第89話 全身全霊
ベルカンプは自宅には立ち寄らず、そのままの足で牢屋代わりの小屋に到着すると、ドアを開けた。
普段通りに佇むロイとゴヤを他所に小屋の隅で着席しているバロルは、一昼夜の論戦の為か発汗していて疲労しているようにも感じる。
そんな素振りも全く意に介さないベルカンプはバロルの前まで行くと、待ち構えていたバロルが先に口を開いた。
「まさか故郷の村に伝令を飛ばしているとは思いもよらなかった。一族に詫びる機会を頂け、懐かしい顔に会え話しも聞けた。長年胸の片隅にあったしこりが取れた思いだ。心から感謝申し上げる。お主に降伏して本当に良かった」
着席したまま姿勢を正すと、ベルカンプに頭を垂れるバロル。
謙虚に返答を返すかと思われたベルカンプなのだが、今回だけは頭を上げるまでベルカンプは無言でバロルを眺め続けた。
「バロル、今回の件、大きな貸しとはならないだろうか? 不器用な程実直な貴方の事だ。貸しを返し終るまで死ねないのではないのですか?」
「…………貸しの代わりになるかはわからぬが、頂いた紙にいくつか書かせてもらった。それで相殺とさせてもらえないだろうか。足りぬなら、ルー家が残りを肩代わりする事になると思うが」
クックックと自虐的な笑みをこぼすベルカンプ。
「全くアンタって人は。私の考える事の隙を全て埋めてしまう。情に訴えてもダメ。未来を語ってもダメ。恩を着せてもダメ。僕が思いつく事で残る事と言ったら、もう交渉と決意しか残ってないんですよ」
とても6歳とは思えない腹の据わった態度で語りかけるベルカンプはそのまま続ける。
「先程、リルテックさんに別れ際に聞きました。スルツカヤさんはバロテック・ルーの許嫁なんですってね。シーラ・シルックと生き別れになったという事で繰り上がりで決まったそうですけど、シーラさんとの約束を果たす事ぐらいに、スルツカヤさんを守りぬく責任もあると思うのですがどうなのですか?」
「……確かにその通りだ。だが私の体は一つしかない。その場合、罪の償いと先約が優先されると思うのだが」
「なるほど。そこで相談なのですが、日本の歴史に武士という規律を重んじた騎士階級の人間がいたのです。その者達は仕える主君の命を絶対とし、不始末を犯した者は、自ら腹を斬って責任を取るという名誉刑が存在しました。その名を切腹と言います。貴方は自ら投降し、今までの罪を恥じ極刑を望んでいる。釜茹でや斬首と言った下品な処刑より、切腹で自分の罪を自分で償う刑の方が適切ではないかと思うのですがどうなのでしょうか?」
「……異世界にはそんな罪の償い方があるのか。私にとっては理想だが、察するところ、何かの縛りがあるのだろう?」
「流石に聞き逃しませんね。そうです、切腹とは主君が自分の部下に命じる下知なのです。ですから、切腹をするにあたって一度は私の配下にならないといけない事になりますね」
「申し訳ないが、死を望む私がお主に仕えるのは不純な動機であると思う。その案に乗るのは難しい」
当然断ってくるだろうなと思っていたベルカンプは構わず会話を前に進める。
「実は切腹にはカラクリがあるのです。自分の命令に命を投げ出して応える部下を、一度の不始末で殺してしまうのは勿体無いと感じませんか? 切腹とは実際に腹に刃物を突き刺すのですが、死ぬ程の覚悟を見せる儀式でもあるのです」
内容が自分が想定してた斜めの方向に進み、バロルは興味をそそられ思わず前傾姿勢に変わる。
ベルカンプはバロルを生かす為、切腹の解釈を捻じ曲げて説得する方法に全力を注ぐ事にした。
「達人ともなると、腹に刃物を突き刺しても生還する武士もいるのです。どういう事かと言うと、腹には臓器と臓器の隙間があります。命の瀬戸際で怯まずに見事その隙間を突き刺し、死罪から生還した武士は全ての民から尊敬され、厚く遇されたと聞いております。当然ですよね。一度死んで詫びた後、その不始末を拭うべく残った体を使う事が出来るのですから。切腹から生還した者は主君から新しい名前を頂戴し、別人として再度忠誠を尽くすのが通例となっていたみたいです」
「……ほぅ、そのような事が」
武人であるバロルが、確かに理に適っていると異世界の武人のルールに相槌の声を漏らしてしまう。
「一度整理してみましょう。今まで自らがやって来た行為を恥じ、極刑になりたい気持ちは理解出来ます。それなら見事切腹に応じ、罪を償った上で過去の悪行を善行で塗り潰す生き方をすればいいじゃないですか。シーラさんとの約束は死罪を受ける事で魂は彼女に預け、生まれ変わった名でスルツカヤさんや一族を守る方が、どれほど有意義で真摯な姿勢であるか判らない貴方ではないでしょう?」
ベルカンプの渾身の説得にバロルは何も言えず一点をただ見つめる。
その光景をぼ~っと横から見ていたゴヤは、驚きと共に異世界の少年を陰ながら応援していた。
(一度決めたら二度と曲げないあのバロルが言葉を飲み込んでいる! すげぇぞあの子供。もう一押しだ頑張ってくれ!)
シーラに買われてからずっとバロルと共にあったゴヤは、流石に親とまではいかないが、仲間以上の感情を彼に抱いている。
バロルを失い孤独になるのかなとすっかり諦めていたゴヤは、目の前で不可能に挑む少年に共闘を誓い、心の手で背中を支えた。
(頑張れ! あの頑固者を動かせ! もう少しだ!)
「僕はねぇ、バロルさん……」
ゴヤの願いが通じたのか、無言のバロルにベルカンプが仕掛ける。
「ずっとある疑問を抱いていたんです。その疑問は、カーンの剣術指導を見た時に確信に変わりました。貴方は頑なにシーラの代理だの責任だの言いますがね、実際はこの砦の恩人ですよね。シーラさんが重傷を負っても貴方は我を失わず、僕の呼びかけに応じ後の不始末の為に投降してくれました。あのまま戦闘が継続してもカーンとカミュで相討ちぐらいにはなるのかなと楽観視していたのですが、蓋を開けてみればどうでしょう。あの実力差なら砦の全員皆殺しにされて当然だったじゃないですか。貴方は確かにこの砦に仕掛けた張本人ですけどね、こっちとしたら今もこうして大人しく刑の執行を待っている貴方に恩義の念しか感じないんですよ。僕は、250人の命を救った恩人を死刑に処す決定なんか死んでもしたくないんだ!!! 絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に嫌だ!!!!!」
感極まったベルカンプは、絶対を連呼する途中から左手の拳を机に叩き付け、4回目の衝撃でこれはまずいと思ったゴヤがベルカンプに飛び掛り振り上げた腕を止めに入る。
ゴヤに止められたベルカンプが落ち着きを取り戻し、赤く腫れ上がり所々皮が剥けた手を腰の横に収めると、ゴヤが去り際にありがとうと耳打ちして後ずさった。
ただ一点を見つめていたバロルはベルカンプの手が無事だと察すると、そのまま視界を地面へと移し再度押し黙った。
小屋の外で待機していた兵士達が慌しくなり、軽鎧の擦れる音がする。
その内の一つが遠くに走り去る音が聞こえなくなると、小屋には沈黙が訪れた。
「…………僕の思いは伝えました。後は決意ですね」
椅子に座るバロルから後ずさりし、小屋の対角の隅まで移動したしたベルカンプは、ソシエから貰ったナイフを腰から抜く。
ゆっくりと面をあげたバロルがハッと息を飲むと、右手でバロルに来るなと制止する逆の手にはナイフが握られ、今にも己を刺し殺そうとその切っ先は首筋に突きつけられていた。
「止めろ!!! もう十分だ! それだけはダメだ!」
ゴヤが思わず叫び本気で飛び掛ろうとする所を、
「うるせぇ! そこで黙ってろ!!!」
ベルカンプが鬼の形相で制し、その気迫に負けたゴヤが二歩目の左足を真下に下ろす。
「正直ねぇ、僕は半分異世界の人間なんですよ。自分の暮らしとか、住民の暮らしとか偉そうな事言ってますが、正味なところ、異世界の知識でコルタの生活水準を上げてやろうってボランティア精神的な所が多いんです。貴方が手伝わないっていうんなら、僕はもう知らない。こっちで死んだら地球に帰れるのかななんて根拠のない淡い思いも常にあるもんだから、死ぬ事に思ったほど抵抗が無いんですよ」
無言で佇むバロルがブツブツと小声で何か呟き始め、オットーの尻を全力で叩いた時のように背後にうっすら靄がかかる。
そのタイミングでドタドタと音がしたと思うと小屋の扉が空き、オットーとカーンがなだれ込んできた。
「ぉぃ」
「一体これはどういう事だ!!!!!」
カーンが発した声の10倍でオットーが小屋内の連中に叫び、小屋の捕虜全員に強い殺意を発動し、横にいるカーンですらその不愉快な感情に鳥肌が立つ。
我を失いそうな程怒りをあらわにしたオットーが思わず抜刀すると、
「オットー。バロルと戦をしている。邪魔をしれないでくれ」
とベルカンプの声が届き、我が子が追い詰められているのではないのを悟ったオットーがゆっくりと殺意を解いていった。
「バロル、水場で貴方を口説いた時、僕はとんでもない失言をしてしまった。ゴヤの件だ。出来もしない事を平然とやれると言ってのけ、事実出来ないのだから軽んじられて当然だ。だから、今回は出来る事をする。僕の命だ。どうしても死刑になりたいバロルにわかやすい罪状を用意した。異世界の少年殺しの罪ぐらい増えたって困る事はないだろう? おまえにも武人の矜持があるのだろうが、主上となった私にもある。これは、どうしても殺したくない私とどうしても死にたいおまえとの意地の張り合いである!」
背後に靄のかかったバロルは感情の一切が消え失せ、その目は雑音を取り払おうとベルカンプの動作にのみ集中している。
「どうだ! 返事をしろ!」
無機質になったバロルに違和感を覚えながらも、ベルカンプは最後通告をする。
小屋内の誰もが息を飲む中、発声するのが難しそうなバロルがなんとか口を開き、返答を呟いた。
「…………ことわる」
その言葉が自分の耳に届いたベルカンプはオットーに視線を移し、
「ごめんなさい父さん。一人の男として、これだけは譲れないんだ」
そう言い残すと、ベルカンプは自分の首にナイフを突き刺した……。




