第90話 勝者と敗者
「やめやめやめやめやめろおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ」
この世の終わりのようなひん曲がった顔をしながら踏み出すオットーの耳に、ドカンと床を踏み込む爆発音が聞こえた。
その音に続いてやって来たかまいたちのような突風にオットーは思わず目を瞑ってしまい、その瞼をまた開けると、動脈に達するギリギリでその手を押さえられているベルカンプとバロルが取っ組み合っていた。
「何の真似だ? 今止めたところで私の結末は変わらんぞ」
痛みで歯を食いしばるベルカンプが目の前のバロルを睨みつけると、ベルカンプの言葉など聞こえないとバロルは強引にナイフを取り上げ、その両手にしまいこむ。
自傷行為をする得物を失ったベルカンプがその場でやる事がなくなると、首筋に傷口以上の血が付いている感覚が脳に伝わり、刃物を素手で掴んだバロルの血液も多分に混じっているのをなんとなく感じ取った。
「参り申した」
え? っと言う呆けた顔で全員がバロルを眺め、一人だけ先に覚醒したベルカンプがその真意を問いただす。
「参ったとは、どういう意味ですか?」
「この戦、私の負けにございます。只今より、バロルことバロテック・ルー、砦の主上ベルカンプ殿に下る事を誓いまする。是非、主命を以って切腹の刑を賜りたいと存知まする」
「……本心だな? 男に二言は無いか?」
「ありませぬ」
バロル以外の全員が顔を見合わせ、勝利の咆哮をあげようと口を開けた瞬間、
「よっしゃああああああああああああ」
と、この結果に一番喜んだゴヤが声を弾ませながら小屋内で暴れまわった。
「主上、私にこの得物を頂けませんか? 縁のある刃物故、これで刑に挑みたいと存じます」
バロルは両手に包み込んだナイフを見せる為、真っ赤に染まった両手を再度開いてみせる。
ベルカンプはその両手に付いた血に罪悪感を覚えながらも、
「よろしい。ではバロル、主命を以って命じる。今までの全ての罪を鑑み、そなたに切腹申し付ける! 見事腹掻っ捌いて全ての罪に詫び、死線を超え生まれ変わり善行に励め。執行日は翌日の第一中天の頃とする!」
「謹んで、お受けいたします」
膝を折り、ベルカンプの目線まで下がったバロルは自分の主に頭を下げると、その得物はそなたに譲ると言われ、さらに深く頭を下げた。
これで一旦は落着し雰囲気が緩んだ小屋内で、一人だけ納得がいかず怒りが持続している男が少年の前に歩み出ると、その右平手をその少年に向け振りかぶる。
この暴力は避けちゃいけないのを分かっている少年が無抵抗で歯を食いしばると、その首筋の傷口とべったりついた血に気づいた男は振りかぶった右手を緊急停止し、後頭部から抱きかかえると少年の肩で嗚咽を漏らした。
「はぁ~~~。…………怖かった」
虚勢を張っていたオットーが躾としての暴力を諦めると、我が子と指導者の両方を同時に失う恐怖を思い出し膝が震える。
「ごめんね父さん。絶対に、負けられない戦いがそこにあったもんだからさ」
少々お茶らけて明るく振舞うベルカンプは逆にオットーの頭を撫でると、その小さな手の感触にオットーの嗚咽の声量が増える。
数分で気持ちを整えたオットーはそのままベルカンプをおぶると、まずは治療だと小屋を出て行こうと扉に手をかけた。
「あ、バロル! 一緒においで。両手の傷の手当をしよう」
オットーに騎乗したままのベルカンプがバロルに手招きすると、
「気を使って頂きありがたいのですが、心配後無用、かすり傷です。……それに少々右足首を痛めました故、少しここで休みとうございます」
「え!? あの時ビリッって何かが裂ける音がしたけど大丈夫なの? まさかアキレス腱が切れちゃった?」
「…………全部は切れておらぬようです。部分断裂と言った所でしょうか、歩行なら可能です」
「そう。それなら後でニウロをこっちに寄越すからゆっくりしてて。切腹で傷ついた腹部と一緒に治療していこう」
「ハッ! ありがとうございます」
頭を下げるバロルに微笑むベルカンプは、じゃぁ行こうとオットーに語りかけ、カーンを殿に小屋を後にした。




