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第84話 オーバートレーニング

 翌日は、予想通りカーンにとって地獄の一日となった。


 筋力を限界まで使ったシーラとの戦いの時とは違い、一方的に打たれただけの今回は一晩休んだだけで全快近く体力は回復する。

 しかし全身に付けられた痣と擦り傷は流石に一日ではどうにもならず、全身傷だらけで居心地の悪そうなカーンが午前中からバロルにしごかれ続けていた。


 昨日バロルに振られて傷心のベルカンプは、それでも人の輪に紛れながら二人を見学し、所々携帯で動画撮影をする。

 兵士達はベルカンプが持つ新しい異世界の品物に興味を注ぎつつも、ベルカンプのあまりにも不機嫌な顔に声を掛ける事が出来ず、カーンの鍛錬とそれを撮影するベルカンプを交互に見つめるだけが精一杯であった。


 昨日から久々の運動でどんどん調子を上げていったバロルにやっとカーンが追いつくと、午後に入るといくつかのバロルの剣撃をかわし始める。

 竹刀と長竹刀という長さの違う両手剣にも慣れると、途中打ち合いを止めてはバロルの指導が入り、構え方の変更やカウンターの取り方を教わったカーンの実力は益々バロルに拮抗していった。


 雑務でいつまでも見学していられないベルカンプはやがてその場を離れるが、二人の鍛錬はなんと日没まで続いたらしく、翌朝病室のベッドで目を覚ましたカーンは自分の体を酷使しすぎた事を体感した。


「体が鉛のように重ぇ。気力も沸かねぇ。せっかくいけると思う所までやれたのに。クソッ」


 明らかな不調が出ているらしく、特に倦怠感(けんたいかん)が酷くだるそうにニウロの診察を受ける横で、3日間大人しくしていたゼマリアが足首の湿布を剥がすと、そのまま踏みしめたり稼動域限界まで捻ってみたりと確かめる。


「おお、さすが異世界の布だ。本当に3日で直ってしまった」


 その場で1m近く垂直飛びを披露し、びっくりするほど着地音が小さい事にニウロとベルカンプは驚きつつも、完治を喜び合う。


 それでは午後の試合まで体を慣らしてくるとゼエリアスを連れ宿屋の大部屋を後にすると、二人は体が重そうにうなだれるカーンに向き直った。


「カーン、昨日は日没まで頑張ったそうだな。筋肉に問題はないのか?」


「あぁ。主上が今日の事は考えないでいいと言ったから余力を考えずにやった。バロルの剣速に目が慣れ、受け流すぐらいまでは出来たから今日の試合は楽しみだったんだが……擦り傷がチクチク痛ぇし気分が優れねぇ。こんなのは初めてだ」


 自分の状態を告白するカーンにベルカンプはもう一度頑張ったなと一声掛けると、ニウロの判断を仰ぐ。


「恐らく、オーバートレーニングの症状が出ているんだと思います。シーラとの決戦で限界を超えて筋力を酷使し、直りかけた所でまたハードなトレーニングを連日行った弊害ではないかと推測します」


 とにかく気だるそうにするカーンにニウロも成す術が無く、安静にするか、緊急時の場合は強い酒で煽るぐらいしかありませんねと対処法を説明すると、その言葉にピンと来たベルカンプが質問を投げかけた。


「強い酒で煽るって事は、いわゆる気付け薬なようなものですか?」


「まさにそうです。虚脱状態の時は血圧を上げる為に、酒などが効果的とされているのですよ」


「……という事は、興奮剤みたいなものでも代用出来るという事なのでしょうか?」


「お! 異世界の薬がありますか?」


「薬と言いますか、栄養ドリンクと言いますか……精力増強剤なのかなこれ?」


 薬箱の隅に栄養ドリンクが二本と錠剤の精力増強剤が何故か入っており、ベルカンプは地球で暮らしていた頃の父親の顔が脳裏に浮かぶ。


「試してみたいのですが、少々心配でもあります。人間も、普段薬を全く飲まない人が薬の世話になると、常時服用している人の何倍もの効果が出てしまうんです。コルタの水虫の薬や軟膏の効き目の効果を考慮すると、安易に飲ませて良いものか…………」


「そうでしたか。では試しに捕虜にでも飲ませてみましょうか? 私が試しても良いですし」


「う~ん……。まぁ綺麗事言ってられないか。では一回に3錠と書いてありますので、バロルとロイに一錠づつ飲ませてみてください。ゴヤは未成年ですから試さないで結構です」


「わかりました。ロイと言うのは火傷の捕虜ですね? では早速行ってまいります」


 立ち上がり離席するニウロを見守ると、ベルカンプはカーンに向き直った。


「カーン、そこまで頑張ってくれてご苦労でした。目的はゼマリア様に勝つ事じゃないので、カーンの奮闘は確実に後の為になる筈です。安静にしていてください」


「あぁ、主上に言われた通りに存分にやった。午後までに回復するかはわからねぇが、二日前の俺とは桁違いに成長したぜ。二刀流というモノが大分掴めてきたし、バロルの剣速を長時間体感出来たのがとても大きい」


「ゼマリア様も高速剣の使い手だからね。腕力を兼ね揃えたバロルの剣を受け止められたら、どうしても勝利を意識しちゃうよね」


「あぁ。だが近衛の4位とやれるなんてまたと無い機会なのに、気力が泥の沼に沈んじまったように重ぇんだ。本来なら待ちきれずに走り出してぇ気分になるはずの俺が、なんでこんなにやる気が出ないのか不思議でしょうがねぇ」


「ニウロの言う通り、やはり短期間で体と精神を酷使しすぎたんでしょう。異世界の薬が使用出来ないと判明したら、今回は不戦敗という事にするからね」


「……いや、一応…………いや、それでいい。今の状態で戦っても得るもんが少ねぇだろうしな」


 それじゃ結果が出るまで横になっててねとカーンを見舞うと、ベルカンプは宿屋の大部屋を出て行った。






 午後に入り、会場はギャラリーで沸きに沸いている。


 午前中の鍛錬で8割程に調子を戻してしっとりと汗を掻いているゼマリアは、対峙する男に少々生理的嫌悪感を覚え顔をしかめる。

 対峙する男とは勿論カーンであるのだがなんとも鼻息が荒く、繁殖期に入った動物のように色めいた態度で開始の合図を今か今かと窺っていた。


 精力増強剤の結果はというと、60を超えたバロルが発情を覚えるぐらいの効果があり、ロイに至っては体を動かさなければ誰かを襲ってしまいそうだと、外出の許可をもらうと立ち上がれなくなるまで全力で谷間を走り回ったぐらいであった。


 朝の落ち込んだ表情は何処吹く風と、男の(たけ)りを(にじ)ませながらカーンは攻撃的な態度を取り続けており、男を知らないゼマリアにとってはその態度が恐怖の対象でしかない。


「これより、王宮近衛兵ゼマリアと砦長騎士カーンの模擬試合を行う! 一対一である為、明確な勝利以外は相手の参ったがない限り続行とする。一同異論はないか!?」


「異議無し!」

「異議なし!」


 審判であるゼエリアスの発声にギャラリーが答え、いよいよかと両者が足場を確認する。


「それでは、はじめぇぇぇぇぇ」


 ゼエリアスの開始の合図と共にギャラリーの喚声が響き渡り、速攻が売りのゼマリアがすぐさま仕掛けるかと思ったが、細かくサイドステップを踏みながらカーンの所作を吟味している。

 カーンもカーンですぐさま飛び掛るのかと思いきや、必死に興奮を抑えながらその場に留まると、なんとゼマリアに交渉を持ちかけるべく口を開いた。


「ゼマリア様、俺はアンタに勝ちてぇ。その為にここ数日、捕虜に頭を下げてまで鍛錬に全てを費やした。なんとかなるかもって所までは上達して、興奮を抑えれねぇぐらい気力も戻ったんで、後はやるだけだとこの場に立つまでは思ってたんだが、ふと気づいちまったんです。この試合は勝ち負けの結果が全てじゃねぇ事に」


「まぁそうだな。本来の趣旨は、おまえがウーに相応しい武力の持ち主かどうかだ。異世界の薬を飲んだようだが、まぁその吟味は後でやるとして、なんなら私がエリスとやるように徐々に力を上げていく形でやってみるか?」


「あぁ、それで構わない。俺は宣言するまで手を出さねぇんで、俺の実力を試してくださいや」


 拍子抜けしたギャラリーの声援が一気にトーンダウンするが、代わりに幼い少年の「よく気づいたカーン。偉いぞ」の掛け声がカーンの耳に届き、笑顔を取り戻したカーンが足場を踏み鳴らす。


 ゆらりとカーンに歩み寄ったゼマリアがまずは驚かせてやろうと、8割の力でカーンの胴を一閃すると、カーンはこれをしっかりと竹刀で受け止めた。


 これには正直ゼマリアは驚きを隠せなかったのだが、昨日のカーンとバロルの鍛錬を見学していたギャラリーの目は既に肥えているので大したどよめきも起こらない。

 喚声の少なさに疑問を感じつつもよそ見をするわけにもいかないゼマリアは、それでは3割からとギアを上げながら剣撃を浴びせ続け、初めて体感するフェイントに何度か体重移動を狂わされながらも、カーンは器用にその全てをかわし続けた。


 6割程度までギアを上げたゼマリアの剣技はとうとう蹴り技まで繰り出し、剣撃と合わせて回し蹴りでカーンの足首を刈りに行くのだが、前日までの鍛錬で既に見たカーンはこれにも対処してみせる。

 流石にウーの申請をするだけはあるなとゼマリアが心を入れ替えると、いよいよゼマリアのギアは8割にまで達しはじめた。


(よし、そろそろか)


 実は一連の行動はカーンの策であり、ゼマリアの全力攻撃を何度もかわせる実力は今の自分には無いと言う結論に至っていた。

 それならばどうすれば良いかと考えたカーンは、『殺し合いなら互角』と言う最初に抱いたイメージを実行に移すべく、異世界の薬を飲んで滾る感情を懸命に抑えながら、ゼマリアと交渉しここまでこじつけた。


 結果的にゼマリアに実力を吟味させる時間を与え、これで試合にも勝ってしまえば印象はそうとう良い筈だと、カーンは全身全霊でゼマリアの攻撃を防ぎきると、ゼマリアのギアはとうとう9割に達し、低空を舞いながらあらゆる角度から剣と蹴りがカーンに襲い掛かる。


(もうこらえきれねぇ。今だ)


 ゼマリアのギアが10割に達するかと思われる直前、

「行くぞ!!!」

 とカーンが攻撃の合図をゼマリアに送る。


 防御の準備を取っていなかったゼマリアが慌ててギアを落としにかかり、その攻防の繋ぎ(●●)のような瞬間を狙って、カーンは上段から全力で両手を振り下ろした。


 一撃ならばさらっと剣で受け流すゼマリアなのだが、竹刀と長竹刀が同時に右肩と左肩の位置に振り下ろされ、ゼマリアは思わず剣先を手で掴むと、鉄棒を握るような形で真っ向からカーンの両手剣を頭上から受け止める形を取ってしまう。


 刹那の間の中で、この選択は間違ったとゼマリアは背筋が凍るのだが、これからやってくる攻撃の衝撃に歯を食いしばった。


 バシィィィィィィィィン。


 恐ろしい衝撃音と共に、ゼマリアは心の中で悲鳴を上げる。

 まるで100キロの鉛が振ってきたかのような衝撃が両腕と腰にビリビリと走りぬけ、ゼマリアは非力な自分がこの選択を選んでしまった事を激しく後悔した。


「ウオォォォォォォォォォォ」


 ここぞとばかりに今まで溜めていた全ての欲望を吐き出し、野獣のけたたましい咆哮でゼマリアの戦意を削ぎながら、腕力にモノをいわせてゼマリアを地面に押し込んでいく。

 これには体格差の影響をモロに受け、ゼマリアは奥歯がギリリと音を鳴らすほど歯を食いしばって抵抗するのだが、ゆっくりとその体が地面に吸い寄せられていく。

 完全に屈むような形まで力技で押し込まれ、もう堪えきれないと判断したゼマリアは、一か八か竹刀を投げ捨てバックステップするしか無いと考えていた。


 すると、途端にふわっと両手の圧力が無くなり、楽になった両手に乗っていたカーンの竹刀を探すと、今度はこれまた同時に下段から上段へと、ゼマリアの両の脇の下めがけてカーンの竹刀が襲い掛かってくる。


(あの力で脇の下を突き上げられたら、肩の関節が外れてしまう)


 ゼマリアの脳裏に先程の重い衝撃が恐怖として残っており、そんなモノを食らっては堪らないと両腕がそのままの体勢で下に落ち、下段受けをまた両手で防ぐ形になってしまった。


 バシィィィィィィィィン。


 今回も同じような衝撃音が会場に鳴り響くのだが、カーンの目の前にゼマリアはいない。

 屈んでいたような体勢で耐えていたゼマリアは、下段受けの衝撃と共に跳躍を選び、カーンの力を利用した跳躍は上空4mにも達した。


「おおおぉぉぉぉぉ~~~~~」


 あまりにも高く飛び跳ねたゼマリアに会場がどよめくのだが、落下地点に移動したカーンは勝利の笑みを浮かべていた。


(クソッ、負けた)


 揚力を失ったゼマリアの体が自然落下を始め、下半身を使ってかわす事が不可能になったゼマリアが一本しかない竹刀をギュッと握ると、二刀を掲げ悠然と地上で待ち構えるカーンと目が合った。


 地上2,5mぐらいからカーンの上段がゼマリアに襲い掛かり、ゼマリアは一本の竹刀でなんとか三撃までは持ちこたえたのだが、実力が拮抗している両者に得物の本数が残酷に戦況に影響し、地上スレスレで数撃浴びたゼマリアが待ち構えていたカーンにそのまま大外刈りで組み伏せられ、カーンに覆い被されたゼマリアの喉元には竹刀が突きつけられる。


「勝負ありだな。さぁ、早く参ったと言え。さもないと……」


 異世界の薬で興奮状態にあるカーンの顔がゆっくりとゼマリアの顔に近づき、その男の仕草に貞操の危険を感じたゼマリアが思わず竹刀を放り投げると、カーンの頬を思い切り引っ叩く。


「キャーーーーー」


 参ったの代わりにゼマリアの悲鳴が会場に響き渡り、その悲鳴を聞きもっとも近くいたゼエリアスが猛烈にダッシュすると、カーンのわき腹に蹴りを入れながらカーンを引き剥がす。

 これには予期していなかったカーンがモロに食らい、ゼマリアの上から横転すると「いてぇ」と軽く唸った。


 強姦に襲われそうだった所をギリギリで救助が間に合い、無事で良かったと娘を抱きしめるような格好のゼエリアスは、

「ただいまの勝負、ゼマリア様に対する侮辱行為で、カーンの反則負けと見なす!」


 ゼエリアスの無茶な発言に会場からは一斉に


「いやいやいやいやいやいやいやいや」


 そんな訳ないからと、半笑いで全員が首と手を振り続けた。

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