第91話 最後の晩餐
「5針と言ったところでしょうか。では縫いましょうね」
事の顛末を保護者に聞いたニウロは渋い顔をしながらも診断を下す。
「すいません。手間をかけます」
申し訳無さそうにちょこんと頭を下げるベルカンプを見ても、ニウロの機嫌は全くと言って良いほど直らない。
自分に対してこんなに不機嫌な顔をするのを始めて見たベルカンプは、借りてきた猫のように小さく丸まってみせた。
「……医者として、怪我している者をほっとけないのは山々なんですがね、その中で一番つまらない怪我って自傷行為なんですよね」
不機嫌が収まらないニウロが異世界のマキリンを首に振りかけながらぶっきら棒に語りかける。
消毒液の刺激にベルカンプが悶絶していると、その態度にも関係無いとニウロは話しを続けた。
「で、その一番つまらない怪我をしたのがマチュラで一番貴重な人物って言うじゃありませんか。これは傑作ですよね。ハハハハハ」
声だけでハハハハハと発声するが勿論一切笑ってないニウロが、続いてハガから抽出した部分麻酔を患部に塗りこむと、後ろのカーンが話しに割って入ってくる。
「そういやぁ、俺も同じ失態をして鼻っ柱を殴りつけられたんだっけな。俺にはあんな事言いながら自分の価値を一番わかってねぇ奴がいやがるんだが、はてさてどこのどいつなんだろうなぁ」
ベルカンプの背後で自分の眉に手を当て、キョロキョロとわざとらしくどこだどこだとジェスチャーをするカーン。
耳が痛いベルカンプは黙って治療を受け、傷口を塞いでもらうと皆の前に向き直ると静かに頭を下げた。
「本当にすいませんでした。もうあれしか思いつく事が無くってつい……」
砦の指導者に頭を下げさせて居所の悪い3人はそれでも、世の中には諦めなければならない事もあるんだぞとそれぞれ諭すと、
「それはわかってるんだけど、自分を含めた250人の命を救った恩人に斬首って言える?」
と返され、言葉に詰まったそれぞれがが、言えるとか細い声で強引に強がった。
「今回、カーンに諭した事の矛盾が生じるぐらい無茶をしましたが、こんなケースは二度と無いと思います。本当に、本当無責任な事をしたと反省してるから、どうか今回だけ許してください」
90度に上半身を曲げて再度謝るベルカンプに、ようやく溜飲を下げた3人が納得すると、俺はあんなに膝が震えたのは初めてだとオットーが床に尻餅を付き、お互いに笑いあった。
「話しは変わるけどさ、バロルの初速、凄かったね。ムタチオンの本気ってあんなに凄いの?」
絶対に刃物を押さえられない位置まで下がったつもりのベルカンプだったが、その予測を超えてバロルは自分の懐に飛び込んできた。
例えるなら100mを10秒で走るスプリンターが助走を介して走ってくるぐらいの感覚であり、椅子に座っていたバロルの初速がその域まで達する事に今更ながら心底驚いたと3人に説明をする。
この話しを聞きオットーの尻を叩いた時の光景を思い出したニウロがふと気づき、
「主上、その時なんですが、バロルの背後にオーラのような物が見えたり、急に感情が乏しくなって無機質になったりしませんでしたか?」
と質問をした。
「なったなった! まさにそんな感じだったよ。バロルの背後が陽炎のようにユラユラ揺れていたし、ことわるって発言するのにも、口を動かすのが面倒くさそうな感じだった」
それを聞いてやはりと唸ったニウロが、
「ならば、きっと覚醒の魔術を使ったのでしょう」
と平然と言ってのけた。
「え? 覚醒ってグリエロミンさんがピエトロ様にかけた魔術ですよね? そんな凄い魔術、マチュラのコルタも使えるの?」
ベルカンプが魔術ってサチュラのコルタの特権かと思ってたと質問すると、
「主上、何か大事な事を失念されているようですけど、貴方も既に魔術師ですよ?」
と、ニウロからとんでもない返事が返って来た。
「へ? 僕が? なんで?」
意味がわからないベルカンプが質問を返すと、
「異世界通信をされているじゃありませんか。貴方はピエトロさんから交信の魔術の指導をして貰い、無事に会得したのでしょう?」
の答えに、ベルカンプはひっくり返った。
「あああああ! そうでした。そっかあれは魔術だったんだ。って事は、僕は魔術師って扱いになるの? コキアと一緒?」
「ちょっとレベルが違うかもしれませんね。ピエトロさんは魔術の指導者で、主上は魔術の使用者。転送の魔術を使用する事は出来るけど、他人にその技を教えられるほどの域にはまだ達しておられないのではないのですか?」
「そっか。そういう事か。……って事は、バロルは覚醒の魔術を誰かに指導してもらい、会得したって事になるのかな」
「きっとそうなんでしょうね。私はその場面を見てませんけど、ハイ・ムタチオンが自分に覚醒の魔術をかけて本気を出すと、常識外の事が起こっても不思議ではないかも知れません」
マチュラに魔術の指導者がいないように、サチュラにはムタチオンがいないらしいですよと親から聞いた情報をニウロは3人に伝えると、それぞれがへぇ~~っと感嘆の声をあげた。
「それと、覚醒の魔術は色々な事に応用できまして、実は私も使えます」
え! 凄い! とはしゃぐベルカンプ。
「ですが私が使えるのは一日に一度だけです。それも、使った後に仕事が出来なくなるぐらい疲労してしまうので、安易に出来るものではありません」
「そうなんだ。グリエロミンさんは平然としてたけど、そうとうな術者ってわけなんだ?」
「あの人はね、簡単に言うと変態です。歩く魔祖の塊なんです。恐らく無口だったと思い出すが、気を抜いて発声してしまうと、口から魔祖がこぼれちゃって近くの人が不自然に魅了されたり恐慌状態に陥ったりと、大変な事態を起こしてしまうんです」
「それは…………凄いけど大変な人生ですね」
才能に溢れすぎると返って困難な人生が待ち構えているんだなと、当時の無口だった彼に納得して軽く同情する。
「どんなものか体感してもらうのが一番だと思いますけど、今からやりましょうか?」
ニウロは百聞は一見にしかず! と覚えたばかりの諺を言う機会が出来て破顔すると、ベルカンプもつられて微笑んだ。
「是非にも体感したいんだけど、今かけてもらうと明日の昼まで疲れちゃう?」
「そうですねぇ。ギリギリ回復する頃でしょうか? でもそれまではぐったりしてお役に立てませんが」
「そっか。じゃぁ後日にしよう。これからバロルを診てもらいたいし、明日のバロルの切腹に備えて欲しいんだ」
「わかりました。では後日という事で」
一刻程準備があるから自宅に戻りますとニウロに告げると、オットーと共にベルカンプは帰路に着いた。
ニウロと軽い打ち合わせをしたベルカンプが再び捕虜の小屋に入ってくる。
付き添いのオットーの背後から入室したベルカンプの手には、炊き上がったばかりの飯ごうがぶら下がっていた。
「なんだ? その黒いのは?」
ゴヤが不思議そうにベルカンプに質問すると、
「これはね、中に白米が入っているんだよ。異世界の米を炊いてきたんだ」
そう言いながら飯ごうの蓋をパカッと開けると、美味しそうな湯気がもわっと室内に立ちこめる。
どれどれと蓋の中身を覗いたゴヤは、
「へ~本当に真っ白じゃん。なんか綺麗な色してるけど特別な食べ物なのか?」
鼻をクンクンさせながら、おこぼれに預かれるかもと顔を上気させながら質問した。
ベルカンプはその質問に笑顔だけで対応すると、ニウロにバロルの治療を促し、自身は持参した水桶で手を洗うと塩むすびを握り始めた。
「バロルさん、明日の切腹なのですが、この部分をこの角度で」
両手と右足首の応急処置を終えたニウロが、明日の割腹箇所の指導に入る。
「うむ。ここをこの角度だな?」
ベルカンプから頂戴したソシエのナイフを実際に腹に当ててみせるバロル。
「そうです。最悪、そこにある臓器は体に二つありまして、一つが完全に損傷しても存命した例がいくつかあるんです。 ……おや、バロルさんはそのお年でまだムナが2つも残っているのですね。これは心強い」
仮に重要な器官を損傷しても、異世界の止血剤とムナがあれば生存確率は跳ね上がるなとニウロは脳内で拳を握る。
バロルが二度三度割腹のシミュレートをしていると、人数分のおにぎりを握り終えたベルカンプから声がかかり、捕虜の3人は机に集められた。
「異世界の風習なのですが、死刑執行の最後の夜に本人の食べたいものを食わせてやるという慣例があるんです。本人の望む食べ物は用意出来そうも無かったんで、バロルが試食会を途中退席した後にみんなで試食したおにぎりを用意しました。バロルにはどうしても食べてもらいたかったから特別に持って来ちゃった」
先に炙った筍を二切れづつ皆に食べてもらい、独特な食感で皆の舌を喜ばせると、ベルカンプは続いて全員に一つづつ塩むすびを渡して回る。
「ゴヤとロイも聞いて欲しい。これは白米という異世界の僕の国の主食なんだ。捕虜には2年間の労働刑に就いて貰うけど、真面目に働く者には住民と同じ食事を約束する。僕らはこの白米を主食として生きる。これから食べる味が、僕らが汗水働いて作り上げる作物だと思って味見して欲しい。 ……では、いただきます」
皆にどうぞと促すと、味を知っているオットーとベルカンプが美味しそうに口に含む。
一瞬遅れて口に入れたロイが、自分が予想していた想像をはるかに超える美味さで思わず体が震え上がった。
「うまっ、うまあぁぁっ、なんだこれ、美味すぎる!!!」
口に頬張り5噛みした所で飛び上がったゴヤが、世の中にこんな美味いもんがあるのかと小屋内を走り回る。
先日やや硬めに出来上がったおにぎりを試食し、味への耐性が出来ていたはずのニウロが軽いショックを受ける横で、静かに口に含んだバロルも軽く震えると、目を閉じ鼻から深く息を吐き、モソモソと口内の幸せを噛み締めた。
「バロル、どう? 美味しい?」
ベルカンプがリアクションの少ないバロルに心配して質問すると、
「とても、とても美味しゅうございます。正直、食べ物でこんなに驚いたのは初めてです」
と、腹の底から力が漲る不思議な感覚に驚きながら答えた。
それを聞いて満足したベルカンプは、じゃ~んと飯ごうの中に隠していた特大の一個をバロルに渡し、
「これは明日決死の覚悟に挑むバロルの分です。それを食べて気合を入れてね」
と、卑怯な程愛らしい笑顔で特別扱いをする。
自分一人だけもう一つと恐縮するバロルは少しちぎってゴヤに渡そうとするが、これにはゴヤが意地を張り、それはバロルの分だと小屋内を逃げ回って固辞をした。
足首を痛めて追えないバロルがようやく諦めて自ら口にすると、ベルカンプがその所作に会話を絡めてきた。
「バロル、この米が毎日食べられる暮らしはどう思う?」
「……幸せな毎日でしょうな」
「まずはこの谷間をマチュラのモデルケースにし、ここに住まう住民の誰もが、清潔で飢える心配も無く、高度な教育を受けながら安心して暮らせる土地にしよう。手伝ってくれるね?」
「勿論です。全力でお手伝い申し上げます」
「それが上手く言ったら次だ。僕は別に米を専有する気は無いんだ。谷間で育成方法が確立されたら、僕は米の種籾をマチュラ中に散りばめる。バロル、想像してごらん。ルー家の岩種穂村に美しい稲穂が棚引き、その米を口にする一族の嬉しそうな顔を。僕達が目指す最終地点はそこにあるんだよ」
「なんとも、なんとも壮大で……やりがいのある仕事なのでしょうか」
これからおまえがやる仕事は、一族に恩返しのチャンスがある事なんだよとほのめかされたバロルは、最後の一口を喉に痞えさせると静かに目から涙をこぼした。
「僕が伝えられる事はこれが全てだ。明日、絶対にしくじるなよ」
「全力で臨みます。お任せください」
淀みのないバロルのその声を聞き安心したベルカンプは、
「それじゃ明日に備えようか。明日は皆の前に出なきゃならないからね。湯を沸かして持ってくるから、スルツカヤさんに頭髪と髭を整えるようにお願いしてくる」
空になった飯ごうを握りながら退室しようとするベルカンプにバロルとロイが頭を下げ、
「おい、おまえ本当にすげぇ奴だな。ジンドウテキって扱いもいいと思うぜ!」
親指を立ててグッジョブポーズをするゴヤにベルカンプは苦笑いしながら小屋を後にすると、小屋の中から尻を蹴り上げられた打撃音が聞こえ、「イテッ」っとゴヤの軽い悲鳴が聞こえると、その一連のやり取りにベルカンプはまたカラカラと笑うのであった。




