第53話 自給自足
カシュシュシュシュシュシュ。 ブルン――。
結局昨日は長時間倉庫で泣き過ごしてしまい買い出しに行けなかった幸太は、午前も早い時間から車を走らせる。
昨日はと言うと、ようやく泣き止んで一息入れた幸太は棺桶を自室まで引っ張り上げ、思いつくまま手当たり次第放り込むとベッドの下に押し込み興奮しながらもなんとか就寝する。
栄太に背中をくすぐられる夢を見て起床すると、やはり棺桶の中身はもぬけの殻になっており、幸太は軽く拳を握りしめたのであった。
幸太は運転席から流れる風景を新鮮な目線で楽しむと、道の駅には寄らずに車は別の方向に曲がり走り出す。
自宅から出発して15分も走っただろうか、若葉マークの軽トラックは立派な総合施設の駐車場に到着し、バックから3度切り返してようやく停車した。
自動ドアを通り抜け窓口でよし乃を呼び出すと、対応した従業員に急ぎでないなら脇の軽食屋で何か食べて待ってなさいと言伝され、自分が空腹なのを思い出した幸太が丁度良かったと素直に従った。
その日の来客一番目が未成年の少年だったのに多少驚いた30代の女店長と2~3分身の上話で盛り上がると、アメリカンコーヒーをマグカップサイズで、カツカレー大盛りを通常価格で提供してくれる事となりお礼を述べて席についた。
熱々のカツを必死で掻き込んでいると、ようやく登場したよし乃がカウンターに会釈し、女店長が先程の5倍ぐらい驚いてみせる。
「ちょっと! よし乃さんの親戚なら早く言ってよ! 大盛りオマケとか恥ずかしい事しちゃったじゃない! よしてよもぅ!」
手をパタパタ振りながら慌てる女店長によし乃がキリマンジャロを頼むと、勿論御代は要らないからねとカウンターの奥に引っ込んだ。
「ばぁちゃん。相変わらず底が見えない大物っぷりだねぇ」
皮肉のようなからかうような声色で発声する幸太に、
「おまえ、アタシの祖先から数えてここに何年根付いてると思ってるんだい。舐めるんじゃないよ」
わざと悪びれるように片方の口元をあげて答えるよし乃は、慌てて化粧したせいか幸太にも雑とわかる仕上がりであった。
急ぎじゃないなら先に食べておしまいと、残り3口ほどになった皿を指差すと幸太はそれに従う。
完食し、水で喉を潤し正面を向くと、丁度持ってきたキリマンジャロをそのまま口に運ぶよし乃の姿があり、女店長が目でもういい? と合図しながら皿を持って下がった。
「さて、アポイントも取らずにいきなりやって来て、変な頼みごとじゃないといいんだけどねぇ……」
試すような、皮肉返しのような投げかけの先手を打たれたよし乃に幸太は言葉を飲み込むが、
「え~と。まずは、お蔭様で無事車の免許が取れました。ありがとうございます。ついでに農機の講習も受けて来たんだよ? 俺にも米作りは可能かなぁ」
「さぁねぇ。でも自分で食うだけだろ? 品質に文句が無くて農機が運転出来るなら、普通なら片手間で出来ると思うけどねぇ」
「ほんと? 良かった。野菜は畑で育てるとして、ばぁちゃんの土地だけで一銭もかけずに自給自足は可能かなぁ」
「……はっきり言って不可能だね。まず、食事にしたって現代の10代の男が肉無しで暮らせるのかい? まぁ肉なら近所の猟師仲間を紹介してやってもいいよ。そこで物々交換すれば猪肉程度なら手に入るだろうけどね」
「お~猪肉! 一度食べてみたかったんだ。どんな味がするんだろう、興味あるわ」
「そんな期待するもんじゃないよ。野生の生き物はね、そいつの食って来たもんで味が全く違うのさ。市販で売ってる管理された肉しか知らない甘ちゃんには口に合わないかもね」
「そんなもんなんだ? で、話しを元に戻すけど、現金がないと暮らせないのは、例えば……ガソリン代とか?」
「それもあるね、ただね、物は壊れるっていうのを忘れてやしないかい? 水道代や電気代がほぼかからないってのは、私が金をかけてそういう作りにした基での暮らしってのを失念してるようじゃまだまだだね」
「あ~…………。興奮しててそういう基本的な事を考えてませんでした。じゃぁ10年単位で考えるとすげぇ金かかるじゃん」
「ん? 成人する2年間限定の話しではないのかい?」
「いや、出来ればもう少し先までを思ってたんですけど……」
飽きれたような表情になり一端深く腰掛けなおすよし乃は、目の前にあるカップを手繰り寄せ口に充てる。
釣られて幸太もマグカップに並々注がれたミルクたっぷりのコーヒーで喉を潤すと、二人の無言の間を手助けするように館内放送が流れた。
ポーーーン。
「館内連絡です。308号室の佐伯様、アポイントを取られてました福生生命の方が談話室でお待ちになっております。館内におられましたら至急談話室の方までお越しくださいませ」
放送の音に混じって、背後で薄っすらカラオケから流れる演歌を熱唱する野太い男性の声や、麻雀牌をかき混ぜるような音が聞こえる。
「ここ、絶対に老人ホームじゃないよね? 俺の描いてたイメージと全然違うんだけど?」
「まぁ表向きは富裕層のセカンドハウスという名目になるのかね? ただ、ここらへんは有名な観光地でもなんでもないからね、購入者は地元のジジババばかりで事実上の老人ホームみたいなもんさ」
へ~と生返事しながら、メニューの後ろにあった総合施設のパンフレットに目を通す幸太。
カラオケやビリヤード、週に2回は大浴場でジャグジーやサウナも楽しめるらしい。
「成功者の暮らしって凄いなぁ。こんなとこで俺も悠々自適にくらしてみたいな」
特に何も考えずにぼそっと出てしまった言葉によし乃は怪訝な顔をするのであるが、熱心にパンフレットを眺める幸太に悟られる前に表情を元に戻す。
「それで、何故急に自給自足の生活をしたいと思ったんだい?」
話題を再度戻すよし乃に幸太はパンフレットを元に戻しながら、
「いや、目的は一銭も使わない生活じゃなくて、稼いだお金をなるべく趣味に使いたいのでどの程度生活費を圧縮出来るのかなぁと…………」
「なんだい。そういう事なら問題無いけど、アンタ成人すると日本国民として避けられない義務が発生するのを忘れてやしないかい?」
「あ!」
「そうだろう? アンタに何があったのか知らないが、少々短絡的過ぎやしないかい?」
恥ずかしそうにマグカップに口を付ける幸太は、
「……税金ってのはどんなのがあったっけ?」
「いきなり言われても困るけど、ぱっと思いつくのは、国民年金、健康保険、住民税……車持ちだから自動車税……土地持ちになったら固定資産税なんてのもあるかねぇ」
「うへぇそんなにあるの? なんだよ自給自足の暮らしなんて過去の産物じゃん」
「それから義務じゃないけれど、車に乗るなら絶対に自動車保険、農業には怪我が付き物だから、医療保険も必要だね。それから家を守りたいなら火災保険、地震保険……それから……」
18歳の幸太は自分の未熟さをまざまざと突きつけられ、声も出せずに額をテーブルに付けて倒れこんだ。
「アンタ兄弟二人でアパート暮らしだったんだろ? アパートの保険の事はどうしてたんだい」
「それは支援の関係者がやってくれてたからわかんない。どうせ未成年者が契約なんて出来ないしね」
「あ、それはそうか」
「あ! 俺は馬鹿だ。成人したら奨学金や支援団体から借りた金も返済義務があるじゃねぇか!」
「ほんと馬鹿だねぇアンタは」
「いやぁほんますんません。興奮しすぎてなんも考えずに会いに来てしまった」
確かにカツカレーを掻き込みながら自分を見上げた眼力は生気に満ち溢れており、葬式の時の幸太と今を交互に思い浮かべながらよし乃はカップに口をあてた。
一体何を始めるのか知りたくて喉から出掛かっているよし乃はそれでもなんとか押さえ込み、
「じゃぁ、やってみるのかい? 山葵作りを?」
「お察しがお速い。はい! よろしくご指導お願いします」
必死で目的が何か聞きたい願望を再度押さえ込むよし乃。
しかし娘の時に一度失敗している以上、聞くのは今ではないとなんとかその感情を押さえ込み、
「まぁ……体も鈍ってきてる事だし、本人もやる気があるみたいだし、一人で稼げるようにしてやろうかね」
「はい! 自立出来るように頑張ります」
じゃぁ後日実家の方でと、いくつかやりとりして立ち上がると、
「ところでばぁちゃん。軽い認知症って絶対に嘘でしょ?」
「嘘なもんかね、確実に私のここは老化がはじまっている」
人差し指で側頭部をコンコンと叩く。
「そうなの? 俺が馬鹿なだけかもしれないけど、間の抜けた発言を一度も聞いた事ないんだけど?」
「…………出てこなくなったんだよ」
「ん?……何が?」
「円周率が。……円周率が、20桁から先が全く思い出せなくなっちまったんだよ」
「あら、そういうレベルの話しですか。おほほほほ。ではごきげんよう」
「戯言と取るんじゃないよ! こら! 幸太!」
よし乃が引き止めるのも構わず、手をヒラヒラさせながら令嬢ぶって退室する幸太の背中を眺めながら
(成功者が、単身こんな施設でこんな思いで子供の背中を眺めるもんなのかね)
小さくため息を一つ吐いた。