第95話 深い眠り
バロルの処刑が終わると、翌日からベルカンプは忙しく谷間内を走り回った。
いよいよ谷間の改革を実行しようと、1mごとに印を入れた縄をいくつも縦横に張り巡らせ、街作りの輪郭を描いていく。
以前と変わらないバイタリティで動くベルカンプに住民達は胸を撫で下ろすのではあるが、親しい一部の目には、行動の節々で起こす、両手を開いたり閉じたりする動作に違和感を感じ始めていた。
三日目の深夜、寝付けないベルカンプはそっと寝室を抜け出すと、西の斜面の水場に歩き出す。
頭から水でも被ってスッキリしようと小さな滝の前まで来ると、目視出来るギリギリの距離に肌着一枚のコキアが立っており、ベルカンプに気づいたコキアがおいでおいでと手招きをしている。
あまり頭の働かないベルカンプがその手招きに吸い寄せられるようにコキアの場所まで到着すると、コキアの周りには栄養価の高そうな土が盛られ、先日託したばかりのユメヒカリの種籾からはかわいい新芽が顔を覗かせていた。
「あ、早速苗を作ってくれてるんだ? ご苦労様です。竹の成長は安定期に入ったみたいだね。建築の足場に何本も必要になるからどんどん増やしてくれてほんと助かるよ」
「ほんとえんらい勢いで増殖するわよねこの竹って木は。竹はもうほっといても増えるだろうからあまり手をかけないけど、本当に大丈夫なのこのペースで増やしちゃっても?」
「大丈夫大丈夫、出来たら出来ただけ竹炭にしようと思うから増えすぎて困る事は全く無いんだよ。それに、困るなら困る前に筍の状態で食べちゃえばいいんだし」
「確かにそうね、貧乏砦にはありがたい食材だわ。まぁ竹はいいとして、こっちの米の苗ね。こっちは私が特性を把握するまでは手を抜けないから少しお金をかけさせてもらうわよ? 恐らく年に二回収穫を見込んでるんでしょうけど、今年の前夏は諦めて頂戴。さぐりさぐりの作業になると思うし、種籾の数が足りないから最初の収穫のは全部種籾に回そうと思うのよ」
「そっか。判りました。なるべく優先的に予算を回すようにするよ。っていうかその事で思い出したんだけど、コキアとの契約交渉がまだだったね。ごめんなさい、なるべく早急に場を設けるようにするよ」
ここまで会話を進めると、合いの手のように両手をグーパーするベルカンプ。
「別にゆっくりで構わないわよ? アタシ、もうここで働くって決めちゃったから。年俸交渉では手を抜かないけどさ、アタシにも気概のようなものはあるの。ここの植物の成長を軌道に乗せられるのはきっとアタシしかいないと思うし、孤軍奮闘するあなたを見てると私も使命感のようなものが芽生えちゃうのよね」
それを聞いて残りカスのような気を張っていたベルカンプは力が抜け、ちょっと座るねと地面に腰を下ろすと両手をグーパーさせながら深くため息を吐いた。
「ねぇ、あなたあんまり寝てないんでしょ? ちょっと膝枕してあげるから頭貸しなさいよ」
そう言うとコキアはベルカンプを抱きかかえ、胡坐になって座るとベルカンプの頭を抱え込む。
どう? 少しは楽になったでしょ? と言うコキアに、ベルカンプは気持ち良さそうに返事を返すと、両手をまたグーパーさせた。
「ねぇ、あの日からあなたその動作が増えたけど、どうしたの? 両手でも痛めたの?」
とうとう無視出来ないとコキアが質問すると、
「うん? 力が入らないんだ……。バロルの首の感触が手にこびり付いて離れないんだよ。どうしたら直るんだろうこれ」
そう言いながらベルカンプは握り拳を作れなくなった両手をまじまじと眺める。
「そう。痛めたのじゃなかったのならきっと精神的な事なのね。……それなら、ちょっと手を貸してみなさい」
そう言いながらコキアはベルカンプの両手を掴むとそのまま肌着の中に押し込み、そのふくよかな両胸に添えるとベルカンプの手ごと両胸を揉んでみせる。
「え! ちょ、ちょっとコキアさん」
恥ずかしそうに手を引っ込めようともがくが、農業で鍛え上げたコキアの手はベルカンプの小さな手を捉えて放さない。
「ちょっと! アタシが大サービスしてやってるのに何逃げようとしてるのよ! 怒るわよ?」
少々怒気をはらんだ声色に脱走を何度も企てるベルカンプの手がピタッと止まり、逃げたらぶっ殺すと脅されたベルカンプは一人でコキアの胸を揉む作業を続けさせられる。
恥ずかしくて堪らないベルカンプが股の間からコキアの表情を見上げると、全くもって自然体としているコキアの様子に、なんだか馬鹿馬鹿しくなったベルカンプは急速にその緊張を解いていった。
「ほら、英雄色を好むって言うじゃない?」
「ん? うん」
「あれってきっとこういう事なのよ。下から権力者を眺めると、良い暮らししてていいなとか、部下を頭ごなしに命令出来て気持ち良いんだろうなとか思うじゃない? でも上に立つ者の苦労とか葛藤なんかは下には中々伝わらないわけよ。自分で言い訳すると泣き言に聞こえて品性を下げる事になるし、そんな苛立ちを溜めていくとそら女に走ってもしょうがないなって思うわけよ」
「う、うん」
「あなたね、こっちでは6歳で、あっちでも16歳だったんでしょ? ちょっと背伸びし過ぎじゃないかしら? 一人でちょっと背負い過ぎよ。もう少し回りの大人に匙を投げて責任を分担させる事は出来ないの?」
ピタっとベルカンプの手が止まり、手を動かしなさいとおでこを叩かれたベルカンプは両手を再起動させる。
「…………僕はさ……僕の理想はNO2なんだよね。誰かの後ろでこそっと舵を握るぐらいが丁度良い僕の実力だと思ってるんだ」
「へぇ、それで?」
「だから、バロルがどうしても欲しかった。全力で頼れる強大な背中に憧れたんだと思う。自慢になっちゃうけど、僕はいつも皆に押し出される形で何か任されてきたんだ。学級委員長とか、サッカーのキャプテンとか」
「うん」
「でもね、よく考えたらさ、要所要所で幸太の顔が浮かぶんだ。僕は先頭に立って発言してきたつもりだったんだけど、あいつはあいつで僕の前で踏ん張ってたんだよね。数分早く生まれただけの形だけの兄貴なのにね」
「うん」
「それでね、クリスエスタから出発して今日まで色々な事があったけどさ、こっちもこっちで、よく考えたら色々な大人が僕の背中を支え続けてたんだよ。僕はバロルに一任しようと思ってたんだけど、場面場面の人物が違うだけで既に僕は誰かに寄りかかり続けてたんだ」
「そうだったんだ」
「あ、コキア! 緊急収穫の魔術の時なんだけどさ、薄着で魔術を使うと男たちが誘惑されて困っちゃうでしょ? それで考えたんだけどさ、モグラ族にコキア専用の洞窟を作ってもらおうと思うんだ。扉の鍵は異世界のを用意するから、夜はそこで植物の管理をしてもらって、朝になったら台車で洞窟から引き出せるようにするってのはどうだろう?」
「あら、良いアイデアじゃない! 誰の目も気にしなくていいなら、全裸で本気が出せるかも知れないわね」
「あ……肌着より上のバージョンもあるんですね」
「あるわよぉ~。あなたが精通したらお祝いに本気の魔術を見せてあげてもいいわよ?」
「え!? いや、あの~……見たいような…………見たらまずいような……」
会話に夢中になる度にベルカンプは手が止まり、その度におでこを叩かれては再度手を動かし始める。
「ところで、あっちは20歳が成人なんだっけ? 16歳はまだ未成年だけど、恋愛の一つや二つあってもおかしくはないんじゃない? そういう経験はなかったの?」
両親が両親だっただけに、そんな暇なかったよと述べながらも、一人の顔を思い出してベルカンプは破顔する。
「ん? 誰か思い出した?」
「いや、奇笑子っていうね、名前通りキエーって笑う奴がいてさ、南沢奇笑子っていうんだ。そいつが究極に形から入る奴でさ、双子が主人公の有名な絵本草紙を読んだそいつがね、興味もないのにサッカー部のマネージャーになってさ、『南を甲子園に連れてって』って言うんだよ。んでその度に全員に、俺らサッカー部だから絶対に無理って突っ込まれてさ」
半分以上意味がわかってないコキアにベルカンプは一人でケラケラ笑う。
「それで、その子は今どうしてるの?」
「経済的な事情から高校では二人とも部活やらないよって伝えたらさ、設定が違う! って叫んで勝手に離れて行っちゃったな。なんでも、国立高専っていう技術系の高校に受かったって話はちらっと聞いたから、きっとその道に進んだんだと思う」
へぇ~っと相槌を打ちながら、どうりでねと呟いたコキアはププッと少々噴き出してしまう。
「なに? どうしたの?」
「いや、触り方でわかるんだけどさ、やっぱりあなた、向こうでも童貞だったのねって思って」
「うるさいよ(笑)」
からかわれたせいか男のプライドを傷つけられたせいかは知らないが、一瞬ベルカンプの両手に力が宿り、コキアがいたたと軽い悲鳴をあげる。
ごめんごめんと謝ったベルカンプはそのままコキアと会話を続け、一時間もそうしていると、やがてベルカンプはコキアの膝の上で深い寝息を掻きはじめた。
ベルカンプが完全に寝入るとコキアはベルカンプを抱え上げ、頬にキスをすると体を反転させる。
「あなたの息子、とてもいい男ね。この子私に頂戴よソシエさん」
その言葉に押し出されるように闇から出てきたソシエにベルカンプを渡すと、後は任せたわと手をひらひらさせて去ろうとする。
「あげられないわ。……だって、10年経ったら私と結婚してくれるって約束したんだもの」
その言葉にピタッと足を止めたコキアは、
「あら、そういう事ならライバルになるのかしら? でもまだまだ先の話しだし、それまでは仲良く彼の成長を見守りましょうよ」
それだけ言い残すとコキアは颯爽と闇の中に消えていった。
ベルカンプはそのまま昏々と二日間眠り続け、二日後の早朝起きあがると握力は元に戻っており、転送用の箱には頼んでいた幸太からの最後の物資が届いていた。




