第80話 ゲルセミウム・エレガント
「わたし…………よごれちゃった…………」
オットーの後ろで、半裸のベルカンプがさめざめとすすり泣く。
「ちっ、ちがっ! そもそもベルがドーガを削除出来ないとか嘘を付くからこんな事になったんでしょ!」
「なによこのケダモノ! 削除出来ないからってこんな仕打ち許されると思ってるの!?」
わざとらしくオットーの背中で大袈裟に嘘泣きするベルカンプ。
事情を飲み込んだオットーが中立な目でソシエの動画を鑑賞すると、
「ソシエ…………おまえマジか?」
ちらっと写った太股とドヤ顔の仕返しでこれか? と、オットーに白い眼で呆れられると、
「違うの兄さん! あの機械がいけないの! あのいつでも見たい物を保存しておける悪魔の機械が、私をどうにかさせてしまったのよぉぉぉぉ」
頭を抱えてソシエは地面にうずくまる。
「しかし、こんなに早く健康な男子の発想に行き着くなんてソシエは凄いよね」
素で褒めながらけなすベルカンプにソシエは一生の不覚と部屋中を駆け回り、オットーにわかったから止めろと窘められるとようやく椅子に着席する。
「それにしても、やはり異世界の品は凄いな。双眼鏡の時も驚いたが、この機械は我々にとってはまさに魔法の道具だ」
ソシエを鎮めたオットーが冷静に感想を述べると、
「思えばそうだね。でも他人に貸すと今回のようなケースが発生するから、これは暫く僕だけが使う事にするよ。……ついでに暗証番号設定もしておこう」
使い慣れた携帯にベルカンプは一瞬で暗証番号設定をするとソシエに渡してみる。
ソシエが携帯を操作しようと画面を見ると、異世界の文字で何かを問われているような印象を受けた。
「これでもう異世界の数字を打ち込まないと操作出来なくなったよ」
「なんだ、こんな事なら道連れに脅す必要無かったんじゃない。もう!」
そもそも削除出来ないわけないじゃんとベルカンプは再度ソシエをからかうと、もう苛めないでとソシエが半泣きになった所でこの件は手打ちとなった。
その後、思い出したようにベルカンプは竹の地下茎を持ってコキアに預けに行き、夕食後にゼマリアの湿布張り替えの為に宿屋に立ち寄った。
近衛二人の異世界の質問攻めに少々盛り上がってしまい、迎えに来たオットーに帰りはニウロに送ってもらうからとそのまま送り返すと、夜もだいぶ更けた頃にニウロと二人で宿屋を後にした。
月夜が綺麗だなと、見事に輝いているサルーンとマルーンを見上げながら夜道を歩いていると、ニウロがピクンと何かを感じ足を止める。
どうしたんだろうと無言でニウロを待っていると、
「主上、夜も遅いですがちょいと散歩しませんか? もしかしたら貴重なモノが見れるかもしれないよ?」
勿体ぶるニウロに好奇心旺盛なベルアンプは勿論ですと乗ると、ニウロは見張りに気付かれないように西門を抜け、そこから北の方角に数百メートル歩き続ける。
見張りが目視出来ないぐらいまでの距離を歩ききると、今度は前方に女性の姿が月明かりに照らされているのが目視出来た。
その女性は西の斜面の土で何かの作業を終えると少しだけ離れ、やがて純白なワンピース調の肌着一枚を残して旅衣装をすべて脱ぎ去る。
ニウロに肩を叩かれ、集中の邪魔をしちゃ悪いから座りましょうと二人で地面に体育座りをすると、その動作に気付いた女性が一瞬だけキッとこちらを睨み、ニウロが手を振って挨拶すると、仕方ないわねとため息をついた女性が二人を見過ごした。
「なんとなく気づきましたけど、これからコキアは魔術を使うんですか?」
ベルカンプは小声でニウロに質問をすると、
「昼間に異世界の木をコキアに託したんでしょ? 多分だけど、木の成長を安定させる為に緊急収穫の魔術でもするんじゃないのかなぁ」
ニウロの推測にベルカンプの目が輝き始める。
コキアは両手に持った木製の楽器でリズムを取り始めると、そのリズムに乗ってゆっくりと口を開いた。
ア~ ア~ アァ~アァ~ ア~ ア~ アァ~アァ~
この声を聴いた瞬間、ベルカンプの全身に鳥肌が立ち始める。
大気と大地が準備を始めているような感覚に陥ったベルカンプは、自分と自分の背後から、何かがコキアに向かって流れて逝く感覚に陥った。
『ウ~レラウ~ ウ~レラウ~ ゲルッセミウム ウ~レラウ~
ウ~レクレテ~シ~カ~ オ~キトノカ~ヤ~タ~ オオニロ~ノコノ~シタ~ハ~
デ~ングシ~ デ~ングシ~ パ~ウロマウロ~マ~
テ~シソック~タ~マ~レ~ ラ~ルックテ~シ~ヒ~
デ~ングシ~ デ~ングシ~ パ~ウロラルロ~マ~
ミ~ウ~ノモ~ト~ モコオココ ニ~ウ~ノソ~ト~ ロコオトト』
ウォーミングアップが終わったかのようなコキアは踊りを交えながら両手で楽器を奏で、腹から絞り出すようなアルト調のボイスに周囲が呼応する。
ベルカンプはコキアが発する重低音の声に鳥肌が止まらず、春も終わろうかと思うこの時期に寒気を感じるぐらいであった。
「あの呪文みたいな言語はサチュラ語なんですか? それにしてもなんて幻想的なんだろう」
ニウロに小声で質問するベルカンプは肌着一枚で淑やかに舞う女性に心を奪われる。
普段話す声色とは全く違う低音の声は確実に何かの効果があり、ベルカンプは自分と自分の周りから精気のような物がコキアに向かって流れているのを確かに感じ取った。
「あの言語はサチュラ語でもないんだよ。オータム家に伝わる古代の歌らしいんだけど、ええと意味は確か……」
かしこみ申す かしこみ申す
万緑の王 ゲルセミウムよ かしこみ申す
そなたの毒で 世界を覆い給え そなたの毒で 世界を救い給え
大地は 緑を 欲している
王の使徒よ 私と共に 踊り狂え
大地は そなたを 欲している
光に乗じて 葉を伸ばし 闇に乗じて 根を伸ばせ
……こんな感じだったかな? 意訳を終えたニウロは続ける。
「なんでも、女神が植物の王をそそのかす歌でね、古代のサチュラの民が、大地が土だけで貧しいと神に懇願したそうなんだよ。そこで神は大地に全身が植物の王、ゲルセミウムをお作りなったらしいんだけど、その全身に蔓延る植物は全て猛毒の類らしくて、食すどころか、触れるだけでも危険な存在だったらしいんだ。それを危惧した女神さまが地上に降り立ち、ゲルセミウムを手招きで誘惑しながら全土を歩き回ったんだそうだ。歩き回る内にゲルセミウムの細胞が少しづつ、少しづつ大地にこぼれおち、一つは時間の経過と共に、一つは海から上がってきた海藻と交わって段々と無毒化していって、やがて細胞の全てを大地にまき散らしたゲルセミウムは一つの種となり、ゲルセミウム・エレガントという名前の猛毒の植物の一つに成り下がったという神話がサチュラにはあるんだよ」
「へ~凄い。それじゃぁコキアは今、女神の姿となって植物を誘惑している所なんですね。どうりで…………」
そう言ってふらっと立ち上がりそうになる自らの体をベルカンプは押さえつける。
何も考えずに気を抜くと、ふらっと立ち上がりコキアに吸い寄せられそうになる為であった。
「ハハハ。何度も見学している僕でもある種の興奮状態になるからね、無理もないよ。主上が6歳の少年じゃなかったら、コキアの身が心配で誘わなかったと思うぐらいですから」
どこからどう見ても真面目な草食系という佇まいのニウロは、医者という立場上女性の裸体など見飽きている。
そのニウロですらこの踊りには一定の興奮状態に陥るのだから、その催淫効果といったらかなりのものがあるのだろう。
ベルカンプはこの踊りと声に魅了されながら、片隅に残ったわずかな理性で何か対策を練らなければなと判断した。
「声にはね、直接的な力があるのはわかる?」
「直接的? コルタを魅了したり心を奮わせたりという意味では無くてですか?」
「いや、もっと人体に直接影響するような力だよ。術師が声に呪詛を乗っけて発声すると、コルタは場合によっては死んでしまうんだ」
「凄い能力ですね。地球の魔術師のイメージにだいぶ近づいてきました」
無防備な状態のコルタに、熟練した魔術師が耳元で呪詛を乗っけて発声すると、そのコルタは心臓を掴まれたように苦しんで絶命してしまう事もあるらしい。
声色を変えて呪詛を乗っけると、鼓膜を破ったり、眼球にダメージを負ったりという直接的な事も出来るんですよとニウロは説明をすると、ベルカンプの脳裏にふと気づいた事があった。
「もしかしたら、地球でいう『音波』に近いのかも知れないなと思いました。人間は黒板を爪で引っ掻くような高音には非常に弱く、ほとんどの人が頭を抱えるぐらい嫌がりますし、声だけでガラスのグラスを割る技術というのも存在します。わずかですが人間にも備わっている能力なんでしょうか?」
「本当にニンゲンとコルタって生物は紙一重の違いしか無さそうだね。声だけでガラスを割る能力があるなら、能力の差こそ違えど根本は同じなんじゃないのかな?」
思えば毎日植物に語りかけると成長が早いなんて話しも聞くし、動物に限ってはホーミーという喉歌には一定の効果があると立証されている。
だとすると、植物に効果がある音程というのがあってもおかしくないと思ったベルカンプは、
「そうかもしれませんね」
とニウロに深く頷き、その歌声にいつまでも心を傾け続けた。
『』内のカタカナなのですが、アーティストのKOKIAさんの調和という歌を聞いて感動を覚え、
真似する事で皆さんにも知ってもらいたいと思いギリギリまで近づけました。
確か歌詞は削除対象になると書いてあった記憶がありますが、調和の歌詞検索をすると『』の部分は
ローマ字表記されており、歌詞よりも音という感覚ではないだろうかと個人的に判断しました。
削除対象になると判断したら速攻で『』内のカタカナは入れ替えるか削除したいと思います。




