第54話 ジョニー・ロータス
大都市ガライはここ数日天気に恵まれており、商売人達はここが稼ぎ時と威勢よく往来の客に声を張り上げている。
約50年前の大戦で敗戦の責任を取らされたガライ王は失脚し、ガライは市長を中心とした民主主義で成り立っているのであるが、一部の聡い市民はそれがかりそめの執政であるのは判りきっていた。
ガライの幾重にも折り曲がった道を何度も通り抜け中心部に達すると、風景は突然綺麗に区画された町並みに変わり、ベルカンプから指示を受けた伝令は安堵の息を吐きながら正面の立派な宮殿に足を運んだ。
ガライの中心部には5つの立派な宮殿があり、5年に一度の市民の入れ札によって選出された市長が中心の宮殿で実務をこなしながら居住する。
左右に均等に2つづつ対峙する4つの宮殿にはガライの実力者4氏族が住んでおり、この4家はいずれもガライの運営に欠かせない重職に就いていた。
市長が5年の任期であるのに対し、この4氏族の役職は永年雇用を約束されており、清廉な歴代の市長が何度かこれに意義を唱え改革を試したのだが、その度に市長は謎の死を遂げ、いつしかこの事案にメスを入れる気概のある市長もいなくなっていた。
「ロータス市長、先日争いのあった砦から伝令が来ております」
市長付きの執事が豪華な机に足を放り投げながら退屈そうに読書をする中年の男性に声をかける。
ジョニー・ロータス第11代ガライ市長は錆び付いた目を本から離し、面倒臭そうに口を開いた瞬間、
「伝令の方は遠路来られてお疲れのはず。まずはご休憩されてから別室で対応するのがよろしかろうと存じます」
背後に控える小間使いの女性が発言するとロータスは不機嫌そうに口を閉じる。
「ではそのように計らいます」
市長に一礼し退室する執事の後を追うように、4人の小間使いもそれぞれ部屋から出て行った。
二時間後、伝令の前には市長を中心に4人の重鎮が相席する事となった。
「まずは遠路ご苦労でありました。聞けば仕掛けたのはガライの盗賊の仕業とか? ガライの責任者として、クリスエスタにご迷惑をおかけした事を申し訳なく思います」
そういうと伝令の一兵卒に素直に頭を下げるロータス。
恐縮するララスを見つめる4人は不動の体制を崩さない。
蛇に睨まれた蛙のように固まったララスがなんとか深く一礼し、持参した羊皮紙を執事を渡すと、執事は市長の前に無断で拡げた。
黙読する市長の脇から重鎮達も覗き込み、読み終えた者達から順番に着席しそれぞれ物思いに耽る。
「……概要は理解出来ました。今回の騒動はあくまで一個人の戦闘であり、ガライ側に他意は無いと、捕虜の前でクリスエスタ側の方と折衝して欲しいと書いてありますが、間違いはございませんか?」
一世一代の大舞台である現状からやっと緊張が溶けつつあるララスが、
「私もそのように聞いております。是非重職の方に参席して欲しいと砦の長が申しておりました」
「長と申されますが、此度の長とは誰を指しているのでしょうか?」
ガライでも盗賊シーラ一味の名は鳴り響いており、街の治安を守る憲兵では手に負えなかった程であった。
そのシーラが率いる158名の野盗集団を全滅させた異世界の少年の話題はとっくにこの宮殿にも届いており、この一連の差配の元は誰なのかとロータスは素直な感想を漏らした。
「…………長とは、クリスエスタ兵士砦長カーンの事です。察するに異世界の知識の少年を思い浮かべておいででしょうが、カーンに口添えした少年の案を全面的に採用した、と捉えてもらって結構だと思います」
「では、表向きにも正式にクリスエスタ側の要請として扱わせて頂きます」
そう述べるロータスにララスは深く頭を下げた。
きちんと対応して貰えるような雰囲気に安堵したララスが油断して出されたグラスに口を付ける。
すると、市長の脇に着席している人物の一人が口を開いた。
「そちらが生け捕りにした捕虜の一人にバロルという者がおるそうだが、ガライでも特に文武に秀でた人物と聞く。ワシはガライの軍事を統括するグランドバッハと申すが、私の部下の誰もがバロルに勝つ想像すら出来ないと言っておった。その男を生け捕りにするカーンの武力とは、それほど桁外れなのであるか?」
緊張の為普段より乾いた喉を潤すララスは慌ててグラスから口を離すと、
「いえ、カーンとバロルは一太刀しか刃を交えてません。シーラが戦闘不能に陥り介護するバロルに、参謀ベルカンプが説得し、バロルがそれに応じ自ら投降したのが真相でございます」
「では、カーン殿でもバロルを倒すのは不可能であったという事かね?」
「……一応私も前線にいた身ですので事の詳細は把握しているつもりであります。私のような凡人の感想なのですが、カーンとバロルの武力の差というのは、紙一重であったと思います」
「決して、生け捕りに出来るような差はないと?」
「……そのように感じました」
軽く礼を述べ目線をララスから逸らすグランドバッハに入れ替わり、今度は市長を挟み逆サイドの人物が声をかけた。
「主にガライの政を担当するツガルと申す。職業柄、言葉に力を乗せるベルカンプ少年に興味が尽きないのであるが、彼の人物像とは如何なるものなのであるか?」
これにはララスは少々考え込み、
「正直申しまして、わかりません。実はベルカンプ様は砦に移住して半月程しか経っておらず、計り知れない知識の泉を蓄えているのはわかるのですが、普段は愛らしいただの少年のように見えてしまうのです」
「普段は決して驕ったり尊大に見せたりはしないと?」
「はい、思いつく特徴と言えば常に視野を巡らせるぐらいしかございません。シーラとの決戦が決まり、無策で途方に暮れる我らの前でのみ自分を大きく見せましたが、普段との落差と異世界の肩書きに私は何故かやれるかもと思ってしまいまして……」
「ハハハ。ベルカンプ少年とやらは随分人たらしのようで」
現役の大物政治家のこの発言にララスはどういう表情をして良いか判らず、微妙な苦笑いでお茶を濁した。
すると、続いてツガルの隣に座っていた人物が割って入ってきた。
「ガライの商業、税の業務に就いているトノヘだ。みんな知りたくて仕方が無いと思ってるから代表して聞くが、異世界の品物ってやはり凄いのかい? どんな物があるんだい?」
「兵士の業務に就いている身として一番驚いたのは、双眼鏡という品物でした。千里眼、という例えがありますが、双眼鏡で地平線を眺めるとまさしくそのような業を会得したように先まで見えてしまう品物です」
「ソウガンキョウ? そんな物があるのか、他にはどんな物が?」
ララスは言われるがままに素直に質問に応じ、羽が生えたように軽い靴、寸分違わず時を刻む機械、疲労を軽減する水、一瞬で止血してしまう魔法の治療薬の説明をする。
これにはララスに対峙する5人も子供のように耳を傾け、
「凄い、やはり凄いな異世界の品物は! 是非我々と交易をして欲しいとベルカンプ少年に伺ってはくれないかい?」
途端にララスの表情が曇り、
「申し訳ありません。実は、ベルカンプ様は異世界との転送を3度成功させたのですが、その後異世界側の兄上と音信不通になってしまったとおっしゃっております。事実あれから何か届いた様子はありませんし、現状では異世界との交流は絶望視されているようです」
「そっか、非常に残念だ。じゃぁ金に困って異世界の品物を売りたくなったら是非トノヘを尋ねてくれと伝えてくれ。高価で買い取らせてもらうからさ」
「はい、確かにお伝え致します」
残念そうに天井を見上げるトノヘは、交易の話しなど当然無しだとばかりに興味を失くす。
再びグランドバッハが口を挟み、此度の戦闘でガライ側に生き証人がおらず、どういう展開でシーラ率いる盗賊団が全滅したか説明してくれと要請があり、ララスはこれも素直に応じ、自分で体験した一連を話した。
その後細かい日取りを取り決め、ではお待ちしておりますとララスは席を立つと、
「申し訳ありません、大事な事を失念しておりました。お恥ずかしい話しなのですが、我が砦は何も無い谷間に250人が寄せ集まって暮らす貧しい地域でございます。客人をもてなす食事も宿もございませんので、野営の準備をなされていらっしゃってくださいませ」
軽く眉をあげたロータスが、
「了承致しました。天幕を持参の上参上させて頂きます」
ではと、少々恥ずかしそうに頭を下げて退席するララスの足音が聞こえなくなると、
「先の大戦から50年経っているとは言え、我々とクリスエスタは緩く敵対していると私は解釈しておったのだが」
軍事部門の長であるグランドバッハからすると、何から何まで素直に答えてくれるララスになんだか気が抜けてしまう。
「彼の話した事がどこまで本当かわからないが、どういう経緯で勝ったのかをただで聞けるのは得したな、グランドバッハよ」
そう言いながらツガルは後ろに控える小間使いの女性からグラスを受け取ると、一気に飲み干した。
「全くだ。本来なら自ら砦まで赴き、スパイ活動の段取りが必要かとも思ったのだが、後は先程の真偽をゆっくり裏づけするだけで良くなったわい。ワシは砦には行かんからな」
ぶっきらぼうに言い放つと、隣に座る終始無言を貫いた男に声をかけた。
「グレモリン、どうだ? たまにはガライから出て外の空気でも吸ってみるか?」
「ご冗談をグランドバッハ様。私ごとき矮小が出来る仕事と言ったら、ガライの門を管理し市民の往来の安全を計ることぐらいなものです」
ハッハッハ、この守銭奴め! と笑いながら背中をバシバシ叩くが、グランドバッハもその恩恵に大いに預かっている為、叩き方に愛情がこもっている。
「俺もさ、一時は行ってもいいかなと思ったんだけどさ、異世界の品物が打ち止めって聞いて一気にしらけちゃったよ」
4人の最高幹部の中で一人だけ場違いに若いイワン・トノヘは、2年前に父親が病気で急死し、20代の若さで一族の長を任される新進気鋭であった。
「となると、やはりガライの執政の長であるロータス殿に行って頂くしか無いわけか……」
自分が行くわけがないとツガルが当たり前のように発声すると、短く息を吐いたロータスが、
「我らに落ち度がないのは明白であるが、いくらか見舞金は支払うべきであると思う。よろしいか?」
「我らは皆、それぞれの裁量の中でこれまでも上手くやって来たではないか。自分の裁量の中での決済なら誰も文句は言いませんよ、市長殿」
ツガルがそう言うとロータスは一瞬全員の顔を見渡し、誰も異論は無さそうなのを確認すると立ち上がった。
「あ、すまない市長殿。捕虜を一人引き渡して貰えるか交渉してきてくれ。金貨50枚までならグレモリンが出す」
「了解した」
「市長殿」
「なんだね!?」
「奥様とご子息と、我ら首を長くして市長殿のお帰りをお待ちしております」
錆び付いた目を益々無機質なものに変えたロータスは、無言で部屋を退室した。