第56話 思てたんと、ちがう
「思てたんと、ちがーう!」
自宅に運ばれ、左頬に見事なもみじ模様を付けたベルカンプが机をバンバン叩き悔しがる。
雰囲気で床に正座する二人に加え、先日の恐怖を思い出しとばっちりで正座させられているカーン。
「いいかねキミ達、主上とは、なにかね?」
「うまく言えねぇが、凄く偉い奴?」
「この地域を導く指導者ですか?」
ベルカンプの問いかけに、カーンとメロゥが答えた。
「そうだ! この地域を導く指導者で凄く偉い奴、それが主上なんだ!」
それがここ数日の自分の待遇はなんだ。こんなブラック待遇なら僕は降りると机につっぷしながら嘘泣きをし、同時に左頬をさすり、股間をモミモミする。
「こらベル。人前で変なとこモミモミしない」
躾の為か恥ずかしい事を平気で言ってのけるソシエに、だってほんとに痛いんだもんと反論するベルカンプ。
「あぁ、僕はもうダメだ。種無しの人生なんだ。壮大なベルカンプ酒池肉林計画はわずか10日で頓挫してしまうんだ」
再度机につっぷしてシクシクと嘘泣きするベルカンプの後頭部に、ムッとしたソシエのチョップが炸裂し、鼻を机にぶつけたベルカンプが潰れた蛙のような音を出す。
「……え? ちょっとニウロ。男の人のあれって私のフルスイング一発程度で不能になるもんなの?」
異性の生殖器の構造に疎いコキアが医者であるニウロに質問した。
「う~ん。鍛えられる部分じゃないからな、当り方によったら不能になる可能性は十分にありえるが……」
「え!!!」
この言葉にコキアとベルカンプがハミングし、二人とも顔面蒼白となる。
医者であるニウロは、でも精巣が潰れてたら絶対に気絶してるけどねと心の中で呟き、しかしこの話題の展開に興味があるので余計な事は言わず黙っている。
「もし、もしよ? 子種が出来なくなってたらごめんなさい。余計な事にムナを使わせる事になっちゃうわね……」
ニウロの脅しに少し心配になってきたコキアがベルカンプに詫びると、
「それが、僕にはもうムナは無いんだ…………」
今度は本気で半泣きになったベルカンプがまたまた机に倒れこむが、演技ではないので無言のまま声も出さない。
「え? その年で? 嘘! やだどうしよう? 本気でごめんなさい」
再度謝るコキアに、本当は一つあったんだけど使ってしまったみたいと、ピエトロが推測で話した説を説明しながら服を捲り上げ、心臓の下にある窪みを見せた。
これにはニウロが興味を示し、身を乗り出しながら患部を触診する。
すると、
「窪んだ所が少し隆起しているような気がするんだけど、これはもしかしたら再生するかもしれないね」
「え?」
「おお!?」
ベルカンプとソシエ、そしてオットーが声を出し、何故なんですかとベルカンプが説明を促すと、
「僕の仮説なんだけど、一般的なムナの使い方ってのは損傷した部位に埋め込むわけだけど、その際に周りの組織から切り取るよね? だからムナは完全になくなってしまう。けどベルカンプ君の場合、体と心を繋ぎとめる為にムナが体内で勝手に修復に働いたわけだから、ムナは周りの組織から切り離されず、常に栄養を供給出来る状態にあったわけさ。ムナの一部が少しでも体内に残っていればの話しだけど、体の成長と比例してムナも成長した例をいくつか知っているよ」
途端にベルカンプの表情に生気が戻り、安堵するコキアの前で良かったねとソシエとオットーに撫でられていると、
「主上……言いたくて我慢出来ないんだけど、ひとつだけいいすか?」
思い出したようにムッとしながら二人にガンを飛ばすオットーをよそ目に「ん?」とベルカンプが生返事すると、プルプルプルと震える指はベルカンプの左頬を指し、
「こ…………」
「こ?」
「こ…………紅葉の秋」
これにはベルカンプを含めオットーすら思わず笑ってしまい、全員でひとしきり笑った後コキアだけ自分の名前がいじられてるのに気づき、憮然とする。
ファンタの一撃で勝負アリのメロゥが悔しそうにしていると、場の雰囲気が変わったベルカンプがスッと表情を素に戻した。
「さてと。ようこそいらっしゃいましたブラストーマさん、オータムさん。門前で立ち聞きしていましたけど、ピエトロ様の頼みとかなんとか?」
急に砦の責任者のような風貌に変わり、ニウロとコキアは心の中で(ほぅ)と声を上げる。
「ニウロと呼んで下さい。実はピエトロさんの現地踏査に同行してたんですが、旅先でこの砦で戦闘行為があったとの情報を知ったピエトロさんが、ベルカンプ君を助けてやってくれと頼まれてやって来たんです。ですが先程から負傷してる人物がベルカンプ君しか見当たらないんですけど、もしかして無駄足でした?」
それを聞いて股間が気になり、再度モミモミするベルカンプに、人前で変なとこモミモミしないと再度言うソシエ。
こちらに向かう途中で死亡者ゼロの噂は聞いてたのですが、もしかして無傷の完勝だったのかな? と言うニウロに、
「とんでもない。火傷の負傷から骨折、二指の損傷まで10名程おります。宿屋が臨時の病院になってますのでこの後すぐご案内します」
と、深々と頭をさげた。
「オータムさんの目的はニウロさんの同行ですか? 見ての通り何もない貧しい砦なので何のおもてなしも出来ませんが……」
門前のエロ馬鹿3兄弟の姿はどこにも無く、自分に殴られ負傷した事などどうでも良いような英知を蓄えた眼光にコキアは態度を改めると、
「目的は二つあります。ひとつは、ニウロと同行すれば異世界の知識と品物を見せてもらえるかもと言う興味本位からの行動。もう一つは、就職活動です」
来客の二人以外の眉が上がり、
「就職活動と言いますと、この砦で職に就きたい、と?」
ベルカンプの問いにコキアがさらに発言する。
「この砦で農業を始める気はありませんか? アタシは土壌改良、植物の知識がふんだんにあります。就職というよりは、農業顧問として雇って欲しいんです」
自分で人の上に立てるほど農業に知識があると豪語し、女性でピエトロの仲間――――。
ピンと来たベルカンプは、
「もしかしてクリスエスタの麦商人、エイブラさんと懇意ではありませんか?」
今度はコキアの方が眉を上げ、
「あら、エイブラと知り合いなの? 懇意って程付き合いは無いけど、エイブラが買い取りに来る村で2年間働いてた事があるわ」
「という事はやはり、収穫不可能の麦を期日までに間に合わせた魔術を使った方はオータムさんでしたか」
「あら、そんな事もばれてるのね。奥の手でとっておこうと思ったのに」
でもあまり期待しないで。緊急収穫は土壌にダメージを負うから長い目で見るとメリットは少ないわよと言ってのけた。
「実は今後、この一帯を大改革する予定なんですけど、農業はまさに最優先事項なんです。うちにもリンスと言う植物に詳しい女性がいてその人に頼もうと考えてたんですが、正直オータムさんの実力と知識次第では喉から手が出る程欲しいかも……」
ベルカンプの言葉を聞き、そうでしょそうでしょと腕を組み頷くコキア。
「…………でも、お高いんでしょ?」
急に6歳の純真無垢な顔になったベルカンプは懇願するようにコキアを値踏みする。
コキアが口を開く前に、
「でも……こんなに綺麗なおねぇさんが、こんな何も無い貧乏砦が払える給金で働いてくれるわけないよね……絶対に諦めたくないのに、諦めなきゃいけないなんて辛すぎる。でも、万が一の為聞いてみよう。……おいくらなんですか?」
机に額を付けて頭を下げながらコキアにお伺いするベルカンプ。
左頬を擦りながら、わずかにコキアに聞こえるように「いたた」と呟いた。
最初は6歳の懇願に甘い査定を弾いてしまったコキアだったのだが、少々ベルカンプの演技がくど過ぎた為、脳内の査定の針は通常料金近くまで戻る。
確かに左頬と股間の件は私にも落ち度があるわよねと少し甘めに針を振り戻したコキアが、
「一年契約で、ファオス金貨200枚でどうかしら?」
と発言すると、
「たかっ!!!」
ニウロ以外の全員が思わず叫んだ。
新米兵士の給金を地球の平社員程度に当てはめて試算すると、およそ年収は2千万円を超える金額であり、騎士階級のオットーの年収をはるかに超える。
「ちょっと! 単純に年収計算しないでよね! 農業指導ってのは知識を伝授する事なのだから、2年も働くと御役ご免とばかりに寒空に放免される仕事なの! 契約期間中は逃がすまいと村に半拘束されるし、私が2年指導した村は10年は豊作なのだからその上での査定と考えて頂戴!」
そうなると、まぁ……と、カーン以外の人間が思い直すのだが、
「でも先払いですからね。最後出し渋られて気まずい関係のままその土地を去るのはもう二度と御免だわ」
さらに難題の上乗せをしてくる。
「ニウロさん。無垢な子供が怪我させられたとして、その加害者にぼったくり価格で慰謝料をふっかけるとしたらいくら取れます?」
ヒッ! とコキアの表情が引きつり、どれどれと皆に背中を向かせてベルカンプのズボンをさげるニウロ。
「ん~。不能か種無しかは成長してみないと判断できないなぁ。腫れの具合からすると、ぼったくり治療で銀貨50枚程度かな?」
ホッとするコキアに、大袈裟に残念そうにするベルカンプ。
「そんな茶番で脅さないで、貴方この砦の主上に選ばれたんでしょ? 堂々と予算から考慮したらいいじゃない」
そう訴えるコキアに、無言でベルカンプは棚から小さな袋を持ってくると、
「これが、今の僕の全財産です」
と言いながら小袋を広げる。
中には、アンナから貰った銅貨が数十枚入っていた。
え……? ニウロと顔を見合わせるコキアに、
「実は、指導者になって欲しいと勝手に願ったのはいいが、先立つ物が何も無くて困ってるんだ」
オットーが自分の息子に申し訳無さそうな顔をしながら補足する。
「当然皆考えてるでしょうけど、異世界の品物を売りさばいてお金に代えるのはやはりまずいの?」
「実は、異世界通信はもう出来ないんだ」
コキアのまっとうな質問に、皆にされた質問と同じ事を説明するベルカンプ。
あらぁ~……それは難儀ね。と言いながら、
「でも異世界の品物はいくつかあるんでしょ? それを売るのもまずいの?」
今ある異世界の品物で一番高価なものと言えば双眼鏡か……。
砦側の全員の脳裏にそれが浮かぶのだが、兵士に従事している者にとって便利な物過ぎて換金に賛成したくない。
「理想の暮らしの為に一端手放さないといけないと思っているんだけど、なかなか踏ん切りと機会に恵まれなくて……」
ベルカンプの言葉にオットーを含め正座3人組の顔が苦痛に歪んだ。
「そうだ! カーンに貸してたスパイクと脛当てがあ」
「待ってくれ!!! 頼む! あれは俺が次の給金で買い取るから、頼むから待ってくれ!」
今まで罰の為に正座させられていたのかわからないぐらいピンと背筋が伸び、凛として座禅を組んでいたカーンが両手を床に付き懇願した。
ベルカンプは(カーンの言い値かよ)と心の中で突っ込みながら、
「今回の戦闘の第一武功者がああ言ってますし、カーンの給金でなんとか経済を回しながらやっていくしかないんだろうなってのがとりあえず今の答えなんです」
やんわり断られたのを察したコキアは、
「そっか。残念だわ。ニウロはしばらくここに滞在するみたいだし、昔なじみと一緒に仕事が出来そうだったのにね」
今日はこの砦に泊まって、明日にでもベクシュタ回りで職探しに旅立つわとベルカンプに伝えると、ため息をひとつ吐いた。
やはり幸太に伝えずになんでも引き抜いたのが不味かったよな。でもあれらが無ければ戦闘で確実に死んでたしと、何度も思い返した問答にもやもやしたベルカンプは、なんとなく今日も日課で転送用の箱に触れてしまう。
途端にベルカンプの表情が変わり、机を挟んで来客と雑談していたソシエがベルカンプの所作に気づき、無言でオットーの腕を掴んだ。
ソシエの行動にオットーも気づくと、「シッ」と皆に手を口に充て黙らせる。
2~3分も黙っていたであろうか? 全員大人しく黙る部屋でベルカンプの作業が終わり皆に振り向くと、
「ベル? まさか異世界と交信が出来たの?」
ソシエがたまらず質問をした。
「うん。とりあえず僕が送った手紙が取り除かれている雰囲気と、中に何か異物が入っている感触があったよ。でも、幸太が不法投棄した可能性の方が高いから、ゴミ処理中に混入した有害な物が送られてくる可能性の方が高いかもしれない」
嬉しさの余り飛び上がろうと準備してたメロゥとファンタが気持ちを持て余してもやもやしていると、
「とりあえず今回送られてくる物の内容で異世界通信の決着が付くんじゃないかな。……と言うわけでオータムさん。すいませんが3日ほど滞在を延長してもらえませんか? 場合によっちゃ雇える可能性が出てきました」
わかったわ! 歴史に立ち会いましょうと大仰に言うコキアに半笑いのベルカンプは、立ったままのメロゥとファンタがじゃぁオレら帰りますと言う二人に手を振った。
帰り際に、ソシエさんソシエさん。と、玄関の外で手招きをしてる二人に釣られて外に出たソシエが帰って来ると、そのままツカツカとベルカンプの前にやって来て両手を差し出しベルカンプを抱擁し担ぎ上げる。
通信が成功して感極まったのかな? と、首筋の安心する匂いに心を傾けていると、
「……ベルカンプ君。ソシエに足りない物を二つも見つけてしまったらしいけど、一体何なのかしら……?」
ハッとなったベルカンプが目を見開き、
「しまった!!! ただちに離脱する!」
とソシエの両肩を持ち自分の体を逆くの字に曲げるが時既に遅し、ベルカンプの腰はしっかりとソシエの腕にアームロックされていた。
帰宅路に就くメロゥとファンタの背中から、パシーンと何度もベルカンプの尻が叩かれる音が響き渡り
「思てたんと、ちがーーーーーーーーーーう!」
と、ベルカンプの悲鳴が谷間の砦にこだました。