織り込んで仕立てられたものだ。ヴェールの裾には雪を模したレースが。そして、氷のように透明な石がところどころに縫い付けられている。さわるとほんの少しひんやりとしているそれを、アルリツィシスは丁寧に少女の頭へ被せた。月の光を受けて、縫い留められた石がきらきらと煌めく。まさしくもって細氷だと、アルリツィシスは感嘆の息をついた。


 冬の寒い日に宙を舞う細氷は、まるで金剛石のように煌めいて綺麗なのだ。冷たくしんとした空気のなか、朝日に照らされて瞬くそのきらめきを、いつか彼女に見せてやりたいとアルリツィシスは思う。きっと、喜んでくれるはずだから。


「目を開けて」


 薄いヴェールごしに、白い睫毛がゆっくりともちあがる。アルリツィシスの夜空色の瞳に、菫色の瞳が映った。どうかしら、と少し照れたような顔をしてニルチェニアが笑う。


「綺麗だ。……それしか言葉が出てこない」

「……そんな。恥ずかしいわ。アルさんは私を物語の王女さまにしたいの?」


 こんなにも素敵なドレスにヴェールなのだもの、と手袋をつけた指先でニルチェニアは薄布をそっと撫でた。五日ほど前に贈った、星のきらめきを宿した耳飾りが小さく揺れる。


「……王女様か」

「ええ。王女さま」


 アルさんが本を持ってきてくださったでしょう、とニルチェニアはベッドの側に置かれたテーブルを指差す。そこには確かに、アルリツィシスがニルチェニアのためにと持ってきた本が何冊か置かれている。これを読んで、と彼女が眠る前にねだられるのが嬉しかった。


「たくさん読んだの」

「どの話が一番好きだった」

「お城に閉じ籠っていた王女さまに、王子さまが靴を贈る話よ。王子さまは、靴を贈って……それから、お部屋の扉を開けて。王女さまを外に連れ出すの。……まるで、アルさんみたいでしょう、王子さま。ほら」

「……そうか」


 綺麗な靴だもの、と自分の足を指差すニルチェニアに、僕の王女様になってくれないか、とはまだ言えない。


「挿し絵の薔薇のお庭の絵が、とても綺麗だったわ」

「今度、君を外に連れていこう。ここの庭は薔薇が綺麗なのだろう。……本の中の王女様に、きっとなれる」

「わたしが歩けるようになったら、きっと連れていってね」


 約束よ、と手を差し出してきたニルチェニアの小指に、アルリツィシスは自分のそれを絡めた。いつかそんな日が来ることを願って。




***



「毎日毎日、健気なことですね」


 アルリツィシスがニルチェニアに手袋を贈った次の日の夜のことだ。いつもの通りに彼女との結婚の許可を得ようとソルセリルの部屋を訪れた夜の精霊に、どこか呆れたような口調で月の女神に愛された男は口にした。


「最初の夜は靴。次の日は髪飾り。香水、飾り皿、水差し……昨夜は手袋を頂いたと聞きました。あの子は大変喜んでいましたよ」

「……喜んでもらえたのなら、よかった」

「君に何を返そうかとも悩んでいるようですが」


 品物の価値を鑑みると、何を返しても釣り合わないでしょうね。


 ため息混じりにそんなことを言いながら、真珠色の瞳でソルセリルはアルリツィシスを見据えた。射抜くような瞳は、アルリツィシスの居心地を多少悪くする。が、ここでそんなそぶりを見せようものなら、この男から婚姻の許可が得られないことはわかっていた。


「君は本当に、何を考えている?」

「何、とは」

「正直なところ、君が本当に真剣なのだとは露ほども思いませんでしたよ。物で釣って、あの子をさっさと冥府に渡すのかと思っていました」

「僕には、そんなつもりは」

「ええ。本当にそんなつもりはないのでしょう。毎夜律儀に僕のところに来て、それからあの子に贈り物をして帰っていく。人の決め事に従って、あの子の部屋の扉を叩いてね」

「人に受け入れられる術を身に付けよ、と言われたからな」

「ええ。言いましたよ。それゆえに驚いているのです」


 精霊が人に合わせるのは面倒なことでしょう、とソルセリルはやっと穏やかに微笑んだ。そこには微笑み以上の込み入った感情もなく、アルリツィシスはほっとする。皮肉でもなければ、侮蔑するようなものでもない。労われたというわけではないのかもしれないが、少しだけ受け入れられたような気がした。


「もし君があの子と共に生きることを決めたのなら、今以上に面倒なことも多く出てくることでしょう。……君が死神ではなく渡し守のようなもの、だと理解はしましたが……。何かあった際に、君はその面倒を乗り越えて、あの子を幸せにできますか。渡し守としてでも精霊としてでもなく、人としての幸せをあの子に与えられるか、という意味ですが」

「必ず。夜と冥府の女神、ユンナフィルソシュナの──」


 御名に於いて、とはまでは言わせてもらえなかった。


「お止めなさい」


 誓いの言葉を口にしようとしたアルリツィシスに、ソルセリルは首を振る。そんな仰々しいものは不必要です、と小さく笑った。それに、といままで聞いたなかで一番穏やかな声でソルセリルは続ける。


「誓うなら見知らぬ神ではなく、あの子自身に誓って貰いたいものです。叔父としてはね」


 

***



 目の前に紅茶が置かれたのを見て、アルリツィシスは目を瞬かせた。何日か通いつめてきたが、もてなされたのは初めてだ。夜の精霊のそんな顔を見て、「お前まさか」とミシェルがソルセリルをじろりとにらむ。


「いままで茶のひとつも出してこなかったのかよ!」

「なにせ真夜中ですからね。淹れるメイドも寝ています」

「そういう問題か」


 アルリツィシスとしては飲み物を出そうと出されまいと特に気にすることはないのだが、ミシェルは違うようだった。こいつこういうガキ臭いところあるんだよ、ごめんな──などと言いながら、アルリツィシスにクッキーをすすめる。


「酒とチーズの方がよかったか?」

「いや。頂こう」


 酒とチーズの方がよかったのはミシェルの方だろうなと思いながら、アルリツィシスはクッキーを一枚手に取った。もくもくとそれを食べ、紅茶を飲む。


「昨日は白熊のコートを贈ってくれたそうですね」


 アルリツィシスが紅茶を一口飲み終えたところで、ソルセリルが口にする。ああ、と頷くしかなかった。アルリツィシスとしてはあのコートにそれなりの覚悟を込めて贈ったつもりだったのだが。ニルチェニアから返ってきた言葉は「とっても大きなコート」という実にシンプルなものだった。嬉しそうではあったし、初めて触るという白熊の毛皮には興味を示していたものの、アルリツィシスの望んでいた反応とは違ったのが現実だった。


「結婚のけの字も出てこなかったでしょう。あの子のことですから」

「……わかっていて勧めたな?」

「いいえ? 勧めたつもりはありませんよ。ただ、僕はあの子の両親も大きな白熊のコートを持っていたこと、この地でそれがどんな意味合いを持つのか。この二つを君の前で【うっかり】口を滑らせ、聞かせただけで」


 意地が悪い、とアルリツィシスはソルセリルを半眼で見てしまったが、真珠色の眼はどこか穏やかに細められただけだった。


「……ですが、君が本当にあの子と結ばれたいというのは、僕にも理解できた気がします。ここまでされてはね。認めないわけにも見なかったことにも出来まい」

「では……」

「あとは君次第ですよ」


 僕も可愛い姪の花嫁姿を見てみたいものですし。

 小さく付け加えられたその言葉に、アルリツィシスはやっと重かった何かから解放されたような気分になった。ソルセリルの後ろで、ミシェルがなぜかガッツポーズを決めている。


「君がもし、まだあの子に渡すティアラを決めていないのなら。明日来たときに見せたいものがあります」

「是非」


 頷いたアルリツィシスに「また明日、待っていますよ」とソルセリルは声をかける。そんなソルセリルとにこにこしているミシェルに一度頭を下げて、アルリツィシスは部屋をあとにした。今日はニルチェニアに、ヴェールを贈るためにきたのだから。


 

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