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第92話 縦二閃、横一閃

 ガライからベクシュタへ、配達の用がある一台の馬車が谷間に差し掛かる。

 商人ロウブルはベクシュタ砦御用聞きの一人であり、それに伴い不人気の谷間ルートを通る数少ない商人の一人でもあった。


 無論ロウブルにも先日の争いの情報は届いており、状況次第によっては海沿いの大回りもやむ得ないと踏んでいたのだが、出発日が近づくにつれ谷間ルートから帰還する同僚や、ガライ市長自らが訪れたという情報も飛び込んで来て、出立当日の頃にはかえって楽しみの一つになる程であった。


 いつもと変わらぬ谷間の景色に安心のような残念のような微妙な感情を抱きつつ前方を眺めていると、やがていつも通りの南門が目視出来るようになり、毛ほども損傷していない南壁を見たロウブルは本当にここで戦闘行為があったのかとほんの少しだけ首を傾げる。


「ベクシュタお抱えのロウブルです。馬の休息の為に入場したいんですが……」


 南門の門前で見張り兵に声を掛けると、見張り兵は渋い顔をしながらも待機を命じた。


(流石に中に入るのは無理なのか?)


 それならそれで仕方ないとのんびり馬の尻を眺めていると、やがて木製の階段を踏みしめる音が聞こえ、見張り兵が砦壁の上から顔を覗かせる。


「顔見知りの商人なので入場を許可するが、本日はこれから刑の執行がある。特にやましい事でもないので見学も構わぬが、あまり騒ぎ立てぬよう、静かにしているように」


 へへ~と頭を下げると南門の扉が開き、いつも馬車を置かせてもらっている場所で馬を休ませると、人ごみでごった返している広場にロウブルは吸い寄せられるように足を運んだ。


 人ごみの最後尾から広場の中央を覗くと、綺麗に整えられた髭の男が胡坐を掻いて座っており、五分刈りにまとめあげられた頭髪の色は燃え盛るような赤であった。






「これから、捕虜の一人であるバロルの刑を執行する! 本人の強い希望により極刑を懇願されたのだが主上が懸命に慰留し、異世界の切腹という儀式で手打ちとなった。これからバロルは自らの腹に刃を突き刺し、死の覚悟を以って全ての罪に詫びる事になるが、その後に存命出来た場合、その者は既にバロルではない。主上から新しい名前を頂戴し、余生を善行を使命として皆に尽くす事になると思うが、まずはその決死の覚悟、皆で見守って貰いたい」


 声を張り上げるオットーの説明に皆は一定の理解を示すが、切腹という初めての処刑方法に住民達の喧騒は中々収まらない。

 鳴り止まない喧騒理由の一つにバロルの風貌があり、その綺麗に整えられた容姿はとても凛々しく、40を少々超えたぐらいと説明されても納得出来るぐらい生命力に溢れていた。


 リルテックから譲り受けた真っ白な肌着をまとったバロルは悠然と佇んでおり、これから割腹するかと思えないぐらい自然体で周囲に溶け込んでいる。


「ではバロル。覚悟が決まり次第、刑に挑まれよ。何か言い残す事はないか?」


 オットーの開始の合図に住民の喧騒がピタッと止み、バロルの一挙手一投足に住民の視線が集中する。

 オットーの合図を耳にしたバロルは当たり前のようにナイフを握り締めると、ニウロに教わった位置に刃物を構えた。


「砦の住民の方々! この度は、この砦に襲い掛かった事、誠に申し訳なく思う。私は長い間盗賊稼業を生業とし、当たり前のような感覚でいた所を主上に諭され自分の罪に気づかされた。建前上は頭領であるシーラ代理の処罰となっておるが、それ以前の数々の悪行を反省し、まとめての処罰という事を了承頂きたい。これまでの数々の盗賊行為、平に皆様にお詫び申し上げる」


 言葉の最後を発すると、バロルは構えていたナイフをズブズブと自分の腹に埋め込んでいく。

 一気に突き刺す物とばかり思っていたベルカンプは説明不足を心で嘆き、眉間に皺を寄せながら見守ると、ゆっくりジワジワと腹に刃物が埋まっていく光景を見る住民達も同じく眉間に皺が寄る。


 ナイフを半分程自分の腹に収めたバロルは、額に脂汗を(にじ)ませながら途中休憩をした。


「砦の住民よ、聞いて欲しい。我が主……我らが主、ベルカンプ様は、皆が想定している以上に偉大なお方である。私は、あらゆる勝負において自らの意思で敗北したのは今回が初めてだ。私の人生は生涯無敗であったし、それに伴う実力も兼ね揃えていたつもりでもあった。その私がわずか6歳の少年に後れを取る事の異常事態を察して欲しい。砦の住民よ、このお方に付いて行きなさい。必ず、我らマチュラの民をより良い方向に導いてくださるだろう」


 それだけ言うと休憩していた作業を再開し、またナイフはバロルの腹にジワジワと収まっていく。


「バロル、何を(ほう)けた事を言っているんだ? おまえが手伝うと言う条件の元での約束だ。訴えが変な方向に進んでいるが調子に乗るなよ? 裏切りは絶対に許さないぞ」


 ここで甘い言葉を掛ける事を怖れたベルカンプはきつくバロルを睨みつけ、早くナイフを抜けと無言で圧力をかける。

 そうこうしている内にソシエのナイフは柄まで腹に見事収まり、脂汗を垂らしながら作業をしていたバロルがやっと一息吐いた。


「主上、貴方は大木に寄りかかりたいと(おっしゃ)った。貴方はまだ成長過程であるし、私もその方が健やかに暮らせると思います。……周りを見渡してください。大木とはいかないまでも、貴方が身を預けて休める人材はこの砦に何人もおるはずです。何事も一人で背負い過ぎず、大人達に責任を分担させなさい。貴方は後ろからそっと見守るぐらいで構わないのです」


「バロル!!! 終わったらさっさとナイフを抜かないか! さっきから何かごちゃごちゃ言っているようだが一切聞いてないからな! 私の耳に入れたかったら、儀式を終わらせて目の前で発言しやがれこのやろう!!!」


 完全に仕舞いの方向に向かっているバロルにベルカンプは燃えるような目で睨み続け、ふざけた真似は絶対に許さないと強烈に小さな体で脅してみせる。


「主上、申し訳ありません。実は一つ、罪の告白を黙っていました。私はシーラの保護を目的として盗賊稼業に足を踏み入れましたが、私には、シーラを含め7人の仲間がおりました。砦の皆に殺意をぶつけた連中ですが、私は、その連中と過ごした楽しき日々が忘れられません」


「だからどうした! バロルの出来る事と言ったら、その連中の意思を受け継いで生き抜く事じゃないのか!」


「……主上、ゴヤはまだ殺人を犯していません。奴隷の身分故勉強不足ですが、根は真っ直ぐな青年です。彼の今後を、よろしくお願い致します」


「だ~か~ら~。さっさとナイフを抜けっていってんだよ! 勝手に託されても知らないからな。奴は労働刑の後放免だ。保護者がいなければきっとすぐに野垂れ死んでしまうんだろうな」


「世の中、全てが合理的に進んだらどれだけ楽なのでしょうな。私は、どうしてもシーラの為に命を散らした仲間達を切り捨てられません。それと同時に、どうしても、どうしても貴方を生かしたかった。私が事故で死んでしまえば賢明な貴方は無意味な自決はしますまい。私を、仲間の下に行くことをお許しください。我々の敵は強大だったと土産話しが出来ましたわい」


 いよいよバロルの口から死の言葉が紡ぎだされ、ベルカンプがバロルを取り押さえようと、兵士に向かって手を挙げようと構える。


「おっと、手が滑り申した」


 そう言いながらバロルは刃物の角度を水平に直すと、自らの腹を横一閃に切り裂いた。

 ああああああぁぁぁぁと住民からは失意の声が漏れ、ベルカンプは挙げようとしていた手を別方向に向けると、

「リンス! リタ! 緊急手術の用意!」

 と声を張り上げる。


 その声に押し出されるように小屋の影に隠れていた白衣の二人が薬箱を抱え、荷車を引いてこちらに向かってくるのを確認したベルカンプは、

「ニウロ! セロックスマスターの出し惜しみはするな! 全ての薬を使い切ってでも止血するぞ!」

 と、悲痛な声でニウロを鼓舞した。


 医者の目に変化したニウロがポケットから取り出したゴム手袋をはめながらこちらに歩いてくるのに少々慌てたバロルは、持っていた刃物を引き抜くと今度は心臓のすぐ下に突き刺し、

「主上、良い故郷(くに)をお作りくださいませ。あの世よりお祈り申しております」


 そう言葉を残し、心臓の下にあるムナを通り越し太腿の辺りまで一気に肉とあばら骨を引き裂いた。


「どぉ~れぇ、もう一丁」


 存命の確率を少しでも下げようと必死のバロルは、苦悶の表情でナイフを再度心臓の下に突き刺し、また太腿まで縦に肉を引き裂くと、己の肉体を縦二閃、横一閃した所で痛みの余り手が止まった。


 目の前の光景に軽く立ち眩みを覚えたベルカンプがニウロを見ると、ムナを二度引き裂かれたのを確認したニウロが首を横に振る。


 一切の思考が止まり呆けたベルカンプがそのまま立ちすくんでいると、捕虜の小屋からゴヤが脱走し、入り口付近で兵士に取り押さえられるとそのままこちらに声を張り上げた。


「バロルに今まで気絶させられてた! バロルは今朝のハガ入りのパンを一口しか食ってねぇ! 頼むベルカンプ! 頼むから……お願いですから、一刻も早くバロルを楽にしてやってください!!!」


 その声でこちら側に意識が戻ったベルカンプが、痛みで自分を抱きかかえ悶絶するバロルの異変にやっと辻褄(つじつま)が合い、納得の悲鳴をあげる。


 どうにかしないととベルカンプはバロルに近づくと、ニウロが軽く手を差し伸べて道を塞いだ。


「主上、なりません。迷信なのですが、ムタチオンに止めを刺す行為は軽い禁忌とされておりまして、止めを刺した者は必ず呪われるとされております」


「呪われた者はどうなるの?」


「困難な人生が付いて回ります。余計な波乱や厄介ごとに巻き込まれ、それによって死に至る事も少なくないと聞いております」


「そうなんだ…………。それで、バロルが絶命するのに後どれぐらいかかりそうなの?」


 心ここにあらずといった感じで、ふわふわとしながら質問するベルカンプ。


「恐らく、主上を裏切った罪悪感から一番苦しい拷問刑を選んだのでしょう。元々生命力の強いムタチオンの体にムナを二つ引き裂いております。ムナが組織を再生しようと体内で足掻きまわるので、絶命に至るまで半日ぐらいかかるかもしれません」


「そんなに…………」


 朝食にこっそり仕込んだ麻酔入りのパンを拒否し、苦しさの余り必死に自分の胴を掻き毟るバロルを見て、ベルカンプに使命感という感情が持ち上がる。


 ベルカンプは隣にいた兵士の剣を無造作に引き抜くと、

「切腹という儀式には、本人の痛みを軽減させる介錯人が付き添うんです。遅ればせながらバロルの介錯、主である私が引き受ける」


 そう言うと、目標を定める為にバロルの首筋に剣を当てた。


「お止めください! 非合理です! 誰も得をしません」

「主上、俺が代わりにやる。俺は迷信なんか信じてねぇし、それが原因で死んでも別に悔いはねぇ」


 もう一度止めに入るニウロと、背後からノッシノッシと歩いてくるカーン。


「カーン、悪いね。こればかりは譲れないんだ。気持ちは有難く受け取っておくから、ちょっとそこで黙って見ててよ」


 まずはカーンにけん制を入れ、カーンの行進を停止させると、続いてベルカンプはニウロに説明に入る。


「ニウロ、これは至って合理的な事だよ。私は半分異世界の人間であるのだから、呪いも半分しか掛からないだろう。それに、部下であるバロルの最後を看取るのは私だ。私は、使い捨てするような生半可な気持ちでバロルを口説いたのではない!!!」


 ベルカンプの最後の強い口調で、ニウロも説得を諦める。

 合理的な思考の持ち主の彼には、半分しか呪いが掛からないというのは十分な説得材料に成り得るのであった。


 ベルカンプは意を決すると、目標地点の首筋から大きく振りかぶり、全力でバロルに振り下ろす。

 初太刀がバロルに到達すると首の皮が裂ける感覚が手に伝わり、続いて頚椎(けいつい)に剣が当たった衝撃でベルカンプはあまりの不快感で思わず手を離してしまった。


「あぁぁぁぁぁ」


 この世で一番不快なモノに触れたように全身鳥肌が立つが、それでも目の前で激痛に耐えているバロルが目に入るとすぐさま剣を持ち立ち上がる。

 二撃、三撃とバロルの首に剣を振り下ろしてはその都度不快感で手を離してしまい、その苦悶の作業に住民の中からも嗚咽を漏らす者まで現れ始めた。


「落ちろ……落ちろ……頼むから早く落ちてくれ」


 鬼の形相でなんとか五撃を浴びせるが、鍛え上げたバロルの首筋はまだまだしっかりとしており、まるで拷問の手伝いをしているような感覚に陥ったベルカンプは涙を流しながら剣を掴むのがやっとになってきていた。


「ベル! 心臓だ! 心臓を突き刺しなさい」


 喧騒の中から聞きなれた父親の声が耳に届き、切腹の介錯は首の両断と決め付けていたベルカンプは目から鱗が落ちる。


 最後の力を振り絞り剣を握り締めたベルカンプはバロルの耳に口を近づけ、

「バロル、痛くさせて済まなかった。今楽にしてあげるからね。ゴヤの件、安心してください。ここの皆でしっかりと見守るよ」

 と囁くと、バロルも最後の力を振り絞り笑みを浮かべてベルカンプの目に語りかけた。


 ベルカンプはバロルの数メートル前に立ち、助走を持って体ごとバロルに体当たりすると、見事バロルの心臓を突き破った剣もろとも体は仰向けに地面に倒れ、バロルの胴体を枕にするような形でベルカンプは彼に覆い被さると、その心臓の音がゆっくりと小さくなるのを聞きながらそのままさめざめと泣き続けた。


 何があっても撮り続けるようにとベルカンプに厳命されていたソシエがとうとう耐えきれずに携帯をしまうと、バロルの死体に寄りかかっている体を引き剥がして自分の胸に抱き寄せる。


 そのまま自宅まで連れ帰ろうと上半身を抱えてベルカンプを引きずると、ルー家の3人の前を通りかかった所で3人が最大級の礼を以って地面に膝をついた。


「ねぇ、ライラックさん。人の上に立つ者ってこんなに辛くて苦しいの?」


 全身の力が抜けたベルカンプが3人に語りかけると、

「此度の一連の采配、誠にお見事。ルー家は、今後100年に渡りベルカンプ様に感謝申し上げる。私は貴方様の域まで達しておらぬ故、その質問には答えかねる」


 質問の答えを貰えなかったベルカンプがふとスルツカヤに目をやると、自分に感謝しつつも、出会ったばかりの夫を失い顔を覆って泣いているのが目に映り、今起きたばかりの事を思い出してまた嗚咽が漏れ始める。


「う う う う う う う う う う」


 小さな体で必死に堪える喉からはかすれ声が漏れ、その声が聞こえなくなるまで住民達は視線を地面に落とし続けた……。

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