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ダブルワーク  作者: 無口な社畜
第二章 連邦国家と流浪の傭兵
9/9

三話 『お帰りなさい』

 朝起きてから就業までの時間。

 お昼の休憩時間。

 最後に就業後の帰宅時間。

 この約4時間が誠にとっての自由時間であった。


 当然、何か用事がある場合はこの時間から捻出しなければいけない訳で、無駄な行動はすなわちミッションの失敗を意味する。

 特に今回は時間もなかった事から、起床して直ぐに行動する必要があった。


 誠は起床するや否や、確認作業もそこそこに部屋を飛び出し、目的の部屋へと歩を進める。

 場所は母親の部屋。ある意味ではトラウマの元凶とも言える場所だったが、今の誠にとっては些細な事だった。


 普段は誠が出勤するまで自室の中で息を潜めている母親だが、一週間に一度だけ朝から外出する日があるのを知っていた。

 どこに何をしに行っているのかはわからない。

 わからないが、毎週金曜日は決まって朝早くに家を出て、誠が寝付くまで帰ってくる事がない。


 あの日、あちらのセカイで騎士ガネーシャと会ってから既に3日が経過しており、つい先程までのソルはグローム領アレンスの街までの旅路の途中にある宿場町の宿の一室に入った所で制限時間が切れてしまった。

 ソルとガネーシャ双方共に身分証を持っていなかった為に正規の街道を通る事が出来なかったからだが、未整備の荒れ道、それもかなり遠回りをしての旅路であった為、到着まではあと2日はかかるだろう。


 しかし、それは誠にとっては都合が良かった。

 何故なら、一週間のうちただ一日母親の部屋に入る事が出来る今日という日を挟む事が出来たのだから。


 誠は素早く母親の部屋のノブを捻ると、鍵がかかっていない事を確認してドアを開けると滑るように中に入り込む。

 出勤までの時間を考えると行動は素早く行う必要があるだろう。


 誠は部屋の中を見回すと、朝日が差し込む窓の傍にある机の上に置かれているノートパソコンと、棚に置かれているプリンターに目を止め、近くによって順番に電源を入れていった。

 立ち上がるまでの時間さえもどかしさを覚えていた誠だったが、立ち上がった事を確認すると、すぐにメーラーを起動した。


 パスワードが設定されていなかったのは幸運だった。

 誠は母親のアドレスのメールを題名と差出人の名前を確認しながらスクロールしていく。

 その中で、“それっぽい”題名のメールを発見し、差出人の名前で並び替える事でその差出人とのやり取りが最も頻繁に行われている事が分かった。


「差出人の名前はリン。一番最近の題名は『夢と病気の関連性』明らかにそれっぽいけど、読んでる時間はないな」


 誠は“リン”からのメールの送受信全てのメールを選択して印刷すると、全てが印刷し終わるまでの間に用意されていた朝食にラップをかけて次々と冷蔵庫にしまっていく。

 今日は母親の帰りは遅い。少なくとも、誠が寝るまでの間に今まで帰ってきた事は無かったから、今日もそれは同じだろう。今日は朝食は抜いて夕御飯にまわす事にしたわけだ。


 朝食の片付けを終わらせると、すぐに出発の準備を済ませ、誠は再び母親の部屋に舞い戻る。

 先程のメールの印刷は既に終了していた為、パソコンとプリンターの電源を落とし、印刷されたメールの束をカバンに突っ込んで家を出る。

 今日は昼食も取る事は出来ないだろうと思いながら。




~ ~ ~ ~ ~ ~ ~




 ある程度昼食の時間から外れるからなのか、それとも、その時間帯になると店内に立つのがマネキンと化した店長ネオンに変わるからなのかはわからないが、不思議と人が引けていく1時過ぎが誠にとっての休憩時間だ。


 いつもだったら期限切れの弁当をもってバックヤードの奥にある音音の家の一角である居間で食事休憩をするのだが、今日誠が手にしているのは朝印刷したメールの束だ。

 誠はテーブルの上に紙束を置くと、フローリングの上に座布団を敷いて腰を下ろす。


 誠は腰を落ち着けた事でメールに手を伸ばすと、日付の古い順から順にめくっていく。

 驚いた事に、母親と“リン”のやりとりは一年近く前から行われているようだった。


「…………」


 一枚一枚捲っていく誠。

 そのスピードは初めは流すようなものだったが、次第にゆっくりになっていく。

 それは内容が増えていった事もあるだろうが、それ以上に──。


「…………っ……うっ…………母さん……」


 誠の目の前のメールが滲む。

 ぼやけて酷く読みにくくなってしまったメールの文面の中では、最近では見る事がなくなってしまった『母親』の暖かな心があった。


 『苦しんでいる息子をどうしても助けたい』

 『同じ病気であるリンさんはどの様に家族と接していますか?』

 『誠の痛みを変わりたい。抱きしめて大丈夫だと言ってあげたい』

 『あの子が夢の世界に逃げるのならば、私は会わないほうがいいのではないか』

 『どうすれば誠を救えるのだろう』


 全てを諦めて誠に興味を無くしてしまっていたと思っていた母親は、決して諦めてはいなかった。

 息子に愛を失ってしまっていたと思っていた母親は、誰よりも息子を愛していた。


『いつまでも、変わる事なく二人の事を愛しています』


 それは、こことは違うセカイで母が言ってくれたという言葉。

 図らずも別々の世界の母親の愛を、同じ時期に知ってしまった気がした。

 誠がメールを読んで分かったことは、母親が誠の病気を治すために駆け回っている事。毎週金曜日に朝早く出かけて夜遅くに帰ってくるのは、遠い場所にある“リン”の主治医に会いに行っている為だという事。


 そして、誠は震える手で一番最後のメールに目を通す。

 『夢と病気の関連性』と題されたそのメールの内容は、夢の中での死が病気の回復に繋がるのではないかという“リン”の見解と、母親からのリンへのお願いの文面だった。


『同じ境遇のリンさんに、誠と会ってもらいたい。会って友達になってもらいたい』


 そのメールに対するリンからの返信は無い。

 しかし、そのメールの日付は茶髪の少女が誠に会いに来た前日だった。


「馬鹿だなぁ……」


 誠は呟く。

 その呟きの先はここに登場する全ての人物に対する総評だった。


「投げやりになった息子を未だに信じる母さんも、あれだけ憎まれ口を叩きながら、本当は母さんに言われて会いに来てくれた茶髪の女の子も、偽りの目的を口にして、俺を助けに来た金髪の女の子も。そして……それに気づかずに一人不貞腐れて母親を遠ざけて、態々会いに来てくれた女の子に大怪我を負わせた俺も」


 ぽたりと紙束の上に一粒雫を落として。


「……みんな馬鹿だ」

 

 誠は右手で涙を擦るとメールのアドレスを確認して携帯電話開く。

 それは本来の目的を果たす為だったが、今ではそれ以上の意味も持っていた。




~ ~ ~ ~ ~ ~




 帰宅後に残していた朝食を夕食として平らげた後、誠は着信していたメールを開く。

 そこに来ていたのは“リン”と名乗った人物からの苦情と、一つの『情報』だった。


「……そういう事か……」


 誠は天井を見上げて独りごちる。

 リンからの情報は誠──いや、ソルがある程度は予想していた事ではあったものの、それよりかなり厄介なものであった。


「外の世界は色んな事に溢れているな。今まで引きこもっていた俺ではわからなかった事ばかりだ」


 思えばソルは生まれた町から、ソルは自室から殆ど出ずに過ごしてきた。

 例外として仕事場や学校に行ってはいたが、限界活動時間の制約から、自分から殻を作って周りと接する事をしようとしなかった自分。


 そんな誠から見て、自分の病気と向かい合い、自分と同じ病気を持つ母親を励ます事ができる程の強い少女がいる事が驚きだった。

 それも、自分よりも年下であるに関わらず……だ。


「俺は何をやっていたんだろうな……」


 キッチンの入口に立って室内を見渡す。

 いつからか母親の姿を見かけなくなったキッチン。

 しかし、いつでも食事が準備してあったテーブルの上。


 今は空虚で何もないそのテーブルの上に、誠は一枚の紙を置き、ただ一言書き記してキッチンを後にした。

 それは、甘えすぎてしまった母親に今更謝る事の出来なかった誠の精一杯だった。




~ ~ ~ ~ ~ ~



 

 塩山 静が疲れた足取りで帰宅したのは既に22時を回った頃だった。

 もう半年近くこのような生活をしているが、息子の病気を治す糸口は一向に掴めそうになかった。

 多少でも希望が持てそうなのが“リン”という少女の考えだというのだから、現状の医学が何れ程息子の病気にとって無力かという事がよくわかった。


 だが、それでも、リンの主治医という先生はこれまでの医者とは違って親身に、そして真剣に取り組んでくれた。

 受け持つ患者にリンがいた事ももちろんあるのだろう。一つでも多くの事例を知りたい医者にとっては、誠は貴重なサンプルであっただろうから。


 それでも、リンの病気の回復はそのまま誠の病気の回復につながるのだから、そんな事は気にもならなかった。

 毎週夜遅くに帰宅する妻に苦言を呈していた夫も、今では何も言わずに協力してくれている。


 朝の早い夫は外で食事を済ませて既に眠っている事だろう。

 息子である誠は当然としてだ。


 静は家に入ると、真っ暗だった廊下に電気を灯して静かに歩く。

 誰も起きてはいないだろうが、台所の確認くらいはしておかないと、洗い物があった時に困ってしまう。

 洗濯もしなければいけないし、遅く帰ってきたからと言って主婦の仕事がなくなるわけではないのだから。


 静は軽くキッチンを見回して汚れた食器がない事を確認すると退出しようとして……その書き置きに気がついた。

 夫からだろうか?

 そう思い手に取って──目を見開く。


『ただいま』


 ただ一言。

 

 それだけ書かれた書置きの字はとても見覚えのあるもので。

 

 静は書き置きを手に持ったまま階段を駆け上がる。

 夫は起きてしまうかもしれないが、息子がこの時間にどんな事をしても目が覚めない事を知っていたからこその行為だっただろう。


 静がたどり着いたのはここ最近は全く入らなかった……いや、入れなかった息子の部屋だ。

 母親が絶望に打ちひしがれていた時期を境にして、誠は自らの城に引き篭るようになった。

 

 いや、その表現は正しくないかもしれない。

 誠は学校にはキチンと行っていたし、今もアルバイトにちゃんと行っているようだから。

 ただ、家で会わなくなっただけだ。


 いつしか誠の部屋には鍵がかけられ、静との会話を無言で拒否するようになった。

 静も傷ついているのであろう誠と直接あう事を躊躇った。

 きっと、そんな2人のこれまでの行動がこの状態を作ってしまったのだろう。


 ドアを開ける。

 いつもは静の力ではピクリとも動かないドアはあっさり開き、暗かった部屋が外から入る光で薄らと浮かび上がる。


 すぐに目に入るのは大きな姿鏡。

 まだ小さな頃、普段殆どわがままを言わなかった誠が珍しくおねだりしてかった鏡である。

 当時は「男の子が鏡なんて……」と、難色を示していた夫だったが、結局は誠と、こっそりお願いした静の説得に負けて購入した思い出の品だ。


 その鏡の前にはベッドがあり、そこに誠は寝ているだろう。

 静はゆっくりとベッドに近づくと腰を落とす。

 そこで寝ていた誠はピクリとも動かず、まるで死んでいるようにも見える。


 小さな頃からずっと、ずっとそうだった。

 当然夜泣きなんて無かったし、夜中の粗相だってない手のかからない子供だったのだ。


 それがおかしいと気がついたのは物心着いた頃だろう。

 いつしか誠はおかしな事を話すようになっていた。

 ここではない世界。ここにはいない人。ここにはない物を口にして、欲しがった。


 特に起きてすぐが一番酷く、口にした単語で多かったのは、『ソル』、『アル』、『お兄ちゃん』、『剣』、『魔法』、『ようへい』、『ナタリー』。

 静の事を見て『お母さん?』と、不思議そうな瞳で見た事もあった。


 初めはただ、夢見がちな子だと思っていた。

 眠る時間が多い事は不便だったが、生きる上で障害にはなっても問題はないとは思っていた。

 そう。

 あの事件が起こるまでは。


 あの事件の後は本当に大変だった。

 

 ショックのあまりには誠の事を放置してしまった静が冷静になった頃には、誠との間には決定的な溝ができてしまっていた。

 それでも、誠の治療を諦められなかった静は様々な情報を集め、沢山の病院を渡り歩いた。


 “同じ病気”だというリンという少女と出会ったのは一年ほど前の事だ。

 その子は誠の年下とは思えないほどに達観した考えを持った少女で、当時の静よりもずっと冷静に物事を考えていた。


 本人は「別に生きてても死んでいても変わらないから」と言っていたが、静に協力を惜しまなかったのは純粋な好意からだっただろう。

 誠の事を「情けない奴」と口にしつつも、静の頼みは決して断らなかった。出会ってからずっと後になって、彼女の両親がリンの事を放置していると知ってからは、特に静はリンとのコミュニケーションを増やしていった。


 そんな日々が続き、誠は学校を卒業し、アルバイトをするようになっていた。

 

 会話をしていないからわからないが、きっと家を出ていくつもりなんだろうなと静は思っていた。

 一人にするのは心配だ。

 でも、嫌われてしまうのはもっと嫌だった。


 だから、静はずっと一人耐えていた。

 夫も協力はしてくれるが、静ほど誠に関わる時間が取れなかった事もあり、「あいつももう子供じゃないんだ」と言っては誠の好きにさせるよう言ってきていた。


 静も最近ではそれも仕方ないと考えていた。


 どの道病気を治す道は探し続けるのだ。

 誠が離れていってしまったとしても、それでも自分が変わらなければいいと。


 静は書き置きを握り締める。


 でも、気がついてしまったのだ。

 書き置きを見て気がついてしまったのだ。


 誠はいつも出かける前に静がいる部屋に向かって「行ってきます」と口にしていた。

 静かは答えなかった。

 当然だ。何故なら、静は誠の夢の中にはいないのだから。


 当然、就寝時間の早い誠の帰宅時間に家にいる事は殆どなかったから、誠の声を聞くのは朝のその挨拶だけだった。

 静にとって最近の誠の声は「行ってきます」だけだったのだ。


 そんな静に向けられた誠からの挨拶。


 『ただいま』の一言に一体どれほどの想いが込められているのだろう。

 

 こんな簡単で、家族としたら当たり前の挨拶をしたのは一体何年ぶりの事なのだろう。


 そして……あの日、病院の手術室に消えて、泣き叫んでいた何物にも代え難い宝物だった可愛い息子が帰ってきたのはいつだったのだろう。


「……ごめんね……」


 静は眠っている誠の髪をそっと撫でる。

 そんな事をしても目が覚めない事も、何をした所で覚えていない事もわかっている。

 それでも静は髪を撫で続けた。

 愛おしそうに、涙を流しながら髪を撫で──


『お帰りなさい』


 ──“帰ってきた”息子に対して、5年の月日を超えてようやく伝える事が出来たのだった。


  

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