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月を紡げば

「なんつーか、まあ……」


 青い硝子瓶に満たされた香水、宝石で作られた花の髪飾り。部屋で一日過ごす少女のために持ってこられたのであろう、おとぎ話の本が何冊か。窓辺には海辺の風景が描かれた皿が飾られている。寝台のすぐ近くにおかれた小さな机には、星をこぼしたようにきらきらと煌めく硝子細工の水差しがひとつ。これらはすべて、この部屋の少女のためにとある青年が持ってきたものだ。


 だんだん凄いことになってきたなあ、とミシェルは少女の部屋をぐるりと見回す。半月もすりゃこんなことになるとは思ってたけど、と心のなかで呟いて、ベッドにちょこんと腰かけている少女の額に口づけた。今晩は、お嬢さん、と言い添えるのも忘れない。


「ずいぶんと綺麗になったもんだ。……もう、お嬢さんなんて呼べないな。お姫様って感じだ」

「ミシェルさんてば。口がお上手なんですから」


 ころころと鈴を転がしたような声で笑って、ニルチェニアは「似合いますか」とミシェルに笑いかける。純白のドレスを身に纏った少女に、「俺が最初に見るのは筋違いな気がするんだけど……」と苦笑する。白い靴、白い手袋、星の煌めきの耳飾りに首飾り。月光にふんわりと白く照らされるドレス。誰がどう見ても、花嫁の格好そのものだ。ヴェールとティアラ、それから指輪がないだけで。


「ふふ。最初に見たのはミシェルさんではなくてよ。トゥルーディアが着付けてくれたのですから」

「んー……。まあ、そういわれるとそうか……。それなら良しとするか」

「何かだめなことがありましたか?」

「──いや。これを君に、と持ってきてくれたアルリツィシスが、一番最初に見たかったんじゃないかとね」


 あいつには着付けは無理だろうけど、と小さく笑って、「昨日はコートだったのか」と壁にかけられた白いコートを見る。見たところ、白熊の毛皮で作られたコートだ。……それも、人が三人か四人くらいくるめてしまいそうな大きさの。深窓の令嬢たるこの娘の部屋でなければ、壁にかけるのは無理だっただろう。よく壁にかけられたよな、とも思ってしまう。


「とっても大きなコートなの。例えばアルさんと二人で着るのだとしても、大きすぎると思ったのだけど……。大きさを間違えてしまったのかとアルさんに聞いたら、これを着て外に出られる日が来るといいなとか、何だか笑って誤魔化されてしまって」

「あー。うーん……」


 まあそうだよな、とミシェルは友人の精霊にこっそり同情した。


 この国はいわば雪国であり、冬場は厳しい寒さに山のような雪が降り積もる。そんなこの国の風習の一つに、結婚したら“白い毛皮のコート”を家におく、というものがあった。このコートは普通のコートよりずいぶんと大きく作るもので、大人でも三人くらいが入ってしまえるように作るのが一般的だ。何かあってもこの寒い国で凍えたりしないように、いざというときは家族全員が一つのコートに集まれるように、という意味が込められている。まあ早い話が、暖かい家庭を築けるようにと作るものだ。


 アルリツィシスはその風習に則って、このコートを贈ったに違いない。ソルセリルの【人に受け入れられる術を身に付けてから来い】という言葉を、あの精霊が自分なりに真面目に考えたのだろう。郷に入っては郷に従え、つまりはそういうことである。


 ただ、コートを選んだ理由はそれだけでないだろうな、とミシェルは睨んでいる。ここのところ【貸し与える】という名目で毎日のように贈り物をし続けている意味を、アルリツィシス自身の願いを、少しでもいいからこの少女に感じとって欲しかった意図もあるのだろう。


 しかし、ニルチェニアは箱入り娘だ。その上、ニルチェニアの叔父のソルセリルも、ニルチェニアの兄のルティカルも過保護すぎる。きっと、この地の結婚にまつわる話などニルチェニアは知らないに違いないし、保護者は二人揃って話すつもりもないだろう。アルリツィシスが健気に贈り続けているものが、いわゆる【花嫁道具】だったとしても。


「わざわざ白熊のを選んできたんだろうになあ……」

「しろくま?」

「白熊のコートは質が良いって話さ。商人の俺が言うんだから間違いない」

「まあ。……やっぱり、貸していただくとはいえ、何かお礼をしなくては……」

「お嬢さんがキスするだけで立派なお礼になると思うけど?」


 からかうように口にしたミシェルに、ミシェルさんてば! とニルチェニアがぷくっと膨れる。もっと真面目にお話ししてください! と怒られたのにミシェルは「ごめんって」と柔らかい頬を撫でた。薄く化粧がしてあるのは、メイドのトゥルーディアの気遣いだろう。もっとも、このドレスを着付けてほしいと頼まれて、化粧なしに仕上げるメイドもいないだろうが。


 それにしたって、思わずため息が出るくらいには綺麗だった。数多くの女性を見てきたミシェルでも、思わずまじまじと見てしまうほどだ。流石だなあとそんな感想を抱いてしまう。ニルチェニアは過保護に育てられるだけあって、それはそれは可愛らしいし、そのうえ彼女が身に付けているものは揃いも揃って特注品だ。それも、人には一生手に入れられないような素材の。


 愛だなあ、と思わず口にしそうになってミシェルは口を閉じた。他ならぬアルリツィシス本人に、「僕が彼女を想っていることは、彼女に話さないでくれ」と口止めされているのだ。きちんとアルリツィシスが婚姻の許可をとり、ニルチェニアと向き合って想いを告げたいのだという。やはり、ミシェルからすれば驚くほど律儀で真摯な精霊だった。ミシェルからすれば、「腰でも抱き寄せて口づけのひとつや二つさっさと贈っちまえよ」というところだ。


 アルリツィシスが方々を駆けずり回って集めてきた素材から作ったものだからなのだろうか。ニルチェニア自身も、いつもよりずっと綺麗に見える。愛の成せる業とはこの事か、としみじみしてしまう。


 月の光を紡いで作られたというドレスは、月の光を受けると本当に美しい。ニルチェニアのもつ柔らかい雰囲気や、ドレスのとろりとした光沢。控えめなのにどこか心をくすぐられるような刺繍の繊細なデザイン、それからところどころに縫い止められた真珠とムーンストーン。あるいは星屑のように煌めく小さな銀飾り。


 すべてが綺麗にまとまって、ため息をつくしかないのだ。誰がどう見ても、今のニルチェニアは病弱な令嬢などではなく、幸せな花嫁に見えることだろう。こっちの方がよっぽど月の女神にみえるよな、とそんなことまで思ってしまう。


 ──【あっち】はようやっと乗り気になってきたとこなんだけど。


 ソルセリルのアルリツィシスへの態度がだんだんと和らいできたことを、ミシェルはここ数日でなんとなく感じていた。訪れる際には律儀にも毎回ソルセリルの部屋を訪ね、ニルチェニアの部屋にいく許可を貰い。それから彼女を伴侶にと熱心かつ真摯に乞われ続けたソルセリルは、流石に態度を和らげざるをえなくなってきたのだろう。これがその辺の人間ならば「不釣り合いですから諦めなさい」と切り捨てるのも厭わなかっただろうが。


 相手は人ではないから、身分に関しての煩わしさもない。何よりニルチェニアを大切に思っている。その上真摯で真面目でもあるというのなら、反対する方が難しくなってくるのだ。


 ヒトの血だけが流れている純粋な人間ならば、種族の違いを理由に突っぱねるのも容易だったろう。しかし、ニルチェニアにはごく薄くとも龍の血が流れているのだ。メイラー家は龍の家系であるし、それならば種族の違いなど理由にもできない。


 ──しかし、肝心のお嬢さんがこれじゃなあ……。


 もしアルリツィシスがあの冷血な叔父から結婚の許可を貰うことが出来たとして、ニルチェニアはアルリツィシスに結婚を申し込まれたとき、それが何なのかを理解できるのだろうか?


 過保護に育てられた娘とはいえ、白いドレスに何の気なしに袖を通すことができるのだ。過保護に育てられ過ぎて、彼女のなかでは結婚とはおとぎ話の王子様と王女様のものなんじゃないだろうか。結婚という二文字を、彼女がきちんと理解できるとはミシェルには到底思えない。


 だからこそ、アルリツィシスが不憫に思えてきてしまう。わざわざ白熊のコートを選んできたのは、質のことを考えたのには違いない。だが、それよりも何よりも、彼女の両親が持っていたコートが白熊のものだったのが大きな決め手だろう。


 ──あのときは、ランテリウスとサーリャが挙式直後に山籠りしたんだっけな……。


 本来ならばこのコート、新郎新婦の知人が用意するものである。が、件の二人は自分達で作りたいと譲らなかった。故に、挙式直後に二人で山へ赴き、三日三晩の後に二人で大きな白熊を背負って帰ってきたのだ。あのときの衝撃を、ミシェルは一生忘れないだろう。どこの世界に挙式直後に山にいく夫婦がいるのか。しかも、下山時には熊を背負って。


 もちろんその経緯をアルリツィシスは知らないだろうが、それでもニルチェニアの両親が持っていたコートが白熊のものだと彼は調べたのだろう。もしかしたら、態度が軟化してきたソルセリルが【うっかり】口を滑らせたのかもしれない。だとすれば、想いがなんだか報われていないようなアルリツィシスが不憫にも思えてくるのだ。アルリツィシスに口止めされていなければ、今すぐニルチェニアに伝えてしまいたいくらいに。


「あの……ミシェルさん、少し変なことを聞いてもいいかしら」

「うん?」

「最近……その、アルさんに会うとどきどきして。何だか泣きたくなるような、でも幸せな気分なの。何でだかわからないのだけれど……」

「恋かな」

「こい?」


 そう、とミシェルは力強く頷いた。


 ──よかったなアルリツィシス、お前の気持ちも少しは報われているみたいだ!


 久々に甘酸っぱい気持ちを噛み締めながら、ミシェルは着飾った深窓の令嬢をにやにやとしながら見つめる。こい……とふわふわした声で呟いた少女は、不思議そうな顔で首をかしげた。


「コイ目、コイ科のお魚がこのどきどきに関係あるのですか?」


 そうじゃなくてな……と、ミシェルは力なく項垂れた。


 ──ごめん、やっぱ報われてないっぽい。



***



「ニルチェニア。入ってもいいか」


 とんとんと扉を叩いたが、ニルチェニアの返事はない。ニルチェニア、ともう一度声をかけたところで扉が開いた。


「よう。アルリツィシス」

「ミシェル」


 部屋から顔を出したのはミシェルだ。来るのが遅かったじゃねえかとアルリツィシスをなじるようなことを言いながら、優しい顔で「お嬢さんが待ってるよ」と微笑む。


「ニルチェニア……。すまない、待たせてしまった」

「いいえ。来ていただけると分かっているなら、待つ時間も楽しいものです」


 ミシェルと話していたときより、ずっと嬉しそうな顔をしているニルチェニアは、アルリツィシスに向かって腕を広げる。アルリツィシスもそれに応じて、ニルチェニアをそっと抱き上げた。


 恋だろうなあ、とミシェルはにやにやしながらそれを見守る。抱き締めてもらいたくて手を伸ばす相手に、恋をしていないなんてことはないだろう。深窓の令嬢の顔は幸せに満ちているし、宵闇の精霊はそれに嬉しそうな顔をしている。それだけで十分な答えになるはずだ。誰がどう見ても。


 あいつにはどう報告してやろうか、とミシェルは寄り添う二人を優しい目で見守った。自分の目では先入観があるかもしれないから、と二人の様子を見るようにミシェルに言付けたのはソルセリルだ。最終的には自分ではなくニルチェニアが決めることだから、と言いつつも、やはり割りきれない部分はあるのだろう。アルリツィシスが今夜は何を持ってきたのか、とミシェルに聞くときのソルセリルは、立派に父親の顔をしていたように思う。それも、娘馬鹿の父親の顔だ。


 これは難攻不落だぞ、とミシェルの方もアルリツィシスの援護を試みて「可愛い姪の花嫁姿見られて幸せじゃねえか」だの「そこらの人間よりずっと誠実だぞ」だのと言い連ねては来たのだが、その度に渋い顔をされたのは事実だ。認めたくない気持ちはどうしてもあるのだろう。傍目から見たって甘やかして育ててきた娘のような存在なのだから、仕方がないのかもしれない。


 アルリツィシスがコートから箱をひとつ取り出したのを見て、ミシェルはそっと部屋を出ていった。きっとあの箱の中身はヴェールで、アルリツィシスはそれをニルチェニアにつけるのだろう。それがあの精霊の今できる精一杯の【口説き文句】だとするのなら、それを自分が見ているのは無粋というものだ。


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