第66話 歓喜のモグラ族
ヒラル一家の命名が終わりキノコノが自分の名を胸に刻み終わると、モグラ族の合唱が止み辺りが静まり返る。
この砦に来て初めての異種族との接触を思い出し物思いに耽っていたベルカンプは、サミダレの「チウ」と言う喉を鳴らす声で覚醒し、こちらに戻ってきた。
「ごめんごめん。ではお礼の品なんですが…………」
ゴソゴソとビニール袋を弄り、盛潟練りわさびを5本取り出したベルカンプは、
「一本はヒラル一家に味見させたいからごめんね。一本抜かせてもらうね」
と言うやいなや、練りわさびを5本もという破格の褒賞に「チウーーーーー」とシグレすら興奮してクルクル回転してしまう。
何それ? 植物ならアタシにも味見させてとチューブを珍しそうにプニプニと押しつぶして楽しむコキアを横目に、
「とりあえずシグレに渡すけどさ、少々匂うからまずは全員洗体しよっか。ブラシも持ってきたからあそこの水場まで移動しよう」
とスタスタ歩き出した。
以前の倍の12体を見事洗い終えたベルカンプが一息ついていると、練りわさびを味見し、洗ったばかりの背中を土に付けひっくり返っているヒラル一家の横でアハリが家族会議を開いている。
議題は5本の練りわさびをどういうペースで食べるかだそうで、激論の末今日は一本だけ食べる事で決着が着きそうであった。
「シグレには聞いていたが、こんなに強烈な食べ物だったとは…………」
2分程気絶していたフジが起き上がると、まだふた舐めは出来そうな残りを確認し、嬉しそうにチウと鳴く。
その声で残りの5名もムクムクと起き上がり、幸せそうにそれぞれ一度づつチウと鳴いた。
全員覚醒したのを確認したベルカンプはさらにごそごそとビニール袋を漁り、子供の手からはみ出る程の植物の根を取り出すと皆に見せた。
「その練りわさびは食べやすいようにすり潰した物を加工して詰めたものなんですが、これが原型です。こちらは保存が効かなそうなので今日中に食べてしまいましょう」
「な、なんだっチウーーーーーーーーー!!!」
興奮の余りコルタ語を話せなくなったモグラ族が歓喜で小躍りする横で、ちょっと見せてとコキアが山葵の根を取り上げ、調べ上げる。
「水耕栽培っていうのかな? 綺麗な水じゃないと育たないらしいんだけど、コキアはこれを育てられる?」
ベルカンプが職人の目で山葵を調べているコキアに質問すると、
「う~ん、やった事ないわね。あんなピリっとする植物マチュラでは見た事無いし、思えば綺麗な水じゃないと育たない植物を扱った事がないわ」
と、悔しそうに答えた。
まぁまずは味見だと自宅から持ってきた巨大魚の舌で山葵を摩り下ろすと、芳醇な香りがツンとベルカンプとコキアの鼻を刺激する。
お先にどうぞとコキアが一すくいし恐る恐る口に含むと、急に涙目になり目頭を押さえはじめ、それを満足そうに見たベルカンプも少量手にとり舐め取ってみた。
「はぁ~~効くぅ~~。子供の味覚にはキツイけど、これが本物の味なんだろうなぁ」
涙目で横を向くと、んんんんんと両指を広げ目に見えない何かを揉んでいるコキア。
なんだそのジェスチャーはと腹を抱えると、
「うるさいわね、練りわさびより味が強烈で驚いたのよ! …………でもなんとなくわかったわ。これを育てた人、かなりの熟練者ね」
ひと舐めで単純な辛さだけでなく、薬味としての奥深さの片鱗を嗅ぎ取る能力にベルカンプは心の中でコキアの評価を上げると、いつの間にか目前までやって来ていたモグラ族が今か今かと背伸びしたり鼻をクンクンさせたりしている。
ベルカンプは大慌てで残りを摩り下ろすと、お待たせしました、ではどうぞと順番に一盛りづつ舐めさせていった。
モグラ族は練りわさび時の3倍程の悲鳴を上げながらひっくり返り、起き上がるとすぐベルカンプに挑み、また瞬殺されると言う面白い光景が暫く続く。
ようやく全てを舐めきったモグラ族が平静を取り戻すと、
「う、美味すぎる。練りわさびの美味さには驚いたが、新鮮な山葵はこんなにも…………こんなにもか…………」
体中に刺激が走りすぎたようで、美味し過ぎて疲れたとユニークな感想を漏らすモグラ族に、ベルカンプも満足そうに微笑んだ。
「実は異世界の兄が祖母の実家に身を寄せたそうなんですけど、そこが山葵農家なんだそうです。ですから西の山の水源を確保出来たらこの山葵をこちらで育てられるかも知れません。遅れましたが、こちらは農業指導者のコキア・オータムさんです。正式雇用はまだなのですが、彼女の奮闘次第では安定して山葵を食せるようになるかも知れませんね」
それを聞いたモグラ族が地面に這いつくばり、
「もうダメだ。もうこの土地から離れられない。……主上! なんでもしますから、どうぞ我らをここに置いて下さい」
と口々に懇願し始めた。
「何度も言いますが、僕の思い描く街作りに貴方達の能力は欠かせません。持ちつ持たれつの関係で上手に共存しましょうね」
とモグラ族に投げかけると、では最後になりますがと再度ビニール袋に手を突っ込んだ。
「……主上、まだ何か頂けるのですか?」
あまりの待遇にヒラル一家が恐縮すると、
「う~ん、これは喜んでもらえるかわからないんだけど、ちょっと試食してもらえますか?」
ベルカンプはそう言いながら赤い木の実が30粒程入ったプラスチック容器を取り出した。
例に倣ってコキアから試食させると、これまた両指で何かを揉み始め、
「す、すっぱ~~~い」
と頬をすぼめて小鳥顔を作る。
いちいちジェスチャーが面白いとベルカンプが笑うと、
「これは何かの漬物ね。凄くすっぱいけど、これは食べ慣れると癖になるかも」
と、既に2個目に興味を抱くような印象を持ちかけた。
ベルカンプは中に種が入っているから気をつけてねとモグラ族の口に一粒づつ放り込むと、一瞬震えたモグラ族が、
「チゥっぱい!」
と頬に手をあて連呼を始める。
その光景をかわいいなとほのぼのした気分で眺めていると、
「主上…………またしても、またしてもなんて物を食わせてくれるんだ! 胃袋が喜びの悲鳴を上げているではないか!」
どうしてくれるんだこの野郎とモグラ族の歓喜の抗議が始まり、首をかしげながらベルカンプはごめんごめんと皆に謝った。
サミダレが口の中で転がしていた丸い物を取り出すとベルカンプに問いかける。
「主上、先程種があると申していましたが、これはこの実の種なのですか?」
「うん。そうだよ」
「……という事はもしや、これも栽培出来るという事ですか?」
「多分いけるんじゃないかな? …………そうだ! これは梅って言う木の実なんだけどさ、春には綺麗な花を咲かせるんだよ。これから谷の入り口に新しい南門を作るんだけどさ、門の内側にこの木を植えて見ようか。花を咲かせた梅の木で往来する商人を迎えたら、きっとみんな喜んでくれると思うんだよね」
実も収穫出来て一石二鳥だしとベルカンプは言うと、コキアも素晴らしいじゃないと両手を合わせて同意し、そんな理想郷の建設に参加出来るのかと無常の喜びを感じたモグラ族達は、奥歯を噛みしめた。
なんとなく視野を展開し、ふと思い出したベルカンプは
「そういえばその土の塊は何なの? なんか話し合ってたみたいだけども?」
これだけされておいて隠し事なんか出来ないと観念したシグレとフジが目を合わせると、
「実は、東の山と西の山から採取した土なのですが」
と白状する。
西の山から採取した土は綺麗に正方形にカットされており見たところ粘土質のようで、東の山の土はいびつで多少パサついている。
金銀が出て来いとは言わないけど、鉄鉱石でも埋まっててくれたら助かったのになぁとベルカンプは残念そうに土を触ると、粘土質の土を見てあれ? っと表情が変化した。
「これって粘土とはちょっと違うんじゃない? 誰かこの土の質がわかる人います?」
ベルカンプはモグラ族を見渡すと、全員当たり前のようにベルカンプを見つめ返し、
「これは確か、海の植物が長い年月を経て固まったものだと先祖に教わったぞ。太古の昔、この世界は全て海の底だったらしい」
とロッコウが代表して答えた。
ベルカンプはコキアの方を向くと、そんな神話はいくつかあるわと肯定し、ベルカンプは多少驚きながらも、
「それならもしかしたらこの土は地球でいう、珪藻土という質の土かもしれません。だとしたらちょっと試したい事があるので、後日この塊を5つほど用意してくれますか?」
と指示を出し、お安い御用だとシグレとフジは頷いた。
残るこの土はなんなんだろうと手に取ると、パサパサと粒状の土が手にこびり付く。
「主上、実はこの土は恐らくモグラ族の故郷にある土と同じかもしれません」
シグレの発言に要点がわからず、う、うん。と生返事をするベルカンプに、
「エンシスハイムンという名は、マチュラの古代語で、空から落ちてきた石、と言う意味を持っているそうです」
と続けると、って事は隕石か! と、ベルカンプは驚いてみせた。
「この土にはある工夫をすると便利な物に生まれ変わるのですが、その技法をコルタに教えてよいか、私は今から長老に報告に言って参りますのでお許しを」
シグレは頭を下げると、
「どんな便利な物なのかわからないけど、良い返事を期待してます」
とベルカンプも頭を下げた。
会話に一段落が着くと、モグラ族がふとベルカンプの背後に視線を移した。
背後に何かあるのかなとベルカンプは注意を後ろに反らして振り返ると、
「主上~~! 南門の見張りが、ガライの紋章の馬車が見えると言っております~。お戻りを~」
東門から兵士が声を張り上げ走り寄って来る。
今行きます~と手を挙げそちらに歩き出すと、
「気をつけて行って来てね。長老によろしく」
とシグレに一声かけ、今日は忙しいなとベルカンプは苦笑いで砦に走り出した。




